顔をしかめ目を瞑った。そして目を開けたとき、それを彼女は心から後悔した。

「……、え?」

 一辺一五メートルほどの正方形、コンクリートでできた部屋で、その中心に大きな円柱状の窪みがある。こんな場所は見覚えがない。しかし窪みの中からは、幾度となく嗅いできた、陰鬱な腐臭が止めどなく溢れ出ていた。

 自分だった。窪みの深さはわからないが、その中に、自分の体が山のように積み重なっていた。手を伸ばせば簡単に届くほど近くまで。どれも損壊が著しく、ほとんどはどこか欠けているか、めちゃくちゃで、ひと目では誰かわからなかった。

 夢というのはわかっている。しかし、眼前の惨鼻はあまりにも克明で、生々しく、堪え難いものだった。

「ん……、っげぇ!」

 反吐をぶちまけた。石のように冷たい自分たちにささやかなぬくもりを与えた後、暗赤に呑まれていく。

 自分であったが、自分でないような気がしてならない。文字通り、明日は我が身とか、そんな感情はなく、ただ気持ち悪い、突き放すような気分ばかりが頭の中を占めていた。

 誰か来る。部屋の隅にある鉄でできた両開きの扉、その奥から、濡れた革靴の音が近づいてくる。

 木を隠すなら森に、死体に紛れて死んだふり、である。このシンプルな部屋で身を隠すなど不可能に近い。その場に伏せ、死体を演じることにした。

 蝶番の錆びた扉を蹴り破ったのは、バラバラになった“ゴミ”を抱えたあの糞ったれだった。

 身体が死体のように冷たくなっていくのがわかった。ここからの退路がわからない以上、あいつの凶行につき合うほかないのだ。

 山に新しく捨てられた”ゴミ”の中には、まだわずかに息があるものもあるようだった。しかしそれも少しの間で、そのまま動くこともなく目先の運命を受け入れていた。ゴミを投げ捨てた後、男はこちらの存在に気づき迫ってきた。しかし生きているとは知らないようで、ただひとつ窪みに入っていない死体があると思っているらしい。面倒臭そうに片足で蹴り落とした。裸でコンクリートの上を滑り落ちたせいで左半身を襲った激痛に一瞬身体を強張らせた直後、大量の“自分”の抱擁を一身に受けた。

 扉を開けっぱなしにしたまま男が出ていったのを耳で確認し這い上がる。

「もう、最悪……」

 また全身血まみれ、腐臭まみれである。確かあの糞ったれは生前も死体の片付けを面倒がってよく腐らせていた。それを部屋の隅に追いやってできるだけ離れたところで生活していたのを思い出す。我慢ならなくなると仲間をIP電話で呼び出し捨てに行かせていた。

 血でできた男の足跡が扉の奥の廊下へ続いている。廊下からまたいくつかの部屋がのびていて、続きはその一つへ向かっていた。そこが男の部屋だろうか?

 適当な部屋に入る。そこは暗い和室だった。見覚え、いやここはよく知っている。母親と住んでいたアパートの寝室だ。

 廊下からくる空気は息が凍るほど冷たい。押入れの上段に積まれている母親の掛け布団にもぐり込んだ。

 母親は零花のことを忌み嫌っていた。小さい頃はどんな仕打ちを受けてもその母親のことを愛していたし、一度でも笑ってくれるなら何だってできた。小学校の終わり頃になると、だんだんまわりが見えてきて、時がたつに連れ今までの愛が一方的なものだったと気づき始め、それまでの自分を軽蔑さえした。それからは母親を親とは思わなくなった。

 そんな奴の布団で今こうして体を休めていると思うとはらわたが煮えくり返るようだが、他へ移ろうにも、この家で自分の布団をもらったことがなかったのだ。いつも押入れの下段で、半分に畳んだ化学繊維の毛布にすっぽり入って眠っていた。ここの廊下のように寒い日には一睡もできないこともあった。本当は夜行性なのだろうが、人間らしい生活に慣れているせいで、眠れないともうくたくたである。

「……でも、ないよりマシかな」

 布団から出て下段にある毛布を被った。長い裾を引きずりながら廊下を歩き、隣の部屋を覗き込んだ。

 違うアパートの居間だった。母親の帰らない日が続いたときによく、家を追い出された友達なんかと寝泊まりした家だ。ここの家主もほとんど家を空けていて、自分と年の近い息子が勝手に友達を出入りさせているようだった。

 あの日々が一番幸せだったかもしれない。みんながそれぞれのすべてを受け入れていたし、誰にも咎められることはなかった。たまに隣の住人が心配、あるいは怒って様子を見に来ることはあったが、自分たちは独立できた気でいた。同い年の男の子がいて、何かあればその子に泣きつくことだってできた。結局、家主の筆一本で部屋の契約は切られてしまうのだが。

 久々に帰った家には、何もなかった。書き置きも、一言の別れもなく。 自分の持ち物は大家のおばさんがまとめておいてくれていた。しかし血をすする怪物などに関わりたくはないようで、言ってしまえばそれだけで、行くあても示してはくれなかった。

 きっと隣の部屋は、その後連れてこられた家が入っているのだろう。そこは今から二つ前に住んでいたところとなる。

「ああ、来てくれたんだ。入って」

 若い男が二人、扉を開け中へ入るよう促した。ここはこのうちの一人の家で、いつもいるのは二人だったり三人だったりした。ここは男一人の家と、謂わば……「ヤリ部屋」を兼ねていた。

「今日は何する?“薬”もいろいろあるよ」

「えっと、今日はしない。ていうか、もうしないよ。みんな、死んだ後もお盛んなのね」

 お盛んであることを除けばいい人たちだった。大人にしては珍しく吸血を非難しなかったし、学校の宿題も手伝ってくれた。むしろ吸血には興味があったようで、血には困らなかった。

