第84話 幕開けの夜は更けて ②

 乱戦となり、怪我人の続出した第二試合の救護任務が終わって、いい加減へろへろに疲れたエイダンだったが、彼にはまだ、もうひと働きする約束が残っていた。


「さぁて、ハオマさんの言うとった、解呪の必要な患者さんの所に行かなぁじゃな」

「……問題ございませんか、エイダン。やや心許ない足音となっていますが」


 足と長杖を引きずり気味に廊下を歩いていたのを、ハオマは音だけで察知したらしい。彼相手に、強がりは効かないのだ。


「ちょい、魔力が減ってしもうとるけど……でも、あと一人くらいなら。俺、解呪は割と得意な方じゃし」

「僕も付き合おうじゃないか。日頃はエイダンくんに何かと助けられてるし、給料も貰ってるからな。今こそ君に恩を返すチャンスだ!」


 フェリックスが張り切って自分の胸を叩き、ホウゲツがそれを聞いて、ひょいと挙手する。


「ならば、東洋仙術の監督者として、それがしも同行するでござる。テロリストの動向を探る任務が、さっぱり進んでおらぬし、下町で情報を……あっ、動向を探りに同行! これは駄洒落になってしまい申したな、フヒヒヒ」

「あんま笑えねーよ」


 ラメシュが鼻を鳴らし、ちょっと思案する素振りを見せてから、また口を開いた。


「オレも、手助けくらいはしていいぜ。ハオマの話じゃ、患者がいるのは貧民街だろ? この能天気小僧と目の見えねえ坊さんだけで、治安の悪い場所に行かせちゃ、気になって安眠出来ねえ。タマライも来るか?」

「ガルル」


 タマライが上機嫌で唸る。『能天気小僧』とは、どうやらエイダンの事を指すらしい。エイダンとしては少々心外だが、これといって反論も思い浮かばない。


「ほんなら、皆で……? ああいや、イーファを一人で宿に戻すんは心配じゃな」

「じゃ、あたしはイーファちゃんを送ってくわ」


 と、シェーナが進み出る。マディも頷いた。


「私も、一緒に宿に戻ろう。風呂から歯磨きまでちゃんと面倒を見るから、安心してくれエイダン」


 シェーナとマディとイーファは、同じ部屋に宿泊している。ベッドに潜るまで見守って貰えるのは、イーファの内心はどうあれ、エイダンにはありがたい。イーファも、室内水道などの都市の設備に慣れていないのだ。


「あんがとう、頼むわぁ」


 二人に礼を述べてから、エイダンは観客席へと続く扉を開けた。

 招待客席の方を見上げるが、イーファの姿は見当たらない。


「あれ? イーファ?」

「うちゃあここよ、エイダン兄さん」


 すぐ左手から声がして、エイダンが慌てて首を巡らせると、イーファがまるで明後日の方角から、こちらにやって来る所だった。


「おお、良かった。どこにおったん?」

「お手洗い。……レイディにそんな事、訊くもんじゃなぁよ」


 何故か、やけに気取った素振りで、にこにこと答えるイーファである。今朝別れた時は、大分ご機嫌斜めだったはずだが。年頃の女の子の思考は分からない、とエイダンは困惑しながらも、シェーナ達と共に先に宿へ戻るよう、イーファに言って聞かせた。



   ◇



 「年頃の女子の思考、でござるか。……それがしに問われても、どうも人選を間違えておるような」

「ホウゲツさんは観察眼が凄いけん……」

「勿体なき言葉にござるが、人の臓物はらわたを写生しても、乙女心はえがけぬよ。そんな事が出来たらそれがし、今頃もっとモテモテにござる。デュッフフフ」


 何だかやけに詩的な表現で、物悲しい事を言われてしまったな、とエイダンは目を瞬かせた。


 エイダンと治癒術士ヒーラー一行は、ハオマの案内で、街の南へと向かっている。

 聖ジウサ・アリーナの周辺、特に北側の大通りは、華やかな空気に包まれた最先端の大都会だったが、アリーナの隣を流れる、グラス川に架けられた橋を一つ渡ると、思いがけないくらいに質素な家屋が建ち並んでいた。

 冒険者時代に住んでいた、アンバーセットの労働者街をエイダンは思い出した。一定以上の都会には大体、こういう側面があるものらしい。


「それにしてもラメシュ殿は、タマライ殿と深く心を通わせてござるなあ」


 ホウゲツが話を振ると、タマライと、その背に乗ったラメシュが揃って頷く。


「長い付き合いだしな。オレの一族は、何代かに一度、ドゥン族の戦士を正妻として迎える事が決まってる。十歳の頃に婚約して……」

「まっ、待たれよ」

「何だ?」


 目を丸くするホウゲツとエイダンを前に、ラメシュが不思議そうな顔をした。


「タマライさん、ラメシュさんの奥さんじゃったん?」

「ん、言ってなかったか? ドゥン族が、一時の旅とはいえ故郷を離れてるんだぞ。ヒト族と婚姻したに決まってんじゃねえか」


 決まっていると言われても、そもそもドゥン族の存在をエイダンは知らなかったのだから、その生態も初めて耳にする。

 ただ推察するに、恐らくドゥン族とは、シルヴァミストでいう妖精ノームやウンディーネに近い存在なのだろう。生まれた土地から離れる事に、制約がある。特定の人間と契約し、友好関係を維持する。


「まあ、ドゥンとヒトじゃ子供は作れねえし、二番目の妻も三十歳年上で、もう子供は難しいって言ってるから、帰国した後もう一人迎える予定で……」

「あいや、待たれよ」

「何なんだよさっきから」


 話の腰を二度折られて、ラメシュはむすっとしたが、ホウゲツの方も、それはこちらの台詞だとばかりに口をへの字に曲げた。


「テンドゥ帝国、神秘の国過ぎではござらんか!」

「そうか? ……二番目の妻は、オレの叔父の奥方だった人なんだが、その叔父が戦死しちまってな。勇敢に闘って死んだ者の遺族に、不自由な暮らしをさせるのは、戦士の一族にとって最大の恥だ。オレは一応次期首長だからな、遺族を守って食わせていくのも、役目の一つなんだよ」

「ああ、そういう」


 結婚という風習の持つ意味、それ自体が、シルヴァミストとは大分異なるようだ。


「急に自分より年上の息子が出来るってのは、確かにちょっと変な気分だったが」

「息子さんもおるんじゃな……ラメシュさんて、いくつなん?」

「十九だぜ」

「ひええ」


 一歳しか違わない。自分ももっとしっかりするべきだろうか、とエイダンは、何となくロイシンの顔を思い浮かべた。

 勿論、抱えた歴史も気候風土も過酷なものであるらしい北ラズエイア大陸の国々と、イニシュカ島では、社会の事情が異なる。無理な背伸びをする必要はない、とも言えるのだが。


「思い悩む事はござらん、エイダン殿。それがしなど、よわい二十四にして清廉の身。兄弟も多いゆえ、安心して僧形になれ、と実家から通告されており申す」

「……はぁ、どうも」


 ホウゲツに肩を叩かれ、エイダンは複雑な気分で礼を述べた。何のフォローにもなっていないが、どうやら励まされたらしい。


「みんな!」


 ハオマと話し込んでいたフェリックスが、唐突に叫んだ。


「到着したらしいぞ」


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