虚ろなるレガリア Corpse Reviver 13/13


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 その建物は、キュウリ畑から二百メートルほど離れたクレーターの縁に、意外なほど堂々と建っていた。もともとは大がかりなレジャー施設として使われていた場所らしい。

 大殺戮中の災害の余波で、建物の七割近くは崩壊しているが、それでも子どもたちが住居として使うには十分な広さがあると思われた。

「こんなところに本当に人が住んでいたのか……」

 建物を包囲する魏のチームと合流しても、ヤヒロは戸惑いを隠せなかった。

 しかし例のシーツなどの洗濯物や、農作業に使ったとおぼしき鋤や鍬。さらにはサッカーボールなどの遊具まで――建物の周囲に雑然と置かれた生活用品が、生存者の存在を示している。

「ヤヒロ! 魍獣だ! 右三時方向!」

 立ち尽くしていたヤヒロの背中に、ジョッシュの怒鳴り声が響いてくる。

「ざっけんな、こんなときに……!」

 ヤヒロはイライラと歯噛みしながら、肩に担いでいた刀を左手に持ち替えた。

 東京ドーム周辺は、魍獣の出現率が極めて高い危険地帯だ。クシナダの棲息域なわばりだからといって、それ以外の魍獣が出現しない理由はない。

 新たに出現した魍獣は三体。種類は違うが、どれもグレードⅠ前後の小型魍獣だ。比較的ありふれた形態の一般的なタイプだが、ヤヒロは彼らの行動に違和感を覚えた。

 獲物の数も確認せずになりふり構わず突っこんでくる魍獣たちの姿は、まるでなにかから逃げ惑っているようにも感じられる。

『待って……ジョッシュ……あの魍獣……』

 軽機関銃を構えたジョッシュのチームを、パオラが無線機越しに制止した。

 その直後、突っこんできた三体の魍獣の前に、異なる魍獣の群れが立ちはだかる。

 新たに出現した魍獣の数は二体。その片割れをヤヒロたちは知っていた。農場で子どもたちを護衛していた虎縞だ。

『魍獣同士が……殺し合ってる……?』

「まさか、あの建物を守ろうとしてるのか――?」

 パオラとジョッシュが同時に呻いた。

 子どもたちの住居に近づこうとした三体の魍獣を、虎縞たちが迎撃する。魍獣同士が殺し合うのはめずらしいことではないが、やはりそれは異様な光景だった。あの虎縞たちは、人間の子どもたちを守っている。彼らは人間と共存しているのだ。

「これが、クシナダの力だってのか……?」

 ヤヒロの背筋を冷たい感覚が走り抜けた。実際に目の当たりにして実感する。クシナダは危険な存在だ。魍獣を操る彼女の力は、悪用すれば世界の軍事バランスを容易に破壊する。

 その一方でクシナダの存在は希望でもあった。彼女の力があれば人類は魍獣と共存し、魍獣に破壊され尽くしたこの国を再建することも不可能ではないからだ。

 魍獣同士の戦いは、数に劣る虎縞たちの有利に展開していた。

 襲撃してきた三体の魍獣は、すでに激しく傷つき、明らかな劣勢に追い込まれている。普通の動物なら、とっくに敗北を認めて逃げ出している状況だ。

 しかし、なんらかの理由で恐慌状態になった魍獣たちは抵抗をやめない。

 それが虎縞たちにとって想定外の事態を引き起こした。

 異変に気づかず逃げ遅れた子どもが、一人、建物の外に残っていた。

 中学校の制服とおぼしき、夏物のセーラー服を着た大人しそうな少女。その少女の存在に、魍獣たちの一体が気づいたのだ。

 少女の存在が虎縞たちの急所だと本能的に見抜いたのか、襲撃してきた魍獣の一体が、攻撃の矛先をそちらに向けた。齧歯類に似たグレードⅠの魍獣。全身にトゲを生やした黒いリスが、少女に向かって跳躍する。