「ここから出たいんだけど、どうすればいいの?」

「出たいのに中に入ってきてどうするんだ?回れ右で出られるよ」

「ごめん、冗談につき合えるほど余裕はないの」

「んー、俺もわからない。出口がないんだよ……出られたとしてそこはただの屋外だろ?夢から出られるわけじゃ――」

 言葉が途切れそのまま男は卒倒した。その後ろに、手斧の刃を血で染めた”あいつ”が力ない笑みを浮かべて立っていた。

「わっ!?」

「お前と会ったときもこいつをこうやって殺したよなあ!覚えてるか!?」

“オリジナル”を見つけ興奮したのだろうか、生前に聞いたこともない大きな声で叫んでいた。

 逃げようにも、ここは大きな密室である。それでも逃げた。廊下を全力で走り抜けた先にあった適当な部屋へ逃げ込む。

 そこは小学校の体育倉庫だった。隠れんぼするにはあまりに狭い。

「いい加減にし「死んだか、食え。肉ができ「お前は死ねないもんな「逃げないでくれ、寂し――」

 同時に話している……いや彼の思考や記憶(正しくは零花の記憶にある言葉、か)が外に漏れているのだろう。

 ボール籠の影で毛布に隠れた。すぐそこで男が者を漁る音がする。

「なあ出てきてくれよ。お前だけが心のたよりなんだよ……」

 声が震えている。おどけているだけなのか、まさか本当に寂しがっているのか……

 隣のボール籠をいじったあとで男は引き返していった。しかし諦めたわけだはないだろう。

 倉庫の中は、自分の焦燥とは裏腹に静まり返っていた。動く存在の気配が消えてしばらく経ったのち、恐る恐る廊下へ足を伸ばしたその時だった。

「捕まえた!」

 脇腹を掴み軽々と持ち上げられてしまった。廊下でじっと待ち伏せされていたのだ。

「帰ってきた……よかった……俺のものだ……」

 足をばたつかせて目いっぱい暴れるが床に投げ捨てられ両手で首を締めつけられた。どうにも解けそうにない。

「暴れんなって……部屋に戻ったら存分に鳴かせてやるから……」

「……、……!」

 その後も何か、独り言のようなものを呟いているのが見えたが、その狂言が意識の薄れた頭に届くことはなかった。


 遅い。あの子がのぼせるほどの長風呂であることは知っているが、今は湯を張っていない。確かに血を洗い流すのは時間がかかるにしても、風呂場から物音一つ漏れてこないのは不自然である隣の洗面所から声をかけようかと思ったがそうするまでもなかった。半透明の扉から見る限り、床に倒れ少しも動いている様子はない。

「あー、これは……」

 扉を開け見る。真っ赤なタオルを半分握り、戦隊の途中で気を失っているようだ。息の乱れもない。気絶への対処の基本は「そっとしておく」である。さっさと洗って引き揚げてしまおう。

 凄い違和感を感じる。自身の血を浴びておいて、身体には傷一つ残っていない。無数の鉛に八つ裂きにされた胴はすでに何事もなかったように美しくもかわいらしい曲線を取り戻し機能していた。

 それと痩せすぎていない。というのも、彼女は久と出会うまで食料(飲料?)にありつけていなかったはずである。確かに痩せてはいるが、未だ肉体は健康的というか。

 いや待て、出会ってまず欲したのは何だ?どうして久を襲った?無論血液、そのためである。物さえ選ばなければ魚でもカエルでも食べられるが血液は?人の血液など人体にしかない。食べ物と血液を体内で利用するプロセスはそれぞれ異なるようだから、血液から摂る養分を他のものでは代用できないのかもしれない。

 洗い終わってバスタオルで拭いているときに気がついたが、かなりの汗をかいている。ベタついた嫌な汗で、風を引いて悪夢でも見ているときのような状態である。それと腰から首の下にかけて広く擦り傷が残っている。残っている……?いや銃創の塞がった腹部にまでついているから、その後にできた傷ということになる。さらに言えば、血を洗ったときは傷なんてどこにも見当たらなかった。

 出血は多くないが痛々しい。居間に運び、とりあえず二枚のバスタオルに挟んで寝かせておくことにした。


「!!……、っは、は……」

 居間に寝かされていた零花が飛び起きた。

「おい、大丈夫か?」

 現実では風呂場であのまま眠っていたらしい。

「……大丈夫じゃない」

 寝間着を着たところで久が胡座(あぐら)の上に座らせた。

「夢を見たの。ひどい夢……夢っていう世界があるみたいな、リアルな夢だった。夕べも見せられて……もう怖くて寝れない。それどころか、気づいたら夢にいる」

 久はしばらく考えていた。これが川端の言っていた夢だろうが、どうすべきかわからない。中島に従うなら忘れさせる、川端なら夢と現を切り離す。

 しかし……トラウマとは性質の違うものが混ざっているように思えてならない。“悪夢を見た”で済むものではなく現在の脅威としても感じさせられる。いや、記憶をもとに夢が作られるのだから、トラウマなのか?両方だろう。

「……心配すんな。また見たら俺が行ってやる」

「もう、真面目にやって」

「やってるさ。記憶が夢に出るとしたら、思い詰めるほど悪くなる。茶化すのもひとつの手だろ?」

 零花はむっとして、よくわかっていないようだったが、これは真であろう。答えに窮した末ついて出た言葉に少しばかり助けられた。

「市場で死んだやつが言ってた人……あいつが略奪に来て、その時の家主を殺したあと、私を“戦利品”として連れ帰ったの。あいつの嗜虐趣味につき合わされてて……その時のことがずっと追いかけてくる。……、傷が治るのも、いいことばかりじゃない。死ねないんだもの」

「……そんなこと言うな。もう過ぎたことだし、そいつはもういないんだろ?」

 零花を抱く腕が震えている。年端もいかない子の死への渇望など受け入れられなかった。

「忘れるなんてできない。まだ……夢に生きてるのに」

 声は弱々しく、目蓋に深く涙を溜めていた。死してなお脅威となるあの男を相手にどうすることもできず、どん詰まりだった。

「……ん?」

 家がきしんでいる。地震かと思ったが、揺れてはいない。しかしもっと酷いことが起きていた。傾いているのだ。それも止まることはなく、とうとう家具まで縁側の方へ動き始めた。

「零花、こっち!」

 床になりつつある壁へ誘導するが、その壁も滑ってきたタンスに破られてしまう。二人バラバラに家の外へ投げ出された。

「……おい、嘘だろ」

 地面と呼ばれたものはなかった。地面もバラバラに割れ、他のものと一緒にどこかへ落ちている。まるで高い空からフィールドごと落下しているように見えた。引力の先には何もなく、ただ橙色の空が広がるばかり。

