第3話 朔月

「株式会社 佐山エージェンシー、此処ですね」

 世田谷署刑事の案内で、煤けたコンクリート打ちっぱなしのビル前に立った大木は、心の中で『よしっ!』と、自身に気合いを入れてから階段を上った。

 インターホンを鳴らし身分を名乗ると、顎の無精髭を綺麗に揃え、薄めの丸いサングラスをした短髪の中年男性がドアを開けた。

「私が佐山ですが、どのようなご用件でしょうか」


「先日の、三島市民文化会館で行われたWolfgangコンサートについてお聞きしたいことがありまして、椎名 恭平さんはこちらにいらっしゃいますか」


「恭平のことで、何か……実はコンサートの翌日に奴がここに戻った後から、連絡が取れなくなっちまって。恭平に何かあったんですか」


「連絡が取れていない……」

 大木の訝しげな表情を確認すると、佐山は周りを気にしながら「こちらにどうぞ」と、二人を中に案内した。


 音楽事務所とは思えない殺風景な10坪程の室内には、無機質なコンクリート壁側に段ボール箱が無造作に積まれ、中央に長テーブルと数脚のパイプ椅子、奥壁窓の前に社長用のデスクと、それに不釣り合いな豪華なリクライニングチェアーがあるだけだった。


 大木が事務所内を見回していると、

「すみませんね、引っ越したばかりで片付けてないもので」

 と、佐山が頭を掻いた。


「引っ越したと言うと、以前はどちらに」


「はい、私の自宅を事務所にしていましたが、本格的にコンサート活動を開始してからはここを拠点としています。三島での公演はその第一弾で」


「そうなんですね。実はコンサート当夜、鑑賞した女性が三島駅前のビルで殺害されまして、出来ればコンサートスタッフの公演後の足どりをお聞かせ願えればと」


「ああ、それなら全国ニュースで観ましたよ。私らもびっくりして……しかしなぜ、我々に関係があると」


「捜査上、詳しいことはお伝え出来ません。社長さんも同行されたのですか」


「そうですか。私は社長とはいえ、立ち上げたばかりの音楽事務所ですからね、ほかのスタッフ、ミュージシャンと共にローディーも兼ねているんです。ライブハウスと違い会場でのコンサートとなると、2トントラックで機材の手配から積み下ろしなど」


「コンサート終了後はどうしてましたか」


「会場の借り時間が22時迄でしたから、スタッフと一緒に大急ぎで片付け作業に追われてました。その後は現地解散で、ミュージシャン以外のスタッフは、と言っても私以外に二名ですが、トラックで一緒に帰りました。恭平以外は、コンサート用に手配した雇われミュージシャンで、こちらが用意した新幹線のチケットを使って帰ったと思いますが」


「ミュージシャンは何名ですか」


「ドラムにベース、ボーカルの3名とピアノの恭平です。恭平以外は一緒に帰った様で、品川到着後にベース担当から連絡がありました」


「恭平さんだけ別行動だったんですね」


「あいつはいつもそうです、他の連中との馴れ合いを極端に嫌っていて。多分、車両を変えたか、別の便で帰ったか……」


「恭平さんが、翌日事務所にみえたのは何時頃ですか」


「12時位でした。スタッフ全員でコンサートの軽い打ち上げと反省会をしたんですが、14時前かなぁ、恭平のスマホに着信がありました。電話を切った後血相を変えて、今から長野に行くと、理由も言わず帰ってしまって。次のコンサートの打ち合わせが出来ずじまいで」


