第244話 リトルオークの演説



 フリード伯爵の紹介で、今回協定を結ぶ三人の領主たちに挨拶した俺とエステル。


 反応を見る限り、まあまあ悪くない雰囲気で関係をスタートできそうだ。


 一人ひとりと握手をした後、伯爵が言った。


「以前にも言ったが、今回の協定の発案者はダルクバルト准男爵だ。今後は実務上のやりとりをする機会も増えるだろう。この機会に必要な者と顔合わせをしておくといい」


 伯爵の言葉に頷く三人の領主。


「それじゃあ、早速うちの関係から紹介させてもらおうかな」


 長身のコーサ子爵が気楽そうにさっと手を挙げる。


「それが良いでしょう。うちは面識がありますから、最後で構いませんよ」


 隣領のミモック男爵が同意する。

 小柄な紳士、アイーダ男爵もそれに続いた。


「それでは子爵。そちらの紹介が終わったら声をかけてもらえますか」


「ああ、いいよー」


 軽く頷くコーサ子爵。


 こうして俺たちは各貴族家の親族たちに挨拶することになったのだった。




 ☆




 それからわずか三十分ほどの間に、俺とエステルの貴族の知り合いは倍増……いや、激増した。


 まあ二人とも元々の交友関係がゼロに等しかったので、当たり前と言えば当たり前だが。


 それにしても有意義な時間だったと思う。


 談話室には、協定に直接参加する四つの貴族家の他、准メンバーとして参加する近隣の三つの貴族家と、各家門に連なる者たちも集まっていた。


 そのほとんどの人たちに挨拶することができたのだ。


 もちろん相手の顔と名前を一人ひとり覚えてなどいられなかったが、こういうのは『面識ができた』ことが大事だ。


 こっちは覚えてなくても、相手は覚えている。

 何かのきっかけで取引に繋がることもあるだろう。


 ちなみに今回の協定には、馬車襲撃事件以来の協力関係にあるタルタス男爵家も准メンバーとして参加している。


 会場にはもちろん男爵の姿もあり、見かけて互いに会釈をしたが、落ち着いて声をかけることができたのは、挨拶まわりがひと段落した後のことだった。




「タルタス男爵閣下!」


 俺が声をかけると、気づいた男爵が苦笑いとともに振り返った。


「やあ、ボルマン君。大忙しだったね。挨拶まわりはひと息ついたかい?」


「はい。おかげさまでなんとか。––––挨拶に伺うのが遅くなり申し訳ありません」


「いやいや、僕とは一週間前に会ったばかりじゃないか。この場では面識のない人たちへの挨拶を優先するべきだ。君の判断は正しいよ。それより––––」


 男爵はにやりと笑って俺とエステルに顔を近づけ、ひそひそ声で言った。


「アトリエ・トゥールーズのポスターの件、早速美術愛好家の間で話題になり始めてるよ」


「えっ、もう?!」


 驚く俺に、楽しそうに頷くタルタス卿。


「ああ。実は先日、ある芸術系のサロンで主催者に頼んで掲示してもらったんだ。そうしたら思った通り、なかなかの反響でね。すでに『このポスターを売って欲しい』って話が何件か来てる。––––よかったら日を改めて相談させてくれないか?」


「もちろんです! では、早速明日の午後でいかがですか?」


「さすがボルマン君だな。話が早い。それじゃあ明日の午後までにポスター五枚を用意しておいてくれ。昼食後、宿のロビーで落ち合おう」


 そういえば、男爵もこの宿に宿泊してるんだったな。


「分かりました。明日の昼までに用意しておきます」


「そうこなくちゃ」


 そうして俺たちは、がっちりと握手したのだった。




 ☆




 協定の締結式は、王国東部の多くの貴族と商会長たちに見守られる中、滞りなく行われた。


 控え室でのびていたうちの両親も、宿のスタッフに身なりを整えてもらってなんとか復活。


 ゴウツークは俺が後ろでフォローする中、無事協定書にサインした。


 メンバー四領、准メンバー三領がサインを終え壇上で握手すると、協定の取りまとめ役となったフリード伯爵が会場に向けて口を開いた。


「諸君。本日締結された『テルナ川水運協定』で我々はローレンティア東部に新たなモノとカネの道を拓くことになる。取引量は増え、国外への輸出にも拍車がかかる。その恩恵は皆の想像を超えたものとなるだろう。また同時に本協定は、共通の脅威……即ち『魔獣の森』に対する共同防衛の枠組みとしても機能する。魔物による被害は減り、各領の生産量は増大。東部地域はこれより未曾有の発展の時代を迎えることになるだろう!」


 ––––おおおおおおおお!!!!