「!?」

 地面のかけら(というには大きすぎる)に激突する寸前で全てのものの落下が緩やかに減速していき、その地面に手が届くところで久は静止した。地面に触れると久の身体はその地面に落ちた。地球に比べて米粒ほどもない“かけら”のはずなのに、地球と変わらない引力で久を引っ張っている。

「ってぇ……どうなってんだ……?」

 伸び放題の芝が広がっている。その先に、軍艦島にでもありそうな、黒く汚れた鉄筋コンクリートの建物が見えた。

 頭上には、ここと同じような地面のかけらが浮いている。それぞれが独自の引力を持っているようで、接触した瓦礫(がれき)なんかを把持していた。

 建物にある赤い両開きの鉄扉を開けると、中は薄暗く、外からは想像できないくらいに清潔なフローリングの床がただ一本のびていた。

 その一番奥に木製の扉が一枚。しかし開かない。錠もないのに鍵がかかっているようだった。

「来客か?珍しいな」

振り向くと、斧を振りかぶった細身の男が立っていて、防ぐ間もなく頭に斧の背を受けた。


「……クソッ、……」

 意識は戻ったが頭はズキズキと痛む。起き上がるとそこは小さなタイル張りの部屋だった。久ともう一人、頭から爪先まで血に塗れパイプ椅子に縛りつけられた者がいた。

「おい、あんた、大丈夫か……零花!?」

 あまりの変わりように気づかなかったが、たしかに彼女だった。うなだれ、視線のない目を開き、懸命に呼吸している。いくら呼ぼうと反応はない。

 あの細身の男がにやけながら入ってきた。

「大丈夫、死んじゃいない。まあ死にかけだけど」

「れっ、零花に何をしたんだ」

「彼女が勝手に死にかけてるのさ。俺はこれから何をするか直接問いかけただけ、それを聞いて絶望した。それだけなんだよ。この世界じゃ、肉体なんていくらでも換えがきく……でも精神はそうじゃない。望みを失い精神が弱ったとき、存在そのものが崩れ始めるんだ。だからこれはこの子が俺の言葉を聞いて勝手に死にかけているに過ぎない」

 後ろから男に掴まれた零花の頬骨が豆腐のように形を崩した。それでも彼女の反応はない。

「もちろん俺は記憶の一部でしかないから、記憶の保持者たるこの子に死なれちゃ困る。俺も消滅しちまうんだ」

「やめろ、零花に触るな!いい加減にしろ!」

 零花から手を離した男の顔を正面から思い切り殴りつける。よろめいたところで首を右に捻り殺した。殺した……?いや男の話が本当なら死んではいないのだろうが、動く気配は感じられない。

「……零花、言ったろ?夢に見たら俺が行くって……なあ」

 こんな状態でも小さな胸は上下している。外界からの刺激を受け付けない彼女にどう望みを与える?

「待ってろ、必ず助ける」

 この世界の状況を把握しないことには手も足も出ない。零花を置いて部屋の外へ出るが、広い無機質なコンクリートの廊下がのびるばかりで、壁にあるすべての扉はそれぞれの部屋につながっていた。

 突き当たりにある両開きの鉄扉はびくともせず、小窓から見えるのは外ではなかった。そこも殺風景なコンクリートの部屋のようで、中心に大きな窪みがある。部屋からくる凄まじい悪臭から、それが何なのかはだいたい想像できた。

「ったく、なんてところに閉じ込められたんだ……」

 他のどの扉もほとんど閉ざされていた。開いた扉の先にある部屋は、廊下の雰囲気とは全く違う、「どこかの家の一室」といった感じの空間だった。人はおらず、ただの生活感だけが漂っている。

「うあああああ!やめろ!」

 さっきの男の声だ。零花のいる部屋から聞こえる。ちょうどその部屋から、真っ赤な太い蔦(つた)のようなものが際限なく溢れてきていた。男はその蔦に締め上げられ、久が姿を見たときにはもう出すのは声でなく音となっていた。あの部屋からとなると、男だけでなく零花も無事ではないだろう。しかし近寄る間もなく蔦は廊下の壁を覆い尽くし、建物自体を破って外へ伸びかかっている。

 逃げるほかなかった。蔦が作った壁の裂け目から外へ飛び出した。蔦はものすごい速さで成長し、コンクリートの建物を押し上げて上に伸びている。零花の安否はもはや絶望的だった。

 浮かぶ数々の地面に腕を伸ばし絡めていく。呆然と眺めているうちに、霞んで見えないところまで及んでいた。

「生越さん!」

蔦の絡んだ地面を慎重に進む人影がある。川端だった。

「おお、生きてたか!こりゃどういうことなんだ!?」

 久の前まで来ると蔦の束に腰掛けた。

「明らかに現実じゃないですね。心当たりは二つありますが……えっと、どれについて話しましょう?この蔦か、この世界か」

「全部に決まってるだろ。知ってるなら教えてくれよ」

 いきなり常識を全てひっくり返されて、どれから知りたいなんて出てくるはずもない。

「ひとつは集団幻覚、もうひとつは夢です。しかし幻覚を見せられる存在を我々も知りません……いや、いるにはいるんですが、厳重に『保護』されているために、外界の生き物に幻覚を見せることはできないはず。となると夢ですね。夢……たまにあるんです、みんなの夢が繋がって一つの世界を形成してしまうことが。それを夢の結合、『ドリームボンド』と呼んでいます」

「夢、昨日そんなことを話してたな。それか」

 深くため息をついて川端は続ける。

「まさしく。でも零花ちゃんが引き起こしたのかはわかりません。これはほぼ吸血鬼特有といえる不随意の能力ですが、この町だけでも吸血鬼は他に二人いる……あの子の父親ともう一人。感情の高昂ぶりが引き金となることが多いんですが、あの子、こうなる前の世界で何してました?」

「クソッ、ちょうど俺に泣きついてたよ。悪夢にうなされてるって」

「あちゃあ……きっとそれです。あとの二人は、良くも悪くも感情の起伏が激しい性格ではないんですよ。その悪夢が……町をひとつ飲み込んだようで。この町の住人が皆こちらへ入ってきている……となると現実も大変なことになっているでしょう」

 心底嫌そうな顔でもう一度深いため息をつく。

「どういう意味だ、大変なことって」

「町の住人が一斉に気を失っているんですよ、現実では。車を運転していた人もいるでしょうし、インフラの整備をしていた人も。死人が出てるはずです。こうなると……我々は、零花ちゃんを無力化せねばなりません」

