6枚目:星屑が願うのは

 突然だが、僕には仲のいい友人がいる。幼馴染というほど昔から知っているわけではないが、妙に気が合ってよく話しているうちに仲良くなった、といった具合だ。相手は物静かだが自分の意見をちゃんと持っていて、意志が強い。そして、これは僕が言えたことではないが、結構変わった思考回路の持ち主だ。時折突拍子もない事を言い出しては、それを真剣に調べたり想像に耽ったりと忙しそうだ。僕はそれを眺めているか、興味がある事だったら口を挟むこともある。それに対して何とも素直に意見を聞いて、正しいと思うとあっという間に意見を変えてしまうこともあり、なんだか掴みどころがないと言ってもいい人物なのだ。




 そんな友人を持つ僕は、ある日その友人の母親から電話をもらった。何やら悲痛な声で来てほしいと言うものだから、僕は急いで支度をして、家を出た。友人の家はそんなに遠くは無く、歩きで10分程度だ。急ぎ足で向かい、それよりも数分早く到着できた。インターホンを鳴らすと、友人の母親が涙目で出迎えた。一体何事だろうかと思いながら、通されたリビングのソファに友人が座っているのを見つけた。何か様子がおかしい。


「ああ、来てくれたの」


何ともないような声色で発せられた言葉は、いつも通りの口調だ。しかし、視線が合わない。それどころか顔すらこっちに向けることなく笑ったので、僕は恐る恐る友人の顔を覗き込んだ。それでも瞳は動かない。


「…驚いたでしょ」


静かな声が僕の心情を言葉にした。友人の瞳は、まるで満点の星空のような、暗い青に白く細かい点がたくさん散りばめられたものになっていた。元の瞳はこげ茶だったのをよく覚えている僕には衝撃でしかなく、しばらく絶句していた。そのうち僕がずっと立っている事に気が付いた友人は苦笑して、隣の空いた場所をぽんぽんと叩き座るように促した。


「私もびっくりしたよ、急に今日の朝視界が真っ暗なままでさ。一瞬まだ夜なのかと思ったけど、お母さんが入ってきた音がして、ああ見えてないんだなって」


いつもの様な調子の話し方に陰りが無いのが、いっそ友人らしかった。だが、やっぱり違和感はぬぐい切れない。普通こんなに平然としていられるだろうか、自分の視界が唐突に奪われたというのに。僕だったらきっと、もっと取り乱していただろう。この時、友人が一体何を考え、感じているのかが分からなかった僕は、初めて『こわい』という感情を友人に対して抱いたのだ。




 友人はその目のこともあってまともに学校に行けるはずもなく、少し経った後に一旦の処置として休学を取った。原因不明、前例がないその症状はいつになったら治るのかなど分かるはずもなく、友人は仕方ないね、と曖昧に笑いながら定位置となったソファに座っていた。今まで見えていた景色が友人の行動を補完してくれる訳でもない。移動は基本誰かの手に導かれて、時々僕も手伝って外へ散歩に出たりもした。一日中家にいるのは流石に気分が塞ぐだろう。


「意外と転ばないものだよ、多分一層気を付けるからかな」


大らかにそういって見せる友人の瞳は、本物の夜空の様に煌めいていて、不思議な感じだった。なんと言ったらいいのか言葉を探しても見つからないのだが、とにかく不思議な見た目をしていた。その輝きは勿論本物の星の様な個々の点の光ではなく、表面に張った涙の薄い膜のせいだとは分かっていた。僕は友人には見えていないのをいいことに、それをしばしば眺めていた。




 最近、友人の様子がおかしくなってきた。見た目や人格的な話ではなく、僕との会話がままならなくなってきたのだ。というのも、どうも僕との会話をあっという間に忘れていくようで話がかみ合わない。


「え、ああ、そうだっけ、ごめんごめんぼーっとしてた」


こんなぼんやりとした返事が増え、思い出話もほとんどしなくなった。出会ってすぐの出来事、最近の出来事、なんでも抜け落ちてゆくように忘れていっている。そして、その事象は僕相手の時だけのようだった。友人の母親や他の訪ねてきた同級生たちと話しているのを見ると、彼らの事はきちんと覚えているようだった。なぜだろうとは思ったが、すぐに思いついたのは友人の瞳との関係だった。もしかしたら、あの星空の様な瞳の症状は失明だけではなく記憶にも作用するのでは。そう思った僕は友人の母親に相談してみた。彼女はまさかという顔を見せたが、すぐに友人に確認していた。その日は、なんだか疲れてしまって、僕は状態を聞かずすぐに帰宅した。




