チャンスのつかみやすい村:3

「では、元のカフェに戻っておきます。終わったら是非、顔を出してくださいね、ハハ」



一面コンクリート。古くなって廃棄されたのであろう朽ち果てた椅子や机、物が沢山置かれている場所に、妖「チャンス」の姿はあった。



「なんだか、不気味な雰囲気を持ってるね、余石」


「そうだね」



前髪だけのはずの妖「チャンス」は、後ろも横も関係なく伸びきっていた。


前髪はとても長く、結んでいる部分が真ん中の位置に結ばれていた。


彼は、雨夜と余石にとぼとぼと近づいてくる。



「前髪、つかんで、前髪、つかんで、前髪、つかんで、前髪、つかんで、前髪、つかんで」



何も行動を起こしていない雨夜と余石に対し、妖「チャンス」は何度もお辞儀をし、頭を下げた。



「何か、言葉を繰り返している。余石、この人」


「うん、『厄』を抱えてるね」



二人には、普通の人が見えない『何か』が見えている。



「ほら、そこの前髪の方」



余石がそう言うと、妖「チャンス」の動きが止まる。


二人はいつものように、慣れ親しんだ知り合いに話しかけるように、こう言った。



「ここに座りなさい」「僕に座りなよ」



そう言った瞬間、余石の周りに出ている青色のオーラに似た何かが強まる。するとその『前髪の人』は大人しく余石に腰掛けた。



 ーーーーー




 瞬間、世界が変わる。




 ーーーーー



「・・・・・ん、?、ここは」



先ほどの朽ち果てた物であふれた場所とは違う、清潔な印象の空間。


『前髪の人』の前には上半身が全て写る、一枚の大きな鏡。『前髪の人』は目を見開き、困惑している様子。



「ここは、僕の美容室でございます」


「美容室、ですか。それはどんなことをするところなのかな」


「はい。今現在、チャンスさんは今までにないくらい髪の毛が伸びておいでですよね」


「ええ。おお。私の名前を知っておいでなんだね」



雨夜は疑問を浮かべる妖『チャンス』に、フーキからあなたの事を聞いていると伝える。



「ああ。あの子ですか。あの子はとってもかわいい子で、とにかく私の前髪を掴むために必死になっていたのをよく覚えています。それはもう血眼だったので、はい」


「そうなんですね」「そうなんだー」



雨夜はキャスター付きの椅子に浅く腰掛け、鏡越しに妖『チャンス』を捉える。



「さて、チャンスさん。私の名前は雨夜と申します」「僕は余石。妖だよーよろしくねーチャンスー」


「はい、よろしくお願いします。雨夜さん。余石さん」



妖『チャンス』は、曲がっていた腰を少しまっすぐにしながら背もたれに身を任せる。



「余石さん。私は生まれてこの方座ったことがなかったのですが、座るとは何とも気持ちのいい行為ですね」


「チャンスは大げさだなー」



雨夜はチャンスの来ているボロボロな服の襟に、タオルを掛ける。次いでカットするためのクロス、髪の毛が入らないようにするネックシャッターをつけた。



「チャンスさん。以前はどんなヘアスタイルだったかを覚えていますか?」


「はい。私は伝記上前髪しかあってはいけないから、結んだ前髪以外はなんにもなかったかなぁ」


「そうですか。伝記上というのは、必ずそうしなければならないという事なのですか?」



雨夜はクシを右手に持ち、チャンスの中途半端な位置についていたゴムを外す。



「そもそも、私は髪が伸びたことがないから。未知の領域です」



ゴムを外すと、相当な長さの髪が顔にかかる。それをオールバックにときつける。



「伸びてますね」


「ええ」



雨夜はときつけながら、いらない髪の毛の吟味に入る。


妖『チャンス』にとって最適なヘアスタイルは何か。ライフスタイルに合わせたものは何なのか?


考え、見続け、やがていらない髪の毛が見えてくる。



「ーーー見えた」



そう呟くと、雨夜はシザーケースから、対妖シザー『青ネギ』を取り出し、クシを持つ右手に添える。


そのハサミは青く光り輝き、『厄』を切り落とす役割を果たす。



「チャンスさん。後ろは全部刈り上げます。前側も前回と同じ長さに」


「はい」


「横を変えます。全く伸びていなかったここの部分を少しだけ残し、前側のように結びます。掴む範囲を増やすのです」


「え。でもそれだと前と違」


「このままだと何にも変わらないよ、チャンス」



余石の周りに出る、青い光が強くなる。



「君は今、村人に必要とされていない。必要とされたいなら、変えるしかないよ」


「あ、そうですね。わかった」



余石が強く言うことで、妖『チャンス』は言葉を変えた。



「余石。お客様優先」


「はいはいごめんよー雨夜」



無機質な声で余石はあやまる。



「チャンスさん。僕たちはフーキから村人の行い、態度について少しだけ聞いています」


「はい」


「今まではその髪型だったかもしれない。でも、理由がどうであれ伸びたことには変わらないから、いっそのこと変化させてしまった方がいいのではないか。と僕たちは考えています。



