第87話 アプヴェーア 4

「フィーリッツ君、クルツは私の部下でも優秀な男でね。そのクルツがキミにはこの仕事に適性があると言っていた」


「適性、ですか……」


「ああ…キミはただの『耳』や『目』では無いとね。だからこそキミをイギリスに送っていたワケだが……」


 フラーケは話しをしながらクルツに何か目配せをして頷いた。それを見てクルツもまた頷く。


「そこでだフィーリッツ、次の仕事を頼みたい」


「そうか……」


 マリエスは分かりやすくため息を吐いた。クルツはチラリと持ってきた袋にめをやってから言う。


「ココにはいつも通り経費と、2人分のリストが入っている。名前と住所、年齢、仕事と家族構成などの情報だ……」


「2人分?」


「そうだ。今、我々がスパイ容疑で内偵を進めている人物だ」


「ご同業か……」


 しかし、姿を隠して潜入調査をしていたマリエスとは毛色が違う。長くその場所で生活して表向きは信用のある人物で通っていることが多い。


 それにしても、妙な話しの流れに疑問を抱きながらフラーケを一瞥しクルツに視線を戻した。


「……それで?」


「今度は組織では無く個人を調べてほしい。それも短期間で……」


「?……それは俺の専門外じゃないか?秘密警察か、防諜部にも専門がいるはずだし……国内なら捜査権を使える人間の方が良いに決まっているじゃないか」


 ますますもって話しの流れは予想外な方へ流れて行く。


「この仕事はとても俺に向いているとは思えない。それに短期間と言っていたが一体どれくらいなんだ?」


「2週間……」


 マリエスは驚きのあまり声を上げた。


「ばかなっ?!」


 するとすかさずフラーケに睨まれる。


「声が大きいぞ、フィーリッツ君……」


「っ!、いや…」


「それと…キミが軍人ならば今のは上官に対する暴言となる。慎みたまえ……」


「失礼しました……」


 素直に謝罪するマリエスにフラーケは腕を組み、クルツはフラーケを見てほっと胸を撫で下ろした。


「フィーリッツ、先走らずに先ずは話しを聞け。君は、長くドイツに根ざして活動していたスパイの尻尾をたった一週間で掴むことなど不可能だと言いたかったのだな?」


「あ、ああ……」


「安心しろ。こちらとしても結果を出せとは言わない。君が出来る範囲で構わないから君なりの調査と報告をしてくれ。それから、本人には絶対接触しないことが条件だ」


(……何だ?この依頼は……)


 マリエスの眉間にシワが寄った。期間限定でたった一人での身辺調査ではただの運任せである。一体なんのテストなのか…そう思いたくなる。


「接触禁止、というのは見られてもダメ…ということか?」


「そうだな、それが望ましい」


(なにしろ、やり方がらしく無い。そこそこ容疑が固まれば、すぐに拘束しそうなものだが…………そうか、限定なのは『期間』じゃない、『俺自身』か!)


 マリエスの様子を見てクルツはニヤリと笑った。


「いいぞ。君が思うコチラの都合を説明してくれ」


「え?ああ……つまり、この2人がスパイだったらそれなりの情報網を持っているはずだな?その網に引っかかりたく無いから防諜部のそれっぽい人間をあまり近づけたく無い……」


「ふむ…」


「だから俺たちのような民間人を使って大まかな身辺と行動を探らせている。つまり、この捜査はずっと継続しているワケだ。俺一人では無く、何人も捜査を引き継ぎながら情報を集めている。あるいは複数で同時進行かもしれない……」


「それで?」


「?……期間限定で探らせるのは同じ顔が周りをうろついていても勘付かれるからだ。そして、そうまでして悟られないようにするのは、情報網を末端まで把握したいから、容疑者よりもその情報源を知りたいということだ。……つまり、ほぼスパイだと確信しているが相手には気取られずに利用したい。偽の情報を敵国に流すのが最終目的ということかな?そしてこの打ち合わせは……理由は知らないがテストだったのだな?」


 淀みない説明を聞いて2人は顔を見合わせた。そしてフラーケはまた頷き、クルツがニヤリと笑った。


「補足する事は何も無い。どうだ、安全な仕事だろう?」


「そう、だな…やはり自信は無いが……具体的な調査方法や指示は?」


「無いな。基礎は十分に備わっているはずだ。あとは君の発想力に期待する」


「ううむ……」


 未経験の事に頭の中は漠然と、目標も無い砂漠が広がっているようで上手く考えがまとまらない。


「この仕事もテストなのか?」


「いや、そんなつもりは無いが、しかし任務に限らず人は常に試されているんじゃないのか?君や私や…フラーケ少佐殿でもな」


「そりゃあ……分かった、命令とあればやってみるよ。結果はあまり、期待しないでほしい……」


 不安を隠さないマリエスにクルツは持ってきた紙袋を差し出した。


「今までの仕事とあまり変わりはないさ。とにかく焦りは禁物だぞ、フィーリッツ」


「了解した」


 差し出された紙袋をマリエスは覚悟と共に受け取った。すると……


「さて、ではこの仕事の後の話だが……」


「え……?」

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