第123話 月明かりの下で

――深夜・執務室・ベッド



「う~ん、はぁ……」

 ベッドから起き上がり、額から目へと流れるように手のひらで擦る。

 朝の幽霊話が気になって、目が覚めてしまった。

 私は枕元にある水差しから水をコップに移してこくりと飲む。


「こくん……ふぅ、そのようなものが居るわけがないと思うが、無意識に気になっているようだ。一度トイレに行ってから、寝直すとするか」


 トイレは階層ごとに存在するが、現在しっかり機能しているのは一階のトイレのみ。

 私はランプを片手に、夜の城内を歩き、一階へ向かう。

 幽霊騒動のこともあり、闇が広がる城はゆらりとした動きを見せて、それらが人の形をかたどっているようにも見えた。



「はぁ、恐怖心とは面白いものだ。見えないはずのものを見てしまう。グーフィスの場合、女性の尻を追いかけ回すあまり、いるはずのない女性を見てしまったのかもしれないな」


 トイレを終えて、広間を通り、三階の執務室へ戻ろうとした。

 その時、中庭が見える窓に誰かが横切ったように感じた。


「今のは……気のせいか? いや、念のため確認しておくか」


 台所を通り、中庭へ向かう。

 中庭には誰かがいるかもしれない。

 そうであるならば、こちらの気配を気取られるわけにはいかない。

 そっと、扉を開けて、音もなく足を外へ伸ばす。


 草を踏みしめる音も、小さく漏れる呼吸音も押し殺し、中庭に出て、首をゆらりと動かし辺りを見回した。

(あれは?)


 麦藁帽子を被り真っ白なワンピースを着た女性が、城の背後にある崖から海岸へ続く石階段を降りていく姿が目に入った。


(まさか、本当にいるとは。何者だ?)




――海岸



 月から降りる青と白の輝きを砂浜は受け止めて、闇夜にほのかな明かりを灯す。

 揺れる波には煌々とした月光が反射し、黒の海に星の瞬きが浮かぶ。


 真っ白なワンピースを着た女性は砂浜に立ち、海を見つめていた。

 柔らかな光と海のまたたきに包まれ、白い姿は朧げに浮かぶ。

 私は緑が残る石段の上から、幻惑の領域である砂浜に足を下ろした。


 潮騒のみが響く世界に、砂を踏む音だけが広がる。

 女性は私の存在に気付いているはずなのに、こちらへ振り返ることはない。


 私は艶やかな黒髪が下りる麦藁帽子からゆっくりと視線を下へ動かし、とてもしなやかそうな体の流れを追う。

 そして、足元で目を止めた。


(影が、ない)

 

 太陽の光よりも脆弱であるが、月の光は生ある存在に影をもたらすほどの光を降り注いでいる。

 だが、女性の姿に影は生まれていない……。


(まさかと思うが、本当に幽霊?)


 話しかけるべきか、悩む。

 この女性は害ある存在なのか、そうではないのか。

 もし、害ある存在で人の知の外側にいる者なら私に為す術はない。

 しかし、好奇心が恐怖心を飲み込む……。

 好奇心は私の背中をそっと押す。



「失礼、あなたは一体、何者かな?」


 女性は声に反応し、麦藁帽子のつばに手を置いて深く被りなおした。

 そして、ゆっくりと私の方へ振り向くが……顔が見える寸前で、水に溶ける雪のように姿を消してしまった。


 私は女性がいたはずの場所へ近づく。

 彼女が立っていたはずの砂浜……だが、そこに足跡はない。

 この不可思議な現象を受ければ、誰だって鳥肌の一つくらい立つはずだろう。

 しかし、なぜか、私は懐かしさというものを感じていた。

 それは遠く離れた母に再会したような、何とも奇妙な思い……。



「幽霊……とは思えない。だが、この世のものとも思えない。いや、この世のものではあるが、私が理解できぬ存在というべきか。たしかに女性はいた。もはや証拠もなく、海と砂浜しかない場所に……」



 朝となり、フィナに頼んで真実の瞳ナルフを使い砂浜周辺を調べてもらった。

 だが、人がいた痕跡、生き物がいた痕跡は見当たらなかった。


 ただ一つ、光の素となる粒子――周囲の光子に微小の魔力が宿る力の変動が見られたそうだ。

 彼女の見解では、女性の正体は魔力の宿る幻影。

 


 しかし、仮に何らかの幻影と説明できても、問題はその幻影が何のために存在し、誰が、もしくは、どこから生み出されたのか? という謎がある。

 それについてはフィナの力をもってしても解明は無理だった。



 そして、これ以降、トーワでは謎の女性を見ることはなかった……そう、トーワでは。

 次に、彼女に出会えたのは、私の…………。

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