第39話 春時雨と怪異日和 ⑤

 家の中の全員が落ち着きを取り戻し、簡単な状況説明と自己紹介を終える頃には、オーブンの上で緩やかに温められていたかぶのシチューが、良い具合になっていた。こちらは、ブリジットの得意料理である。


 そのブリジットは、現在すっかりしょげかえっている。アルフォンス・リードの『幽霊』を、それと気づかずほうきで追い払おうとしたためだ。


「ああ、うちゃあ男爵家のアルフォンス様に、なんて失礼を」

「ばーちゃん、許してくれる言うんだけん、あまりしょげんといて」

「うむ。まあなんだ、気にせんでくれご婦人。実に果敢かかんであった。アルフォンスは、イニシュカの女衆の勇ましさを、大層気に入っておったものだ」


 あまりに落ち込むので、エイダンばかりか、追い立てられたイマジナリー・リードまでも、彼女の慰め役に回っていた。

 偏屈な面もあったが、島民に慕われていたと言われる、かつてのアルフォンスの人柄を、エイダンは何となく理解する。


「しかし、リード家の人に会いに行こう思うてたら、向こうから訪ねて来んさるって、どがぁかいな! 貴族様との晩餐ばんさんなんか、初めてじゃ。もっとええ服着てくりゃ良かった」


 キアランは落ち着かない様子で椅子にかしこまり、身につけた普段着のしわを引っ張ったりしている。


「どうやらエイダンは、魔術の才とは別に、奇縁と巡り合う才能を持つようですね」

「あっはは。前ん時はえらい目にうたけど、今度は助かったわぁ」


 ハオマの言葉に、エイダンは眉尻を下げて笑うしかない。


 煙の噴出が治まり、水浸しのケープと鎧を脱いで、濡れた頭に手拭いを被ったヒューは、そんなエイダンを、意外そうに観察する。


「彼が、エイダン・フォーリーか……予想していた男とは大分違うぞ、ハオマ」

「一体何を想像していたのですか」

「デイジーがあれこれ語っていたじゃないか。屈強な冒険者のように言ったかと思えば、農場でよく飼われている長毛の犬のようだとも」

「犬?」

「あっ、別に悪い意味ではなくてな? しかしその、言われてみれば似ている。いや違う、職務に忠実そうだという事だ!」


 いささか不本意な表情を浮かべるエイダンに、ヒューは慌てて、今一つ慰めにならないフォローを入れた。


「いんや、ええですけど……それでヒューさんは、身体から煙が噴き出す呪いを解除するために、治癒術士を探しとるっちゅうお話でしたよね」


「そうなんだ。そのために訪れたこの村で、生前、俺と同じ呪いに苦しんだという、大叔父の幽霊と鉢合わせるとは、思ってもみなかったが」


「幽霊というのは正確でないぞ。我輩は遺言用思念体、精緻せいちなる魔術の賜物たまものだ」


 そして――と、イマジナリー・リードは、空中に漂わせていた身体を、ヒューの方向へひねる。


「我が一族の、長年の苦悩……お前が呪いと呼ぶものの正体。その真相を、我輩は託されておる。アルフォンスが、誰にも打ち明けられずに終わった告白。それこそ我が使命だ」


 部屋の中の全員、キアランやブリジットまでもが、驚きに目をみはって、宙を彷徨さまよう思念体に視線を注ぐ。


「イマジナリー・リード! それはどういう……」


 食いつくように立ち上がったヒューを、イマジナリー・リードは押し留めた。


「慌てるな。まずは冷めきる前に、夕食をとってはどうだ?我輩はどうせ物を食えんのでな。皆の食事の間中、たっぷり語る時間がある」



   ◇



 かくして、バロメッツの干し団子と、タコのオーブン焼きと、蕪のシチュー、それにパンの並ぶ食卓を、エイダン達は囲んだ。


「大叔父さんは、何の為に思念体など作り上げ、その存在を誰にも伝えずにったのだろう? それに、ウンディーネの魔術を借りたとは……」


 ヒューはあれやこれやが気になるらしく、思案顔で食事を始めたが、バロメッツの干し団子を口に運んだ途端、「あ、美味うまいなコレ」と、緊張感の抜ける声でもごもご呟いた。


 実際、干し団子は美味かった。ハオマによると、分類上は芋だというのだが、ロールキャベツのような味がする。肉と葉野菜を、一度に食べた時に近い食感なのだ。


「リードの一族ならば、もう少し貴族然と、どっしり構えて欲しいものだ。アルフォンスの大甥よ」


 椅子の上に据えられた、ガラス球に乗っかるような形でテーブルに着いたイマジナリー・リードが、ヒューに苦言を呈した。


「イマジナリー・リードさんを作ったウンディーネと、リード家に呪いをかけたウンディーネっちゅうのは、同じ人なんかな?」


 ヒューの質問の続きを、タコの脚を切り分けつつエイダンが引き継ぐ。


「うむ。同じ血族の者だ」


 イマジナリー・リードが、簡潔に答えた。


「エイダンと、そこのハオマなる僧侶は、地の妖精ノームに会った事があるそうだな。ならば想像はつくだろうが、妖精達は、血族同士で固まって集落を形成する。そして、通常は生涯、その集落を離れずに生きる。我輩を作り出したウンディーネは……で生まれた、最後の一体だと、そう名乗っておった」


