第39話 影を見つめる者 3

 薄鼠うすねず色の空は今もさらさらとイプスウィッチに雨を降らせている。そんな鬱屈うっくつとする暗い天気模様の中。


 港のエラは突然快活として仕事をこなし、上司のキャニングを驚かせている。ソフィアは書店のカウンターでソワソワと待ちきれず、今にもバッグを掴んで飛び出しそうだ。セアラは母親とランチをした後はぐだぐだと暇を潰している。そして滑走路で歩哨をしていたアトキンズは、今だランチにもありつけずに飛行場を挟んで街の反対側に広がる森をじっと睨んでいた。


「…………」


(あの森の向こうには大きなオーウェル川がある……泳いで渡れなくはないがいつも海軍が停泊しているし、そして港には陸軍がいる……)


 などと考えたフリをしているが、実際には後付けである。ちょっと感じる所があり、得意のその直感を正当化しようと理由を飾りつけているだけであった。


 そんなお飾りの真っ最中に閉ざされていた格納庫の扉が不意に開いた。そして中から顔を出したニコルズは辺りを見回してからリンカーン一等兵に声を掛けた。


「おう、ご苦労さん、ええと…リンカーンだったな?」


「はい!」


「俺と嬢ちゃん…ライランズ嬢は格納庫を離れるのに許可を取りたいんだが、管制室に行っても構わねえな?」


「え?」


「『え?』ってか?」


 愚直な時期の若い兵士には酷な質問である。ましてやニコルズよりも階級が上であるリトルトン中佐の命令はこの時点で最上の扱いとなるわけだからリンカーンが答えられないのは当然だった。


「失礼ですが私には判断する資格がありません。ただ命令は『お二人の警護』であって『格納庫の警備』では無いので、ええと……」


「こりゃまいったな…もうちっと気の利いた命令を置いていってくれりゃ良かったのにな……?」


 ここで無理強いをするのもリンカーンには酷なことである。そんな頭を抱えている二人を遠巻きに見ていたアトキンズが何となく状況を察して駆け寄って来た。


「何だ、どうした?」


「おう、少佐。実はもうヤル気も失せちまったし、今日は終いにして格納庫から離れたいんだが、何しろリンカーンはここで俺たちを守れと言われただけで移動は許可されてないんだよ。しかしいい加減、嬢ちゃんも腹をすかしているしここにはホラ、便所もねえだろう?コレじゃああんまりってもんじゃねえか、だから宿舎の食堂へ連れて行きたいんだが?」


 少し声を下げてニコルズは話していたがローレルの耳には筒抜けだろう。中で顔を赤くしているだろう彼女の姿を想像してアトキンズは気が付かなかった自分を恥じた。


「まったく、気が利かないな俺も……でもここに電話は無いのか?」


「あるよ、一週間前に壊れたままのヤツが…」


「ナルホド…分かった、俺が許可を取ってくるから少しだけ待っていてくれ」


「そうかい?申し訳ねえなあ、少佐どのっ」


「!?、はは、了解した…」


 軍属にとって階級は重要で強制力のあるものだが、ニコルズのような軍歴の長い者に対する敬意は心の内でそれを上回る。兵士であれ現場要員であれ、長く勤めたその分だけ多くの戦場をくぐり抜け、国に貢献してきた年月を証明しているからだ。


 しかしニコルズにとってアトキンズは上官であり、しかもリンカーンの前である以上は礼を失するワケにはいかない。そんなくすぐったい敬礼を受けてアトキンズは管制室に向かって歩き出した。






 イプスウィッチ飛行場の西側には深くは無いがうっそうとした暗い森が川岸まで広く拡がっている。中に入れば視界を塞ぐヤブが方々にべったりと地面に張りつき、すぐそばに何者かが潜んでいても見つけることは難しいかもしれない……


(まさか警戒の緩いこんな片田舎で見つかるとはな。しかも警備が駆けつけるのも早すぎる……もしかしたら、やはりあのスピットファイアのパイロットに見られていたのか?あのスピードと高度で??何なんだこの基地は……???)


 事実、飛行場に潜り込んだ不審者が、今はヤブの中に潜り込んで警備兵の追跡をやり過ごしていた。どんなに体力に自信があろうが、どれだけ身体を鍛え上げていようが、何日もひたすらに逃げ続けるなんてことはフィクションの世界だけで、実際には不可能なことである。しかも警戒線は逃げるよりも早く引かれ、投げられた網は確実に絞られていく。計画も無い逃走などは愚の、愚者の骨頂と言わねばならない。


(とにかく…隙をついて連絡を取らないとな……こんな事なら、甘えておくべきだったか………?)


