第210話 もう一つの秘密

 

「前に、エリスの馬車が盗賊に襲撃された話をしたよね」


 俺の言葉に頷くエステル。


「ボルマンさまが駆けつけて助けに入られた事件ですよね?」


「ま、まあ、そんな格好のいいものじゃなかったが……。とにかくあの事件では、カレーナは騙されて盗賊の片棒を担がされていた」


「たしか、冒険者ギルドの依頼でカレーナさんを騙した人がいたとか……」


 思い出すように呟いたエステルは、わずかな思考のあと、はっとして顔を上げた。


「まさか、あの事件にもクルシタが関わっていたんですか?!」


 悲鳴のような叫び声が、あたりに響く。

 俺は静かに頷いた。


「クルシタ家の執事を見たカレーナが言ったんだ。王都で自分を騙したのはあいつだ、ってね」


「そんな……っ」


 瞳に驚きと恐れの色を浮かべ、絶句するエステル。

 彼女は顔を伏せると、膝の上に置いたこぶしを震わせた。


「まさか……お父さまが?」


「それはまだ分からない。執事とミエハル子爵の関係がどこまでのものなのか……。今、カレーナとひだりちゃん、それにフリード伯爵の手の者が探ってくれているはずだ」


 だが俺の言葉は、彼女に届いてはいなかった。


「そんな……なぜお父さまがエリス姉さまを…………」


 動揺し、不安げに視線を彷徨わせるエステル。


 俺はベンチから立ち上がり、その場に片ひざをつく。

 そして、彼女の震えるこぶしに両手を重ねた。


「っ!」


 小さく跳ねる小さな身体。


「…………」


 俺は黙って、彼女の手に自分の手を重ね続けた。




 風に吹かれ、木々がさわさわと音を立てる。

 いつの間にか、鳥たちもどこかに行ってしまったようだった。


「…………」


 どれほどの時間が経ったのか。

 やがて彼女がわずかに視線を上げた。


「……すみません。取り乱してしまいました」


 未だ泣きそうな顔で呟くエステル。


 自分の実の父親が、姉と慕う人を殺そうとしたかもしれない。それも、今や仲間となった身近な人を巻き込んで。


 ––––動揺するのは当たり前だ。


「いいよ。君が落ち着くまでこうしてる」


 彼女の手に自分の手を重ねたままそう言うとエステルは、


「ボルマンさまは、わたしに甘すぎます」


 そう言って、泣き笑いのように微笑んだ。




 ようやく落ち着いてきたエステルに、俺はエリスが帝国から狙われる理由と、予想される帝国側の次の一手について説明した。


 婚約者は俺の説明を黙って聞いていたが、話が終わると不安そうな目で俺を見る。


「つまりボルマンさまは、近く帝国の手の者がわたしのお屋敷にやってくると考えてらっしゃるんですね」


「そうだ」


 彼女の目を見つめながら、頷く。


「そしてその者は、カエデとエリス姉さまを害するかもしれない……」


「向こうが今後どう出てくるかは俺にも分からないが––––だからこそ、こちらにもそれに対応できる人間が必要なんだ」


 俺の説明を聞いた婚約者は、しばし視線を落とし沈黙した。


「…………」


 彼女の中でも、考えを整理する時間が必要だろう。


 俺が話を切りあげようかと思い始めたとき、エステルは顔を上げ、俺を見つめた。


「皆さんに、きちんとこの話をしましょう」


 目尻に残る微かな涙のあと。

 だが、その瞳にもう迷いはない。


「みんなに、か……」


 俺はエステルの提案に躊躇する。

 一人、情報秘匿の面でちょっとばかり不安なやつがいるからだ。


 そんな俺の迷いに気づいたのだろうか。

 エステルは俺の目を覗き込むようにして尋ねてきた。


「ボルマンさまは、わたしの屋敷にやって来るであろうその者を、追い出すつもりはないのですよね?」


「ああ。追い出したら、その時点でこちらが『敵』をどの程度認識しているかが帝国側にバレるからね。それがきっかけでまた強行手段に出られたらかなわない。向こうが何かことを起こそうとするまでは、あえて泳がせて偽の情報を与えておきたいと思ってる」


 つまり、カウンターインテリジェンスを仕掛ける。

 それで稼ぐ時間は、帝国側よりも俺たちに有利に作用するだろう。


「そうであれば、なおのこと皆さんに話をしておくべきかと。ここで一部の方だけに秘密を打ち明けたとなれば、知らされなかった方は後々『自分は信用されていない』と感じるでしょう」


「…………そうだな」


 元々俺は、ジャイルズを除く全員にこの話をしようと思っていた。


 当事者であるエステルとカエデ、エリスには伝える必要があるし、情報収集の面でスタニエフとカレーナにも知っておいてもらった方が良いと考えたからだ。


 だがジャイルズは…………あいつ、顔に出るからなあ。

 相手が敵のスパイだと知った上で、すっとぼけられるかどうか。正直、不安だったのだ。

 だが、


「考えようによっては、成長の機会でもある、か」


 呟いた俺に、エステルが言った。


「誰かに期待され、それに応えようとすることで伸びる力もあります」


 家族から見放され、俺との出会いをきっかけに変わる努力を始めたエステル。

 その言葉は、重い。


「分かった。今晩、皆に話をしよう」


「……はいっ!」


 穏やかな春の日差しの中、エステルは風に揺れる野花のように微笑んだ。




 ☆




 その日の晩、俺は再び仲間全員を集めて、全てを話した。


 エステルの実家の執事が、帝国の手の者であること。

 そいつがエリス襲撃の黒幕であること。

 そして、エリスの新たな侍女は、近く送り込まれるであろう帝国の間諜対策であること。


 話を聞いた仲間たちの第一声は、やはり彼女だった。


「やっぱりね。何か裏があると思ったのよ」


 そう言って、皮肉げな笑みを浮かべる天災少女。


「裏って言うな、裏って。先にエステルに話をしときたかっただけだよ」


 俺の抗議を無視した彼女は、隣の席で何かを言いたそうにしているエステルの方を向いた。


「あ、あの、わたし…………」


 気まずそうに俯くエステル。

 そんな彼女を、エリスは黙って抱き寄せた。


「っ!」


 戸惑うエステル。

 エリスは自分の妹分をぎゅっ、と抱きしめて言った。


「エステルが責任を感じる必要はないわ。これは、私と帝国の問題よ」


「でも……」


「それともあなたは、実家と敵対関係にある私のことが嫌いになった?」


「そんなっ、そんな訳ありませんっ。エリス姉さまは、私にとって大切なお友だちで……家族です!」


 必死で訴えるエステル。

 エリスは少しだけ体を離すと、妹分を見つめ微笑した。


「私も同じよ。だから気にしないで」


「……はいっ」


 エステルに笑顔が戻った。




 目の前の百合ゆりしいやりとりを生暖かく見守っていた俺は、一区切りついたところで皆に言った。


「まあ、そういうことだ。これから俺たちは、こういう影の鍔迫り合いをしながら帝国に対抗していくことになる。送り込まれるであろうスパイへの対処については、向こうの肩書きと人物像を見て相談していこう。基本は普通に接して『知らんぷり』だ。ただし、そいつの前では機密性の高い話はしない。そういう方向でいこうと思う。……何か質問はあるか?」


 俺の問いに、しんとなる仲間たち。

 そのまま何もなく終わるかと思われた時、そいつが口を開いた。


「なあ、坊ちゃん。なんで敵だと分かってるのに、そいつを捕まえようとしないんだ?」


 納得いかない。

 ……そんな顔をして声をあげたのは、ジャイルズだった。







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