第207話 仲間への報告と、隠し事

 

 ふわり、と甘い香りが漂った。


 久しぶりに感じるエステルの温もり。

 今やスリムで華奢になった婚約者の感触に、心拍数が跳ね上がる。


 だが––––


「お嬢様、人の目がありますよ」


 彼女の背後から聞こえた、優しげな声。

 その声に、俺とエステルは慌てて体を離した。


 エステルの肩越しに見える、和風メイド。もとい和風侍女。

 彼女は、ゴゴゴ、という聞こえないはずの音とともに、殺意の篭もった笑顔で、びっ、と親指で首を切る動作をしてみせた。


 こ、怖っ!?


 先日のやりとりで、俺のことをいくらかは認めてくれたと思うんだが。

 それでもこういうのはイカンらしい。


 だが、エステルが彼女を振り返ったときには、一瞬にしてその殺意は消えていた。


「あの、誰かに見られちゃいましたか?」


 頰を染めながら尋ねるエステルに、カエデは、


「はい。でも不埒なのぞき屋は、すぐにどこかに逃げて行ってしまいましたね」


 そう爽やかな笑顔で返したのだった。


 いや、ウソやん。

 誰もおらんかったやん。

 怖いわ〜

 ホント怖いわこの姐ちゃん。


 などと嫌な汗をかいていると、エステルは今度は俺を見上げ、


「ボルマンさまはご不快でしたか?」


 と不安げに尋ねてきた。


 慌てて首を横にぶんぶん振る俺。


「それじゃあ……」


 ぽすっ、と再び体を預けてくる婚約者。


「!!」


 ヤバい。死ぬ。

 可愛いすぎて死ぬ。


 俺が鼻血を噴きそうになっていると、


 ゴゴゴゴゴゴ……


 エステルの後ろから、先ほどを上回る殺気をぶつけてくる皇女殿下。

 そのせいで別の意味でも死にそうだった。




 しばらくしてエステルは俺から離れると、ちら、と俺の後ろを見た。


「あの、カレーナさんは一緒じゃないんですか?」


「ああ。カレーナにはひだりちゃんと一緒に帝国のスパイを調べてもらってる。例の誘拐犯たちが送った手紙から、敵の諜報網の一部が分かったんだ」


「そうですか……。危ないことがなければ良いんですが」


 胸元で小さなこぶしを握りしめ、心配そうに呟くエステル。

 俺はそんな彼女を安心させようと口を開く。


「ひだりちゃんが一緒だし、大抵のことはなんとかなると思う」


「ひだりちゃんですか?」


「ああ。あいつ人の意識に干渉したりできるから、カレーナと組めば大概のことはなんとかなるはずだ。それにフリード伯爵に調査の引き継ぎを頼んだから、二人ともあと数日で帰って来るよ」


「フリード領まで行って来られたんですか?」


 驚く婚約者に俺は苦笑いする。


「まあ、必要だったからね。そのあたりを含めて、皆に報告しようと思う」


「はい。今なら皆さん、お屋敷におられると思います」


 微笑み頷くエステル。

 そうして俺は彼女と二人、馬を引き引き屋敷まで歩いた。


 ……もちろんその間、背中に冷たい殺気が突き刺さり続けたのは、言うまでもない。




 ☆




 正直なところ、この時点で俺はまだ覚悟が決められてなかった。


 エステルに、彼女の実家が関わっていることを告げる覚悟だ。


 言えば彼女を傷つける。

 だが、いつかは言わなければならない。


 この後ミエハルは、彼女の屋敷に間諜を送り込んで来るだろう。

 エリスの護衛兼侍女も近く到着する。


 全てを隠し通すことはできない。

 だが、いきなり皆の前で発表するのもどうかと思う。


 ––––今日中に、エステルに話をしなければ。


 そう自分に言い聞かせて、会議に臨んだのだった。




 ☆




 20分後。

 エチゴール家の食堂には、仲間たちが集まっていた。


 俺は皆の前に立ち、一度だけ深呼吸をすると口を開いた。


「結論から言う。カエデの素性と能力が恐らく帝国にバレた」


「「っ!?」」


 息を呑む仲間たち。


 俺はラムズたちが犯行の前日にテンコーサの仲間宛に手紙を出し、その手紙が協力者の手によって『ある貴族家』の執事に届けられたらしいことを説明した。


「『ある貴族家』って、どこよ?」


 案の定、エリスからつっこまれる。

 俺はあらかじめ用意していた答えを口にした。


「それはカレーナが戻ってから説明する。今あいつは現地でその証拠集めをしてくれてる」


「ふーん……」


 胡乱げに俺を見るエリス。

 俺は気を取り直して話を続けた。


「いずれにせよ、あらためて警戒が必要だ。敵の監視と情報収集についてはフリード伯爵にあとをお願いしてきたが、いつ何時、先日のようなことが起こらないとも限らない。みんな、身のまわりで少しでもおかしなことがあればすぐに報告してくれ。……カエデもな」