 伯爵の力強いそのその言葉に、会場が大きく沸く。


 その反応に満足そうに頷いたフリード卿は、そこで俺の方を見てにやりと笑った。


 …………うん。

 なんか嫌な予感しかしないんだが。


 伯爵は再び口を開いた。


「それではここで、この革新的な協定の発案者を紹介しよう!」


「?」


 頭が回らず、顔を顰める俺。


 ––––ザワザワ、ザワザワ……


 ざわめく会場。


(協定の発案者はフリード閣下じゃないのか?)


(取りまとめをしておられるし、てっきり閣下の発案だと思ってたんだが)


 そんな声が聞こえてくる。




 そんな中、伯爵が例によって獰猛な笑みを浮かべて俺のところにやって来た。


「……閣下、なんですか?!」


 戸惑う俺に肩をまわし、ぼそりと囁く伯爵。


「貴様も腹を決めろ」


「は?」


「ここで前に出なくて、いつ出るのだ」


「はい???」


 聞き返した俺に構わず、そのままゴツい腕で俺を前に押し出す伯爵。


 訳が分からないまま皆の前に引っ張り出されると、会場中の不審げな視線が俺に集中した。


(なあ、あれって……)


(ああ、例のダルクバルトの子豚鬼(リトルオーク)だろ。––––って、まさか?!)


 どよめく参加者たち。


 そんな会場に向かって、伯爵が声を張り上げた。



「あらためて紹介しよう。––––儂にテルナ川の水運開発を持ちかけた、ボルマン・エチゴール・ダルクバルトだ!」



「はいぃっ???」


 ––––ええええええええっっ??!!


 俺の声は、その何倍もの驚きの声にかき消される。


「ほら、なんか言え」


「––––いてっ!」


 傍らからゲンコツで脇腹を小突かれた俺は、腹をさすりながら正面に向き直った。


 人々の視線が、さらに俺に突き刺さる。


 半分は不審そうに。

 あとの半分は興味深げに。


 何を喋るべきか。


 過去か、未来か。


 伯爵の無茶ぶりに、頭が真っ白になる。




 途方に暮れかけたその時。

 俺は会場の真ん中あたりに見知った者たちの顔を見つけた。


 エリスは両手を腰に当て、俺を見極めるかのように、きっ、とこちらを睨んでいる。


 スタニエフは背伸びした正装で、真剣な顔で俺を見上げている。


 カエデは凛とした立ち姿で、ただ静かにこちらを見ている。


 そしてエステルは––––いつもと変わらぬ優しい瞳で俺を見つめていた。


 重なる視線。

 わずかに微笑み、頷く少女。


 その瞬間。

 四人の後ろに、この場にいないはずの二人の仲間の姿が見えた気がした。


 ––––そうだ。

 難しい言葉はいらない。


 大切なものを、大切だと言えば良い。


 俺が今、ここに立っている理由。

 そしてここに立つことができている理由を。


 俺は顔を上げ、大きく息を吸った。




「私たちは今、大きな脅威に晒されています」


 そのひと言に、一部の人々がぎょっとした顔でこちらを凝視する。


「魔獣の森から溢れる狂化個体は増加し、海の向こうの帝国は恐るべき技術を武器に諸国を征服しながら我が国に迫っています。このままでは私たちは、遠からず滅びの道を歩むことになるでしょう」


 それは驚きの光景だったのだろう。

 悪名高き『ダルクバルトの子豚鬼(リトルオーク)』の意外な言葉。

 静まり返った会場に、俺の声だけが響く。


「––––しかし今ならまだ間に合います。愛する故郷、愛する人々を守るため、新たな道を拓いて地域を発展させるのです。人と資金を呼び込み強靭な社会基盤を作るのです。テルナ川のほとりに住まう我々が手を取り合って協力し、知恵を出し合えば必ず実現できます。今回の協定はその第一歩です」


 俺は眼下の人々を見渡し、こういう言葉で話を締めくくることにした。



「東部地域に輝ける未来を。テルナ川に幸いあれ!」



 …………。


 一瞬の静寂。

 皆の唖然とした顔。

 次の瞬間、傍らの伯爵がこぶしを掲げ会場に向かって叫んだ。


「テルナ川に幸いあれ!!」


 空気を震わせる大声。

 その反応は即座に返ってくる。


「「テルナ川に幸いあれっ!」」


 誰かがこぶしを突き上げる。


「「「テルナ川に幸いあれっ!!」」」


「「「「テルナ川に幸いあれっ!!」」」」


 瞬く間に広がった皆の叫び声が、何度も、何度も会場を震わせる。


 期待、興奮、情熱、そして圧倒的な一体感。


 興奮の渦の中で伯爵が両手で制止すると、ぴたりと連呼が収まる。


 伯爵は言った。


「諸君。今日は我々の未来について語り合おう」


 次の瞬間、大歓声と割れんばかりの拍手が爆発した。



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