 とは言え、男は急いで動き出す様子も無く、目を閉じて辺りの気配を伺いながら体を横たえていた。






 妙な不審者騒ぎはまだ未解決なままだが、この事件が街に知らされることは無く、住人はいつも通りの生活を営んでいる。知っていたのは飛行場で働いていた街の住人と魔女達だけ、もっとも魔女はこの程度の騒ぎなどは降り止みかかるこの小雨ほどにも気に留めず、セアラも鼻歌まじりに予定通りメイポールに戻って来た。


「たっだーいまーっ!あれ?フレヤさーんっ、チューボーっ?!」


「そうよ……!」


 姿の見えないフレヤに声を掛けるとバックヤードから返事が返って来た。


「よっしゃよっしゃ…じゃあヤリますかーっ!」


 袖をまくりながら勢いをつけてセアラも厨房に入って行く……


「えっ…!?」


 と、


「ルカちゃっ、いやいや…ソフィアさんっ?!」


 そこにはグリルパンでパプリカを焼いているソフィアの姿があった。彼女はちょっと驚いたふうにセアラを見てからすぐにはに噛んで目線を落とすと、


「き…来ちゃった……」


 恥ずかしそうに言った。


「ぐはっかわい……っ、いえっ良いんですけど、また随分と、お早い……くす、ソフィアさんったら、もう…」


 ソフィアは自分の気恥ずかしさをパプリカ達にぶつけて、くるくるくりくりとトングで回し続ける。しかし、


「……?、真っ黒に焦がすのだからそんなに回さなくても大丈夫よ、ソフィア?」


 それを見つけたフレヤシェフの注意が飛ぶ。


「はっ、はいぃ…っ!、す…スミマセン……」


「くす……」


 セアラは後ろから二人の間に顔を差し込んで、それぞれの手元を眺めた。フレヤは石のすり鉢の中でスパイスを潰し、ソフィアはスモークチップが置かれたグリルパンでパプリカと睨めっこをしている。


「なるほどー……パプリカのマリネかー。これはスモーガストルタの具材ですか?」


「そっ、でも酸っぱくないヤツね。その他には、エビ、スモークサーモン、ローストビーフに生ハムにタマゴ。その他付け合わせはアボカド、トマト、エトセトラエトセトラ……ソースは3種類にチーズクリーム。今回はね、皆んなで好きなものを自由に重ねて飾りつけて楽しんで欲しいの」


Låter braローテブラー!!楽しそうですっ。食べて欲しい誰かにプレゼントしたり…っ?」


「っ!?、セアラ…あなたスウェーデン語を…?」


「『最高』ていう意味ですよね?へへーっ、でもそれくらいしか知りません!食べ物以外ではっ」


「んー、感心したけど意味あいがちょっと違う…使い方はオッケーよ。『良いわね!』て感じ!」


「そっかー、でもこれでバッチリ覚えました。しかし意外と言えば、前から思ってたけどフレヤさんだって何代も前からイギリスなのにまだスウェーデン語を受け継いでいるなんて……」


「自分のルーツを大切にするのもウチの家訓なの。だから言葉を覚えるのに絵本を沢山読まされたのよ。でもスウェーデンのもっと前はスコットランドに居たみたい」


 フレヤのレアな情報にソフィアは耳を大きくして聞き入っていた。おかげでパプリカはすっかり丸焦げになった。


「フレヤさん、私…その、スモーガストルタと言う料理を知らなくて……」


「ん?聞いとく?後のお楽しみにしなくていいの?」


「ううむ、ええと…はい」


 少し悩んでからソフィアは頷いた。料理はイメージの大切な作業とも言える。出来上がりの想像出来ないクッキングは割と苦痛でもある。


「そう…『スモーガストルタ』はスウェーデンのパーティー料理、と言えるものね。パンやパンケーキ、そして好きな具材を好きなだけ使って、簡単に言ってしまうと何層にも重ねたサンドウィッチ。綺麗に積み重ねたらチーズクリームなんかで覆い尽くして、本物のケーキの様にハーブや花で飾りつけたりして……誰にでも作れるし、手をかければ無限大に美味しくなる幸せいっぱいの料理よ?」


「無限大……」


 フレヤは話しをしながらソフィアがこんがりと焦がしたパプリカが熱々のうちに器用にタオルを使って皮を剥がしていく。そして手早く細く縦に裂き、作っておいた特製のマリネ液に落としていった。


「こうして……ひとつの付け合わせも他の具材とのバランスを考えた味付けをしてあげて、舌の上でかけ算の魔法を起こすつもりで……」


「むずかしそう……」


「ぜんぜん、そんなことないのよ?あなたの思うように作ればいいの、後でひとつ、小さいのを作ってあげる」


「ホントに?」


「ええ、もう一品の仕込みを終えたらセンセーにもおすそ分けを作って持って行かないとね?」


 そう言って、今作ったばかりのパプリカのマリネをひとつずつ、ソフィアとセアラの口に放り込んだ。


「うおっ!?これは…!」


「!、香ばしくてパプリカが甘くて、スパイスの良い香り……」


「さてこれに、ローストビーフとオニオン、フレッシュレモンタイムを少々足したらどうなるでしょう?」


 2人が目を見合わせたかと思うと、すぐにセアラが暴走を始めた。


「い、今やる!すぐ食べるっ!!」


「ま、まってセアラちゃん…っ、落ち着いて……」


「ちょっとだけ、ひと口だけだから…っ」


「ダメだよ…がまんしてっ」


 ソフィアが精一杯の羽交い締めでセアラを止めている。


「そうよあなた、味見でお腹を膨らませるのでは無くて手伝いに来てくれたのよね?」


「あうっ!……も、もちろん…です……」


 いや、もしかしたら思う存分に味見をする為にお手伝いを買ってでたのかもしれない。

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