第16話 魔女の館 1

 基地の規定では非番であっても外出する際には行き先を書き残すことが義務付けられている。こんな時間からパブに行こうか自室で時間を潰すのか、アトキンズは少しだけ考えた。


(どうせ6時に約束をさせられたのだから出かけるか。でもローレルが来た時に酔っているワケにもいかないな。そもそもあの店は昼間から開けているだろうか?)


 大概のパブは昼間も営業しているものだが、そうで無い店も中にはある。昨日営業時間を確かめておかなかったのは失敗だった。


(2日連続か……まあいい、近いから戻って来るのもおっくうでは無いしな)


 一応基地の車を借りることも出来るがってでも行ける距離だ、彼はやはり歩くことを選んだ。


「あ、そうか……」


 しかし忘れてはならない、あの店の『ドレスコード』を。


(しかし普段着は一着しか持ってこなかったんだよなあ、丁度いいから服でも買いに行くか?)


 狭い戦闘機の機内には荷物を押し込めるような場所があまり無い。長旅に出るならまったくおすすめ出来ない飛行機である。どうしてもと言うなら増槽タンクをトランクに改造すると良いかもしれない、が……増槽タンクが装備されるのはもっと先だっけ?それに長旅で航続距離が延びる増槽タンクは捨て難いし間違って荷物を詰めたタンクを投棄しちゃったら笑い話である。


 とにかくアトキンズは一度自室でちょっと薄着に思える普段着に着替えると街に出た。


(しかし洋服店を知らない…な………まあとりあえずメイポールに行くか)


 明るい時間に歩いてみると街の表情はまた違って見える。道の先まで見通せれば街並みの広がりを感じるし、すぐそばの海からは海鳥と、港からは荷を運ぶトラックがまばらに往来している。それでものんびり感は相変わらず、人通りもさして増えない地方感で夜よりも何だかもの寂しい。しかしメイポールはちゃんと昼間もオープンの看板を下げていた。というかドアが開放されていた。


