第37話 春時雨と怪異日和 ③
――
エイダンにとっては、初めて聞く言葉だった。
貴族社会では一般的な
要は、アルフォンス・リードの造語と思われる。
とはいえ、意味するところは大体推測出来た。
アンデッドとは、物や土地に染みついた死者の『思念』が、魔力の淀みなどによって
では、思念の
その成果が彼――遺言用思念体、『イマジナリー・リード』なのだろう。
見た目は煙で出来た彫刻のようだが、人格や理性を保持した、人造アンデッド。相当に高度な魔術だ。
つい先程、彼の入っていたガラス球を床に放り出した事を思い出し、エイダンは今になって冷や汗を掻いた。もし壊していたら、とてもではないが弁償出来そうにない。また大借金を抱えるところだった。
「おっ……オバケ!」
ここで、驚きによる硬直から立ち直ったサラが、興奮した様子で叫んだ。
「オバケじゃあ! すごい、本物見ちゃった! キャァ、みんなに教えんと!」
自分の頬を手挟み、今にも村中の子供達に触れ回りかねない勢いで、ぴょんぴょんと跳ねる。
最早、当初の恐怖心はどこかに吹っ飛んでしまったらしい。これも幼少期特有の適応能力の発露、とでも言えるだろうか。
「魔物でもなければオバケでもない! そう言うておるだろうが!」
イマジナリー・リードが、サラを叱りつける。
「ちょい待った、サラ」
エイダンも彼女を引き止めつつ、尻餅をついたままのキアランを助け起こした。
「雨の中飛び出してったら、せっかく取りに来たノートが濡れてまうよ」
「あーっ、そうだ。宿題あるんじゃった」
「いんや――もう――宿題どころじゃないじゃろ! どっ、どうするん! この人!」
「この人とは何だ! 失敬な平民共だな!」
喚くキアランにリードが言い返し、それから彼は、周囲を軽く見回した。
「この場所には覚えがある。リード家の静養地の、書庫であろう。お前達は……掃除夫か何かか? 早く我輩を、本邸に案内したまえ。我が使命は、リード家の者の前で果たさねば」
「ホンテイって? ここ、学校じゃけど」
きょとんとして、サラが答える。
「学校……? どこの学校だ」
「イニシュカ小学校」
「何だそれは? いつの間にそんなものが? すると、ここは
一度にいくつも質問が降ってきて、サラが困った顔をするので、代わってエイダンが、軽く挙手をして発言した。
「あのう、はい、ここは麓のイニシュカ村です。確かにこの建物は以前、男爵家の別荘の書庫だったんじゃけど、大分前に移築されました」
「移築!?」
リードは混乱した様子で、窓へと近づいた。
雨に煙る景色の中、学校の校舎が、小洒落た外観を誇っている。リードの目が、大きく見開かれた。
「待て、待て!」
額を押さえ、誰にともなく手を振るイマジナリー・リードである。
「そうだ、思い出してきた……我が『本体』であるアルフォンスは、今際の際にありながら、結局彼女にさえ我輩の使命を明かせず、あの箱に仕舞い込んだのだ……我輩はそれきり、長い眠りに就いてしまった! おお精霊王よ、我が
アンデッドが光の精霊王に祈る様を、エイダンは初めて目撃した。
「そこの平民! 今は何年だ?