 無力化。それが意味するところは二つ。

「ドリームボンドを引き起こす危険がなくなるまで“保護”もとい拘束する必要があります。もし手に負えない場合は……抹殺です」

「そ、それじゃあの子が報われなさすぎるだろ。親に捨てられて、イカれ野郎に乱暴されて……挙げ句殺されるのか」

「まだそうと決まったわけじゃありません。この夢から抜けたときにまた考えましょう。今は夢を抜け出さないと」

 夢から出て、どうするつもりなのか。先を知りたくない。彼女を拘束するなら夢のままでいい。

「根源たる零花ちゃんを見つけ出さないとどうにもなりません。こんな事になった経験はないのでその後どうすればいいかはわかりませんが……きっとあの子を落ち着ければ事態は収束へ向かうはずです」

 しかし零花はいない。蔦に飲み込まれ消えた。

「生越さん、あれ!」

 蔦の上方を指差した。見ると、見たことのない影をした生き物が蔦の斜面を降りこちらに向かっていた。四足歩行、頭から尻まで八メートルくらいだろうか?尾はない。毛の生えていない肌に赤く細い蔦が絡みつき食い込んでいる。人間の身体を寄せ集めて獣らしく造形されたオブジェだった。それは地面まで駆け下りて二人の前で止まり正対した。

 顔、正しくは頭部を構成する死体が表情らしい動きを見せ、二人を睨みつけた。その目もとに眼球はなく、それらしい窪みがあるだけだが。

「ひどい姿だな。……これは逃げるべきか?」

「動物は……目をそらさないで後ずさりです」

 言われたとおりじっと彼(?)を見つめながら後退する。後ろは市街地、路地に逃げ込んでしまえばあの体躯では追いかけてこられないだろう。

 その獣は口らしき穴から涎とも血液ともつかぬ液体をだらしなく垂らしながら静かに二人を見つめている。吐き出される息は生温かく、そして鼻が曲がるような臭いをまとっていた。

「お前それ、内臓が悪い感じだぞ。健診に行ったほうがいいんじゃないか?」

 こんな冗談が届くはずはない。変わらず大人しく二人を目(?)で追っている。

「よし、走れ!」

路地まで来た。久の合図で二人はそこに駆け込み、闇雲に走った。

 しかし後ろを見ると獣の姿はなく、代わりにかつて獣を形作っていた人間が、それぞれ合体しめちゃくちゃな肢体と関節を持った人型もどきになって路地をぎこちなく、しかし異様な速さで攻めてきていた。

「はぁ!?どうなってんだよ、あの悪臭害獣は!」

 川端を置き去りにして我先にと全力で走り続ける。いつの間にか路地を抜け、商店街に出ていた。すると死体たちは形を崩し液体のように通りいっぱいに広がった。それから各々が跳ねたり転がったりして距離を詰めてくる。

「あぁ!」

 川端がつまづき転倒した。しかし構っている余裕もない。死体に囲まれ必死に暴れる彼を一瞥もせず走る。

 が。

 天はこの世界を見捨てているようだ。

「ああクソ!」

 走る先は地面のかけらの端だった。

 しかし彼は知っていた。この先に落ちるところはないのだと。

「であ!!」

 渾身の脚力で崖を蹴りつけ跳躍する。下に落ちる地面はなく、また下という概念もない。浮き上がった身体は地面を離れ、ただ慣性に従って飛び続けていた。死体は後ろで呆然とその姿を眺めている。……いや、頭部だけが眺めている。

 宙に浮く瓦礫やガラクタを蹴りながら移動し、蔦に捕まった。すると蔦の引力が自分に適用され蔦に着地した。絡み合って縄のようになった蔦の手触りは、植物の茎というよりゴム製の紐のようで、ハリのあるタンパク質でできていると推測できる。一本ずつが引っ張っても千切れないくらいのを持っていた。

 縦横無尽に伸びる蔦のどこを歩いても同じバランスの引力がかかっているおかげで、蔦の上ならどこへでも行ける。これは地面のかけらそれぞれに繋がっていて、連絡通路のような使い方があるようだ。しかし実際は気味悪がって誰も使っていないが。

 あらためて地面達を見てみると、自分の他にもたくさんの人がいた。みな混乱して今の状況が把握できないでいる。久も把握はできていないが、彼らよりは落ち着いていた。

 そして人々のいる町の中に紛れて、明らかな異形が姿を見せている。石でできた暴れる巨大パイナップル、性器をやたら強調した人間とゴリラのハイブリッド、どこからか甲高く笑い続けるでんでん太鼓……何が何だか分からない。

 しかし狂気というものは感じられなかった。夢というものはその人が体験したことや考えたことが夢として現れがちで、そういう意味ではこの世界にはびこる有象無象は確かに人間の思考が作り出した、いわば人間の考えそのもののような気がしていた。

 蔦の上に寝転がる。こんな常識離れした世界でたった一人の女の子を見つけられる気がしなかった。何のアテもなくさまよい続けても何も進展はないだろう。

「……?」

 複雑に絡み合った蔦の一部が窪んでいる。その中に腐りかけの木でできた扉が埋め込まれていた。

 慎重に中を覗いてみるが、奥は暗くて見えない。壁や床、天井は蔦ではなく土でできていた。天井から木や草の根が露出している。

 冷えた土の感触が足に伝わる。裸足であることを忘れていた。家からいきなり放り出されたのだから仕方ないが、なんとなく気持ちが悪い。

 奥の暗闇から何かが歩いてきた。腰の高さほどある四足歩行の動物のようだ。久はその動物を、子供向けの動物図鑑で目にしたことがあった。名前は……獏(ばく)、だったか?

