第226話 王都ローレント

 

「でけぇ!」


 王都の遠景を前に、先導していたジャイルズが叫ぶ。


「そりゃあペントとは比較にならんだろう。……っていうか、お前にとっては生まれ故郷なんじゃないか?」


 俺が声をかけるとジャイルズはこちらを振り返り、


「まあ、そうなんだけどさ。住んでたのは六つの時までだったし、町の外に出ることなんてほとんどなかったからさ」


 そう言って頰をかく。


「なるほど。市壁の外じゃいつ魔物に襲われてもおかしくないもんな」


 言われてみたらその通りだ。

 商人や冒険者ならまだしも、住民が町の全景を見る機会なんて、そうそうないのかもしれない。


「前に見た時は引っ越しのバタバタでそれどころじゃなかったし……。そうか。王都って、こんなにデカかったんだな」


 元王都防衛隊隊長の息子は、しみじみと呟いた。




 ☆




 王都ローレントからは、国の幹線となる街道が四方に伸びている。


 王国東部から来た俺たちは、当然東街道の基点である東門から王都入りすることになるわけで––––


「いつもながらすごい混みようね」


 入市許可を得るために正門前に列をなす人馬の群れを見ながら、天災少女が人ごとのように言った。


 まあ、俺たちは貴族専用の入口を使うので、実際人ごとではあるのだが。


「いつも、こんなに混みあっているんですか?」


 目を丸くするエステル。


「ええ。毎度こんな感じよ。王都には国中から人と物が集まってくるから、日が暮れるまでこれが続くのよね」


 王立封術院に研究室を持つエリスは、それなりの期間を王都で過ごしている。

 完全に王都育ちで冒険者だったカレーナを除けば、そのあたりの事情には一番詳しいだろう。


 そういえば……


「エステルは王都は初めて?」


 俺の問いに、隣で微笑む婚約者。


「幼いころに母と訪れたことがあるんですが、ミエハルの屋敷と母方の実家のお屋敷を行き来した記憶しかないんです。ですから、ほとんど初めてのようなものですね。––––ボルマンさまは、来られたことがあるんですか?」


「ああ。数年前に親にひっついて一度だけね。もっとも両親は俺を放ったらかして『買い物』に行ってたから、俺にとっての王都は執事に連れてってもらった闘技場の印象しかないけどね」


 豚父は歓楽街に女狩りに。

 豚母は画廊へ美術品の選択に行ったとさ。


 そりゃあボルマンもグレるだろう。


「ただ『ゲーム』では何度も来る機会があったし、王都を舞台にしたイベントもいくつかあったから、どこか懐かしい感じもするんだ。今回の滞在ではやらなきゃならないことも多いけど、時間を見つけてぶらっと町を歩きたいとも思ってる」


 そこで俺は、ごほん、と咳払いをする。


「それで、その…………君がよかったら、一緒に町を見てまわらないか?」


 突然のデートの申し入れ。

 その言葉にエステルは一瞬きょとんとして、


「––––はい。喜んでご一緒させて頂きます」


 そう言って頰を染め、はにかんだのだった。




 ☆




 貴族専用門をほとんど待たされることなく通過した俺たちは、まずはフリード伯爵の屋敷に向かうことにした。


 理由は簡単。

 王都滞在中、エリスとナターリエは実家の王都屋敷に寝泊まりすることになるからだ。


 独身の伯爵令嬢が婚約者でもない男と一緒に行動するのは好ましくないし、セキュリティの面からもそちらの方が良いと判断した。


「エステルも一緒にうちに泊まればいいのに……」


 大勢の人馬で賑わう大通りを馬で進みながら、ぶー垂れる天災少女。


「それができればわたしも嬉しいんですが……」


 苦笑するエステル。

 俺は彼女に代わり、エリスに反論する。


「そういう訳にもいかんだろ。王都にはミエハルの屋敷もあるんだ。もしエステルがフリードの屋敷に泊まれば、ミエハルから『なぜ実家に泊まらないのか』と苦情が来るだろう。エステルとカエデの安全面を考えれば、それは絶対に避けたい」


