第6話 ラクリモサ

・・・・・


「警部おはようございます。知らずに眠ってしまいました。申し訳ありません」


「おはよう、交代の監視だ、構わない。結局恭平は現れなかったな」


「そうですね。やはり、教会に居るのでしょうか」


「解らない、葬儀と告別式は8時半からだったな。ぎりぎり迄待つことにしよう、それまでに現れなかったら教会に乗り込む」


・・・


「恭平は昨日から修道院に居たのでしょう。我々は今から教会に入ります。原田さんは万が一恭平が逃走した時の為に、外で待機をお願いします。大木は教会内の廊下で」


「はい、承知しました」


 ・・・


「先生が危篤となり、わたくしが恭平くんに連絡しました。仰る通り、昨日よりここで祈りを捧げておりますが、殺人事件ですか...恭平くんが犯人だと……そんな恐ろしいこと、あの子に出来るわけがありません」


「シスター、胸中お察しします。しかし事実なのです。速やかに身柄をお引き渡し下さい」


「……わかりました、こちらにどうぞ。只今、椎名先生の、告別式が執り行われております」


 シスターに案内され聖堂に入ると、参列者の献花に合わせ、モーツァルト作曲レクイエム『ラクリモサ』のピアノによる四重合唱が、おごそかに響き渡っていた。


 ラクリモサ......涙の日よ


『最後の審判の日は、涙の日。人は裁きを受ける為によみがえる......』


(この教会に彼が居る……)

 椅子に腰掛けながら新見は、そこはかとなく全身に震えを覚えた。



『神よ、彼らにゆるしをお与え下さい。慈悲深いイエズスよ......』



「彼が、恭平君です」

 シスターは、ピアノ伴奏をする男を指差しながら新見に告げる。


「…………」



『永遠の安息を彼らにお与え下さい。アーメン......』



『ラクリモサ』の合唱が静かに幕を閉じ、暫くの沈黙の後、恭平による独奏が始った。


 演奏と共に恭平は、低いハミングで主旋律を歌いだす。


「この曲は確か、バッハ『フーガの技法 第1曲』……」


「その通り、よくご存知ですね。数あるバッハの作品の中で、恭平君が最も愛して止まない楽曲です。彼はピアノの才能をこの曲により見いだされた。椎名先生によって」


 前傾に背中を丸め、前髪を垂らし、心なしか体を揺らしながらの演奏に、新見はあるアーティストを思い出した。


「歌いながら弾いている……まるで、グレン・グールドのようだ」


「あぁ……」

 新見の言葉に感嘆し、シスターは目を閉じる。


「わたくしはあの時、恭平君の才能が、白日の下に晒された瞬間をこの目で見ました。8歳の、それはまるで、神が降りて来たかの如く……その時も彼は、歌いながら弾いていました」


 新見は目を閉じ、恭平の詩「朔月」を口ずさみながら、暫し幼少時代の彼に想いを馳せる。


「朔の夜に光はある、私には解る...流浪のさだめ、漂泊のみぎわに彷徨う魂……抜け殻のこころひとつ、ただ 波に消え行く。真実だけを照らし出す、見えない光が私を射ぬき其処に落ちる影、仄暗いその影が 私の、すべて……」


(どれほど苦悩に満ちた日々を過ごそうとも、人を殺めた事実を、どうすすぐことが出来ようか)


 目を見開き、恭平を見据えたまま新見が椅子から立ち上がると、シスターは静かに、すがるように、新見の腕を掴んだ。


「どうか……、この曲が終わるまで待ってやって下さい」



 演奏が終わるとシスターは、新見を制し恭平に近づくと、彼の耳元に話し掛けた。

 恭平はシスターの話に頷きゆっくり立ち上がりながら、歩み寄る新見を黙視すると、無表情のまま軽く頭を下げ、シスターの後について聖堂を出る。廊下には、恭平の逃走を防ぐ為大木が待機していた。


「こちらをお使い下さい」


 廊下突き当たりのドアを開け、三人を小部屋に案内すると、シスターは恭平を優しく見詰めた。そして、彼の両掌を握りしめ、「良い演奏でした。椎名先生もさぞかし喜んでいることでしょう……」と、溢れる涙を拭うこと無く静かに告げ、恭平の胸元に十字を描くと、後退りしながらゆっくりとドアを閉めた。


