第4話 ゆりかごの悪夢 その四



「マズイ。気づかれた」

「こっちだ。龍郎」


 マルコシアスが手近な部屋に入っていく。龍郎も追いかける。

 室内には最下位の天使と思われる子どもが十柱ほど集まっていた。彼らの寝室のようだ。人間で言えば、まだ十歳未満である。楽しそうにジャレていたのが、龍郎たちを見て不審げにかたまる。


「廊下以外は通路にしてはいけない規則だからな。マナー違反だ」と、マルコシアス。

「そうなのか。お行儀が悪いんだな」


 しかし、この場合、細かいことは言っていられない。

 真向かいにもう一つ扉があった。そこから反対側の廊下に出て、また別の部屋へ入る。それをくりかえして、どうにか追跡をふりきった。


 とは言え、安心はできない。さほど遠くないあたりで笛を吹く音が響いた。侵入者の存在を警告する合図だ。


 夢中で走るが、なにしろ、むこうも天使だ。視界とは別に空間座標をとらえることができる。建物の陰に逃げこんでも、すぐに軍靴ぐんかの音が迫ってくる。


 マルコシアスについて走っているうちに壁抜けなどできるようになっていた。が、そんなこと気にしているヒマもない。


 どのくらい逃げまわっていただろうか。


「龍郎。マルコシアス。こっちだ」


 急に声をかけられた。

 見れば、柱に隠れて、ウリエルが手招きしている。


「ウリエル?」


 ウリエルは以前、人間の女の子のふりをして、龍郎を偵察していた。だから、龍郎を個人的に知っている。北海道旅行にもいっしょに行ったし、わずかのあいだだが自宅に居候していた。


 顔立ちは天使になって、人間のころより美形になったものの、やっぱり以前の面影がある。おそらくだが、ウリエルの心臓の色は赤だろう。アスモデウスのように、天使にしては小柄だし女性的だ。


 龍郎は迷った。

 なぜ、ウリエルが自分を助けてくれるのか?


「早く。何をしてるんだ。アスモデウスのところへ行きたいのだろう?」

「ああ。協力してくれるのか?」

「アスモデウスは邪神との戦いになくてはならない存在だ。一刻を争う。君なら、きっと彼を救える。それに……」

「それに?」

「わたしにもつがいの相手がいた。大切な人を想う気持ちはわかるつもりだ」

「……わかった」


 笛の音やさわがしく走りよる足音が迫る。もう迷っている時間はなかった。

 龍郎は急いでウリエルのもとへ近づいた。マルコシアスは迷ったようだが、しかたなさそうについてくる。


 龍郎たちがウリエルのとなりにかけよった瞬間だ。周囲が暗転した。感覚としては落とし穴にハマった感じ。空間が流砂のように崩れるなか、すべり落ちていく。


 やっと衝撃とともに落下がやんだとき、龍郎は暗闇にころがっていた。地面は岩盤でできている。

 さっきまでの神殿の光に満ちた清潔な風景とはあまりにも違っていた。


「なんだ? ここは?」


 岩穴だ。しめって、ジメジメしている。広さは四畳半ほどの空間だろうか。その岩屋の片側に出口がある。が、そこは太い鉄格子でふさがれていた。


「……牢屋に見えるんだけど?」

「牢屋だよ」


 見れば、自分と同じ岩屋のなかに、マルコシアスも倒れていた。


「ウリエルにしてやられたんだ」

「ウリエルに?」


 ウリエルのことは友人だと思っていた。まさかそんなことをと考える。が、そのとき、鉄格子のむこうに天使が立つ。茶金色の髪の小柄な天使。ウリエルだ。


「ウリエル! これはどういうことなんだ? なんで、おれたちを閉じこめるんだ?」

「侵入者は神の裁きを受けるのだ」

「おれはアスモデウスに会いたいだけだ。アスモデウスは無事なのか? 汚染はどうなった?」


 ウリエルは何も言わずに去っていった。


「ウリエル!」


 叫んでも、もはや応答もない。ウリエルの決心は硬いのだろう。生半可な気持ちでしたことではないらしい。


「神の裁きか。だとしたら、ノーデンスに会えるんだろうか?」


 マルコシアスは首をふる。


「それはどうかな。天使同士のいさかいは、天使の長が裁決する。神の耳には入るまい」

「うーん」


 だとしたら、なんのためにウリエルはこんなことをするのか? もしや、アスモデウスが助かっては困るからだろうか?


(アスモデウスを襲ったのはウリエルか? あの遺跡でも、たしかに襲われた直後にウリエルがやってきた。やれなくはなかっただろう)


 ウリエルは龍郎を星の戦士かどうか確認するために近づいてきたようだった。天使の職務をまっとうしているだけなのだと思っていたが、そうではなかったのだろうか?


 とにかく、ずっとここにいても、誤解が解けて出してもらえるとはかぎらない。ましてや、アスモデウスの容態は一刻を争うのだ。のんびり捕まってはいられなかった。


「マルコシアス。どうにかして、ここから出ることはできないんだろうか?」


 マルコシアスは急に犬の姿になって、周囲をくんくん、かぎだした。


「どうしたんだ?」

「妙だぞ。龍郎。この場所。タルタロスだ」

「タルタロスだって?」


 タルタロスは地獄の底にある罪人を幽閉しておくための獄舎だ。以前、魔界へ行ったとき、そこへつきおとされたことがある。あのときはマルコシアスに出会って、脱出することができたのだが。


「でも、おれたちはさっきまで天界にいたんだぞ? なんで、タルタロスに? 天界の牢獄なら、天界のどこかだろう?」


 マルコシアスは人型に戻って考えこむ。


「じつは、ウリエルは以前に一度、堕天したことがあるんだ」

「えッ?」

「ウリエルは一時期、堕天使だったんだよ」


 思いもよらない事実だ。

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