 俺の呼びかけに、わずかに苦い顔をする皇女殿下。

 だが彼女は以前とは異なり、静かに「わかりました」と頷いて俺を見た。




 続いて俺が、次の話についてどう説明しようかとあごに手をやった時、その話題の中心人物が口を開いた。


「ねえ、ボルマン。今、お父様の名前が出たけど、まさかうちの実家まで行ってきたの?」


 ––––もちろん、エリスだ。


 さて。ここでつっこんだ話をするべきか。

 俺は彼女の顔を見て少しだけ思案する。


「……ああ。今回の顛末の報告と、カレーナに代わって帝国の諜報網について情報収集をしてくれるよう依頼するために、フリーデンまで行って来た」


「相変わらずフットワークが軽いわね。それで、一体どうやって説得したの? 諜報の協力なんて、ちょっとやそっとで決められることじゃないでしょう」


 さすがフリード卿の娘。

 そのあたり、よく分かってらっしゃる。


 俺は、にや、と笑った。


「今お前と開発してる封術銃について、製法と運用方法を無償提供することを条件に協力を取りつけた」


「えっ?! まだ試作品もできてないのに???」


 驚くエリス。

 俺はさらに人の悪い笑みを浮かべ、首を傾げてみせる。


「お前が『できる』と言ってる、って言ったらあっさりOKしてくれたぞ。今後のお前の研究費にも影響しそうだし、これはなんとしても完成させないとなっ!」


「ちょっと、あんたねえ……」


 わなわなとこぶしを震わせる天災少女。

 彼女はこめかみをピクピクさせていたが、やがて、はあ、と息を吐いた。


「封術陣の開発は良いとして、あなたが用意する封術板や部品の方に問題があったら、私にはどうしようもできないわよ?」


「そこはまあ、なんとかするさ。最悪、一発でも撃てればデモンストレーションはできるだろう」


 もちろん、ある程度の形にするつもりではいるけどね。




 ––––それはそうと、そろそろ本題に入りたい。

 俺は今の話の流れから、そちらの話につなげることにした。


「そうそう、エリスの封術研究について皆にも話しておこう」


 俺の言葉に、全員がこちらに向き直る。


「今ちょっと話していたように、今後エリスには帝国に対抗してゆくため、封術の改良と、封術を利用した武器や道具の開発に取り組んでもらおうと思ってる」


「はい、はいっ! 武器って、ひょっとして魔剣みたいなものか?」


 どうやら『武器』という単語に反応したらしいジャイルズが、目を輝かせて手を挙げる。


 その姿に苦笑する俺。


「いや、新しい形の飛び道具だ」


「え〜〜っ?!」


 あからさまにガッカリする脳筋。

 俺はそんなジャイルズに追い討ちをかけた。


「この『銃』が完成すれば、剣や槍、弓といった昔ながらの武器はしだいに戦場で使われなくなっていくだろう。もちろんすぐに全てが置き換わることはないだろうがな」


「うっ……そんなに強力なのか?」


「ああ。試射のときに自分の目で確かめるといい」


 百聞は一見にしかず、だ。




 俺は再び皆を見回した。


「話を戻すぞ。とにかく今後エリスは、対帝国の封術と武器開発の中心になる。言わば彼女自身が機密の塊になる訳だ。そこでフリード卿と相談して……これはエステルにも了解を取らないといけないんだが、彼女に一人、護衛役の侍女をつけようという話になった」


「護衛、ですか?」


 小さく首を傾げるエステル。

 だが、首を傾げたのは彼女だけじゃなかった。


「それって、カエデやエステル、私の力だけじゃ足りない、ってこと?」


 目を細めて鋭い質問をぶつけてきたのは、護衛対象のエリス自身だった。








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ご愛読頂きありがとうございます。

引き続き、本作をよろしくお願い致します!





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