「長野ですか……。それ以降、連絡がとれていないのですね」


「はい、そうなんです」

 佐山は途方に暮れながら、ため息をついた。


「長野県で、心当たりのある場所や、事柄などはありますか」


「恭平が子どもの頃に住んでいた場所が、確か、長野だったと聞いたような...うろ覚えですが」


「そうですか……ん、これは、コンサートのポスターとパンフレットですね。拝見してもよろしいですか」


「はい、三島公演に合わせ作成したものです。これから11月末迄に計5回のコンサートが予定されてますので、よかったら差し上げます」


 大木は長テーブルに置かれたパンフレットを手に取り、頁を捲りながら、

「ありがとうございます。ホームページの画像よりも写真映りがいいですね、かなりのイケメンだ。このモノクロームの雰囲気がいい」

 と世辞紛いの言葉を発した後、最終ページを開いた。


「ほうこれは、萩原朔太郎の『月に吠える』……ん、なにぃ!」

 パンフレットを持つ手がワナワナと震えた。

「朔の夜に光はある、流浪のさだめ……漂白の……これは、『朔月』……」


「はい、未発表の恭平の新曲ですが良くできているでしょう。ん、なにか」

 大木の尋常でない顔付きに、佐山は言葉を呑み込んだ。


「どうか、されましたか……」

 パンフレットを握りしめ、微動だにしない大木に佐山が声を掛ける。


「……この詩を、椎名 恭平さんが書いたのですか」


「ええ、そう……いえ……」

 先程よりもいっそう険しい大木の表情に、佐山は言葉を濁した。


「そうなんですね!」

 大木は鬼の形相で佐山に詰め寄る。


「何なんですか、この詩がいったい……」

 佐山は困惑し後退りした。


「……あぁ、すみません……いえね、素晴らしい詩だなって、この朔月という新曲はネットに公開されていなかったものですから。何か理由があるのかなと思って」

 佐山の反応に正気に戻った大木は、とっさに話をすり替えた。


「そうですか、ありがとうございます。ここだけの話ですが、恭平はマンハッタン、ヴィレッジヴァンガードでのライブを控えておりまして、そのライブアルバムにこいつを収録する予定なんですよ。国内コンサートでのオーディエンスの反応を確かめたくてね、それでホームページには載せておりません」

 気を良くした佐山は、ペラペラと喋り出す。


「ニューヨーク、マンハッタンのライブですか、ヴィレッジ……なんですか」


「ヴァンガード、ヴィレッジヴァンガードですよ、数々のレジェンドを排出したジャズの殿堂です。詳しい内容は言えませんがね、へへっ、これで恭平の名は世界中に轟くでしょうよ」

 佐山はニヤニヤしながら誇らしげに話した。


 大木は冷静に佐山を見詰めながら、

「いや、詳しい話を聞かせて貰いましょう」

 はっきりと太い声で返した。


・・・・・


 朝7時前、宿泊先のビジネスホテルに原田からの連絡が入った。窓の外に目をやると、どんよりとした低い空で、昨晩からの細い雨は続いていた。


「原田さんおはようございます、早いですね。これから富士吉田署にお伺いしようかと、どうしました」


「先程、片桐 浩一の実家と連絡がとれました……それが、18年前に亡くなっていて……自殺だそうです。当事は川崎に住んでいたようで、そのアパートで首を吊ったと」


新見の脳裏に、御光の家時代の礼子の写真が甦る。

(礼子に寄り添っていた男性信者)

「……そうですか。それで、礼子とは一緒だったんですか、彼女は確か、好きな男に騙されて保証人になったと……片桐がその相手では」


「さすがですね、その通りです。ヤミ金に手を出して、にっちもさっちもいかなくなったようです。当事、天野 礼子と一緒に暮らしていたと、亡骸なきがらを引き取りに行った父親が話してくれました」


「…………」


「警部、そうなると、今日は長野から当たりますか、吉田 雅子の実家に」


(遠い昔、若い頃の出産...相手は片桐なのか、だとしたら私生児、いや、卵巣摘出したとなると死産だったのか……)

「その前に甲府、加茂川氏の居る老人福祉施設を訪ねましょう。少し気になることがある」


・・・


「温泉やジムまであるんですか、サービス付高齢者住宅。まるでホテルのようですね」


「加茂川さん夫婦は終身プランを選択されておりますので、つい棲家すみかとして、最高級のサービスを提供させて頂いております。あの、ひとり掛けのソファーに座って外を眺めている方が勝様です」


