第54話 理解できない覚悟 1

 6月28日


 あの夜を境にアトキンズの夜の試験飛行は頻繁ひんぱんになる。基地の中では秘匿性ひとくせいを考慮して、とか、秘密の特訓をしているなどと噂になるが、実際のところはフレヤのわがままに付き合わされているだけである。


 とは言え彼も割とノリノリで付き合っていた。今まではあくまでも格闘戦を想像しながらウデを磨いてきたが、彼女とのダンスはそれとは違った技術とセンスが必要だった。より繊細で精密な動き、針の穴を通すようなイメージと自機の動きの予測、魔女を相手にステップを踏むためには新しい動きが必要になる。


 そしてふと自分がいつの間にか戦いに囚われていた事に気づき、その束縛から解放された事で飛ぶことへの新しい可能性に気づき自由になれた。だからこそ、星空でのフレヤとの時間は特別なものになった。


「ねえ、アール?前から聞こうと思っていたけれど、その頬のキズって、やっぱりこの戦争で?でもそんなに新しいキズでは無いわよね?」


「ああ…これ、か……?」


 アトキンズは急に口ごもって歯切れの悪い返事をする。数分間暴れまわった合間のひと時は、こんな風に気の置けない会話の時間になった。


「なによ、やっぱり戦争とは関係の無いキズなのね?」


「関係無くはないが……」


「何よ?」


 彼は当時を思い出して頬を撫でた。


「この傷は、もう2年は経つな。俺はコイツを作った会社と契約していて、テストパイロットをしているのだが……」


「あ、分かった。テスト中の事故ね?」


「ん…まあ、事故は事故なんだが、いつもの俺なら、エンジンの機嫌や機体の限界が何となく自然と分かるんだ。ところが、その日はどうも機体の調子が感じ取れなくてな……とは言え少し緊張しながらもいつもの調子で振り回していたんだが……」


「いたんだが…?」


「いや、色々と試している中であまり機体に粘りが無いなとは思っていたんだ。まあでも、そのせいか反応も早いしキレの良い動きに感心していたその矢先に……降下から上昇の切り返しの瞬間、左の翼が根元からポッキリと折れちまった」


「……?」


「まあ、慌てはしたが高度もたっぷりとあったし余裕で脱出できたんだが……」


「できたんだが……?」


「折り畳まって落ちていた機体から飛び出した時に…ちぎれた翼が回転して俺にビンタをしていったのさ。慌てて頭をそらしたのだがかわしきれなくてな……意識が飛ぶくらいキツいヤツをもらっちまったワケだ。はは……」


「…………」


 彼の話にフレヤは黙ってアトキンズを見つめていた。気まずいということも無いがアトキンズが彼女の反応をうかがっていると……


「ば……」


「ば?」


「バッカじゃないのっ!何それっ?じゃあ散々引きずり回して無理をさせた挙げ句に壊した飛行機に仕返しをされたって事っ?!置き土産にっ??アッハハハハ!」


「お、おいおい…コッチは死ぬところだったんだが…」


「あはははっ、それに何?飛行機ってそんなに弱いの?どんなに動いても平気なように出来ているのじゃないの??ふふふ、おかしー……っ」


 彼女は腹を押さえて笑い出した。


「くくくく…滑稽すぎて……」


「やっぱり笑われると思ったよ。君たちから見れば、そう見えるだろうさ」


「ふふふ、ゴメンなさい、ついね……」


 フレヤは目を閉じたままゴーグルを持ち上げて笑い泣きの涙をぬぐった。


「でもね、どれほどの想いと努力と、覚悟をもってあなた達が空を目指してきたのか……それが少し分かったわ、私だってそう長くは水の中で息をしていられないし。明日から飛行機を見る目が変わるかもね?」