「迷い込んだのかい?……、いや。誘ったんだよ」

 しっとりとした、かつ芯のある女性の声。それは獏の口から発せられていた。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないか……ここは夢の中、何が起こっても不思議じゃないでしょう?それにもっと驚くべきことに遭ってきた」

「獏……てことは、あんたがこんなクソみたいな世界を管理してるわけか」

 夢を食うと言われる、あの獏である。鼻を不満そうに揺らしながら獏は答える。

「いいかい、私は獏じゃない。この声も偽物……私はね、夢を観察するのが好きなだけ。ちょっと普通とは違う出来事が起こっているのを見つけて、面白そうだから人間の反応を観察することにしたの。人間と話すのにちょうどいい姿だと思わない?」

「別にどんな姿で出てこられても驚くけどな。で、夢を観察してるってんなら、俺が今どうしたいか知ってるよな?見てたんだろ、ずっと」

「女の子を探しているのね……心から心配してる。目を覚ませば腕の中にいるのに、こんなにも遠い……その子を探す前にまずこの世界を理解する必要がある。ここでは物事の位置関係が脈絡を失っている。前に進めば前につくとは限らない。来た扉を戻りなさい、ちょうどいい場所をつないでおいたから」

 それ以上は何も口にしなかった。獏の言うことは回りくどいようだが、一理ある。久はありがとうとだけ言い残し扉に手をかけた。獏はもう少し生者の話を聞きたかったようで、名残惜しそうにじっと久を見つめていた。

 外は変わっていた。紅い蔦も、青い空もない。陰鬱で湿った、石積みの地下室だった。閉めると同時に扉は朽ちた。急速に腐敗し地と同化する。

 腐った水の臭いが充満するひどい部屋だ。ろくに整備もされないまま半世紀たったような感じ、といえば伝わるだろうか。しかしそんな部屋の中に、横になってうずくまる人影があった。こちらの気配に気づくなり面倒臭そうに目を開けこちらを伺う。

 若い、まだ青臭さすら感じさせる女の子だった。後ろで雑に束ねられた短い黒髪、ホットパンツに薄いTシャツ……

「……、知らない人。どうやってここに来たの」

「俺もよくわからない。……さっき会ったやつの言葉を借りると、物事の位置関係が脈絡を失っているようでね」

 訝しげにこちらの顔を覗き込む。その顔立ちは整っているが……なんというか、身なりから貞操を感じられない、というか。失礼極まりないが、そんな雰囲気を感じる。

 久の顔をなめうるように見回したあと言う。

「嘘はついてないっぽい。お腹すいてたし、ちょうどいいや」

「!!」

 脂汗が吹き出た。信じられない力で押し倒され、馬乗りで上体を押さえつけられる。首元で開かれた口からは鋭い八重歯が見えていた。

 しかし身構えた久の身体にその八重歯が刺さることはなかった。

「この傷……誰に噛まれたの。吸血鬼のこと知ってるんだ」

 首の噛み傷を指で撫でられる。

「私はあんたを知らないし、もう一人の吸血鬼は獲物を生かすような人柄じゃない。あんた、この町の人間じゃないね?」

「い、いや。俺は生まれも育ちもこの町だし、一歩も遠出したことなんかない」

 恐怖で掠れるも必死に声を絞り出す。

「じゃあ、この傷は何?最近やられたみたいだけど」

「……、わかった、言うよ。女の子だ。一三歳って言ってた。今俺が面倒見てる」

 彼女が一瞬固まった。

「……へ、へえ。やっぱりいたんだ。この町に吸血鬼は二人だけだと思ってたけど……少し前に人殺しがあって、捕食跡があるっていうからそうじゃないかとは思ってた。それで、面倒見てるって、どこにいるの」

「現実じゃ腕の中、夢じゃわからない。今探してるんだよ。……そろそろどいてくれないかな?血なら他の人を探してやるからさ」

 すごすごと退いた。ふたりとも立ち上がり、改めて正対する。

「私は糸井マイ、一九歳。ケンカなら負けないよ。変だけどこれもなにかの縁だし、一緒に行こ」

「俺は越生久、二二歳。ケンカはまあ、人並みだ。一緒に行くったって、どこに?扉もなにもない」

「ここは私が作った私のための密室だからね。とりあえず外に出よう」

 言うなり壁に大穴が空く。それは外に通じていた。その大穴をまたいで外へ出る。

 住宅街。何がなんだかわからず打ちひしがれる人、パニックを起こすものなど様々いた。マイはその中のひとりを適当に選び、いきなりハイキックで昏倒させたあと嬉しそうに首にかぶりついた。それを見た人々が蜘蛛の子を散らすようにめいめい走り逃げていく。

「……、こんな世界でどうやって一人の女の子を見つけるんだ?足で探すなんて無謀だぞ」

 しばらく喉を脈打たせ、首から口を離し答えた。

「吸血鬼ってのは、夢の中じゃ最強なのよ。だからこんな状況になると目一杯暴れるわけ。それを探せばすぐに見つかるはず」

 マイの身体が一瞬にして霧散した。その紅い霧は大空に広がり、やがてまたひとつに集約し、元の姿を形成していく。そうしてできあがったマイの表情は芳しくない。

「ざっとあたりを見回ってみたけど、それらしい騒ぎは起こってないね。有象無象が好きに暴れまわってるだけ」

「待ってくれ。今、なにをしたんだ」

「言ったでしょ?夢の中じゃ最強だって。人間で言うところの明晰夢に近いかな。ある程度自由に行動できるの。夢なら食事も必要ないはずなんだけど……夢は私達のもうひとつの世界、つまりここで生きてるから、生きるための行動は取らなきゃいけないみたいでね」

 まったく不思議な生き物である。“伝説の生き物だから”と言ってしまえばそれまでだが。

「っと、怪物のお出ましだね」

 彼女の指差した先にいたのは巨大な骨付きの肉を口で振り回す、これまた巨大な犬。胴の太さは五メートルくらいあるように思える。シェパードだろうか?

「お肉を食べる喜びが忘れられなかったのかな?動物は結構“こう”なりやすいんだけど」

 こちらを認識すると、大きな肉を放り投げ、垂れっぱなしの涎(よだれ)もそのままにその逞しい体躯を存分に駆使して犬のくせに猪突猛進してきた。

「できるだけ離れて!早く!私は大丈夫だから!」

 マイは叫ぶがそこから動こうとしない。久は腕を引っ張るが、マイはそれを振り払い、追加で久を思いっきり突き飛ばした。ついでに「バカ、逃げなさい!」とまで言われる始末。

