終章

その空の色を知らない

 リウィーは寝台の上で目が覚めた。全身に布が巻かれていた。体中が痛くて、動く事はできなかった。傍らにはフィルナーナがいた。目を腫らしていた。目覚めたのに気付き、安心したかのような表情を浮かべると、少しの間を置いて涙を流した。

 何故、泣いているのか。

 何度聞いても、答えてくれなかった。

 理由を聞いたのは次の日だった。ホルムヘッドが教えてくれた。その時、フレイアが勝ってから。あの日から、既に四日、経過していた事を知った。


 戦いには、勝った。しかし、代償は余りにも大きかった。

 あの時、ウィーナに会わず、謁見の間に残っていれば。大切な人を失う事はなかったのかもしれない。そうまでして会ったのに、結局、止める事はできなかった。

 何も得られなかった。大きなものを失った。

 一体、この戦いは、なんだったのだろうか。


 失意の中で、フィルナーナは言った。


 戦は、嫌だ。


 大事な物をたくさん失った。

 街を壊され、自然を破壊し、森を焼いた。

 多くの友人を失った。家族を失った。愛する人も失った。


 そんな敵を、殺してやりたいと思う自分がいる。

 復讐をしたいと、思ってしまう自分がいる。

 ……けれど、それは、相手も同じなのではないか。


 どちらが仕掛けたのかは、問題ではない。

 守る為とはいえ、自分達も多くの人を殺した。

 その人達にも、友人や、家族や、愛する人がいるのだ。

 残された者たちは、自分と同じ気持ちだろう。

 だから、戦はやめなければいけない。難しいけど、和解する道を探さなければならない。

 そうでなければ……憎しみで、いつか自らが滅びるだけだから。


 その気持ちは、痛いほど理解できた。

「どうすればいい?」

 あの時、答えられなかった。まだ、答えはわからない。

 だから、考えて見ようと思った。

 体が回復するまで、まだまだ時間がかかる。それまでは考えよう。

 私が、何を成すべきなのか。


    *


 あの激戦から、一ヶ月が経った。


「寒くなってきたな」

 ホルムヘッドは身震いすると、軽く体を擦った。

「じきに、本格的な冬になります。山は、冬が早いから」

 フィルナーナはそう言うと、空を見上げた。曇り空だったが、まだ降り出す気配はない。

「出来るだけ早く、山を降らないと、な」

 雪が積ると厄介だ。一応、滑り止めの道具は持っているが、身につけるのが面倒臭い。


 眼下には、アポソリマが見えた。あの戦いの跡は、まだそこに残っている。

 未だに傷の癒えない負傷者も、沢山いる。

「気をつけてね。ホルムヘッド……クリスも」

 少し心配そうに、リウィーが言った。この少女も「傷の癒えない負傷者」の一人だ。

「あなたに、そんな台詞セリフは似合わないわよ」

 クリスが、冷やかすように。でも、少しだけ寂しそうに。リウィーは、ふて腐れたような表情をしたが、すぐに元の顔に戻ると「そうだね」とだけ言った。


 戦いの後、レナリア軍は直ちに追撃に移った。瞬く間に南の砦を奪還し、嵐の民・ガスティール混成軍を国境以南まで押し返した。村落を取り戻し、復興を支援し、流通を回復させた。

 火計で焼かれた森を切り開き、レナリア軍が駐留する領域とした。兵士を客とした商売が盛んに行われ、酒場や食堂が立ち、半ば門前町と化している。

 予定より早く応援の大部隊が到着し、尚一層、賑やかになっていると聞く。

 二人の姉姫の足取りは分からず、風の民の王家直系は、唯一人となった。

 フェルディナン四世の崩御は、正式に発表された。

 残された王女は、近日中に女王として即位する事が決まった。

 レナリアとの誓約については、来春まで待ってから、改めて話し合われる事となった。


 リウィーは、アポソリマに残る事にした。

 体の傷もまだ癒えてはいないし、今後何をすべきか、わかっていない。答えは、まだ出ていない。だけど、当面する事は決めていた。

 それは、側にいる事。

 あの人の代わりになれるわけはないし、なろうとも思っていない。けど。

 フィルナーナは、成すべき事を見つけている。その為に、全てを捧げるつもりでいる。

 けど、今はまだ、寄り添ってあげる人が必要だ。そう、思っている。


 クリスにとっても、彼の死は大きな衝撃だった。

 あの若者の将来を見たい、それを見届けようと思っていた。

「目標」が消えてしまい、どうしたらいいか、わからなくなった。

 そして、一度、故郷に戻る事にした。アポソリマに残る事を考えもしたが、そうするにせよ、一度は戻らなくてはならない。

 この先どうするかは、まだ決めていない。道すがら、ゆっくり考えればいい。

 そうする事に、決めたのだ。


 フィルナーナには、目指すべき頂きが見えていた。

 嵐の民との和解。

 フレイアは、守る。嵐の民も、守る。

 直ぐには、自力で立つ事すら難しい。レナリアに助けてもらった恩もある。

 それでも、何もかも言いなりになるつもりはない。ガスティールの好きにも、させない。


 困難な道のりだろう。足元すら、よく見えない。

 けれど、諦めるつもりはない。

 ……あの時。

 私の騎士にだけ、誓った。

 決して忘れない。

 これは、自分が自分であるための、戦いなのだ。


「――じゃあ、そろそろ行く」

 ホルムヘッドは、そう言って軽く手を上げた。小さな包みを握っている。

 そこには、箱が入っている。中身は、遺骨だ。火葬で送った。一部を受け取った。

 故郷に埋めてやるつもりだ。その為に、今からレイラル教王国を目指して旅立つのだ。


 レナリアは、辞する事にした。マラーナに伝え、ハイルナックに引き上げる兵に、その旨を書いた書簡を託した。

 レイラルについて目的を果した後、どうするかは決めていない。ただ、すぐにここに戻ってくるつもりはない。


「お元気で。……よい旅を」

 フィルナーナが、小さく、言った。少しだけ、涙を流していた。

 リウィーが、その手を握っていた。

「私もそろそろ。また、いつか。会いましょう」

 クリスはホルムヘッドとは別の道を、振り返る事なく歩いて行った。

 少しだけ見送ってから、自分の道に向き直る。


 一度だけ、見送る二人を振り返った。

 白い翼の姫と、狼の少女。

 二人は、ずっと、こちらを見つめていた。


 ゆっくりと、坂道を下る。

 大分、葉が落ちた木々の隙間から、灰色の空が見えた。


 いつか、フィルナーナが見上げた時と、同じ色の空。


 もちろんホルムヘッドは、その空の色を知らない。


(了)

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ハーバスト戦記 翼の王国 野村カスケ @nomurakasuke

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