妖『チャンス』は、左手を顎に置き、間をとる。



・・・・・・



「そう、ですね。プロの方がそこまで言うのであればそうかもな。お任せします」


「わかりました」



雨夜は妖『チャンス』の同意を得ると、早速カットの準備に入る。


ダックカールクリップを二本取り出し、トップから耳後ろを分けとり、止める。


そして後頭部からの施術に取りかかる。



「それでは、切っていきますね」「切っていくよー」


「はい。よろしく」



雨夜はまず、刈り上げやすくするための土台を作るために、後ろの長く伸びた髪を乱雑にカットしていく。



「チャンスさんは、凄く足が速いそうですね」


「はい、そうですね。基本的には人がぎりぎり視認できるくらいで動いているかなぁ」


「そうなんですね」


「でも、最近は何とも動きにくくなってしまって、凄く残念な気持ちなんです」


「あぁ」



切り取られた髪の毛が、はらりはらりと落ちていく。



「直毛、ですね。絡まりとかなさそうなので、掴もうとしてもちょっとつるっとなりそう」


「そうですか。そんなこともすぐにわかるんだなぁ。さすがはプロです」



しゅき、しゅき。必要の無い髪が切り取られる。



「ねえチャンス。チャンスはどうして走らなくなってしまったんだい?」


「余石さん。走らなくなってしまったのではなく、走れなくなってしまっているのです。私にもわかりません」



チャンスは、少し目線を下に向けた。



「チャンスが全くないこの村に、私はチャンスを得るチャンスを与えたらどうなるんだろうと思ったんです」


「うん」


「それで私は、この村に住み着き、とにかく走りまくりました」


「へえ、それで?」


「これは私も悪かったなと今思い返したら思います。何の説明もせずに走り回ったため、村の人は『ある日突然砂ぼこりの止まない村になってしまった』と思ってしまいました」



雨夜は後ろの毛を乱雑に切り終わると、刈り上げる作業に切り替える。


刈り上げ用のクシに持ち替え、下から順に丁寧にハサミを入れていく。



「今みたいに舗装されていなかったんだね」


「余石さん。その通りです。ある人が『砂ぼこりを立てているのは変な髪型をした人』という事を話しました。それを聞いた一人の人間が、チャンスの神様について知っていました」


「へえ、それで?」


「『あれはもしかしたらチャンスが舞い込むやつかもしれない』と思ったその人は、必死になって私に食らいつき、やがて掴みました」


「うん」


「私は『あ、掴んでくれた。やっとこれで村がどうなるか見られるぞ』と思い、その人にチャンスが舞い込むようにしました」



刈り上げていくと、薄く黄色い肌が露出してくる。独特のさわり心地になっていく。



「それで? 一体この村はどうなったんだい?」


「はい。血眼になって私の前髪をつかみに来るようになりました」


「変わったんだね」


「ええ。最初はみんなが一人一人追いかけてきていた、という感じでした。ですが、それが二人、三人、四人と増えていき。やがて村全員で一人の人を選出して前髪をつかみに来るようになりました」