 仕方なくその場から全力で離れる。ちらと後ろを見ると、マイはまた姿を変え、犬の頭くらいの大きさにまで腕っぷしを膨らませていて、それでもって犬の頭をぶん殴っていた。

 家々が朱に染まる。頭部を失った犬は、それでも動きを止めないでいる。失ったそばからその頭部は再生していた。

 しかしマイのほうが一枚上手だった。怯んだ一瞬の隙を狙って前足を掴み、闇雲に犬を投げ飛ばしていた。

 ひと仕事終えたマイは元の姿に戻り、固まる久に笑いかける。

「いちいち驚いてたら心臓がいくつあっても足りないよ?」

 それはそうだが、驚かずともこの世界では命がいくつあっても足りない気さえする。まあ肉体の死はありえないそうだが。

 ポケットのスマホが振動した。こんな世界でも電波網が確立されているのか、と呆れ半分に感心したが、ここは夢である。

 見知らぬアドレスからのメールだった。ただ一言「久へ」というタイトル、本文にはURL。開くと、その内容は動画だった。

 無機質な白い部屋、中心には大きな机が置かれている。

「……零花」

 その机に零花が大の字に縛りつけられていた。焦った様子でこちら、カメラを見つめている。その真上に芝刈機が吊るされていて、その横には7セグメントの電光板、表示は12.00.00となっていた。

 久が目覚めたときにいたあの男も立っている。ヘラヘラと笑いながら、男はカメラに向かって話しだした。

『よお、おまえが今の里親なんだってなあ?コイツがなにかわかるか?』

「おい、何してる!?零花を開放しろ!」

 こちらの声は届いていないようで、男はそのまま話を続ける。

『アンタが早くここに来て助けてやんねえと、零花ちゃんはこの機械に刈り取られちゃうぞ?ほら、何ボーッと突っ立ってんだ?来いよ。場所はわかんだろ』

「よせ!」

 カウントダウンが始まると同時に芝刈機が低い声で咆哮する。その音を聞いた零花が青い顔で助けを求めていた。

「クソッ!」

「……この子が、その吸血鬼?吸血鬼なら人間に捕まるなんて体たらくはしないと思うけど」

「……、違う。あの子、現実であの男にずっと虐げられてたんだよ。あの男の姿は零花自身の記憶で……勝てないものとして頭に残ってる」

 行くしかない。場所は久が目覚めたあの建物だろう。蔦による全壊は免れたらしい。

「場所はわかる。行こう」




「で、お前は健気にあいつの登場を待ち続けるわけだ」

 零花とその上で回転する刃を見つめながら男は語りかける。しかし零花は、恐怖から声が出ない。

「俺は知ってる。あいつは絶対にお前を助けることはできない。安心しろ、血でこの部屋が汚れても怒りはしないから……生前はよく怒鳴り散らしてたな、俺が少しやりすぎると小便垂らしてよ。怒鳴るどころじゃ済まさなかったか」

 近くのパイプ椅子に腰掛け、煙管に葉を詰めて火をつけた。

「煙管じゃなきゃ嫌なんだよ。葉巻とか紙巻きとか、煙を大切にできてねえ」

 男はいつも一人だった。略奪者どうしのコミュニティはあるようだったが、彼はその中でも群を抜いた残虐性を持っていたこともあり、他の者もあまり彼に近づこうとしなかった。寂しさからかこうして零花に話し続けることが生前もよくあった。話を聞かされている間だけは、度重なる暴力から逃れることができた。

「きれいな身体してんな、お前。散々ボロ布(きれ)みたいにしてやったのに」

 破れたネグリジェからのぞく柔肌をなめるように観察する。

「未練たらしいね。こんなガキ相手にさ」

 対話にしようと必死に絞り出した声。

「ガキだろうが死なねえんだ、伴侶としちゃ最高だろ」

「伴侶?ばか、漢字で書いたことないでしょ」

「死なないってことは片付けの必要がないだろ」

はぐらかした。

前述のとおり、自力で死体のひとつも片付けられないのである。飛んだ血は放置されるため床は真っ赤だったし、風呂場なんか体の血を流したつもりが今度は別の場所に赤いシミを作って出てくる有様であった。

「気丈に応答してるつもりだろうが、声が震えてるぞ?あいつはお前のことを助けに来てくれるんだろ、だったら怖がる必要なんかないじゃないか」

 嫌なことを言う。そして愉しんでいる。記憶のたった一片でしかないのに、どこまでも零花自身を追い詰めてくる。

「ま、何かあったら呼んでくれ。お前も俺となんか一緒にいたくないだろ」

 葉の燃えカスを机に撒いて部屋を出ていった。これから最悪十二時間、ひたすら芝刈機の不快な音に向き合わねばならない。気が遠くなるようだった。



「この子……いや、ありえない」

 画面越しに見える零花の顔を眺めながらマイが呟いた。

「どうした?」

「この街にいるもう一人の吸血鬼によく似てんのよ。同じ髪の色と質、顔の雰囲気まで」

「ああ、あの子の観察者……みたいなポジションの人が、あの子の親もこの街にいるって言ってた。あんたの知ってるそいつで間違いないと思う」

「観察者、ねえ……Humanoid Independence Support Organization, HISO(ハイソ)ってのが奴らの名前。怪しい機関じゃないけど、持ってくる血がマズいから、私は嫌い。いわゆるピザデブの生き血のほうが何倍もマシ……じゃなくて、ほんとにそう言ってたの?私はもちろんあいつとの間に子供なんかいないし、他に吸血鬼もいない。……まあ作る“ごっこ遊び”はいっぱいするけどね。たしかにあいつは女を捕まえたら一発ヤッてから食事といくのが通例だけど、さっき言った通り獲物を生かすようなやつじゃない」

 聞く限り、その男はとんでもないクソ野郎である。そんな奴の子があの天使ちゃんだなんて誰が想像できるだろうか。

「それが、少なくとも一人、生きて帰った人がいるんだよ。それはそれで相当苦しんだみたいだけどな……吸血鬼って、みんなこんなにも倫理観が壊滅的なのか?」

「人間からはそう見えるのか……まあそうね、人間よりは倫理とかガバガバだけど、でもあいつはその中でもちょっと頭おかしいよ。私だって他人の苦しみに興奮なんかしない。ちょーっと虐めることはあるけどね」

 右手で豆をつまむような動作を添えて答えた。彼女の言うちょっとがどの程度なのかはわからないが。

 十二時間。歩きで行けなくはない距離にあるにもかかわらずこの時間を設定したことには何か意図があるのだろうか。奴のことは何も知らないが、第一印象は最悪だ。どんな手を使ってくるかわからない。素直に彼女のもとへ向かっていいのだろうかと勘ぐってしまうが、向かう以外に選択肢などない。

