第103話 幕引くその手は誰が為に ①
「……よし! 容態が安定してきたぞ」
患者達に
「運べそうなかいね?」
「ああ。流石にそろそろヤバそうだ、オレ達も避難するか」
「ガルルル!」
意見が一致し、患者を連れて避難部隊を追う事が決まる。
三人がかりで二名の患者を運び出そうとしていると、廊下の彼方から大勢の足音が近づいて来た。
廊下の向こうに首を伸ばせば、怪我人を搬送する正規軍の集団に混じって、シェーナが走ってくるところだった。
「エイダン!」
「シェーナさん!
エイダンは彼女に駆け寄った。プライス姉妹や、サンドラも一緒だ。皆、大きな怪我も負っていない。
ただどういう訳か、フェリックスだけは足取りがおぼつかないようで、プライス姉妹に両肩を取られて半ば引きずられている。
「フェリックスさん、どがぁしたん? 怪我?」
「いやあのっ……彼はちょっと、魔力を消耗してて」
「へぇ! てことは、
緊急事態の只中ではあるが、ともあれエイダンは、友人の才能の開花を喜んだ。しかし説明するシェーナの方は、妙に歯切れが悪く、気まずそうな顔をしている。
エイダンが不可解に思って目を瞬かせているところに、担架を抱えた警備兵が近づいて来た。
「君らも救護班か。患者がいるんだな? こちらで預かろう」
「あっ、あんがとうございます」
急いで患者を担架に乗せ、エイダンは最後に、空になった救護室の中を見回す。杖も持っているし、ラメシュは抱えられるだけの野菜と穀物を手持ちの袋に入れている。忘れ物はない。
ふと窓の方へ目を向けたその時、結界の外側、アリーナの東側から、強い光が放たれるのが見えた。
「うわ、なんじゃ!?」
「何かの魔術か!?」
面食らうエイダンの傍らで、ラメシュも目を瞠る。
驚いたのは、彼らだけではない。今まで余裕綽々といった態度で、
「光の魔術か。小癪な、まだ魔力を集めておる最中だというに」
彼が低く呟くや否や、その異変は起きた。
アリーナを覆っていたドーム型の反転呪術が、東側から徐々に、雪解けのごとくすうっと薄れ始めたのだ。
「あ、結界が……呪術の氷が消え始めとる!」
エイダンは声を上げた。集まった皆が、窓の外の様子に注目する。
「本当だ! 誰かが結界を破壊してくれたのか?」
「光の魔術、とアジ・ダハーカが発言したけど……では、サングスター公かしら?」
ハリエットとミカエラが代わる代わる疑問を口にするが、明白な答えを出せる者は、ここにはいない。
「とにかく、避難するなら今が好機ね。急ぎましょう」
サンドラの提案に、患者を連れた正規軍一行は、改めて東方向へと廊下を進み出した。
最後尾に立つエイダンも、彼らを追って救護室の扉を潜りかけ、そこではたと気になった事を、目の前にいたラメシュに確認する。
「魔力を集めとる最中……って、今アジ・ダハーカは言うとったよな?」
「そう言ってたな。あの氷柱にそういう効果があったんじゃねえか?」
アジ・ダハーカの使う石化呪術とよく似た効果が、例の氷柱の攻撃には付与されていた。
彼の石化呪術は、標的の魔力を奪い去る。エイダンが貧民街で治療したアイザックもそうだった。
「魔力集めて、何をするつもりだったんじゃろうか」
そもそもこの六日間、聖ジウサ・アリーナの結界は、一流の魔術士達の攻防を受けて、大量の魔術を吸収し、緩和し続けてきた。かなりの魔力が蓄積していたはずだ。
――アジ・ダハーカが、わざわざ闘技祭最終日まで潜伏していた理由は何か。
決勝戦と閉会式には多くの人が集まる。騒ぎを起こせば混乱も大きくなる。そうした理由は勿論あっただろう。しかし、他にも理由があるとすれば?