「でもエステルは貴方たちと同じホテルに泊まるんでしょう? そっちに泊まっても苦情が行くんじゃないの?」


 当然なことを反論してくるエリス。

 俺は首を横に振った。


「今回、彼女は非公式に俺に同行してるんだ。ミエハル子爵には公式には同行を伝えてないからな。苦情の入れようもないさ。……まあ、どこぞのメイド長からチクりは入ってるだろうけどな」


「それじゃあ、うちに泊まっても同じじゃないの?」


「同じじゃない。フリードの屋敷でエステルを預かるとなれば、家長であるフリード伯爵自身がミエハルに一報を入れないといけなくなる。勝手に泊めたりしたら、ミエハルに誘拐だなんだと因縁をつけられかねないからな。そうなればミエハルからフリードに儀礼上礼を言わないといけないし、潜在敵にそんな借りを作るくらいなら、普通は『実家に泊まれ』となるわな」


「……なるほど。理解したわ」


 仏頂面で首をすくめるエリス。

 彼女は一度納得すれば、しつこく食い下がることはない。

 ただまあ、


「じゃあ、私の方からそちらに遊びに行くわ。それならいいでしょ?」


「いいけど……。まさか毎日来るつもりじゃないだろうな?」


「まさか。当たり前でしょ? うちに一人でいたってつまんないじゃない」


「おい」


 そうだ。

 こいつはこういうやつだった。


 はあ、とため息を吐く俺。


「わたしも、エリス姉さまが来てくださるのを楽しみにしてますね」


 そう言って微笑むエステル。

 なんだろう。

 うちの婚約者は天使だろうか?




 ☆




 王都ローレントは王城を中心として二重の市壁で町を囲んでいる。


 先ほど通過した東門などがあるのが新市壁。

 そして平民と貴族の居住区を区切っているのが旧市壁だ。


 つまり旧市壁をくぐればそこは旧市街……貴族街ということになる。


 俺たちは旧市壁の門で身分証を見せると、馬に跨ったまま貴族街に足を踏み入れたのだった。




「貴族街って、こんな風になってたんだ」


 後ろからカレーナの声が聞こえてきた。


 建物がひしめき人々で賑わっていた新市街と比べ、明らかに人通りが少ない。


 道ゆくのはどこかの屋敷の使用人と思しき者ばかり。

 あとは馬車や馬の行き来があるくらいだ。


「来るのは初めてか?」


 彼女は俺の問いに頷いた。


「うん。うちは私が物心ついたときにはもう爵位返上して平民街に住んでたし、両親が亡くなってからはずっと孤児院だったから」


「そうか…………って、おい!」


 さらっと、大事なことを言うカレーナ。

 あぶなく聞き逃すとこだったぞ!


「お前の家って、貴族だったのか?!」


 俺の問いに、少しだけ気まずそうにする隠密少女。


「没落貴族だよ。貴族税が払えなくなって、爵位を返上したんだ。言わなかったっけ?」


「いや、普通に初耳だが。……そうか。それで読み書きや計算ができたのか」


 俺は長らく不思議に思っていたことに合点が入った。


 この国の識字率は低い。

 平民で読み書き計算ができるのは商人くらいだ。


 そんな国で、入試があるはずの王立封術院に孤児院出身のカレーナが入れたことにずっと違和感を感じていた。


 だけど彼女の両親が元貴族だというなら、それも理解できる。


「両親は私と弟にお金は遺せなかったけど、もっと大事なものを色々遺してくれたんだ。読み書きと計算もそうで、そのことはずっと親に感謝してる」


「そうか……。たしかに教育は一番の財産だからな」


 俺が、うん、うん、と頷いていると、今度はエリスが口を開いた。


「貴方って頭の回転は速いのに、時々すごく鈍感よね」


「なんだよ?」


 むっとして言い返すと、天災少女はどこか呆れた顔で言った。


「彼女の名前を、フルネームで言ってごらんなさいな」


「カレーナ・サランだろ? ……あ」


 彼女の名前を口にして気がつく。


「サラン家の、カレーナ嬢。私やエステルはとっくの昔に気づいてたわよ」


 首をすくめるエリスに、何も言い返せない俺。

 そんな俺に、カレーナが苦笑いしながらからかうように言った。


「私のこと、お嬢様扱いしてもいいんだからね」


「……検討させて頂きましょう。お嬢様」


 そんなことを言いあってるうちに、目的地に着いたのだった。







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