 要人の為の控え室なのか、漆喰で塗り尽くされた横長八畳程の部屋の中央には、直径150㎝の木製楕円アンティークテーブルと、4脚の猫足椅子が配置されている。

 テーブルから2メートル奥の壁は、備え付けの本棚になっており、宗教に関する書物が多数並び、対面の壁には、金色のルイ式油額に納められたダ・ヴィンチ初期の名画『受胎告知』のレプリカが飾られている。

 南側面の壁はステンドグラスで細工の施された出窓になっている為、自然の陽光は、白い空間を更に明るく演出していた。


 新見は部屋全体を見渡した後に、恭平を、本棚の壁を背にするかたちで座らせ、大木には、恭平の視界に入らぬよう彼の後ろ、本棚のすぐ前に座らせた。即ち、恭平の視界には、新見とその奥壁にダ・ヴィンチの絵画、左側面に出窓が映るというレイアウトである。


 椅子に座ると恭平は、出窓から見える銀杏の木を、虚ろな目でぼんやりと眺めていた。


 新見はゆっくり対面に座ると、「素晴らしい演奏でした」と穏やかな声で切り出す。

 恭平の視線は変わらず窓の外にあった。


 風が出たのか、銀杏の葉とともに、まだ小振りのギンナンが小刻みに揺れている。


「静岡県警の新見です」


 恭平は新見をチラと見、視線を逸らす。


「9月17日23時、三島駅前のビル屋上で天野 礼子さんが殺害されました。椎名 恭平さん、天野さんをご存知ですね」


 恭平は新見の問いを無視し、視線を動かそうとしない。ただ一瞬、閉じた口元が微かに動いた。南窓から差す陽は、恭平の細かな表情を鮮やかに浮き彫りにした。


 新見は続ける。

「その日は、Wolfgangコンサートが行われた夜です。天野さんはそのコンサートに行っている。男の同伴者と共に」


 男の同伴者との言葉に恭平が反応した。自身の動揺を察知されるのを懸念するかのように、椅子の背にもたれかかり、両手を上げ気だるそうに背伸びをしたのだ。


「天野さんは、その夜殺されることを覚悟していました、と言うよりも...望んでいたのか、男の同伴者は、真犯人を警察の目から逸らす、ただその為だけに天野さんに誘われ、用意された捨て駒だったのです。そうまでして犯人をかばう理由とは何なのか……」


「…………」


「山梨で、天野さんの過去を調べました。それと共に恭平さん、あなたのことも。御光の家、児童擁護施設での生活、養子に迎い入れた椎名先生のこと、そして、ヴィレッジヴァンガード出演の話」


 恭平はうつ向いたまま黙っている。

 奥に座る大木は、目を見開いたまま握りこぶしを両膝に当て微動だにせず、ただ話の行方を見守っていた。


 枝のきしみ、葉擦れの音、不規則に踊るギンナン……風は強く吹いている。

 新見には、恭平の次の反応を待つこの時間が、永遠のようにながく感じられた。



 暫くして、おもむろに恭平は顔を上げた。その視線は新見を通り越し、奥の絵画に注がれている。

 ダ・ヴィンチ作『受胎告知』

 遠近法を用いて写実的な正確さを追求したレオナルドのデビュー作。神から遣わされた大天使ガブリエルが処女マリアのもとを訪れ、マリアの対面に座り、イエスと名付けられた子どもを授かったことを告げる「受胎告知」の場面を描いた傑作である。


 新見はこの機を逃さず口火を切る。


「日の当たる場所なんか在りはしない、空っぽのこころに明日の風は届かない、堕ちて行くからだは誰にも見えはしない。朔の夜、信じることをやめた日が記念日になった。だから、闇を棲家と決めたんだ」


「それは……」


「そう『終天しゅうてんさく』、9月20日付けのあなたが書いた日記です。天野さんが殺害された17日朔の晩、その3日後にね」


「…………」


 恭平の困惑した様子を確認しながら、新見は続ける。


「そしてこれは天野さんのノートパソコンに残された最後の日記です。日付は9月17日、サイトへの投稿はされていません」


 新見はA4のコピー用紙を一枚テーブルの上に置くと、

「さくのよにひかりはあるの、わたしにはわかる。しんじつだけをてらしだす、みえないひかりがあなたをいぬき、そこにおちるかげ。ほのくらいそのかげがわたしのすべて」


 恭平の目を見ながら、礼子の最後の詩を詠んだ。


「あなたのほのくらいかげが、わたしのすべて……。大切な人を想って書いたのでしょう。私はこの詩に、『あなた』と書かれたその人の悲しみに対する、深い理解と同情を感じました」


