第117話 才女キサ
――二枚目と三枚目の防壁内
税金と土地代の話のため親父がキサたちの店に向かったが、それが気になって事務仕事が手につかない。
そういうわけで、店の方へ向かった。
防壁内には弁当や総菜などを売る三つの店がある。
その店の前で、キサを含む三人の店長と親父が神妙な面持ちで話し込んでいた。
私は彼らに話しかける。
「親父、キサ」
「おや、旦那? どうしてこちらへ?」
「あ、領主のお兄さん。こんにちわ~」
「ああ、こんにちは。いやなに、ちょっと様子が気になってな。それで、どういった話を?」
私は話し込んでいる親父とキサと二人の店長をさらりと見回す。
親父が手に持つ帳面をペンで叩きながら話の内容を伝えてくる。
「土地の使用料の方は決着がつきました。許可証の方はあとで俺が作成しときますんで、旦那に目を通してもらい、問題なければサインをして正式に発効という流れでようござんすね?」
「それは構わないが……土地代は大丈夫か、キサ?」
「うん。いずれ言われるだろうなぁ、と思ってたし。でも、これまでの土地代は免除にしてもらったよ。急に決められて土地代払えなんて言われたら、今度からお店が建ちにくくなるからねっ」
と言って、キサは私にウインクを飛ばす。
その様子を見ながら、親父は頭をぼりぼりと掻いた。
「この嬢ちゃん、相当したたかですぜ。こっちから声を上げるまで踏み倒す気満々でしたし」
「踏み倒す気なんてないよ~。わざわざ、自分から不利な条件を言わなかっただけで」
「ま、この通りでして……」
親父は私に視線を送りつつ肩を竦める。だが、そこから無精ひげをジョリっと撫でて、喜びにも似た不敵な笑みを浮かべた。
「しかしですなぁ、したたかなだけじゃないですぜ、旦那」
「ほぅ、というと?」
「税の話をちょいとしてたんですが、このキサの嬢ちゃんは累進課税制度を持ち出してきました」
「何っ!? キサは税制に詳しいのか?」
「ううん、全然。そのるいし……なんとかってのはわからないけど、こうした方がいいかなって、親父さんにお話をしたの」
累進課税――説明を簡単に終わらせれば、所得が上がるにつれて、税率が高くなる税方式だ。
この累進課税には二種類ある。
単純累進税率方式と超過累進税率方式
①単純累進税率方式――課税標準が一定額以上となったとき、その全体に対してより高率の税率を適用するもの。
②超過累進課税方式――一定額になった場合にその超過金額に対してのみ、より高い税率を適用するもの。
具体的に双方の違いはこうだ。
年収500万ジユと501万ジユの男がいる。
まず、一例として500万までの税率10%。それ以上を20%としよう。
①の方式の場合、前者の税金は50万で済むが、後者は100万2千ジユとなる。
つまり、収入が1万増えただけで、50万以上の差が出てしまう。
計算は非常に単純でわかりやすいが、これでは公平性がなくなってしまう。
では、②の場合はどうなるか?
この方式は、500万の部分だけに10%の税率を当て、それを超える収入には20%を当てる。
そうなると、年収500万の者の税金は10%なので50万ジユ。
501万の者の場合は、500万に10%で50万。500万から超えた1万だけに20%を当てて、2千。
よって、50万と2千。合計50万2千ジユの納税となる。
①の方式よりも納める税に差がなくなるというわけだ。
これは説明をわかりやすくするための一例なので、実際の税率はもっと細かく収入に応じて変化し、さまざま税控除が内在するため、相当ややこしくなるので割愛させてもらう。
キサが親父さんに話していたのは、後者の超過累進課税制度に近いもののようだ。
私は今年で八歳になろうとしている、まだ幼き少女の才に驚嘆する。
「信じられないな。本当にキサが?」
「まぁ、信じられないでしょうな。ですが、それだけではありませんぜ。法人税の在り方にもかなりの講義を戴きました。お聞きになりますか?」
「いや、これ以上税の話はやめておこう。話がややこしくなるだけだからな。しかし、これらは可能なのか?」
こう、問うと、親父ではなくキサが答えてきた。
「人が少ないトーワだから、今のうちに管理しておけば大丈夫だと思うけど?」
「なるほど。たしかにその通りだ。ヴァンナス本国でもこの税方式の話はたびたび取り沙汰されていたが、戸籍の管理および収入の管理に膨大な手間がかかるため、いつも先送りになっていたからな」
ヴァンナスの多くの領地では、各地の農業・漁業・林業・商業の長を務める者たちが税の窓口となっている。