六日間、魔術の祭典を守るために、張りっぱなしだった結界。そこに溜まる魔力が狙いだったとすれば。そして今、呪術に反転させられた結界は、観客や兵士達を襲撃し、更なる大量の魔力を吸い上げた……
「治癒術の結界じゃったら、吸収した魔力は、無害なもんに浄化する仕組みになっとるけど。それが呪術になってまうと、どうなるん?」
と、エイダンは誰にともなく問いかける。
その時不意に、ラメシュがはっとした表情で、再び救護室の窓の外に注目した。
「おい! アジ・ダハーカが消えたぞ!」
「ええ!?」
エイダンは声を上げて、窓から身を乗り出す。
ラメシュの言ったとおり、廟の屋根の上には、何者も巻き付いていない。
全長数十ケイドルの大蛇が、ものの一分足らず目を離している隙に、忽然と姿を消してしまったのだ。
「どっ、どこ行った……!?」
「ぐがるる!」
タマライが警戒の唸り声を上げた。彼女はアジ・ダハーカのいた廟の屋根ではなく、
氷の結界は半ばまで、光の魔術―─と思われるもの――によって、解呪されたようだ。だが西側半分は、形を歪め融解しながらも、呪術として発動し続けている。
そしてそれは、半円型から円柱型の水の渦に変形し、上下逆さまの滝のごとく空へと噴き上がった。虚空で大きく弧を描き、渦の落下していった方角は、南。
グラス川の流れる辺りだ。
そうだ、元々あの結界の媒介となった大量の水は、グラス川のものだった、とエイダンは思い出す。
「本来あの治癒術は……川から借りてきた水で結界を張って、結界の中で使われる魔術を吸収したり緩和したりする、っちゅうもんじゃったよな。それがまるっと反転したら?」
重ねて問うエイダンに対し、ラメシュが首を傾げて応じた。
「だから、見てのとおりだろ。結界内の人間を攻撃し、魔力を奪い取った上で――」
彼はそこで言葉を切り、短い間を置いてから続ける。
「――川に戻る。……まさか、呪術としての力を保ったまま……?」
「グラス川が……呪術で氾濫させられてしてまうかもしれん!」
自分の思いつきで口走った言葉に、エイダンは慌てふためいた。考えるより先に窓枠に足をかけようとして、一体ここから飛び出してどうする気かと自問する。今から走ってあの水流を追いかけたところで、何か起こる前に間に合う訳がない。
「ガァッ!」
唐突に、タマライが吠えた。彼女は何かをねだるように、ラメシュに頬を擦りつけている。
「タマライ? そうか、お前の脚なら!」
ラメシュは呟き、袋の中から葉野菜を一枚出して、短い呪文を詠唱した。青々としていた生の葉が、日干しにされたかのように見る見る乾燥し、緑褐色へと変色する。
「
「その葉っぱ、食べるん?」
「ああ、一時的に腕力や体力が上がる。興奮気味になるが」
何やら危なげな魔術だな、と思ったが、この際口には出さず、エイダンはタマライが乾燥した葉を飲み下すのを見守った。
「グルラアアァ!」
ラメシュの治癒術が効いたのか、タマライが天井に向けて、高く咆哮を上げる。銀色がかった毛並みが、興奮に逆立っていた。
「よし、グラス川に向かおう!」
「おっ、俺も乗せて、タマライさん!」
タマライの背に跨ったラメシュに続いて、エイダンも彼女の背にしがみつく。直後、銀色の強靭な後ろ脚が床を蹴った。
「うわぁ!」
身体の跳ね上がる感覚に、思わずエイダンは悲鳴を漏らす。
タマライはひとっ飛びで窓を抜け、闘技場の中へ降り立つと、背に乗るエイダンの視界が霞む程の速度で、南に向かって真っすぐに駆け始めた。
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