第56話 大列車騒動 ⑤

 列車の運転は、エドワーズが『世界一の腕前』を自称するので――そもそも、旅客用浄気機関車の運転経験がある者など、世界にまだ数人しかいない――マディとホウゲツは、運転術士の治療に専念する事にした。


「攻撃の現場を見た上で推測するに、魔道剣に近い呪術ではないかと思う。武器に魔力を込めて撃ち出すタイプだ。ごく小型の、針かダーツのような武器だった」

「ふむ、アシハラにも似た系統の術がござる。……しかもこの呪い、身体に撃ち込まれた後、より深くに潜り込む性質があるのかもしれぬ。厄介な」


 患者の制服を、慎重に脱がせにかかっていたホウゲツが、眉根を寄せる。

 カリドゥスが『煉獄楔パガトリアル・ウェッジ』と呼んでいた呪術の楔は、運転術士の左の肩口に穿たれたように見えた。

 確かに彼の肩には、射抜かれたような深い傷がある。だが、肝心の楔らしい物が見当たらない。


「こういう時こそ、それがしの出番でござるな」


 ホウゲツが、腰に提げた筒から筆を取り出す。


「心強いが、大丈夫なのか? あれだけ高度な術だ。連続して何度も使えば、相当魔力を消耗するのでは……」

「あー……ぶっ倒れたら、その辺に転がしておいて下され。よくある事でござる」

「……大丈夫じゃないんじゃないか」


 どうやら、今までにぶっ倒れた経験があるらしい。魔力の消耗のためか、もしくは過集中のためか。

 しかし、今はホウゲツを頼る以外に、良い方法が思い浮かばない。彼の魔力と体力がもってくれる事を、祈るのみだ。


「ではいざ!」


 一つ気合を入れて、ホウゲツは紙に筆を走らせ始めた。

 さっと薄墨が置かれ、ほとんど一筆で胴体が形づくられる。手脚や頭は無事と見て、省略するつもりらしい。人間の肩から胸部の断面が、浮き上がるかのように正確に描かれていく。


「運転術士殿、肩凝りが酷いのではござらんか。ここらの血の巡りが悪い」

「今それはいいから」


 運転術士は、意識を朦朧とさせている。肩凝りどころではない。


「ふむ……」


 ぴたりと、ある一点でホウゲツの手が止まった。額には汗が浮いている。


「ここか!」


 胸部にある、大きな一対の臓器の上部。彼はそこを指し示した。


「この、肺の腑に……にじり寄るように、現在も異物が近づいてござるな。『火』の呪いが、肺腑で威力を発揮しようものなら……」

「それは……あのカリドゥスとかいう奴の言ったとおり、とてつもない苦痛を引き起こしそうだ」

「異物は、温度を上げつつあると見える! 早く取り除かねば」


 マディはすぐさま弓を構えようとして、しかしそれを一旦、置いた。


「この位置では、異物を吐き出させるという訳にはいかないな。皮膚を傷つけて取り出すしか……」

「これ、どうでしょう?」


 ジゴドラが、大男の持っていた短剣を拾い上げる。


「ちょっとお待ちを、シャッシャ」


 と彼は言うなり、短剣に向けて、火球を吐き出した。

 今度は長めに炎が維持され、短剣の刃があぶられる。


「シャッシャ、これで消毒済み。僕らの吐く火炎は、呪術じゃなくてただの火だから、生命力不活性化の毒性は付きませんよ」

「ありがとう、ジゴドラ」


 マディは短剣を受け取り、ホウゲツが掲げた内臓の絵をまじまじと観察した上で、「ここだな……?」と、運転術士の胸元に刃先を当てる。


 内臓や大きな血管を傷つけたら、大変な事になる位置だ。

 呪文の詠唱を開始しつつ、限界まで集中力を高め、迷いなく刃を食い込ませる。

 運転術士が痛みに身じろいだ。

 すかさずマディは、短剣を弓に持ち替え、魔術を完成させる。


「……『泥濘より出づる蓮よロータス・イン・ザ・マッド』」


 皆の見守る中、小指程の大きさの黒いくさびが、胸の傷からころりと転がり出た。既に熱を帯びているようだ。


「出てきた! すぐ止血を」

「シャッシャ、これどうぞ」


 ジゴドラがハンカチとネッククロスを、躊躇なく引き裂いて渡してきた。


「高価そうだが、良かったのか?」

「真のファッショニスタってのは、こういう時に役立ってこそです。シャッシャ」

「……君は実に“伊達男ボウ”だな」


 自称するだけの事はある。

 マディは遠慮なく、ハンカチを胸の傷口に当て、ネッククロスで肩の傷を保護した。


「『毒矯みハウツィニア』!」


 念のため、軽い消毒と解熱の魔術をかけてから、マディはようやく、大きく肩で息をついた。


「出来る処置は……終わった」

「お……お見事でござった。マディ殿、ジゴドラ殿」


 消耗が激しかったのか、絵を描き上げてからは見守る側に徹していたホウゲツも、ほっとした様子で額の汗を拭う。


「彼は大丈夫か?」


 運転を続けながら、エドワーズがこちらを振り返った。


「ああ。まだ油断は出来ないが」

「感謝する! もうじきハットベルスに着くぞ。そうしたら、すぐに治療院へ運ぼう」


 窓の外に目を向けると、既に渓谷を越えていた。線路に並行するように、ハットベルスに至る、なだらかな街道が伸びているのが見える。

 

