第20話 ジーニアス

「へえ、なんか良さそうなお店…………」


 約束の時間よりも随分と早めにメイポールに入ってきたのはローレルだった。


「ん?!」


 当然だが美女2人に寄り添われて手まで握られている男がカウンターにいたらとにかく目立つことだろう。逆にこの時、真っ先にローレルに気づいたのはカウンターの中にいたフレヤだ。


「あらいけない…セアラ、手を離して」


「へ?」

「なんだ??」


 2人が手を繋いだままフレヤの視線を追っていくと、フレヤばりに無表情で立っているローレルと目が合った。一番驚いたのはもちろんアトキンズである。


「!、ロッ…!」


 しかしローレルが無表情だった理由はフレヤとは違う。彼女の脳は今、その状況を理解する為にあらゆる可能性とシミュレーションでフル回転している。表情筋にリソースを割く余裕が無いだけだ。


 その間4秒、すぐに手を離したセアラの行動を除けば最初に動き出したのは25通りはシミュレーションを終えたローレルだった。


「お待たせしました、整備の皆んなのおかげで早く来れました。あ…こんにちは」


「いらっしゃい」

「いらっしゃいませ……」


 いつもと同じ笑顔を見せたところから察するに取り敢えずは何も見なかったことに…


「よお…ホントに早かったな?」


「ずっと待たせていたから持て余してるだろうと思ってたんですけど、お話し相手がいたみたいで良かった。……やっぱりパイロットはモテるんですねえ?」


 なっていなかった。


「ああ…ウチに軍人さんが来るのは珍しいから『ウチの子』が盛り上がっちゃって、あなたが自慢のお連れさんね?」


 あまり言い訳に聞こえないようにすぐにフレヤがフォローを入れるが、アトキンズはローレルのことを話した覚えなどもちろん無い。


「自慢?ホントですか?」


「ええ、暇そうに時間を気にしていたから誰を待っているのかと思って…『昨日』も来てくれたお客だから放っておけなくてね。ただ、まだあなたの名前は伺ってはいないけど?」


 穏やかに微笑んで言葉は少なく、後で追及されそうなことにもさり気なく先まわりしている。流石さすがに気のきいた営業トークを心得ているようだ。


「ローレル・ライランズです、初めまして」


「フレヤ・ノルシュトレームよ、ようこそメイポールへ」


「ノルシュトレーム…スウェーデンの方ですか?」


「ええ、家系はね。でももう、何代もこの街育ち…でもよくご存知ね?」


「いやあ、たまたまです……」


「たまたま、ねえ……じゃあ例えば…『デュメリー』は?」


「ええと、フランスですか?」


「『マカーリオ』は?」


「それはイタリア」


「『ペルトニエミ』は?」


「えと、フィンランド…?」


「じゃあ……『ディアラ』」


「たしか…アフリカ…かな?」


「………………『カワカミ』」


「ジャパンっ!」


「………………」


 3人とも出てくる言葉も無い……もっともアトキンズとセアラはその答えが正しいのかも分からないが疑う気にもなれない。


「私は知り合いの名前や何かで見てたまたま見知っていた名前を挙げたのだけど、それに簡単に答えるなんてね…」


「それなら私も一緒ですよ、新聞や雑誌、リポートなんかで見かけた名前と国籍をなんとなく覚えているだけです」


「!、それってまさか、見たモノを全て覚えているの?」


「まさかっ、『なんとなく』ですよっ」


(それは覚えているということでは?)


