第245話 逃亡したふたり、夕陽の庭で

 


 ☆



 その日、演説の後。

 俺は誰と話したのか、ほとんど覚えていない。


 なぜって?


 壇から降りるや、大勢の貴族や商会長たちが俺に詰めかけ、挨拶攻勢に曝されたからだ。


「ス、スタニエフ! こっちに来いっっ!!」


「は、はいっ!!!!」


 すぐにスタニエフを呼び寄せ、商人連中を押しつける。


 一方で俺は、これまでダルクバルトとはほとんど縁がなかった東部の領主やその親戚筋の者たちを引き受けていた。


「やあ、ボルマン君。僕はコーサ子爵に連なる––––」


「失礼。私はダルクバルト北西の––––」


「おい、僕が先に挨拶を––––」


「私は男爵とはいえ爵位持ちだ。貴殿が譲るべきではないか?」


「ボルマン卿! 先程のスピーチには感動しました!!」


「「おい、なに抜け駆けしてるんだ!」」


 うんたらかんたら。




「…………」


 まあ、ヤバい。

 圧が。


 フリードのおっさんが会場を煽ったせいで、皆、かなり興奮している。


 それこそ、これから革命でも起こして、東部全体で独立しかねないくらいの勢いだ。


 そしてその中心にいるのは、海賊伯と俺。


 今まで眼中にもなかった辺境領主のドラ息子が、東部一の実力者を動かし、前代未聞の水運協定を実現させてしまった。


 この場にいるほとんどの者たちにとっては、青天の霹靂であっただろう。


『乗るしかない! このビッグウェーブに!!』


 そう思った人々が、俺たちのところに詰めかけているのだ。


 さすがに伯爵のところに押しかける馬鹿はおらず、向こうではちゃんと列ができている。


 が、与し易そうな俺たちのところでは、早い者勝ちの挨拶競争が繰り広げられているのだった。




(そういえば、エステルは???)


 挨拶攻勢の隙に、彼女がいる方をチラ見すると、エステルもまた多くの令嬢やご婦人方に囲まれていた。


 取り乱すことなく、笑顔で丁寧に応対する婚約者。


 テーブルの上に置かれたダルクバルト産のジャムを手に取って、紹介したりといったことまでしている。


 そりゃあそうか。

 あのジャムは、エステル渾身の一作だ。

 彼女の想いが詰まっている。


 周囲の反応を見る限り、どうやらかなり好意的に受け止められているようだ。


「…………」


 だけどあれじゃあ、疲れ果ててしまうだろう。


 カエデが絶妙な位置どりでエステルに近づく人々の負荷を下げようとしているが、それにも限界がありそうだ。


 適当なところで声をかけて、会場から連れ出した方が良いだろう。


 俺はそう心を決め、まずは目の前の人だかりを少しでも捌こうと、現実に向き合ったのだった。




 ☆




 四十分後。


 いつまで経っても捌けない人だかりに業を煮やした俺は、強硬策に出ることにした。


「失礼。果実水を飲み過ぎたようで、ちょっと外させて頂きます!」


 そう宣言し、人だかりをかき分けて婚約者のところに向かう。


「エステル!」


 やや大きな声で周囲を牽制し、彼女の手を掴む。


「––––ボルマンさま?」


 疲労の色が見える笑みを見た俺は、


「失礼。ちょっと彼女と打合せがありますので。––––行くよ、エステル!」


「––––え? え???」


 戸惑うエステルの手を引き、彼女を人の群れから連れ出したのだった。




 ☆




 会場から抜け出した俺とエステルは、人目を避け、ホテルの中庭に出ていた。


 陽は傾き、美しい庭園は一面オレンジ色に染まっている。


「あ、あの……ボルマンさま?」


「?」


 振り返った俺に、彼女はもじもじしながら呟く。


「あの……手を…………」


「あ、ごめんっ」


 俺は慌てて、会場から握りっぱなしだった手を離した。


「…………」


「…………」


 向き合う二人。


 夕陽に照らされたエステルの頬が、朱に染まっている。

 多分、俺も。


 最初に口を開いたのは、エステルだった。




「あの、連れ出して下さりありがとうございます。––––実は、ちょっと人の多さに酔っていました」


 そう言って、はにかむエステル。

 俺は首を振った。


「助けに行くのが遅くなってごめん。本当はもうちょっと早く君のところに行くつもりだったんだけど……。疲れたろ」


「正直、少し……。あ、でも、皆さんにダルクバルトの良さをたくさんお伝えすることができました!」


「見てたよ。さすがエステルだ。よく頑張ったね」


 俺は手を伸ばし、彼女の頬を軽くなでる。


「!」


 一瞬緊張したけれど、すぐに力を抜くエステル。


「––––はい。頑張りました」


 彼女は目を瞑り、しばらく心地良さそうに俺に頬と髪を撫でられていた。




 やがて彼女はまぶたを開き、同じように俺の頬に手を当てると、にっこりと微笑んだ。


「ボルマンさまも、素敵でした」


「うーん……。押し寄せる人波を捌くので精一杯で、実は相手の顔もろくに覚えてないんだけどね」


 ははっ、と自嘲気味に笑う俺。


 するとエステルは少しだけ拗ねたような顔をして、


「ちがいます。壇上でのスピーチのことですよ」


 そう言って、俺の唇に人差し指を押しつける。


「『私の旦那さまは、こんなに素敵な人なんだ』ってあらためて思いました」


 彼女の『旦那さま』という言葉に、ドクン、と心臓が跳ねる。


 一方のエステルは、再び、穏やかな微笑とともに潤んだ瞳で俺を見つめてくる。


 そんな彼女が、あまりにも綺麗で––––


「奇遇だな。俺も今『俺の奥さんはなんて素敵なんだ』って思ってたんだ」



 二人の顔が近づく。



「愛してるよ。エステル」



「私もです。ボルマンさま」



 そして俺たちは、あの遺跡での約束通り、再び唇を合わせたのだった。




 ☆




 締結式から一週間。


 俺たちは目がまわるほど忙しい日を過ごしていた。


 次々と押し寄せる来客の波。

 有象無象の商談の嵐。


 その合間を縫って、タルタス男爵とアトリエ・トゥールーズの作品の画廊との契約をこなし、フリード伯爵や協定を締結した各家門と実務的な打合せを行ってゆく。


 一方、王城では春の叙爵式が行われ、両親はそちらへの出席でわたわたしたりしていた。



 そして、その日が迫って来る。


 フリード卿との約束の日。

 王国監査院との面談の日が。


 待ち侘びた仲間たち––––ジャイルズとカレーナが『彼』を連れて王都に到着したのは、なんと面談の前日だった。








いつも応援頂きありがとうございます。

ちょっとだけCMさせて下さい。


近況ノートに書影を掲載させて頂きましたが、二八乃が並行連載している「やり直し公女の魔導革命」の1巻が、来たる6/15に一二三書房、サーガフォレストから発売となります!


本文、イラストともとても良いものができましたので、よろしければ見てみて下さい。


引き続き二八乃の作品をどうぞよろしくお願い致します。




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