 そのドアを見て自分でも意外な程ホッと胸を撫で下ろしていると、


「あら……」


 頭の上から女の声が降ってきた。


 足を止めて見上げた3階の窓には、真鍮しんちゅうの手すりに肘をついて見下ろしているあのすまし顔の女店員が自分を見つけて小さく手を振っている。


「いらっしゃい……」


「よう……っ」


 と、手を振り返しそうになって踏みとどまった。


「ただ通りかかっただけかもしれないだろ?」


 すると彼女はクスリと笑って、


「わざわざ普段着に着替えてきたのに?」


「!、これは…まあいいか……それより一番近い洋服店はどこかな?」


「洋服店……?」


 彼女は片眉を上げると少し考えた。


「ふふ、そう……それじゃあ何か飲んでいきなさいよ、そうしたら教えてあげる」


「うむ?情報料か……?分かったよっ」


 アトキンズの答えを聞くと彼女は部屋の中へ消えた。それを見届けてアトキンズも先ずはメイポールの入り口をくぐった。


 やはり稼ぎ時は夜なのか今は半分くらいの席が埋まっている。まあでも、昼間にこれくらい客が出入りしているなら商売としては悪くはなさそうだ。


「あれ!いらっしゃい兵隊さんっ、また来てくれたんですね?」


 今日カウンターに収まっていたのは昨晩フロアをきりもりしていた彼女だった。


「やあ、道を聞いたら情報料を要求された。そうだな…紅茶でも貰おうか……」


「情報料……?ああ!3階のオーナーと話したんですね?なるほど、なるほどお……」


「なんで意味ありげなふくみ笑いを?……んんっ?今オーナーって言ったか?」


「はい、言いました」


 彼女はにっこりと笑って手早く紅茶をれる。ティーポットに茶葉を入れお湯を注ぐとティーカップと共に差し出された。


「え、彼女がここのオーナーなの?もしかしてこの建物も……?」


「ええ、そうですよ」


「あ、そう……」


 てっきり雇われ店員だと思い込んでいたアトキンズは軽く呆気に取られていた。すると彼の背後から、


「なに?私が家主じゃ何か変かしら?」


 このメイポールの『オーナー様』がおなりになった。


「おっ…と、いやいやっまさか…俺の思い込みだよ」


「……ふん、早くお金を払ってレジを空けてくれる?お客様」


「あ、そうだな」


 何か追い詰められた時のプレッシャーにも似た感情に彼は経験上から軽く深呼吸してみた。そしてまたカウンターの適当な椅子に腰掛ける。


「はい」


 すぐにカウンターに入った『オーナー』は彼に砂糖を差し出した。


「ああ、ありがとう」


 でも彼は紅茶は無糖派だ。カップに注ぐと取り敢えずそのまま熱い紅茶をすすった。


「へえ、紅茶も良い茶葉を使っているんだな?」


「まあね、お茶とウィスキーの品揃えはパブの顔だもの」


「そうか、そうだよな」


 相変わらず少し自慢気な顔で人を見る、思えば彼女は一体幾つなのだろう?アトキンズがそう思ったのは若い女性らしからぬ自信を感じる物腰と…


「そういえば……さっきはどうも」


「さっき?ああ、店の前でのこと?」


 アトキンズは声を落とした。


「いいや、『空の上』でのこと……」


「?、空の…うえ??」


「顔を隠してもゴーグルごしに君のその目がちゃんと見えたよ」


「!、ゴ、ゴーグルごしに?」


 明らかに動揺した彼女を見て『してやったり』と少し気分が良くなった。


の角度で一瞬な、俺の目を舐めてもらっちゃこまるな。まああとは、君のその、雰囲気と…さっきの手の振り方で確信したかな」


「!…………っ」


 『オーナー』は眉を少ししかめるとすぐにひとつ息を吐いた。


「そう…まあ別にムキになって隠しているわけでも無いし……ようこそ『魔女の館』へ」


「え?そんなあっけなく……?あれ、皆んな知ってるのか?」


「まさかっ、この店の客のほんの数人と、あなただけよ。だから呪ってあげる」


「のろいっ?まさか冗談……」


 彼女を見上げると冷ややかな目で見下ろしている。そして少し顔を近づけてささやいた。


「冗談よ…でも言いふらすつもりなら、わからないわよ?」


 これはまんざら冗談ではなさそうだ。


「そんな心配なら要らないさ。俺も呪いで全身から血を噴き出して死にたく無いしな?」


「くす…何よそれ?まあいいわ」


 正体を暴かれたにしては彼女は随分と落ち着きはらっていた。人生初の魔女との邂逅かいこうであるアトキンズにとってはかなりの大事件なのだが。


(もう少し慌てるかと思っていたが……)


「何か不満そうね?そんなに慌てて見せて欲しかったの?」


「!?」


 慌てさせられたのは彼の方だった。


「まいったな……まさか俺の考えていることが分かるのか?」


「ふふん、さあね」


(いやあ、君ほどミステリアスで美しい女性に出逢ったのは初めて、だ……?)


 などと、心を読まれても障りの無いことを考えてみる。


「何よ?試すようなことをするのは失礼だと思わないの?」


(む、むう…わからん……)


 結局彼女はミステリアスだった。


「それよりも、パイロットは随分と暇なのね?お買い物を楽しむ余裕があるなんて」


「んーー?気に入った店に妙なドレスコードがあってね…赴任したてのパイロットに普段着で来いって言うんだ」


「あらそう…随分と敷居の高いお店なのねえ?それでも通いたいなんて余程良い店なのか何かがお気に召したのか…どちらにしても仕方ないんじゃない?」


「なっうむう………それより君の『ナイショ』の話はあれでお終いか?」


 彼女はまた勝ち誇った顔でにこりと微笑んだ。


「分かった…それで?情報料は払ったから洋服屋を教えて欲しいのだが?」


「ああ、それはいいけど……一番近い店は目も当てられないほどセンスが無いし……お店のまとまった通りまで行かないと買いものにならないわよ?」


「そこまで歩くとどれくらい?」


「そうねえ、1時間くらい?頑張ればね。あなたの飛行機なら1分かからないけど?」


「無茶いうな」


 無茶するとしても愛機?は既にバラバラである。


「次の機会に車を借りるか。そうなるとここに……」


 腕時計の時間を確かめる。


「たっぷり4時間か………」


 アトキンズの様子を見て彼女は首をかしげた。


「待ち合わせね……?ふむ、彼女か……」


「!!、か……っ」


「ああ、あなたの恋人…て言う意味じゃないわよ。昨日見た『影』の主ね……楽しみじゃない?フフ……」


(まちがえた……っ!)


 成り行きとは言えここを待ち合わせ場所にしたのは大きな過ちだとアトキンズは後悔した、がしかし……


「え?『影』??何か見えるのか???」


「んーーー説明はできないわねえ、見えるとも感じるとも……ただ浮気をされればすぐに判ると断言できるけど?」


「な…なるほど、それはおっかないな……」


 冷ややかに微笑まれるとイヤな汗が出そうだ。


「よく言うわ」


「ん?」


「そうねえ、私達の正体を知るとどんな人間でも必ず、少しは腰が引けたり警戒したり、時にはあがめるような目で見られたりするものだけど……あなたには好奇心しか感じない、それも何だか…やけに子供じみた興味ね?」


 ここで初めて彼女が屈託くったくの無い顔で笑った。


「はいはい…そうだろうな、別にガキと言われても自覚しているんでね、怒りゃしないさ」


「知ってるわ…ふふ」


「まったく……確かに興味津々だよっ、それに…スゴくうらやましいよ」


 彼女は顔を寄せるとワザと小声で言った。


「んん?私が飛べるから?」


「むっ、その通りだ!」


「あっははははっ、かわいいのね!くく……っ」


 声を上げて笑う彼女を見てもまったく悪気は感じない。それどころか笑っている彼女の方が余程幼い少女のように見えて、何だかアトキンズまで面白くなってくるのだった。


「はは…俺はアール・アトキンズだ、よろしく…」


「くす、Earl?たしか『伯爵』…だっけ?あはは、アイルランド系?私はフレヤ…フレヤ・ノルシュトレームよっ」


「ノルシュ……ええ?」


 彼女はそこが舞台上でもあるかのように名乗りをあげる。


「Norströmっ!」


「ノルシュ…トレームか……『フレヤ』か『ノルシュ』でいいかな?発音が難しいよ…」


「好きにお呼びなさいな、ふふ、ちゃんと『ミス』を付けてね?」


「本気かー?」


 フレヤとは妙に馬が合うと言うか波長が合うようで、鼻もちならない態度なのに不思議と気が楽だった。それが営業トークなら彼女の思う壺なのだろう、アトキンズは人を読みとることにも自信があったが、相手が魔女であるならそれもアテになるか分からないのが正直なところだった。

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