 ソファーに深々と座り、足を組み、斜に構えながら窓の外を見つめる加茂川に、新見はなんとも言えぬ愁いを感じた。

 加茂川に歩み寄る原田を制し、新見は背後から近付くと、片膝をつき、静かに話し掛ける。

「今日は生憎あいにくの雨ですね。しかし、此処は自然が溢れていて良いところだ。あの白樺も、カラマツも、そろそろ色付いてくるのでしょうか」


 加茂川は新見をチラと見たあと、直ぐに視線を戻し、

「ああ、そうだな。10月になれば色づき始めるよ、あっという間にね。ここから見る景色が一番でね、妻と私の特等席なのだよ。まぁ、今日のような雨降りであっても、それはそれで風情があって良いが。ところで君は……」


「申し遅れました。静岡県警の新見 啓一郎と申します」


「静岡県警の……それで、私に何か...おっと、それでは申し訳ないな、こちらのソファーに座りたまえ」

 片膝をついたまま話をする新見に、加茂川は笑みを浮かべながら促す。


「失礼します」

 新見は加茂川に警察手帳を見せながら、対面のソファーにゆっくりと腰を下ろした。


「昨晩、古田芳郎弁護士を訪ねました」


「古田さん、懐かしい名前だな」


「21年前の、御光の家破産解散ではご苦労されたようで、心中お察しします」


「あの件か……、もう忘れてしまったよ」

 加茂川は目をほそめ、ぼそっと答える。


「先日三島市で、御光の家、元信者である38歳の女性が殺害されまして、加茂川さんが知っている範囲でお話しを伺えればと」


「当時私は、御光の家の執行役員ではあったが、信者のことは何も知りませんが」


「存じあげております。産婦人科医院を開業されていたんですよね。教団に常駐していたわけではない」


「そこまで知っているのなら、今日は無駄足でしたな」


「天野 礼子、三島市で殺害された女性の名前です。彼女には、片方の卵巣がなかった」


「……あまの、れいこ……」

 加茂川は新見から顔を逸らし、窓の外を見詰めた。


「はい、司法解剖の結果、遠い昔、まだ彼女が若い頃に、卵巣を摘出した手術痕がありました。加茂川さんは産婦人科医をされてましたので、その件について何かご存知かなと思いまして」


「…………」


(明らかに何か知っている……)

「彼女は、若い頃妊娠の経験もあるようなのですが、それについてはどうでしょうか」


「……そんな女性は知りませんな。やはり無駄足になったようだ」


「この女性なのですが」

 新見は天野 礼子が写る、愛明夫婦を囲む信者達の写真の拡大コピーを加茂川に見せた。


「これは……あぁ、美也子……こんな写真が、可哀想な美也子……。あんな病気にさえならなければ」


「ん、病気……、娘の美也子さんは何かお体を患っていたのですか」

愛明の隣に写る妻を見ながら新見が尋ねる。


「後天性筋強直性ジストロフィー症、難病でした。自分の力では立てなかった……」


「難病ですか……」


 暫くうつむき、目を閉じたまま肩を震わせていた加茂川は、

「何もお話しすることはありません。お引き取り下さい」

 と言ったあと、外を見詰めたまま沈黙した。


「加茂川様、そろそろ入浴のお時間です」

 車椅子を押しながら、背後から介護職員が声を掛ける。

「あぁ、わかった」

 介護職員に介助されながら車椅子に座ると、加茂川は新見を無視するかのように、真っ直ぐ前を向き、その場から自走して行った。


「加茂川氏は何か隠しているようですね」

 原田が声を掛ける。


「そうですね。これ以上は無理でしょう……しかし、おぼろ気ながら見えてきた」

 加茂川の後ろ姿を目で追いながら、新見が呟いた。

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