③ キュートなダンスを呪いのナンバーで

 やな予感は的中。

 次の日からはじまった、劇場地下のレッスン室で、あたしはレインに抱きとめられていた。

 ロマンチック? とんでもない。

 全身ケーキのクリームまみれ。

 すぐそばの床では、ヴィヴィちゃんが横たわって痛そうに頭をさすってる。

 なんでこんなことになったかって?

 今日の演技練習は、パーティーで、ダンとキャシーが再会するシーン。

 ここでも二人は軽いケンカムードになって、キャシーがダンに向けてケーキを投げるんだ。

 ところが、ダンはひらりと身をかわし、ケーキがたまたま後ろにいた女優のリナを直撃!

 となるはず、だった。

「チュチュちゃんは、チュチュちゃんのタイミングでケーキをまるっと投げてくれていいわ。レインはタイミングをつかんでかわして、アタシのビューティフルなお顔が受け止めるから。こういう微妙な呼吸はすぐに掴むのが難しいから、最初のうちは舞台に慣れてるアタシたちに任せておけばいいのよ」

 リナ役のヴィヴィちゃんの心強いアドバイスもあって、あたしは思いっきり、ダン役のレインに向けてケーキを投げた。レインは軽やかに身をひるがえす――まではよかったんだけど。

 ケーキを顔に受けるために、見ている人にはわからないようにさりげなく前に進み出たヴィヴィちゃんが――すってん、転んじゃったの。

 いきおいつけてたあたしもその上にダイブしそうになったところをレインが支えてくれたんだ。

「あ……ありがとう」

 レインはうなずいてあたしを床におろす。

 あたしはすぐさまヴィヴィちゃんに駆け寄った。

「だいじょうぶ? ケガしてない?」

 ヴィヴィちゃんがぱちりと手を合わせる。

「チュチュちゃん、みんな、ごめんなさい。あたしとしたことが大失態。足が滑っちゃったの」

「いいって。誰にでも失敗はあるよ」

「チュチュちゃ~ん! やーさーしーいー」

 ヴィヴィちゃんにがしっと首根っこをつかまれて、ぐ、ぐるし……。

 そのとき、すぐとなりで唖然としたレインの声がした。

「ろうだ……」

 見ると、彼はヴィヴィちゃんの足元の床に触れた指を、まじまじと見ている。

 ろうって、ろうそくをつくる、あの?

「床にろうが塗ってある」

 あたしとヴィヴィちゃんは――劇団のみんなも、その場にかたまった。

 俳優さんたちの立ち位置っていうのはしっかり決まってる。

 ケーキを顏で受けるため、ヴィヴィちゃんががさり気なく前に出る、その細かな位置まで、印がつけてある。

 だれかがわざと、ヴィヴィちゃんの立ち位置にろうを塗って、滑りやすくした?

 いったいだれが?

 ざわつくなかあたしの背中もひやりとする。

 そんな中、ぱんと手を打ったのはレインだった。

「今追求してもしかたない。練習、続けるぞ」

 あたしははっとした。

 本番まで時間は限られてる。

 いつまでも練習を中断するわけにはいかないんだ。

 すぐに場の雰囲気が引き締まって、みんなは演技の練習に集中した。


 気をとりなおして、次はダンスのお稽古。

 ミュージカルで流れる音楽は、本番はもちろんオーケストラが演奏するけど、練習で使う曲の伴奏パートは監督のスマホに全部録画してある。

 レッスン室に、リズミカルでキャッチーな音楽が流れる。

 今日お稽古するシーンは、かわいい踊り子たちの恋の曲。

 踊り子役の子にかこまれてセンターで踊るあたしは責任重大だ。

 緊張するけど、音楽が流れだしたら、とたんに楽しくなって、ステップを踏む。

 すごく楽しかったんだ。

 突然、雷のような音楽が響くまでは。


 二十四時間あたしはあなたに夢中

 寝ても覚めても

 心であなたにこうささやく

 呪われろ!


 ……なんだって?

 でも、監督のカットがかかるまでは演技はやめられない。途中から鳴りだしたこれは、別のミュージカル――『オペラ座の怪人』の音楽!

 醜い顔を仮面で隠している怪人が、ヒロインに仮面をとられそうになってぶち切れするシーンで流れる歌だ。

 その不気味なメロディーに合わせて、あたしたちはぴょんと飛び跳ねて指をさす。


 この悪党!


 退場のシーンでは、ばいばーいと、かわいく手を振って笑顔。


 地獄へ行ってしまえ!


 はっきり言って、超・不気味だよ……。

『オペラ座の怪人』の中では、インパクトばっちりでお客さんのテンションをぐっと あげる曲だけど。

 このシーンに流れたらお笑いになっちゃう。

 スマホを確認した監督が、頭を抱える。

「なんてことだ。スマホの曲が、途中からぜんぶ『オペラ座の怪人』のナンバーに変わってる」

 えぇっ。

「おかしい。たしかに『雨に唄えば』の曲を用意しておいたはずなのに……」

 踊り子役のみんなにも、困った空気が流れ始める。

 そこへレインが言った。

「監督。僕がカウントします。今日の稽古は音楽なしでいきましょう」

「すまないな、レイン」

 レインの手拍子と、カウントをきざむ声が、レッスン室に響き渡って、なんとかみんな練習に戻ったけど。

 なにか、おかしい。

 その思いは、ぬぐえなかった。

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