ハサミに当たる感触が、何とも気持ちいい。



「一人に掴ませ、みんなの願いを叶えさせる。そんな方法をとる場合もあったし、若者の願いを応援する形でサポートする場合もありました」


「へえ。すごいじゃん」


「ですが・・・・・・」



チャンスは少し虚ろな表情になった。



「だんだんと村人が『今必死になって掴まなくても、別に明日も明後日も走っているだろうから、今日じゃなくていい』という意見に賛成する物が増えていきました」


「飽きてきたんじゃない?」


「かもしれないです。せっかく私が皆さんの為に走ってチャンスを振りまいているのに、どうしてそれをつかみに来ないんだと思いました」



後ろがムラ無くキレイに刈り上がる。雨夜はサイドに止めていたクリップを外し、長さを調節していく。



「挙げ句の果てには『あいつが走っているから砂ぼこりが立って生活がしにくい。迷惑だ』と言って、たくさんのお金を使って道路を舗装してしまいました」


「なるほど。チャンスは無償で施したのに、残念だね」



残念そうに、チャンスは顔を伏せた。



「あ、カットしにくいので前向いてくださいチャンスさん」


「あ、ごめんなさい」



チャンスは鏡を再び見る姿勢になる。



「でもさ、チャンス。僕たちがフードの人間フーキをカットした場所は、砂ぼこりの立つ空き地みたいな所だったけど、全部舗装はされなかったんだね」


「私が彼らに言ったんです」


「言ったんだ。なんて言ったの?」


「全部舗装してしまうんだったら、私はこの村を出て行くぞ。と」


「そしたら?」


「『わかった』と村長は言い、あの空き地部分だけを残して全部舗装してしまったのです」



雨夜は両サイドの長さを整え終わり、再び分け、前髪の長さを調節していく。



「あそこって絶対に村人が近づかなさそうな場所だから、疎外するにはうってつけだもんね」


「余石。それはお客様に失礼だよ」「はいはいごめんよーチャンスー」


「・・・・・・」



しゅき、しゅき。ななめにハサミを入れ、毛量を減らしながら調節していく。



「ねえチャンス。それだけの事をされたんだったら、もうこの村を出て行ったらいいんじゃないの? この村にいる意味が無いじゃん」


「私は、一度そこに住み着いて砂地がその場になくなるまで、出て行くことは出来ないんです。苦しいですが、砂地を残されてしまったので私は動くことが出来ません」



はらはらと、毛が空気を舞う。



「でもさ、矛盾してるね。自分が舗装するなら出て行くと言ったのに、全部は舗装されなかったから出て行けない。苦しいって言ってるけど、自分のせいだね」


「余石」


「その口ぶりだとさ、何回か他に居た場所でも砂地じゃなくされた感じ?」


「・・・・・・」



チャンスは何も答えなかった。



 ーーーーー



雨夜はチャンスの切り終わった髪を、特殊なゴムでブロックごとに結んでいく。



「このゴムは妖専門で、絶対に切れることがないものになっているので安心してください」


「・・・・・・はい、ありがとう」



雨夜は鏡を手に取り、妖『チャンス』の後頭部を映し出す。



「後ろは全部刈り上げ、横は前よりも短めです。前のヘアスタイルよりも掴みやすさは増したので、変化を村人に伝えることが出来れば、変われるかもしれませんね」


「ありがとう。髪の毛を切ってもらっただけなのに、なんだか体が軽くなったような気がするよ」


「それは、良かったです」「『厄』は飛んでったからね」



あ、あと一つ。と雨夜。



「速く走りすぎて、人とはぶつからないようにしてくださいね」



妖『チャンス』はこくりと頷き、余石からゆっくりと立ち上がった。そして景色は変わる。



 ーーーーー



「ああ、走り回れる。ああ、走り回れる」



雨夜の前髪が何度もなびく。なびく。



「余石もあれくらい速く動くことが出来たら、僕たちの旅はとっても楽になるんだけどね」


「でもさ、雨夜。あんな速度で動く僕に乗ったら、雨夜の体は重力で引きちぎれると思うけどなぁ」


「確かに」



ははっと笑う雨夜に、余石は何も反応しなかった。



 ーーーーー



「あ、雨夜さんと余石さん。終わりましたか、ハハ」


「フーキさん。終わりましたよ」「終わったよーフーキー」



フーキは笑みをこぼした。



「さっき顔の前が、何度も涼しくなる懐かしい感覚になったんです。ハハ。何にも見えなかったけど、元気になったようで安心しました、ハハ」



雨夜はあわせて口角を上げた。



「それで、チャンスの前髪は掴むことはできましたか? これだけしてくれた雨夜さんたちであれば、どんな願いが叶ってもおかしくありません、ハハ!」



高らかに笑いあげるフーキ。



「雨夜さんは一体どんな願いを叶えたいのでしょうか? ハハ。億万長者にもなれますし、かわいい女の子とたくさんイチャイチャしたりも出来ますよ、ハハ!」


「フーキさん。僕はお金も女の人もいりません」「雨夜は求めてないなぁ」



フーキは固まり、やがて疑問の表情。



「では、何を求めるのですか? ハハ」



一息吸ってから、雨夜は答えた。



「少しの食料と今日の寝床をください」「よろしくー」



・・・・・・



「それだけ、ですか?」


「はい、それだけです」「それだけだよー」



フーキはしどろもどろ。やがて冷静になり、



「変わった方、ですね雨夜さん達は」



と言い、



「あなたも、大分変わってますよ」



と雨夜は笑顔で返した。



 ーーーーー



「あー布団は世界で一番気持ちのいいものだねー余石ー」


「僕は布団に入ったことがないからわからないねぇ」


「もう、そこは『そうだねー』って話を合わせるところだよー」



雨夜達はその日のご飯と持ち運べる食料、気持ちのいい寝床を用意してもらった。


明かりの少ない静かな部屋に、雨夜と余石は一人と一者。



「ねえ雨夜。妖『チャンス』の前髪は施術しているときに掴んだんだから、何か叶えてもらった方が良かったんじゃないのー?」



雨夜は布団から見つめる無機質な天井に、笑みを浮かべる。



「ん、まあ、それも良かったかもしれないね、余石」


「じゃあ何で食料と寝床なんていういつでも手に入る物を望んでしまったんだい?」



雨夜の目が、少しずつ落ちていく。



「それはね、余石。自分の力で、手に入れるのが、僕にとっては、凄く心地の、いい、ことだから、なんだぁ」


「なるほど、と言うことは雨夜は人からのもらい物を嫌うタイプなんだね。良くないよ」


「・・・・・・そうじゃ、ないよ。億万長者、とか、沢山の、女性、なんて。僕には、手持ち無沙汰」


「ふーん。もらえる物はもらっておいたらいいのに。ま、それも雨夜らしいか。さあ、じゃあ明日はどうするんだい? すぐ出かけるの? ・・・・・・おーい、雨夜ー」



雨夜はすでに、心地のいい表情で寝息を立てていた。

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