「そうか?なら俺が頬の傷の話を……って、ちょっと待て!?今、とんでもない事を言わなかったかっ??」


「何が…?何か変な事を言ったかしら?」


「何が、じゃ無いだろう!?今の言い方だと水の中でも呼吸が出来るってことだぞ?!」


「ああ……」


 ついうっかり、みたいな白々しい受け答えが何か気味が悪い。


「あらあらいけない、セアラには内緒でね?まあ、そんなに簡単では無いけれどね。あなたも大昔の魔女狩りで魔女を判別するのに水に沈めた…というのを聞いたことがあるでしょう?あれってあながち、的外れでも無かったのよねえ……」


「やめろやめろ、俺にそんな秘密をバラすな!」


「あら……私達には関わりたく無いということ?これ以上の深入りは御免かしら?」


 そしてまた、本心を見透かすように見つめられる。


「お、面白すぎるんだよ、君たちは。おかげでもう俺の常識はガタガタだよ、今まではけっこう言われる側だったけどな……」


「そう……ふふ。でもあなたなら分かるわよね、私達と他の人間に境目なんて無いって」


「なんだ?出来ることと出来ないことの違いは、飛行機を飛ばせるか飛ばせないかみたいなことだと?」


「そっ、そんなようなものね。でも『飛ばせる方』はエースパイロットね…くす。ただ世間の常識で勝手に線を引かれたら、あなたはこちら側の人間よね?ほんの半歩、でも確実にそのラインは踏み越えている…」


「……」


「ふふ……今日も楽しかったわ、また店にも来て小銭をみついでちょうだい。じゃあまたね……」


「ん?ああ……」






「おかしい……」


 翌日になって、ローレルが格納庫で睨んでいたのはMk5の飛行記録である。


「また昨日の夜もMk5を飛ばしてる……少佐はたしかに夜のお散歩が好きだけどこんな頻繁ひんぱんに?私は戦場なんて知らないし、実際の運用の仕方も分からないけれど……今は臨戦状態だから?ふむむ………………」


 そして飛行記録を閉じると早い足取りで格納庫を出て行った。


 飛行時間は機関のメンテナンスの目安となる為、全ての航空機にとって重要なものだが、テスト機はデータの収集も行わなければならないので尚のこと重要なものである。本来なら飛行時間に加え、気象状況やテスト時の高度、機動、その条件下での挙動などをアトキンズもレポートしなければならないがにあらず、いつもローレルに口伝えの任せっきりであった。






 今日の3班は午前中は基地待機、午後からは非番でようするに休養日にあたる。緊迫の度が増してはいても現状ではローテーションに変化は無い。しかしドイツの侵攻が始まれば、その途端に状況は一変することになる。


 待機中、大概の者は自室でリラックスして過ごしている。もっとも、狭いながらもひとりひとりに個室が充てがわれるなど本土ならではの高待遇である。もともとあったアパートメントの間取りはそのままに、既存の個室を簡易的に間仕切った変則的なプライベートルーム、しかしそれぞれの世帯にはキッチンやらバスルームやらが備わっているのだから言うことはない。同一の班員を組合せ一世帯には8名の隊員が入居している。ちなみに玄関の扉は撤去され、鍵のある扉はひとつも無かった。


 待機中は基地内なら行動は自由である。オルドリーニは滑走路で軽いトレーニングで一汗かいて戻ってきた。


「おーい、クリフ…昼メシ行くかー?」


「おー、行く行く」


 ドアを軽くノックして、オルドリーニがドア越しに声を掛ける。間仕切りやドアがあっても防音性は無きに等しい部屋なので会話には便利である。そしてその声につられてアルドリッジが顔を出した。


「メシっすか?オレも行きまス」


「少佐?アットしょうさー?昼メシ行きませんかー?」


 続けざまにアトキンズの部屋のドアを叩くと……


「んんー……?支度したら行くから先に行っててくれ……」


 部屋からは寝ぼけた声が帰ってきた。


「?……え、まさかブリーフィングの後に寝直してたんですか、少佐?」


「くあー、まあな……後からすぐに行くよ」


「それじゃあ先に行ってます」


 そうして3人は寝起きのアトキンズを残して食堂に向かった。

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