「今度こそ、一件落着だ」


 マディはそう呟いて、どさりと床に腰を下ろす。ジゴドラが「シャッシャ!」と笑い、ホウゲツが、汗と絵の具で汚れた眼鏡を外して拭ってから、「あはははは」と、ようやく普通の笑い声を上げた。



   ◇



 ハットベルス駅に到着した浄気機関車から、運転術士と助士、車掌らは、速やかに運び出され、治療院へと移送された。

 捕縛した列車強盗の片割れは、改めて正規軍に身柄を拘束されている。


「運転術士の容態は、安定してるそうだ」


 怪我人達の入院手続きを終えて、治療院から出てきたエドワーズは、マディ達にそう告げた。


「おお、それは良かったでござるな」

「ああ。不幸中の幸いという奴だよ、君達が居合わせてくれて……聞けば、色々偶然が重なって、あの列車に乗ってたんだって?」


 マディとホウゲツは、揃って首肯する。


「そうなんだ。実は、切符も何も持っていない。事後報告になるが」


 と、マディが切り出すと、エドワーズは片眉を跳ね上げ、呆れ顔になった。


「何を案じているんだ? こちらから謝礼を出さなきゃなって時に」

「しっ、しからば……無賃乗車の件は不問にござるか!」

「当たり前だよ」

「マディ殿! ギロチンも処刑人も回避にござる!」

「……ギロチン……?」


 エドワーズが、ますます怪訝な表情になる。ややこしくなる前に、マディは話題を変えた。


「貴方がいなければ、我々も危ないところだった。謝礼だの何だのは、気にしないでくれ」

「そうかい?」


 と、エドワーズは何故か落胆した風に、両手を腰に当てる。


「せっかくだから、君達の目的地……トーラレイまで、僕の浄気自動車で送ろうかと思ったのに。この街の支社に、試作機が置いてあるんだ」


 浄気自動車は、浄気機関車に先駆けて開発が進められていた、『馬もレールも要らない車』と言われる乗り物である。

 ただ、フェザレイン鉄道会社が改良する以前の浄気機関は、呪術の毒性が強く残ってしまっていたり、短時間で壊れたりと、不完全な部分が多かった。実用化と普及は、当分先になるだろうと見做されていたのだ。

 新型浄気機関の成功を受けて、自動車もまた、今後目覚ましく発展する事になるかもしれない。


「浄気――自動車! 試作機! 心躍る響きでござるな、フッヒヒヒ!」


 琴線に触れるところがあったのか、ホウゲツが意欲的に不気味な反応を見せた。


「僕も、新しい魔道具マジックアイテムって好きなんですよ、シャッシャ。興味湧きますね」

「おっ、分かるクチかね、サラマンダーくん」


「待て待て」


 盛り上がりかける男性陣を、マディは焦って制止した。


「好意は嬉しいし、興味深い。が――トーラレイは、ここから馬を使っても三日はかかる場所だぞ。そんなに長時間、走行出来るのか? 浄気自動車は」

「……補給を挟みつつ、百キンケイドルくらいの走行実験に成功した事ならあるぞ。実験が終わった直後に、火属性の魔力が暴走して爆発したが。ああ、運転してたのは僕自身だったし、死者は出てない」

「そんな物に乗せないでくれ」


 要するにエドワーズは、謝礼にかこつけて、浄気機関の乗り物を自分で運転したいだけではないか、とマディは疑いを抱く。


「ワナ・ル、トーラレイまでまだ大分かかるってさ。おやつ買っとこうぜ」


 アイザスィースが、ワナ・ルの潜っているガラス球を持ち上げて提案した。

 ガラス球から顔を出したワナ・ルは、物思う顔つきで頬杖をつく。


「はぁ……あたしさ、ちょっと海藻の味が、忘れられないんだよねぇ……。ねぇ、食べても安全な『わかめ』、どこかこの辺に売ってないかなぁ?」

「東洋産の海藻など、フェザレインの港以外ではそうそう――というか、君は少しは懲りろ!」


 つい数時間前まで、海藻のせいで死にそうになっていたウンディーネに指を突きつけ、ほとんど叫ぶようにマディは言った。


 トーラレイの街は遠い。これはなかなか、大変な珍道中になりそうだと、マディは胸中でぼやくのだった。

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