各まとめ役がその年の収入を記録して、徴税官に通知する。
個人の税は給料の支払いの時に予め引いてある。
その他、領主権限で課せられる通行税や関税などがあるが、細かくなるのでこれらの説明はなしだ。
中には空気を吸ったら税金。そんな空気税などという意味不明な税金を設けてる領地もあるらしい……。
ともかく、かなり抜け道がある税方式で正確性に欠ける。
それは数百年前にできた税方式に多少の改良を加えただけで使い続けているからだろうが。
なぜ、大切な税収入が穴ぼこだらけなのかというと、よくある話で――各分野における利権争いだ。
改革もそのため、遅々として進まない。
ネオ陛下はこれらに何度かメスを入れようとしたが、抵抗勢力の結束は固く、なかなかうまくいっていない。
以前陛下は、ぼそりとこんなことを言っていたことがある。
『いっそ、邪魔者を排除して力押しようかなぁ? 混乱で万単位の死者が出るかもしれないけど、先のことを考えれば、少ない犠牲だよね』と。
しかし、それを行っていないということは、おそらくジクマ閣下が死に物狂いで諫めたからであろう……。
長々とした税の話から私はキサの提案に意識を向ける。
「キサの言う通り、管理する数の少ないトーワなら、新たな税方式は比較的導入しやすいな」
「でしょっ」
「キサ……君は恐ろしい才能を秘めた少女のようだ」
「そうかな~、えへ」
屈託のない笑顔を見せる少女。しかし、脳漿に秘める才は神童という言葉に値する。
「私がキサぐらいの年の頃はまだ……いや、そのころはまだ外を知らなかったな」
「うん、外を知らない? 領主のお兄さんは小さい頃、ずっとお家にいたの?」
「う~む、そうだな。そんなところだ。病弱でね」
「へ~、そうは見えないけど」
「今は健康だからな。えっと、親父さん。ここは任せておいても大丈夫かな?」
「もちろんです。それどころか、キサのお嬢ちゃんに押されっぱなしですぜ」
そう言って、顔半分を隠すように手を置いた。
これは誇張でもなく、本当に手強い相手のようだ。
「ふふふ、そうか。ならば、親父さん。大人の凄さというものを見せてやるがいい」
「簡単に言いますがね、相手は少女とはいえ天才。凡人の俺には少々しんどい話ですよ」
「そこは経験でカバーしろ。私は戻る。仕事が残っているからな」
「そりゃないですよ、だんな~」
「袖をつかむなっ。どちらにしろ、私には君たちがまとめた報告書に目を通すという仕事が待っているのだからな」
「おそらく、税の話だけでこんっっっな分厚いものになりますぜ」
親父や人差し指と親指を目一杯に広げて、ニヤリと笑う。
それに対して、私は心底嫌そうな顔を見せた。
「はぁ、領主になるというのは面倒な話だ。親父、代わるか?」
「遠慮します。俺はその領主様に大切な書類を作成してあげる方が性に合ってますから」
「はっ、嫌なことを言う。それじゃ、あと任せた」
「はい」
「キサ。思う存分、親父とやりあえ」
「うん、わかってるよ。商人の権利を守るために全力で頑張るから~」
キサが手を大きく振る。私はそれに応え、手を振り返す。キサのそばでは親父が私を恨めしそうに見ていた……しかし、よく考えると、キサが頑張れば頑張るほど、領主としての実入りが少なくなるということになるのでは?
いや、あまり領主の権威を行使して無用に税を取ろうとするのではなく、商人が商売をしやすい環境を整え、将来の経済活性化の布石を置く方がよいだろう。
キサと親父を組ませておけば、生み出される提案にバランスが程よく加味されそうだしな。
と、ここまでは、ヴァンナスで使用される単位の話・トーワの発展の話・税や法に関する話・それととりとめのない話であったが……ある男の来訪で、トーワの人間関係が妙なことになっていく。
いや、その男の空回りというか……同時に、この城の怪奇じみた話へと繋がっていくのであった……。
――――――――――
※空気税
実際に18世紀のフランスで存在しかけた税。
フランスのルイ15世時代の財務大臣エティエンヌ=ド=シルエットが掲げる。
空気を吸ったら税金――これなら全国民から税の徴収可能という天才的なアイデア。
でも、国民からの強烈な反発にあい、断念。
……でしょうね。
因みに、影画やおぼろな全体像を表す『シルエット』の語源になった人。
彼は在任中節約を唱え、肖像画は黒絵で十分と主張したり、影絵作りが趣味だったので、
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