「今すぐ向かわなくたって時間はたくさんあるんだし、もう少しのんびりしたら?せっかく人間が夢の世界に入ってこられたんだしさ。何ならサービスするよ?」

 絡みつくような視線を久に飛ばす。

「馬鹿野郎、青臭いガキの“サービス”なんか受けるかよ。それに、何時間もあんな場所に閉じ込めておくのか?」

「青臭いったって、歳も三つしか離れてないでしょ?つれないのね」

 とんだおませさんである。母数が少ないので言い切れはしないが、どうしてこう、吸血鬼というのは変人しかいないのだろうか……もしかしたら自分の価値観が周りと違うのかもしれないとすら思えてくる。

 変なことを言ってこちらの反応を楽しんでいるようだ。完全に遊ばれている。

「しっかし、あいつに隠し子がいたとはねえ……まさか人間が吸血鬼の子供を産めるなんて知らなかったわ。じゃあハーフってこと?」

「ああ。お前らの不便なとこも含めて弱体化した感じだな。それでもショットガン受けて完全再生してた」

「便利な身体でしょ?さすがにプレス機に挟まれたら死んじゃうだろうけど、乗用車ミサイルくらいじゃ死なないよ」

 乗用車ミサイル“くらい”ときた。やはり死の概念への認識が人間とはかなり違っているようだ。

「じゃあ、心臓に木の杭を打つってのは?」

「そんなん誰でも死ぬやろ!って返しを期待してるんだろうけど、残念ながら死なないのよ」

 残念ながら……なのか?

「……、と。ここ、どこだ?」

 いつの間にかあたりの景色はまるで様変わりしていた。砂地がただ広がっていて、周りにはなにもない。

「うわぁ、嫌な予感しかしない」

 マイが苦虫を噛み潰したような顔を見せる。

「なにか心当たりでも?」

「これ、他人の記憶ン中に迷い込んじゃったかも。んで、だいたい迷い込む先は……ろくでもない記憶ばかり。……ほら」

 地面が波打つ。ある地点を中心に水のように波紋が広がる。

「何だ!?」

「これ、記憶じゃない!妄想だ!」

 地面は砂地ではなくなっていた。見たことのない質の、礫(れき)のような、いや泥のような……?極彩色を踏む足から延びる演繹的なエレクトリカルパレードによって、この燦爛たる超生命体は自らを主体思想たらしめている―― !!!

「んねゑヨ!」

 莠御ココ縺ォ繧ゅ?√b縺ッ繧?ス輔′縺ェ繧薙□縺九o縺九i縺ェ縺上↑縺」縺ヲ縺?◆縲縺?d縲√o縺九i縺ェ縺?%縺ィ縺吶i繧上°繧峨↑縺??√→縺?≧縺ョ縺檎悄縺ァ縺ゅm縺?°縲

 菴輔b縺九b逑ヲ隗」縺礼┌遘ゥ蠎上↓邨仙粋縺怜粋縺??よヲょソオ縺吶i隗」縺阪⊇縺舌@迚ゥ雉ェ縺ィ郢九′繧九%縺ィ繧ゅ≠縺」縺溘?よ凾髢薙?騾?。後@窶ヲ窶ヲ縺昴l繧ゆク?縺、縺ョ隗」驥医↓驕弱℃縺ェ縺??縺九b縺励l縺ェ縺?′縲

 荳?菴薙←繧後□縺代?譎る俣縺碁℃縺弱◆縺九o縺九i縺ェ縺??ゅ◎繧後?鬆郁?蜊倅ス阪〒縺ゅ▲縺溘°繧ゅ@繧後↑縺?@縲∝喚蜊倅ス阪〒縺ゅ▲縺溘°繧ゅ@繧後↑縺??よ凾髢楢サク縺檎┌蟆ス阡オ縺ォ蠅玲ョ悶@譎る俣縺ョ閭樔ス薙r菴懊▲縺ヲ縺?◆縺九b縺励l縺ェ縺??ゅ?後>縺溘?阪→縺ゅk縺後?∝ョ滄圀縺ョ縺ィ縺薙m縲?℃蜴サ蠖「縺ァ縺吶i縺ェ縺?庄閭ス諤ァ繧ょ香蛻?↓縺ゅk縺ョ縺?縲

「えыむ!!!」

 やはり、、というべきか、いくつともつかぬ泥化電荷どもは秩序を取り戻し、神経系をも再構築しもとの世界観への帰還を余儀なくされていた。

「……あっ、……っは……」

 これまでの流れを二人が認知していたかというと、微妙なところである。認知できないという事柄を認知できるのであれば、していたと言えるだろう。

「何が起きたんだ、今の」

 先刻まで歩いていた町並みに戻っている。そして二人のすぐそば、住宅の壁に一人、痩せこけた男性がもたれていた。ギラついた瞳はどこを見つめるでもなく、焦点は交じわらない。こちらの動きにも何の反応を示さず「ただそこにいる」という感じである。

「あー、……こいつが元凶ね。薬やってたり、頭おかしかったりする奴の近くにいるとこうなることがある」

「んで、こいつは何やってたんだ」

「流石にそこまではわかんないよ。まあいろいろやってる顔だね、これは。こんな奴の血なんか吸ったらこっちまでおかしくなったりして」

 薬なら十分にありえる。吸った血で体に害をなす、というのは大雑把に言うと「食品の品質」の問題ということになるのだろうか。

「ま、行くべき場所がどこであろうと、一歩先を一歩先と思わないことだね。全く見当違いなところに飛ばされたりする」

「どうしろってんだ、俺は夢の初心者だぞ」

「直接の人探しはできないけど、そいつ自身の世界に入ることはそう難しいことじゃないのよ。ここじゃ人の記憶なんかには容易に探して入り込めるからね、記憶や思考の特徴を教えてくれれば探してつないだげるけど」

 久があからさまに嫌な顔をする。

「どうしてそれを早く言わなかった?」

「誰も自分の頭の中なんて入ってほしくはない。それに、入る側にだってどんな影響があるかわかったもんじゃない……初恋相手の記憶を覗いた先が濡れ場だったりしたら、あんたも相手も発狂するでしょ?」

