第36話
瀬戸杏の父親や祖父。更にもっと前の先祖の代から、瀬戸家の人間は桃宮家の側近として忠誠を尽くしていたらしい。
そのため杏は生まれた時から桃宮家の跡取りとなる子供に尽くす事が決まっており、リリ奈が生まれてからは2人ともずっと同じ道を歩んできたという。
まだ学生なため正式には任命されていないが、将来的には、杏はリリ奈の秘書兼ボディガードになる未来が決まっているそうだ。
そんな杏と千穂に果たして接点があるのか。
自分で予想しといてにわかに信じがたい仮説は、驚く事に当たっていた。
千穂を知っていると、ハッキリと彼女は口にしたそうだ。
仕事帰りに美井は指定されたカフェへとやって来ていた。
先払い形式らしく、購入したアイスティーを片手に店内を見渡せば、角の席に腰掛けている2人の姿を見掛ける。
リリ奈も気づいたようで、手招きされるまま
に2人の元へ足を運んだ。
「この前の質問、ちゃんと杏に伝えたわよ」
「ありがとう…」
「私はコスメとか見てくるから、2人で話したら」
去っていくリリ奈を見送ってから、美井は杏と向かい合う形で腰を掛けた。
以前会った時とは違い、カジュアルな格好をしている杏は年相応に見える。
「すみません、忙しいだろうに…」
「リリ奈様のご友人の頼みですから、お気になさらないでください」
礼儀正しい態度と口調に、こちらが畏まってしまいそうだった。
お嬢様に支えているだけあって、杏はシャキッとした出立ちでクールな印象を受ける。
少しだけ緊張しながら、美井は早速本題へと入った。
「あの、杏さんの高校時代の友達に千穂って人がいるって本当ですか…?」
改めて確認の言葉を入れれば、すぐには答えてくれなかった。
しかし悩むように間を置いた後、こくりと首を縦に振っている。
「……っ、私ずっと千穂ちゃんを探していて…」
はやる気持ちを必死に抑える。
学園で、美井以外にも千穂を知っている人は確かにいたのだ。
千穂についての情報を聞きたくて堪らないというのに、疑問符を投げかけてきたのは杏の方だった。
「どうして、千穂があなたの前から去ったか分かりますか?」
「え……」
「そもそもなぜ、素顔を隠していたのか」
「杏さんは、千穂ちゃんの顔知ってるんですか?」
戸惑いつつも尋ねれば、杏が呆れたように溜息を吐いた。
この人は一体、どこまで知っているのだろう。
美井の知らない、千穂という人物の秘密。
もどかしそうに、杏が自身の首元に手を当てる。
「……ここから先の私の姿は、リリ奈様には絶対に言わないでください」
どういうことなのか訳の分からぬまま頷けば、 先程まで彼女が纏っていた洗練された雰囲気が消える。
肘を机に立てて、そこに自身の顔を置いてリラックスした体制を取っていた。
そして、くだけた口調で確信的な言葉を口にしたのだ。
「千穂はあなたがマジで好きだったよ」
ハッキリと言われた言葉に、強く感情が揺さぶられるのが分かった。
ギュッと下唇を噛み締めながら、しっかりと耳を傾ける。
「正直千穂だったら選び放題なのに、なんで素顔隠してコソコソとあなたに会ってるのかよくわからなかった。たしかにあなたも可愛いけど、芸能人の千穂の周りにはそれ以上に整った顔立ちの子がうじゃうじゃいたから」
「やっぱり千穂ちゃんって芸能科の生徒だったんですか…?」
やはり、千穂が芸能科の寮に出入りしていたという噂は本当だったのだ。
だからこそ、必死に素顔を隠したがっていたのかもしれない。
「それすらも知らなかったわけ……とにかく、千穂はあなたのことが本当に好きだったけど、素顔を晒せない状況だった。知ったら、あなたの夢を壊すと思ったんじゃないの」
「え……」
「……今も、千穂はあなたが好きなままだよ。恋人も作らずに、ずっとあの頃に囚われたまま……友達のそんな姿見て、放っておけるわけもない。本当は、いま千穂の正体をあなたにバラしたいくらい……まあ、言わないけど」
期待を込めた目で見つめても、あっさりと希望は打ち砕かれてしまう。
友達として、彼女は千穂の秘密を守ろうとしているのだ。
「千穂はあなたに正体がバレることを望まない。だから、これだけ言わせて」
ピシッと彼女の細くて長い人差し指がこちらに向けられる。
そしてどこか切なげに瞳を揺らしながら、力強い声を溢していた。
「千穂の正体を、あなたはあの子に出会うずっと前から知ってるんだよ」
それだけを言い残して、杏は荷物を纏めて出て行ってしまう。
自分が言えるのはここまでだと、ボロが出る前に退散したのかもしれない。
杏が去ってから5分もしないうちに、席を空けていたリリ奈が戻ってくる。
彼女の手には、先ほどまで持っていなかった化粧品のショッピング袋が握られていた。
「前美井が進めてたヘアオイル買っちゃった……あれ、なんか元気ない?ていうか杏は……?」
「お店出て行ったよ」
「え?あの子どこ行ったのよ…」
千穂は芸能科の生徒で、美井の夢を壊さないために正体を明かせなかった。
そして、ずっと前から千穂の正体を美井は知っている。
「まさか、ね…」
一体、杏はどこまで知っているのだろう。
美井について、そして千穂について。
もし、千穂から美井の話を聞かされていたのだとすれば。
美井が大好きな相手があの子だと、知っていたとすれば。
まさか、そんなはずないと否定的な感情が込み上げてくるのに何故か消し去ることができない。
本能的に、どこか引っ掛かってしまっているのだ。
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