「――ひっ!?」

 少女の表情が恐怖に歪んだ。

 無力な獲物の姿をとらえて、魍獣の瞳が獰猛に輝く。

 その魍獣の横っ面を、無数の鉛玉が貫いた。対魍獣用のPDWを構えたロゼが、百メートル近い距離をものともせずに三十発のマガジン全弾を叩きこんだのだ。

 漆黒の魍獣は、よろめきながらも平然と着地した。PDWの火力は拳銃よりも遙かに高いが、魍獣が相手では、ほとんど殺傷力はない。

 しかし、ほんの数秒だけ時間を稼ぐ程度の効果はあった。

 ヤヒロが魍獣に接近するには十分な時間だった

「伏せろ!」

 少女に向かって警告し、ヤヒロは刀を鞘から抜き放つ。反りが深く刃長の長い九曜真鋼は、扱いやすい武器ではないはずだが、不思議とヤヒロの手に馴染んだ。

 自らの掌を裂いて刃に血をまとわせ、ヤヒロは漆黒の魍獣を斬りつける。

 その効果は劇的だった。漆黒の瘴気を撒き散らし、爆発するような勢いで魍獣は消滅する。

「無事か? 怪我はないな?」

 ヤヒロは刀を振り下ろした姿勢のまま、視線だけを巡らせて少女に訊いた。

 見知らぬ相手からの質問に戸惑いながらも、少女は、大丈夫と小刻みに首肯する。日本語で質問したのが功を奏したのか、彼女はヤヒロを味方だと判断してくれたらしい。

 その間に、虎縞たちの戦闘も終わっていた。

 致命的な攻撃を受けて、襲撃してきた二体の魍獣が消滅。勝利した虎縞たちは、ヤヒロに警戒の視線を向けるが、セーラー服の少女が傍にいるせいか、すぐに攻撃に転じる気配はない。

 これでどうにか話し合いができそうだ、とヤヒロはようやく安堵した。

 ヤヒロの眼前で雷撃が弾けたのは、その直後のことだった。

あや!」

 青白い火花をまとった魍獣が、路上の瓦礫を蹴散らしながら突っこんでくる。魍獣の背中に乗っているのは、彩葉と呼ばれていたジャージ姿の少女だ。

 魍獣が土煙を上げながら、ヤヒロたちの眼前で静止する。彩葉は、スカートの裾がめくれるのも構わず、魍獣の背中から飛び降りた。

「うちの子から離れなさい――不審者!」

 髪を振り乱しながらヤヒロの前に割りこんで、彩葉はセーラー服の少女を引き離す。彩葉の剣幕にヤヒロは軽く圧倒されつつ、

「――って、誰が不審者だ!?」

「日本刀持って女の子を追いかけ回してるやつが、不審者以外のなんなのよ!?」

 背後の少女を庇うように両腕を広げて、彩葉が叫ぶ。

 ヤヒロは言い返せずに声を詰まらせた。大殺戮のせいで感覚が麻痺していたが、言われてみればそのとおりだ。

「違うの、彩葉いろはちゃん! この人、私を野良魍獣から助けてくれたの……!」

 言葉に窮するヤヒロを見かねたのか、セーラー服の少女が彩葉に説明する。

 彩葉は驚いたように、少女とヤヒロを見比べて、

「……助けた? この不審者が、絢穂を? 本当に?」

「だから不審者じゃねえっつってんだろ、芋ジャージ」

「うっさい! わたしだって好きでジャージを着てきたわけじゃ――」

 実は服装のダサさを気にしていたのか、彩葉が頬を赤らめながら反論し、そして彼女は不意に言葉を切った。こぼれ落ちんばかりに目を見開いて、ヤヒロをじっと凝視する。

「芋ジャージを知ってる……って、あなた、もしかして日本人?」

「ああ」

 今頃気づいたのか、とヤヒロは呆れながらうなずいた。

 驚きと歓喜に瞳を輝かせて、彩葉がヤヒロに詰め寄ってくる。

「本当に!? 今までどこでなにをしてたの!? ほかにも日本人の生き残りがいる!?」

「……どこかにはたぶんいるんだろうけど、俺は知らない」

 彩葉の反応にかすかな違和感を覚えつつ、ヤヒロは素っ気なく首を振った。

「それよりも、おまえらはなんなんだ。まさか大殺戮のあとずっとここで暮らしてたのか? どうして魍獣がおまえらを守る?」

 矢継ぎ早にヤヒロに質問されて、今度は彩葉が決まり悪げな表情になる。魍獣を操る力の存在を明かしてもいいのかどうか迷っているらしい。

「え……と、それは……」

 しばらく逡巡していた彩葉が、ようやく覚悟を決めたように口を開こうとした。

 しかし彼女の言葉の続きは、突然の轟音にかき消される。

 巨大な岩で殴りつけたような、重々しい衝撃が地面を揺るがした。建物の壁が粉々に砕け、襲ってきた横殴りの爆風にヤヒロたちは転倒する。

 漆黒の瘴気と肉片を撒き散らし、二体の魍獣がゆっくりと崩れ落ちた。

 飛来した戦車砲弾から彩葉を庇った、虎縞たちの最期だった。




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試し読みは以上です。

続きは、好評発売中の書籍でお楽しみください!


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虚ろなるレガリア 三雲岳斗/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko

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