イマジナリー・リードが、エイダンを指差して質問する。
「ええっと、今は聖暦一〇二三年です。……一〇〇七年から、十六年経っとります」
聖暦一〇〇七年といえば、アルフォンス・リードの没年ではないだろうか、とエイダンは、回答しつつも思い出した。エイダンが二歳くらいの頃に、葬儀が営まれたと聞いている。
「十六年! 十六年だと! となると『本体』は、アルフォンスはもう……」
「お気の毒ですけど……」
何とも、言葉を続け
アルフォンスを『本体』と呼ぶからには、イマジナリー・リードの外見や人格は、彼をある程度模していると考えられる。『分身』に向かって、『本体』の死を告げる際、一体何と声をかけるのが適切なのか。
「いや……分かっている。アルフォンスの死は、想定通りだ。我輩は、彼の死後の役割を果たすために作られたのだからな。しかし、この様子では誰一人、我輩の存在を知らぬようだ。どうしたものか……」
しばらくぶつぶつと呟きつつ、宙を
「何はともあれ、掃除夫達よ。まずはそこのガラス球を、真水で洗ってくれんか。先程浴びせたのは、海水だな? べたついてきおったぞ」
キアランの持っていたバケツには、生きたタコが入っていたのだから、当然水は海水だっただろう。
エイダンは辺りを見回した。びしょ濡れの床の上で、タコが伸びている。
「掃除夫じゃなぁけど……床も掃除せんとじゃな、これ。仕事、間に合うじゃろうか」
◇
一先ず、エイダンは学校の校舎に走った。
子供用の雨避け
恐らく、『オバケの正体』は明日には学校中に知れ渡り、彼女は数日間ヒーローとなるだろう。
エイダンとキアランは、海水まみれの床を軽く掃除していた。イマジナリー・リードの要望により、彼の入っていたガラス球も洗った。
リードは、ガラス球から大きく離れられないらしい。焚火の上に立ち昇る煙のように、常にガラス球の真上に、半透明の姿で揺らめいている。
「雨漏りの事も、学校に教えとかなぁじゃな」
エイダンが、ぽつりとぼやいた。
「おう。移築されたんは最近でも、建物自体は古いけん……この先、
「ほんまに。こういう時マクギネス先生がおりゃあ、相談もしやすかったんじゃが」
「マクギネス?」
天井近くを漂っていたリードが、エイダンの発した名前に反応し、鋭くこちらを見下ろす。
「それは、ソフィア・マクギネスの事かね? アルフォンス・リードの、忠実な侍女にして司書!」
煙状の男に迫られて、後退りながらも、エイダンは頷いた。
「そ、そうです。マクギネス先生は、俺らが通っとった頃の、学校の校長先生で」
「そうか、彼女は村に残っておったか! ならば、話は早い。我輩の存在は知らずとも、ソフィアはアルフォンスの事を、よく理解しておる。すぐに彼女を呼んでくれ」
その言葉に、エイダンはキアランと顔を見合わせ、苦いものでも噛んだように、揃って視線を
◇
アルフォンス・リードの、忠実なる侍女にして、『男爵文庫』の司書だった人物。
イニシュカ島への初等教育普及と、『男爵文庫』の移築に尽力し、初代イニシュカ小学校校長に就任した女性、ソフィア・マクギネス。
彼女は六年前から、イニシュカ村の共同墓地に眠っていた。
正式な墓とは別に、小学校の校門の横には、彼女を
『知識は貴方に無限の自由を与える』――石碑には、生前の彼女の言葉が刻まれていた。
石碑の前まで案内されたリードは、しばしその場で、愕然と立ち尽くした。
石に刻まれた名前を、煙状の指先でなぞる。
「そんな……我輩の知る限り、彼女はまだ若かったはずだぞ!」
「亡くなった時、三十代じゃったよ」
雨に濡れながら、エイダンは沈んだ声で応じる。
「ああ。急病じゃったって。あん時も大雨で……治癒術士のタウンゼンド先生は、川向こうの牧場に往診行っとってな。増水が酷くて、こっちに戻れんかった……」
キアランが話を引き継いだ。
その日の事は、エイダンもはっきりと覚えている。
エイダンは十二歳で、小学校卒業を間近に控えていた。日直の雑務を済ませ、教室の外に出たところで、廊下の隅に、ソフィア・マクギネスが倒れているのを見つけた。
エイダンは意識のない彼女に取り縋り、泣きながら、大声で他の大人を呼んだ。
その時の彼に出来る事は、他に何もなかった。
ラグ川を泳いででもタウンゼンドの所に行く、と大雨の降る中を飛び出そうとして、取り押さえられた記憶がある。
幼少の頃から魔術に憧れていたエイダンではあるが、何が何でも治癒術士になって、島に帰って来るのだと決意し、猛勉強を始めたのは、あの事件以来だった。
「イマジナリー・リードさん――」
エイダンはガラス球を両手で抱えたまま、リードに語りかけた。
「マクギネス先生に伝えたい事があるなら……先生が何か、やり遺した事があるんなら、俺が代わりにやり遂げます。何でも言うて下さい」
リードはエイダンを見つめ返す。今は空中に浮遊せず、石碑の前に立っているので、その両目はエイダンと、ほぼ同じ高さにあった。
やがてリードは、思いのほか柔らかな笑顔を見せた。
「ソフィアが、村の教師になっておったとはな。うむ、彼女に相応しい仕事だ。あれは自分の成すべき事を、全て果たす者だった……。何もやり遺しはない」
雨粒の中で揺らぐ半透明の右手が、差し出される。
「しかしながら、我輩には大事な使命が残っておる。ぜひとも、ソフィアの教え子にこそ協力を頼みたい。君の名前は?」
その手はすり抜けてしまい、上手く触れられなかったが、エイダンは彼と握手を交わした。
「エイダン・フォーリー。イニシュカの治癒術士です」
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