「…………」


「天野さんは、あなたがコンサートのアンコールで演奏したベートーベンの幻想曲風ソナタ、『月光』を聴きながら泣いていた...嗚咽のように、体をふるわせながら涙を流していたそうです」


 恭平は、何も言わず耳を傾けている。


「月光……、そもそもベートーベンがつけたタイトルは『幻想曲風ソナタ』。それなのになぜ『月光』という呼び名が広まったのか...はっきりした理由はわかっていないが、もっとも有力とされているのは、ドイツの詩人レルシュタープの言葉がきっかけだという」


 ・・・・・・・


『なにか寂しい詩ですね、わたしの心に重なります、わたしそのものかも……』


「朔月」にコメントありがとうございます。共感頂き感謝申し上げます。

 初めてこのサイトを利用しました。今日は、少しばかり良いことがあったものですから、嬉しくなってしまって。

 でも、こんな詩を載せておきながらちょっと矛盾してますね、失礼しました(笑)


『お返事ありがとうございます。実はわたしも、今日初めてこのサイトを訪れたんです。ここのところ少しナーバスで、人恋しくなったのかも。そしたらLuna Lupsさんの詩に出会って、ほんとうにわたしの人生そのものというか、わたしの心に響いてしまって...でも、嬉しいことって(笑)、確かに矛盾してますね』


 そうだったんですね。

 ある尊敬する方に認められて、この詩を誉められて。今度、その人と一緒に仕事をすることになったんですが、その記念と言ったらなんですが……これまで生きた証しと言うか、僕の魂を綴ったものなんです。


『いろいろ苦労されてきたのですね。何度も読み返してしまいました。流浪のさだめ、漂白のみぎわに彷徨う魂、抜け殻の心...願いというものは儚いものですね、まるで手から離れてゆく風船のようで。腕を伸ばしても、背伸びをしても、失ってしまったものは二度とその手に戻らない』


 儚い望み、風船ですか……


 ・・・・・・・


「音楽評論家としても大きな影響力を持っていたレルシュタープがこの曲の第1楽章を聴き、《スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう》と例えた。この言葉が広まり、作品自体が『月光』と呼ばれるようになったと言われている。さらに、『月光』というネーミングを後押ししたもう一つの理由に、ベートーベンのはかない恋物語があった」


 恭平の瞼が、僅かながら震えた。


「作曲当時、彼が思いを寄せていた伯爵令嬢ジュリエッタ。この作品は、愛する彼女に贈られている。惹かれあった2人だが、境遇の差が生み出した壁は厚く、その恋はやがて終わりを迎える。切なく、はかない印象が『月光』という呼び名を後押したのではと...そんな名曲に、天野さんは自身の想いを重ねていたのではないかな」


 恭平は胸に溜めた息をゆっくり吐き出すと、静かに眼を開く。


「あなたルナ・ルプスと、天野さんタナトスは、月をテーマにした日記でお互いの想いを重ねていましたね」


「…………」


「あなたが初めて日記サイトに自身の詩『朔月』を投稿したのは、5月16日。この日はあなたの21歳の誕生日であると共に、天野さんにとっても特別な日であった...あなた同様、彼女もまた、ある種の感慨を抱きながら、初めての日記サイトを訪れたのです。二人の出会いは単なる偶然では無かった。この事実を知った時私は、ただただ、言葉を失った……。あなたが先程演奏した『フーガの技法』、フーガのように遁走しあう二人の魂は、重なり合ったのです」


 ・・・・・・・


「見て、月があんなに綺麗。初めてよ、月を見てこんなにも穏やかな気持ちになったことなんて...あの日以来...今までなかった。寂しい人生よね、月を愛でる心の余裕など持てなかったもの。でもね、あなたが教えてくれた、変えてくれたの」


「僕だってそうさ、君に出会って、今まで感じたことの無い安らぎを実感しているよ」


「あぁ、あなたを愛しています。こんなにも……幸せなことはない」


「僕も愛しているよ……そう、帰る家なんか何処にもなかった。いつも孤独の中にいた。でもね、このロザリオだけが心の支えだったんだ。生まれた時からずっと僕を見守ってくれてた。そして、僕の願いを叶えてくれた」


「ロザリオ……」


「あぁ、きっと、大切に想ってくれていた人が持たせたんだろう。ここにM.Mとあるだろ、その人のイニシャルかな...なんて、いつも考えていた」


「…………」


 ・・・・・・・

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