 と、セアラが心の中でツッコミを入れた。


「そう?じゃあ頭が良いあなたに質問、どんなに悪い事をしても絶対にバレないとしたら…悪い事をしても幸せになれる?なれない?」


 横で聞いていた2人はフレヤが急に何を言い出したのかを先ずは理解しようと気を取られて口をポカンと開けているが、ローレルはものの『ひとまばたき』でにこりと笑った。


「面白い質問ですね…何かの思考実験ですか?その問題の意図は…はたして人がその誘惑に勝てるのか?そして倫理的にどう判断すべきか?更に回答者はホンネを語れるか?そんな感じですかね?」


「さすがね…」


「でも、私がその質問に素直に答えるなら、その答えは、あくまで個人の主観によるので分かりません。その本人の道徳感や価値観によって答えは変わりますよね?今は一般的な倫理を問うているわけでも無さそうなので……私の個人的な答えを言えば…その誘惑には勝てずに、そして幸せになると思います。だってそういうふうにしか『その才能』を使わないから……結局どんな『力』にも多様性があるわけで、何にその力を振るうのかは本人次第、でしょ?」


(なるほど…ね。この雰囲気といい、才能豊かで論理的……天才肌だけに人並みな道徳感には囚われない。厄介そうね……)


 それがフレヤの感想である。そんな微妙な空気の中で本人は軽いクイズにでも答えた気でいるようだ。そして客として肝心な事を思い出した。


「いけない、何か注文しなきゃ!」


 慌ててレジへ向かうローレルの後をフレヤが追って行った。セアラもそそっと席をひとつ離して座り直すとサンドウィッチを頬張った。ローレルが来た途端に行動を変えると妙な勘ぐりをされかねないと思ったようだ。そしてアトキンズはこのスキにセアラに何かの合図を送っていた。


「それで…何にする?」


 ここであらためてフレヤとローレルが店員と客として向かい合った。


「それじゃあ、ビールを」


「オッケー」


 ローレルもまた、アトキンズと同じようにフレヤの仕事を眺めていた。


「少佐は私のことを何て?」


「少佐?ああ、彼は少佐なのね?それってけっこう上の階級なのでしょう?」


 突然のローレルの問いにもフレヤはまったく動じることが無い。


「そうですね…でも少佐は空軍では無くて義勇軍少佐だから、階級は尊重されるけど空軍での扱いはひとつ下かも……それでも少佐は、イギリストップクラスのエースパイロットなんですよ?」


「そう……そのエースパイロットが言っていたわよ、あなたは飛び抜けて頭が良いのに少しもそれを鼻にかけるところが無いって、それに……」


「それに…?」


「少しせっかちなところがあるけど皆んなをグイグイと引っ張っていけるし、雰囲気を明るくするムードメーカーだとも言っていたわよ?」


 慧眼けいがんと言うよりは透視眼と言えるほどの彼女達の能力、しかし全てを能力に頼っているわけでは無い。僅かな言葉や仕草を見逃さず、能力で感じたモノとすり合わせて相手の『人となり』を測る、それは経験と共に正確さを増していくものだった。


(それと意外と……独占欲も強いかしら?)


「少佐がそんなことを?それならもっと直接褒めてくれてもいいのにー……あ、でも今日はたくさん誉めてもらったか」


「あら、そうなの?その話しは聞いていないけど、まあ他人にそんなことは話さないわよね?あなたのお仕事のことも聞いていないし…」


 注ぎ終わったビールをローレルに静かに差し出した。


「ああ、私はエンジニアです」


「エンジニア……なるほどね、なら、部外者には漏らせない秘密もあるわけだ、そういうことね……それじゃあ、楽しんで」


 そう言って微笑まれると、フレヤには何故か逆らえない不思議な雰囲気がある。ローレルはクチまでいっぱいになったグラスを慎重に持ち上げると、アトキンズの左に腰を下ろした。


