第5話 『幻想の森』の異常

 ■■


 『幻想の森』へ調査に赴いた『勇気の剣』一行は、普段の『幻想の森』との違いを感覚で感じ取っていた。


「確かに……これは異常だね」


 クラージュは警戒心を露わに呟く。

 ワイルドボアだけではない。異常に数が増えているアルミラージ。

 本来ならば危険度の低いゴブリンやスライムといったモンスター達の強さが明らかに上がっている。

 まだクラージュ達は高ランクのモンスターに遭遇してはいないが、そうでなくとも際立つ異常性。

 街の近郊故に『勇者の剣』のメンバー達がまだ冒険者に成りたてであったEランクの頃から来ていた場所だが、彼らにとってこのような事態は初めての経験であった。

 今回は討伐ではなく調査だ。

 可能な限り戦闘は避けて進み、森の中層部にまで進行していた。

 短剣の柄に手をかけたままのユキが、鋭い目付きで周囲を警戒しながらクラージュに声をかけた。


「これ、私達だけじゃきつくない?」

「そう、だよね」


 杖をぎゅっと握り、落ち着かない様子のシュティルが同意する。


「調査結果は異常。明らかにモンスターが狂暴化しているって報告して、原因究明をするなら複数パーティで、尚且つゲーベンを加えなきゃ無理っていうべきよ」

「一度断ってしまった手前誘いづらいけど、そうするしかないかな」


 気が重いというクラージュを、ユキはケラケラと笑った。


「大丈夫よ、首輪付けてでも連れてくわ」

「ユキはゲーベンのことなんだと思ってるんだい?」

「……下僕?」

「ひどい、ね」


 張り詰めていた緊張が弛緩し、ユキが肩の力を抜いて微笑する。


「もうちょっと、素直になれば、いいのに」

「心からの気持ちよ」

「そう、かな?」

「何が言いたいのよ? シュティルは」

「別に?」


 からかうような口ぶりのシュティルをユキはジロリとねめつけるが、シュティルは小さく笑うだけで恐れた様子はない。

 気が抜けたと言えば聞こえは悪いが、過度の緊張状態よりは良い傾向だ。

 ――ゲーベンがいれば、良いパーティだと褒めてくれたかな。

 クラージュは口元を緩ませながら、リーダーとしての判断を伝えようとする。


「これ以上の調査は危険だ。早く街に――」

「クラージュ!」


 緊迫感のあるユキの叫び声。そして、背後から聞こえた木々を揺らす音。

 咄嗟に振り返り剣を構えたクラージュだったが、彼の行動は遅きに失した。


「体が……動かないっ」


 口は動く。けれど、指先から足先まで己の意志でピクリとも動かすことができなくなっていた。

 それはクラージュだけでなく、咄嗟に警戒を促したユキやシュティルも同様であった。

 動けない彼らの視線の先には、長い舌をチロチロと伸ばす蝙蝠に似た大きな翼を生やした大型の蛇が、長い首を伸ばしてクラージュ達を大きな金色の目玉で捕えていた。


「バジリスクっ? どうしてこんなところに……!!」


 Sランクモンスターバジリスク。

 蛇系モンスターの中でも一際巨大な体に、体の至る箇所から猛毒を分泌させる恐ろしいモンスターだ。

 なによりの特徴は、瞳に魔眼を持つこと。

 バジリスクの魔眼と呼ばれ、個体によって効果はまちまちだが、ほとんどの場合は相手の行動を阻害する効果を持っている。

 『勇気の剣』の面々が動けなくなったのも、バジリスクの魔眼の効果であった。


 正しく状況は蛇に睨まれた蛙。

 圧倒的強者の捕食者を前に、指一つ動かせないクラージュ達は焦燥に駆られるしかない。

 このままでは喰われる。そう誰もが思っていた時、品のない笑いが森に響いた。


「ヒハハ! ご苦労様ですねぇ、『勇気の剣』の方々。いえ、下民共」


 哄笑しながらバジリスクの巨体の影から鼻の下の髭を撫でながら現れたのは、『勇気の剣』の依頼主であり、アリストクラット領の領主を務める男――


「イディオ……アリストクラット子爵っ。どうして、こんなところにっ」

「おや、まだお気付きではないのですねぇ。流石は下等な血を引く平民です。頭脳も劣るらしいですねぇ」

「こんのっ」

「おっと。弱めにしたので口は動くようですが、バジリスクの魔眼です。石化までする上位の個体ではありませんが、貴方達程度はこのぐらいで十分ですよねぇ?」


 アリストクラットがこの場所にいるのはおかしい。けれども、もっともおかしいのはバジリスクが彼の命令に従っているかのような状況だ。


「何故、バジリスクが、貴方の言うことを聞いている?」

「んんー? 知りたいですかぁ?」

「早く話しなさいチョビ髭男爵っ」

「子爵だって言ってますねぇ!」


 ユキの言葉にアリストクラットが激高する。

 ただ、相手が動けず優位な立場を築いているためか、直ぐに平静を取り戻すと、右腕にある、金の腕輪に嵌められた血のように赤暗い宝石を、クラージュ達に見えるように掲げた。


