「終天の朔」流浪の運命 ~ラクリモサ

麻生 凪

第1話 五日目の月

 一人の人間が他人の人生を横切る。もし横切らねばその人の人生の方向は別だったかもしれぬ。そのような形で我々は毎日生きている。そしてそれに気がつかぬ。

 人々が偶然とよぶこの「もし」の背後に何かがあるのではないか。「もし」をひそかに作っているものがあるのではないか。しかし、私にはまだそれがわからない。そのことについて考えた本を読んだことさえない。


遠藤 周作 『もし……』より  




 漆黒のヴェールを、幾重にも織り込み形成された『一夜いちや』という現象の一刻いっこくは、それぞれが同じように見えて、ひとつとして同じものなどない。五日目の月にはなぜそれに、上弦やら下弦、小望やら十六夜、立待やら寝待などの、別の呼び名が無いのかを新見はいぶかった。その月は荘厳なる闇を、湖畔の静寂をもって見事な迄に演出していた。


 長い夜であった、眠れてはいない。しかし、疲れは一向に感じない……


 雲の底辺を朱色に染めながら、静かに夜が明ける。生まれたての朝陽は、周辺の山々を神々しく照らし、瞬く間に、湖畔に揺れる水面を無数の宝石で敷き詰める。


「警部おはようございます。知らずに眠ってしまいました。申し訳ありません」


「おはよう、交代の監視だ、構わない。結局恭平は現れなかったな」


「そうですね。やはり、教会に居るのでしょうか」


「解らない、葬儀と告別式は8時半からだったな。ぎりぎり迄待つことにしよう、それまでに現れなかったら教会に乗り込む」



・・・・・・・



「コンサートに行った経緯いきさつですが、エロスと名乗っていた天野さんは、なんと言ってあなたを誘ったのですか」


「出会い系のサイトメールで、先ず、自分が三島市に住んでいることを告げられました。私は自身のプロフで富士市在住と書いていたので、近いですねと。それから少し身の上話をしたあと、ランチアデルタの話で盛り上り、彼女が、ドライブに行きたいなと……」

 山本は上目遣いで、礼子とのやり取りを思い出しながら話した。


「その後、3日程してから又彼女からサイメがあり、コンサートのチケットが手に入ったからご一緒しませんかと。私は知りませんでしたが、新進気鋭のジャズピアニストで、ファンなのだと。直ぐにOKしました」


「ヴォルフガング……」

(ドイツ語で狼の道、アマデウス・モーツァルトとも繋がるか)

 新見は大木に目配せし、少し沈黙した後、

「それからSMSに移行したのですね。コンサート会場に入ってからの天野さんの様子はどんなでしたか」

 と、大木がノートパソコンで検索した、ヴォルフガングの情報ページを確認しながら質問を続けた。


「席に腰かけてからは、ずっと黙ったままパンフレットを見ていました。私が話し掛けても上の空で...一頁ごと、ゆっくり見ていて。そのうちに会場が暗くなり、ステージにミュージシャン達が登場しました」


「プレーが始まってからの、彼女の様子はどんなでしたか」


「終始無言で、一曲ごと終わる度に目を瞑って、余韻を楽しんでいるかのように...陰気臭い曲ばかりで私には解りませんが、よっぽど好きなんだなぁと思いました」


「その他に、感じたことは」


「スタンダードジャズの他に、クラシックや、映画音楽をアレンジしたものなんかを演奏した後に、オリジナルの新曲だと言って女性シンガーが歌い始めたんですが、その時ばかりは食い入るようにステージを見つめていました。英語の歌で、これまた暗い曲でどこがいいんだか、私にはさっぱり」


「オリジナルの新曲ですか……」

 直ぐ様パソコン検索するも、情報は出てこない。大木の様子を見ながら山本が話を続ける。


「そうだ、未発表で、演奏するのは今日が初めてだと言っていました。歌詞がパンフレットの最終頁に載せてあるとかで、彼女はページを捲ってましたっけ」


「そうでしたか……その他には」


「その後何曲か演奏し、終了後のアンコールでウルフいや、ヴォルフ……ガングひとりだけがステージに現れて、ベートーヴェンの『月光』を演奏したんです。流石にこれは私も知っていたので楽しめましたが、隣で彼女の嗚咽がしたもので、忍び泣きのような……見ると大粒の涙を溢しながら泣いていました」


「『月光』を聴き、泣いていた……」


・・・


 事情聴取が終わり山本 太一が捜査員に連れられ取調室を退出すると、大木はすかさず新見に尋ねた。

「アンコール演奏を聴きながら、礼子は泣いていた。そしてタナトスと名乗った日記サイトで、ルナ・ルプスに宛てた『鏡花水月』、身の丈の違いを詠んだ自虐的な礼子の詩……」


探しさがし辿り着いた

ここがわたしのまほろば

泣いたのは月のせい

こよない月が眩し過ぎたから


 新見は静かに聞いた。

「警部、自分はルナ・ルプスがヴォルフガングのように思えてなりません。そうなのでしょうか、だとしたら……」

 

「そうなのだろう……」

 腕組みをしながら大木の問いに答え、目を閉じる。

(天野 礼子はコンサートの夜に、殺されることを覚悟していた。山本 太一を犯人に仕立ててまで、彼をかばおうとした理由はなんだ。二人は愛し合っていたはずだ、しかしなぜ、彼は礼子を殺さなければならなかったのか。そして、二人を導いたものとは..何か事象に基づく結果として、必然的に出会ってしまったのか……)

「しかし日記のコピーだけでは、重要参考人として引っ張るだけの効力に欠ける」


「やはり、そうですね」


「警部、ご苦労様です。予想外の展開になりましたなぁ。第3の男ルナ・ルプスはたぶん、ヴォルフガングでしょう」

 川村は、取調室に入るなりまくし立てた。

「大木、ヴォルフガングの本名は何と言ったかな」


「川村警部補ご苦労様です。ネットで公開している名前は、椎名 恭平といいます。本名なのかは、定かではありません」


「椎名 恭平...先ずは、事件当夜のやっこさんの足取りを捜査してみないとなりませんな。しかし、だとしたら、礼子と椎名 恭平のあいだに何があったのか」


「ヴォルフガングの所属する音楽事務所は世田谷の三軒茶屋にある。大木は明日、コンサート直後のミュージシャンとスタッフ全員の動向調査に行ってくれ。世田谷署には私から応援要請をしておく」


「はい、解りました」


「川村さんは本部で待機を。私は富士吉田署に向かいます、礼子の過去を洗わない限り真実は見えて来ない」


「そう来ると思いました。こちらの運営は任せて下さい」


「川村さんよろしく頼みます。大木...任せたぞ」


「うっうぅ!」

 新見の言葉に大木は高揚した。


「それとな……」

 大木の目を見ながら続ける。


「礼子にとっての儚いゆめ『鏡花水月』、これは自虐的な詩なんかではない。諦めていた妊娠に気付いた、喜びを詠んだ詩だ。礼子にとっての''まほろば''は、椎名 恭平。そして''こよない月''は、体内に宿った新しい命だ。だから、嬉しくて泣いたのだ」

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