 次に訪問した時、友人は僕の声を聞いて首を傾げた。


「はじめまして、ですか?」


それを聞いて、僕は頭を殴られたような衝撃に襲われた。胃の底が冷え切ってしまうような感覚が絶えず僕を苛んだ。一緒にリビングへ入ってきた友人の母親も心底驚いて、僕の名前を聞かせて思い出させようと友人に弱弱しく声を掛けていた。だがそれも虚しく、友人はさっぱり分からないと言いたげな仕草をした。


「とりあえず、座っては?折角訪ねて下さったようなのに立たせっぱなしは申し訳ないしね。たしかそっちにもソファがあるから、座って」


そういって友人が指さしたのは斜め前に置かれた一人用のソファ。どうしたって覚えていないんだということを悟ってしまった僕は、仕方なく促されるままにそこに座った。一先ず自己紹介を試みる。思い出してくれないかという僅かな希望も、返答を聞いてありえないことだったと期待したことを後悔した。


「へえ、いい名前ですね。同い年?」


友人は最初に出会った頃の様なまだ打ち解け切っていない、しかしながら人好きのする顔で僕のことを聞きたがった。こうなったら、初心に帰っただけなんだと自分に言い訳をして対応してやろうと、聞かれたことすべてに答えていった。




 果たして、それは次の訪問では跡形もなく消え去っていた。また僕のことに関してだけを綺麗に忘れてしまった友人は、最初と同じ笑顔で僕を迎えては、全く同じ質問を繰り返した。僕はそれに律儀に答えていった。果てしない寂しさはあった。だが見舞いに行くのを止めることも出来なかった。なんたって、僕の大切な友人なのだ。もし治ったら、その時またもとに戻れるようにと願ってやまなかったのだ。そのまま永久に友人の中から僕がいなくなるのは、とても恐ろしいことだった。




 ある日、懲りずに友人の見舞いに行ったとき、帰り際に友人の母親が一冊のノートを渡してきた。これは、と尋ねたが、家で読むようにと再三言われる以外は決して口を割らなかった。そして、何を思っても決して君のせいではない、と言い含めて僕の帰宅を見送った。それを訝しみながら、ノートを受け取った僕は急いで家に帰り、自室に引きこもってそのノートを開いた。


絶句した。


その中身は、友人の日記だった。そのことはなんとなく予想がついていたし、問題ないのだ。だが内容を読み進めていって、僕の今までの友人への態度はいかに残酷なものだったかを思い知った。友人は、結論から言えば僕に恋をしていた。そして、僕が普段から『友人』であることをこれでもかと強調し、その関係にひどく満足しているということを友人に話していたため、友人はその恋心を捨てることを決めたらしかった。だが、日記には中々捨てられない想いのせいで、日常の、僕の知り得ないところで心の傷に喘いでいたことが綴られていた。時に乱暴な字で、時に零れ落ちたのだろう涙に文字を滲ませながら。『忘れなきゃ』という言葉があちらこちらに書き殴られていた。


そして、ある日付の日記から更新が途切れていた。思い返せば、その日の翌日に瞳の変化について電話口で報告を聞いたのだった。最後の日記には短い願いの言葉が綴られていて、あの星空を閉じ込めた様な瞳の原因がこの日記であることが明らかとなった。僕はやるせなさで座っていられず、力尽くでカーテンを開いた。今日の空は、都会にしてはありえないほど星が瞬いていた。今更気づいたところで、友人にはどうやって申し開きをしたらいいのか分からない。そもそも記憶がないというのに、関係を新しく構築することもできないのに、どうしてこの感情を渡すことが出来ようか。彼女は僕を認識する度に僕を忘れていく。遅すぎた自覚は自嘲のタネになった。散々に自分を嘲り罵る僕の頬に流れたぬるい液体は、夜の冷えた風によってあっという間に温度を無くした。


──どうか、彼のことが好きであることを捨てられますように。そして、彼の理想の友人であれますように。

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