第108話 終わりへのカウントダウン 3

 ローレルは丸めたスカーフを傷に当てがった。


「大丈夫だよ。多分、帰還する直前に弾を受けたのでしょ?それにシートベルトで締めていたおかげでほとんど出血しなかった。それが戻ってベルトを外した途端に出血し始めたものだから、急に血液を失ってフラついたんだよ……」


「でも、そんなキズを負って助かったヤツなんて……っ」


「弱気にならないっ!ここは戦場でもイギリスなんだよ?!これだけ意識もハッキリしているし、それにまだ出血量は多くても300ccくらい、病院に行って処置する時間は十分にあるの!」


 そうやってなだめなからアトキンズに借りてきたベルトを差し出した。


「少佐、このベルトを彼の背中を回して私の手の上から締めてください」


「あ、ああ……」


 アトキンズとローレルは手を赤く染めながら手早く処置を行なっていく。


「これでいいか?」


「ベルトの穴もうひとつキツく……」


「分かった」


 ローレルの言葉と手際の良い2人にロジャーズの不安も少しずつだが薄らいでいった。


「それじゃあ、俺は入院ですか?」


「そうだね、手術だね。でも処置してもらえばすぐに楽になるし……回復もはやいと思うよ。こんなに早く応急処置出来たことも幸運だったし。あのまま医務室まで歩いて行ったら…もっと切迫していたんじゃないかな?」


 ロジャーズは言葉に詰まってから苦笑いをした。


「そ、そうか……」


 クスリと笑ってローレルが顔を上げた。


「誰か先生を呼んできて下さい。あとすぐに移動すると思うから車の準備も……」


 そう言いかけたローレルに声をかける者が歩いて来た。


「もう来ているよミス・ライランズ……」


 そこにはとても鍛え抜かれた体躯の大きな男がいた。彼はドクター・モス。


「管制室から呼び出されて来てみれば……どれ、変わろうか!」


 ルイス・モス大尉。彼はおよそ2か月前、撤退戦となったフランスの『ダンケルクの戦い』で衛生兵でも無いのに負傷兵を2人抱えて戦場を駆け抜けていたという武勇伝を持つ軍医である。


「それで?」


 彼は急迫感は見せずに、それでも目の前の状況を確かめながらすぐに説明をローレルに求めた。


「おそらく小さな弾の破片で肝静脈から出血しています。機上ではシートベルトで圧迫されて出血は抑えられていたみたいです。傷口は5ミリくらい、出血量は300cc以下だと思います。開腹してみないと分かりませんが、とにかく急いで圧迫止血をしておきました。後はドクターにお任せします」


「なるほど、ナルホドー……」


 ローレルは説明をしながらそっと手を抜いた。取り敢えずはベルトで圧迫を維持できるはずだ。その止血を見てロジャーズの様子を確認するとドクターはにやりと笑った。


「ふむ、良いね。君がいてコイツは幸運だったな、出血量からしても放っときゃ10分もしない内に意識不明だ……いっそ手っ取り早くここで腹を開けてもいいが……」


 ロジャーズはギョッとしてモスを見た。


「うそ……っ?!」


「クク…時間に余裕がありそうだからこのまま病院に運んじまおう。クルマ持ってきてくれーっ!」


 ホッと、少し気の抜けたローレルの肩にモスが手を置いた。


「慌てて医務室に運ばず、この場で処置したのは良い判断だった。しかも十分な仕事をしてくれた。やったら医術にも詳しかったし、さすが医者の娘だな」


「いえ、父だったら……もっと良い処置をしてくれたと思います。弾の破片が残っている以上は、圧迫止血にもリスクがありましたし……」


「たとえそうでも出血を抑えることが最優先だ、それで十分な時間を稼げた。事実、彼は今笑っていられるだろう?」


 そうしてローレルを労っている内に担架も車も用意されていた。


「さて…そうは言ってもゆっくりはしていられないなっ。他に負傷者もいないようだから念のために俺が付き添うか。せいぜい5、6分てところだが、一応生理食塩水で量増かさまししておいてやるか。途中で急変したらその場で腹を開けてやるよ、死なせやしないから安心しろ少尉!」


「はっ?はあ……よろしくお願いします。ハハ…………」


 苦笑いをするロジャーズは手早く基地の救急車に積まれてモスと一緒に運ばれていった。


 座ったまま車を見送っていたローレルは、その直後に遠巻きに見ていたパイロット達にとり囲まれて、彼等の歓声におし包まれた。


「スゴいですねローレルさん!カッコよかったです!!」


「ありがとう!ミス・ローレルっ、飛行機どころか人間も治せるなんて……っ」


 唖然と見回すローレルに呆れた様子のアトキンズが言う。


「大したもんだよ、まったく……ホント、医者の娘は伊達じゃないな」


「え、い、いえ…私も必死で……今も力が抜けちゃって足に力が入らなくて…………」


「そうか……ありがとうな。Mk5もそうだが…キミは一体何人を救うのやら……?」


「救うだなんてそんな……そんな事は考えてもいないです……」


 このひとりのパイロットを救った後、ローレルはイプスウィッチで『ドクター・ローレル』と呼ばれるようになった。

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