「最後の一体?」


 不穏な一言に対して、妖精の話には敏感なハオマが、顔を曇らせる。


「その水域の、他のウンディーネは……?」

「安心せよ、何も死滅した訳ではない。ただ、生地せいちを立ち去っただけだ。彼らは西の新大陸で、新たな生き方をしておる」

「え?」


 またもや、テーブルに着いた皆が、同じ角度で首を捻った。


「なあ、でもさっき、ウンディーネとノームは、生まれた集落から離れられんって」


 キアランが、口からはみ出ていたタコを飲み下して発言し、エイダンも「うん」と頷く。


「博物学の教科書に、そがぁに書いてありましたし、知り合いのノームも、そうじゃて言うとりました」


 重々しく、イマジナリー・リードは首を縦に動かしてみせた。


「さよう、通常はな。――何故、生まれた地を離れられないのか?それは妖精が、人間よりも強く、土地ごとの精霊と結びついた生き物だからだ。そのため彼らは豊富な魔力を持ち、存在するだけで、森や川の状態を豊かに保つ。一方で、精霊の加護から離れてしまうと、極端に弱る……」


「そういう種族が、新大陸に引っ越しなんてしようと思うたら――あっ!?」


 不意に、エイダンは叫ぶ。

 リードの一族に降りかかった災難。その正体が、朧気おぼろげながら見えてきたのだ。


「ひょっとして……『精霊に強く加護される』っちゅう体質を、誰かにさせた……?」


「ほう。見かけによらず察しが良い」


 イマジナリー・リードのそれは褒め言葉だったらしいが、自分はそんなに犬っぽかったり、ボンヤリしていそうな見た目だろうかと、エイダンは多少傷ついた。


 エイダンの傷心はさておき、イマジナリー・リードは語り始めた。トーラレイ及びイニシュカ――現在男爵家の管理下にある土地で、かつて何があったのかを。



   ◇



 事の起こりは、約一五〇年前。聖暦せいれき八七五年に始まった、『妖精大乱』だった。


 風と火の妖精による大規模な内乱ののち、退しりぞけられた妖精達の多くは、西方の新大陸へと逃げ延びた。

 そしてそこで、先住の人類や妖精、更には他の国々からの移民達と、またもや長年に渡る軋轢あつれきが生じる事になる。


 聖暦九二三年、現代いまから丁度百年前のこと。ついにヴェネレ連邦が成立。国家としての独立を宣言する。

 人類の先住民族と移民、妖精の先住民族と移民、四者の対等な講和と連盟によって成立した、世界初の人妖じんよう連邦国家だった。

 このニュースは、全シルヴァミスト人に驚きをもって迎えられたが、水の妖精ウンディーネ達にもまた、大きな衝撃を与えた。


 トーラレイのイフト川、イニシュカ島のラグ川。


 シルヴァミスト西端の二つの川に、細々とみついていたウンディーネ達は、妖精の新天地に憧れた。

 そして、移住計画が持ち上がったのだ。


 計画の実現にあたり、一番の問題となったのは、水の精霊の加護を強く受けているために生じる、水域への呪縛である。


 また、両川の下流域に暮らす人間や、他の生き物達への心配もあった。水の妖精の引っ越しなど、前代未聞であるから、それが水域にどんな作用を引き起こすのか、予測がつかない。

 川が干上がるのか、あふれるのか。あるいは水の魔力が急速に淀み、凶悪な魔物が生まれ出る事もあり得る。


 この辺境地域に生きる人々と妖精は、古来より不干渉の原則を守り、大きな対立もなく暮らしてきた。ウンディーネとしても、無闇に他種族を苦しめたくはない。


 悩むウンディーネ達の前に現れたのは、とある旅の魔術士だったという。

 名も告げなかったらしく、その正体は不明だが、法外な魔力と知識の持ち主だった事だけは分かっている。


 魔術士は、一つの策を提示した。


 ――ウンディーネを加護し、同時に土地へと縛りつける『精霊の力』を、部分的に人間の一族にも貸し与える。


 妖精が土地を去ったとしても、加護を分け与えられた人間の一族がそこに残る限り、水域に大きな異変は起きないだろう。今後はその一族が、半ば『水の妖精』となって、土地をまもるのだ。


 その策に、ウンディーネ達は乗った。魔術士が選び出した、とある人間の若者も、彼らの提案に同意した。


 人間と取引し、呪縛から解き放たれたウンディーネ達は、故郷から離れても、極端に渇き飢えはしなくなった。が、それでもなお、一時的な魔力の弱まりは避けられない。遥かな西の大陸まで航海するのが、困難と思えるくらいには。

 しかし、それを解決する魔道具マジックアイテムの作り方をも、魔術士は教えてくれた。


 魔術士の指導のもと、ウンディーネ達が完成させたのは、水の魔力をもっり上げ、故郷の川の水で内部を満たした、ガラス球の船である。

 彼らは己に魔術をかけ、船の中に自らを封印した。この魔道具マジックアイテムで身を守りつつ、大海に漕ぎ出したのだった。


 やがて憧れの新大陸、ヴェネレ連邦に漂着した妖精達は、そこで新たなとなる大河を見つけ、新たな精霊の加護を得た。そして、移民妖精として暮らし始めたのだという。

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