「やっぱりこの一杯ですねー」


「おつかれ」


 アトキンズはまだウィスキーの残るグラスをかかげた。


「はい、いただきます!」


 間髪を入れずにローレルはグラスに口をつける。ゴクリ、ゴクリ……


「ふわあー、ふう……美味しぃ」


「いい飲みっぷりだな」


「こういうことは『気取り』ませんから。やっぱり一番美味しく頂かないと」


「それは確かだな…オナカは?」


「んー、お茶を頂いてましたけど、お昼に食べた分はもう空っぽです」


 その台詞せりふを待っていたようにカウンターに置いてあった袋を開ける。


「それは?」


「この店は食べる物を出せないらしくてね、でも君がハラを空かして来ると思って買ってきておいた」


 するとすかさずフレヤがお皿を持ってきてくれた。


「すまないな、ありがとう」


「いいえ…」


 出されたサンドウィッチの包にはそれぞれの具材が書かれている。


「あ、steak、cheese、cucumber!サンドウィッチですね?!」


「好きなものを食べてくれ」


「あ、じゃあシェアしましょう?取り敢えずステーキからっ!」


「いいよ」


 包みを開けると半分に切られたサンドウィッチが重なっている。切った断面からは良いミディアム加減のステーキが顔を出していた。


「これはこれは!こんにちわっ、そしていただきます……」


 これもまた気取らずにローレルはかぶりついた。


「んんーー、んん?何だろうこのソース?グレービーだけど何か風味が、それに胡椒が効いててこれはっ……」


 サンドウィッチを飲み込むとすぐさまビールを含んだ。


「やっぱり合いますよねー、そうかそうかっソースにモルトビネガーを使ってるな?でもバルサミコも使ってるから酸味をどうやって消しているんだろう……?いやもしかしてビールを使ってる?」


「おいおい、食べ物までそんな『分解』しなくてもいいんじゃないか?」


「あ…すいません!もう気になっちゃって……でもやりますねえ、このサンドウィッチ屋さん、場所を教えて下さいね?」


「ああ」


 ビールとステーキのコンビネーションにはまり込んでいるローレルを横目にセアラは一枚の紙をフレヤに手渡した。


「?、何?」


 セアラは口をつむぐ様に小さな合図をしながら中を見ろとジェスチャーをする。


(ええ?何よ……?)


 それはいつもセアラがポケットに入れているメモ帳だが広げてみると……


(『彼女の耳はデビルズイヤー』……なにコレ??)


 セアラがコクコクとうなずいている。


(ふうん……そうなの?くす……)


 するとフレヤはかなり細い声でセアラの耳元で…


「ローレルさんにもう2枚、お皿を持っていって」


 と指示をする。すると確かにローレルはピクリと反応して僅かに耳を向けた。


(あら!さすがにちょっとびっくりね!!)


 それはもう人間業では無い。距離は7、8メートル、少なからず他の客の話し声が飛び交う中で蚊の羽音程度で発した言葉に反応している。まるで犬並みかと思うほどだ。


(ふうん、これは怖いわね……)


 ヘタな耳打ちは致命傷である。


 そしてフレヤに皿を差し出されても目に入らないほどセアラも驚いていた、皿を体に軽く押し当てられてようやく気がつくほどに。


(はっ!やばいやばい、ビックリしすぎてどっか行ってたっ)


 忘我の旅から戻ると渡された皿をつかんだ。


「はい、これも使ってくださいね。お、チーズですか…?それね、場所によって味が違いますよ!」


「そうなの?!」


 今度はローレルが驚いた。


「なんでも4種類のチーズを使っているとか……楽しんでください」


 にっこりと愛想良く笑ってセアラは戻る。


「聞きました?少佐……どうしましょう?」


「え?いや、『どうしましょう?』と聞かれても……なんなら全部食べたらどうだ?」


「んっいえっ!ええと…じゃあ上…いやっ下……やっぱり上?」


「『上?』って俺に聞くなよ…じゃあ上を貰うよ」


「は?ああ……っ」


 そんなふうにはしゃいでいるローレルを見てもフレヤは微笑ましく眺める気にはなれない。


(出会ってきた人と環境には恵まれたようだけど、厄介な人ね。まあ、どうでもいいけど……)


 店の外ではミヤマカラスが鳴いていた。

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