第26話
白くてふわふわとした雪が空から舞い降りてくるのを、千穂は車内から見つめていた。
天気予報というのは意外と当たるらしく、予報通り当日はホワイトクリスマスを迎えていた。
「きれー……」
今まで雪を見ても、こんな風に胸を躍らせたことなんてなかった。
好きな人とこれから一緒に過ごせるからこそ、些細なことが嬉しくて仕方ないのかもしれない。
仕事は長引くことなく予定通りに終わったため、車を走らせて学園に帰っている途中だった。
「昼間でもイルミネーションって付けるんだ…」
雪が降っている中、車内からイルミネーションが煌めいているのを眺める。
てっきり夜だけライトアップされるのかと思っていたが、昼間もキラキラと煌めいていた。
「次の仕事は明日の音楽番組の生放送だから、クリスマスだからってハメ外すなよ」
「そんなことしないですよ」
「まあ、南なら大丈夫か」
笑っているマネージャーに対して、ほんのりと罪悪感を募らせる。
日頃の行いのおかげで、他のメンバーより監視の目が甘くなっているのだ。
相手は同性でこちらの片想いなのだから、きっと問題はないはずだと必死に心の中で言い訳の言葉を並べる。
再び車の外に視線を移せば、嬉しそうに手を繋いで歩く男女のカップルの姿が視界に入った。
それが酷く羨ましいと思ってしまう。
「あぁ、いいな」と柄にもなく考えてしまっているのだ。
あんな風に美井と一緒にイルミネーションを見たい。
手を繋いで、歩きたい。
来年も、その先も。
あの子と一緒にいたい。
堪らなく、愛おしさが込み上げる。
あれほど彼氏持ちのメンバーを軽蔑していたというのに、まさか彼女達の気持ちが分かる日がくるなんて思いもしなかった。
こんなに苦しい想いを抑え込むなんて、並大抵な覚悟で出来ることではない。
自分でも感情を制御できなくて、ちょっとでも気を抜けば流されてしまいそうになる。
これがきっと、誰かを愛するということなのだ。
一度部屋に帰ってから、千穂は前髪をストレートアイロンで伸ばしていた。
巻かずに目元が隠れるよう真っ直ぐに伸ばしてから、マスクをつける。
制服姿ではなく、私服で美井と会うのは初めてだ。
気合を入れていると思われるのが嫌で、結局ロングスカートに短めな丈のニットという、ラフな出立ちでやって来ていた。
ネイルチップで彩った人差し指で、ゆっくりとインターホンのボタンを押す。
左手には、事前に買っておいた有名店のトゥンカロンを手土産に持っていた。
「いらっしゃい、千穂ちゃん」
出迎えてくれた彼女の姿に、思わず目を見張る。
私服姿の美井は、何度も見たことがあった。
握手会で会う彼女は、いつも可愛らしく着飾られていたのだ。
だけどまさか千穂の姿でも同じようにオシャレをして待ってくれているなんて、思いもしなかった。
握手会では一瞬しか見ることができなかった、美井のタイトワンピース姿。
淡いピンク色のリップがとても似合っていて、小ぶりのハート形イヤリングがより彼女を華やかにしていた。
リビングには沢山のご馳走が並んでいて、この日のために美井が用意してくれたのだと一目で分かる。
トゥンカロンを渡せば、オーバーなほど喜んだリアクションを見せてくれる。
この彼女の純粋さが、千穂は堪らなく好きなのだ。
席に向かい合って座ってから、今更ながらにマスクを外せないことに気づく。
食事をするためには外さないといけないが、それでは顔を晒す事になり、五十鈴南だとバレてしまうのだ。
どうしようと焦っていれば、向かい側からギュッと手を握られる。
いつもより冷えた彼女の手は、僅かに震えていた。
「……あのね、実は伝えたいことがあるの」
真剣で、まっすぐとした瞳。
頬は桃色に染まり、緊張からか彼女の瞳は薄らと潤んでいた。
「顔も知らないのに何言ってるのって思うかもしれないけど…私ね」
一度、美井が大きく深呼吸をする。
そんな彼女に期待をしている自分がいた。
ドキドキと煩いほど大きく心臓が鳴り響く。
指を絡めた恋人繋ぎの状態で、美井ははっきりとその言葉を口にした。
「千穂ちゃんが好きなの」
信じられずに、何度も彼女の言葉が脳内で反響しているのが分かった。
欲しくて堪らなかった言葉を、彼女の方から渡して貰えたのだ。
「女の子同士で、顔も知らないのに…変だよね。けど、千穂ちゃんのことが本当に好きで…優しい所も、可愛い仕草も…全部、本当に好きで…」
好きな人が、こんなにも千穂のことを思ってくれている。
嬉しいからか、驚きからなのか。
胸がジンワリと暖かい感情に包まれ始め、堪らなく幸福感に満ち溢れていた。
衝撃と喜びで、今まで感じたことがないほど胸が震えているのだ。
「すぐにとは言わないから、考えといて欲しいなって……」
その言葉に返事をしようと口を開いたのと、室内に二つの着信音が鳴り響いたのは殆ど同時だった。
二人ともマナーモードにしていなかったため、室内には軽快な音楽が流れ続ける。
「ごめん、びっくりさせちゃったよね。返事はいつでも良いからさ」
我に返ったのか、美井がはにかみながら席を立ち上がる。
そして照れた顔を隠す様に、背中を向けてスマートフォンを手にしていた。
千穂も必死に平常心を保ちながらスマートフォンの画面を見やれば、先ほど別れたばかりのマネージャーからメッセージが入っている事に気づく。
トーク欄を開けば、「今すぐ事務所に来て」とシンプルな言葉と共にURLが貼られている。
訳のわからぬ文面を不思議に思いながらクリックすれば、自動的にネット記事のページへと飛ばされた。
「え……?」
同じように自身のスマートフォンの画面を見つめていた美井が、戸惑ったような声を漏らす。
「ごめん、オタク友達からだったんだけど…ちょっと、よく分かんない記事が…」
美井と同じ以上。
あるいはそれ以上に、千穂だって衝撃に襲われているのだ。
聖なる夜のクリスマス。
本来であれば幸せな1日になるはずだったのに、送られてきたニュースは無情にも明るいものではなかった。
ラブミルの大型新人である四谷瑠美が、26歳年上のプロデューサーと一緒にホテルから出てきたという記事。
1年前から関係を持っており、彼の力で瑠美はラブミルに加入したと綴られている。
マネージャーから催促の電話も鳴り始め、このままクリスマスパーティーを続けられるはずがなかった。
『もう行くね』と書いて渡せば、美井は一瞬だけ傷ついた顔をしていた。
この状況では、もしかしたら彼女は悪い方向に捉えてしまったのかもしれない。
しかし、メンバーとしてこの緊急事態を無視するわけにもいかないのだ。
南はアイドルだから。
お金をもらってファンの人を喜ばせる責任のある仕事をしているのだから、私情に流されるわけにはいかない。
心を鬼にして、美井を置いて部屋を出る。
外は相変わらず雪が降っているというのに、それを彼女と見ることは出来ずに終わってしまった。
これ程までに、自分がアイドルであることを恨んだことはなかった。
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