「……言われてみればそうだな。しかもそれ以上の記憶を持ってるなら、なおさらだ。……記憶と思考ねえ」

 出会って間もないためどんな考えを持っているかなどはよくわからないが、確かな記憶や言動を大雑把に伝えた。なるほど“特徴的”だ、見つけやすいねとか呟いたあと、舗装された地面に腕を突き刺し何やら弄(まさぐ)り始めた。

「 “検索”してるのか」

「ん?あー、あった。最悪だな、こりゃ……入って大丈夫なのかな」

 その通り、彼女の記憶は最悪である。何から何まで胸糞の悪い話ばかり。そんな記憶を掴みながら、マイは真剣に考えだした。

「えっと、記憶にアクセスすると、その記憶を追体験することになる。これは……どの記憶をとってもかなり危険なのばかり。私達の精神が異常をきたしてもおかしくない。それでも入る?私は別にいいけど」

言い終わる前にその記憶を地面から引っこ抜き、住宅の壁に投げつけた。目がくらむような一閃ののち、その壁に木でできた簡素な緑色の扉が嵌められた。……いや出現した。きっとこの先が……

「あの子のどの記憶に繋がったかはわからない。運良く最新の、今蓄積されていってる記憶を見つけられれば、それを記録してる“本体”の場所まで飛べる」

 夢の中の謎理論はまったくもって理解できないが、他人の思考などに干渉されず彼女の元へ行く方法があるのなら、それを選ぶしかない。よし、行こう。



 アパートの一室か?暗い玄関に黒の運動靴が一組ある。玄関の内側にも追加で南京錠がついているが、今は外れていた。そこから続く廊下の壁や床はシミや何かで茶、赤などに染められていて、なんとも受け入れがたい雰囲気である。

「臭っせえな……」

 膿を集めて数日経ったような、あるいは雨上がりに屎尿混じりの土砂を踏んだような匂いが家中に立ち込めている。それはもうひどい匂いで、吐き気すらしてくる。

 廊下の先、居間へ繋がっているであろう扉を恐る恐る開く。誰もいない。死体のひとつでもあるだろうと決めてかかっていたが、それもない。ただ、浴びた血がまだ鮮やかな色彩を持った他ナイフやペンチ、鋸(のこぎり)、歪(いびつ)な流線型の棒などが床に散乱している。

「!!、何だ」

 鋸の柄に触れた直後のことだった。鋸についての記憶だろうか、零花にひどく執着するあの男が鋸と、……切り離された人間の腕を片手に持ち立っている。その前方……部屋の隅で、記憶の主たる零花が、淋漓(りんり)と鮮血の滴る右肩を押さえ、床に額をひっ付けながら、半端に開いた口から零(こぼ)れる涎もそのままに、脳を焼くような激痛に喘いでいた。

 彼女の方へ駆け寄るが触れられはしない。何度試そうと久の腕は彼女の身体をすり抜けてしまう。ストーリー的な記憶には一切干渉できないらしかった。

『!?ああ?な、何だ、これ、お、俺が?あああああ!!!』

 男がいきなり取り乱し始める。鋸と腕を乱暴に投げ捨てキッチンへ走っていった後、シンクに向かって濁流のごとく履いた。今度は自分の投げた零花の腕をもう一度拾い、横のなって零花をきつく抱き締めた。

『ごめん、こんなっ、……いつもこうだ、ごめん……』

腕の断面を肩にあてがうと、傷口は繋がり、すぐに神経まで回復した。その腕で零花は男を押し離そうとしているが彼は応じない。

 さらに目まぐるしく場面は切り替わり、この部屋で起きた惨劇の数々が、これ見よがしに久のまわりを舞い続ける。それらは目を、耳を塞いでも、久の頭に無理やり入り込んできた。


「えっと……大丈夫?」

 記憶の再生は終わっていた。息をするのがやっとであった。

「大丈夫じゃない。少し……休ませてくれ」

 小汚いベッドに腰掛け頭を抱えた。あの男のことがますますわからなくなって着る。多重人格?いや自分のやったことを認識していた。となると、いよいよ頭がおかしいのか?

 目眩(めまい)がする。彼の行いはあまりにも常軌を逸しすぎていた。監禁陵辱とか、考えられる最悪のシナリオを軽く凌駕していた。彼女が自らの死を願うのもよく分かる。そして今、またその脅威が地獄から舞い戻ったのだ。

「こんなところじゃ休めないでしょ。こっち来なさい」

 壁に穴、そこからまた別の部屋が見える。マイが別の空間に繋げたのだ。前見たとおり、人間の現文明的な生活からは程遠い、六方が土でできた小汚い部屋だが、クソにまみれたそうなこの空間より遥かにマシだった。久はそこで、かつて彼女がしたように。右を下にして横にまるくなった。

「じゃ、しばらく閉めとくね」

「ああ、待ってくれ。……一人じゃどうかなりそうだ」

「……人間て弱いのね」

 実はマイも、あの忌々しい道具たちの記憶を目の当たりにしていた。もちろんあの男を心底軽蔑したが、逆に言えばそれだけだった。目の前で状況を呑み込めず苦しんでいる久のようにならないのは、彼を苦しめているあのド畜生よりも自分が明らかに強いために、この記憶たちのような惨禍は自分には起こり得ないと認識しているからだろう、と極めて冷静に分析していた。

 彼にはそんな自信や実力はない。無意識にもあの少女と自分とを重ね合わせ、恐怖してしまったのだとマイは推測した。これは人間にはよくあることで、立ち直らせるのは骨が折れるんだよ、と新田――零花の父親と思われる吸血鬼、名前は気分で変える――が言っていたのを思い出す。

 もちろんこのご時世だから、19歳とて感情に押しつぶされそうになったことがないわけではないし、新田がそうなって自分に泣きついてくることだってあった。そしてそうなった男を確実に立ち直らせる方法もよく心得ている。

「ん。これでいい?」

 正座した膝の上に、横向きに久の頭を乗せた。

「何のつもりだ」

「今くらい、素直になりなさい」

「やめろ。ほんとにやめろ」

 いらついて離れた。

「……こんな人はじめて。どうしたらいいかわかんない。あんたのヒーラーにはなれないね」

「どうにもならない。あの子の言う通りだ、一生あんな記憶を背負うんなら死んだほうがマシだ」

「落ち着いて。あいつはもう死んでるんでしょ?もし夢に出たら、からさ」

 久はこのとき、強いデジャヴを感じていた。構図や話まで、同じことを零花相手にしていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る