「私の腕輪に嵌っている赤い宝珠が見えますかねぇ?」

「それで、バジリスクを操っているということかい?」

「下民にしてはお利巧ですねぇ!」


 想定した返答に気を良くしたのか、天を仰ぐようにアリストクラットは両腕を掲げた。


「そう! これが魔物を操る魔導具『悪魔の宝珠デーモン・オーブ』!! これにより、Sランクモンスターであるバジリスクを、我輩の忠実なしもべとしているのですねぇ!!」


 『勇気の剣』のメンバーが瞠目する。

 魔物を操る魔道具など、彼らは見たことも聞いたこともなかったからだ。

 魔物使いと呼ばれる職業はあるが、あれは卵が孵るところから人に慣れさせるなどといった魔物との信頼関係を結ぶ方法だ。強制的に操るわけではない。

 しかも、低級のモンスターならともかく、Sランクのモンスターであるバジリスクを、だ。もしそれが事実であれば、モンスターとの関係性そのものが変わる、大陸中を巻き込んだ大事件になる。

 興奮し、汚らしい高笑いを上げ続けるアリストクラットに、クラージュは半信半疑で問う。


「そんなもの聞いたことがないな」

「当然ですねぇ。人族の領域にはないものですからねぇ」

「……おい。馬鹿領主、今なんて言ったの?」

「っ。馬鹿な娘はこれだから困りますねぇ。人族の領域にはないと、そう言ったのですねぇ」


 男の言葉に、ユキは明確な殺意を抱く。

 当然だ。人族の領域にはないというのであれば、それは他の領域から持たされたもの。

 エルフ、ドワーフ、リザードマン。大陸に広がる種族は多種多様なれど、国を築くような種族とは、人族は親交がある。実際、数は少なくとも、街でも稀に見かける。

 けれども、魔物を操るという邪悪な魔導具の話は、どこの種族からも噂一つ立ったことがない。

 隠れて開発されたというのであればそれまでだが、ユキの頭の中では一つの種族が思い浮かんでいた。

 大陸に住まうあらゆる種族と敵対する、魔王を頂く世界の敵対者。


 アリストクラットがこれまで以上に醜悪で、悦楽に満ちた笑みを浮かべる。


「これは、魔族からもたらされた高貴なる我輩に相応しい魔導具なんですよねぇ」

「人間を、世界を裏切ったのっ!?」


 ――どのような悪徳を積んでも、魔族に与することなかれ――

 大陸に広く伝わる、女神を崇める宗教の教典に載っている一文だ。

 信徒ではないユキですら知っている種族の垣根を超えた絶対不変の掟。

 それを踏みにじった者を許すはずがない。なにより、クラージュが生まれ育った村は魔族によって滅ぼされているのだ。

 新しい村が生まれ、瞬く間に滅ぶことなど、モンスターという危険と隣り合わせのこの世界では珍しいことではない。

 それでも、仲間の仇に平然と組みする目の前の男を、掟と関係なかったとしてもユキは許せはしなかった。


「裏切ったなどとんでもないですねぇ。ただ我輩は、我輩に富、名声、力。あらゆるモノをもたらしてくれる魔族に力を貸しているだけです。商売上のお得意様と言ったところですかねぇ」

「ふざけんじゃないわよ! 長年人族と対立している魔族に尻尾を振るなんて、あんたなんて貴族でもなんでもない、糞野郎よ!」

「イヒヒヒ! 負け犬の遠吠えが心地良いですねぇ」


 罵倒すら心地良いと悦びで体を震わせるアリストクラットに、ユキは悔し気に歯噛みする。


「本来ならここまでお話する必要もないのですが、下民に施しを与えるのが高貴なる者の務めでしてねぇ。我輩は生まれながらに上流階級故、貴族としての義務を全うせねばならないのですよ」


 貴族の義務ノブレス・オブリージュと宣うアリストクラットであるが、その内心は己の優越感を満たしたいだけだと、『勇者の剣』の誰もが理解していた。

 抱えていた秘密を明かす快楽に酔いしれているのだろう。酒に酔っているかのように、顔が赤くして興奮している。


「『幻想の森』は実験場なんですよねぇ。これが分かりますかぁ?」

「モンスターの魔石?」


 内部で魔力が星のように瞬く黒い石を見て、クラージュが答える。

 モンスターの核であり、心臓にも類する魔力の塊である石だ。


「その通りですよぉ。モンスターの発生には大気中の魔力の濃度が関わっていると言われていて、モンスターの魔石は魔力の塊。つまり、これを砕いてばら撒くとどうなるか……お分かりになりますかぁ?」


 アリストクラットが魔石を地面に落とし、踏み砕く。

 弱い魔物の魔石だったのか、呆気なく砕け散った魔石は煙のように光の粒子を上げる。

 魔石から零れる光の粒子は魔力そのものだ。割れた魔石から漏れた魔力は大気中へと溶け、世界に還元されていく。

 その光景を見たクラージュは、はっとすると空のように澄んだ蒼色の瞳を憤怒で彩る。


「『幻想の森』のモンスターの狂暴性が上がったのも、貴方の仕業だったのか! アリストクラット子爵!」

「そのとぉおおおおおおおおおりぃい! イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」


 クラージュの反応こそが愉しいと、アリストクラットはお腹を抱えて大笑する。

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