第194話 ボルマンの思い、カレーナの想い③

 

 ただの気の迷いだと思っていた。


 遺跡の最深部。

 祭壇の間に突入する直前の、カレーナとのキスのことだ。


 生死を賭した乾坤一擲の勝負。

 その緊張感と生存本能から、身近な異性に突発的に惹かれたのだと……いわゆる『吊り橋効果』だったのだと、そう思っていた。


 カレーナは、俺とエステルが恋仲であることをよく知っている。

 だからこそ、日常に戻った彼女が俺に恋心を抱くことなど絶対にない。

 そう思い込んでいた。


 ……いや。

 思い込もうとしていたのかもしれない。

 その方が都合が良いから。


 仲間うちでの三角関係など俺の手に負えない。

 ましてその当事者になるなど、エステルに一途な俺からすればとんでもない話だ。


 その都合の良い妄想が今、覆された。


 カレーナは、本気で俺に恋してる。

 叶うはずがないと理解してなお、彼女は俺のそばにいたいと思ってくれていたんだ。


「カレーナ……」


 彼女の気持ちを思うと、自然と目から熱いものが溢れた。

 雫が頬を伝い、地面に落ちる。


 その瞬間、あたりに光が広がった。




 ☆




 《カレーナ視点》



 ナイフで胸を抉られた気がした。


 自分が彼にとって取るに足りない存在だと、ただ現実を突きつけられただけなのに。


『今まで、ありがとうな』


 彼の言葉が耳の奥で繰り返され、そのたびに私の心を切り刻む。


 彼に悪気がないことは分かってる。

 弟と離れて生活せざるを得ない私のことを思っての言葉だということも。


 それでも。

 鋭い痛みが、何度も心を貫いた。


 自分の存在が、彼……ボルマンにとって大きくないことは、ずっと前から分かってたのに。


 彼にとって私は、ただの部下。

 彼は部下思いの素敵な上司で、いつも私たちに公平に、公正に接してくれる。

 皆で行動しているときは、婚約者のエステルに対してもその姿勢は同じ。


 だからこそ、望みを捨てられなかった。


 ひょっとしたら。

 奇跡が起これば、彼が私を見てくれるかも。と。




『カレーナは、良い奥さんになりそうだな』


 あのとき。

 遺跡に潜る直前に、彼が言ったあの言葉。


 彼にとっては深い意味を持たない言葉は、私にとって宝物になった。


 誘拐事件が解決して、その後も帝国の足跡をジャイルズと追いかけていたけど、そこで私は短いながらもプライベートの時間をとることができた。


 その時間で真っ先にやったのは、彼に振る舞う料理の練習。


 私の料理は、歴だけは長い。

 母親と母子家庭だった頃も、孤児院にいた頃も、食事づくりは私の担当だった。


 でもそれは、生きるための仕事。

 少ない食材を使い、母と弟、そして孤児院のみんなを生かすためのもの。


 誰かに振る舞い、喜んでもらうための料理なんて、初めての挑戦だった。


 上手にできたポトフを、彼に振る舞う。

 それをひとくち口に入れた彼は目を丸くして叫ぶのだ。『美味いよ、カレーナ!』と。


 そんな起こるはずのない奇跡を期待して、エステルが隣の彼を支える姿を見るたびに、一人で勝手に傷ついていた。


 今日もまた、そんな現実をつきつけられただけ。

 いつもと何も変わらない。


 私が「ボルマンの下で働き続けたい」と言えば、彼は拒まないだろう。

 それできっと、今まで通りだ。


 なのに、なんで涙が止まらないんだろう?



 その時突然、私の頭に何かが触れた。

 頭上から聞こえる、聞き覚えのある声。

 そして----


「けぷー!!」


 その瞬間、私は何かに引っ張られ……気を失った。




 ☆




 気がつくと私は、見たことのない場所に立っていた。


 日が暮れかけているのだろうか。

 辺りは夕暮れの朱に染まっている。

 ついさっきまで、深夜の宿屋にいたはずなのに。


 ––––だけど、それは大した問題じゃない。

 問題なのは、目の前の光景だった。


 硬い石のようなもので固められた地面。

 お城のようにそびえ立つ、巨大な箱型の建物たち。


 あちこちに掲げられている煌びやかな看板には、見たことのない文字が踊り、光り輝いている。


 ガヤガヤ ガヤガヤ

 ゴォオオオオ オオオオオオオオ


 行き交う人々の喧騒。

 傍らを通り過ぎる馬車がたてる騒音。


 馬車は、馬が引いてもいないのにすごい勢いで私を追い抜かしてゆく。

 これじゃあまるで、前に彼が言っていた異世界の町のようだ……


「……うそ?!」


 私は思わず周りを見回した。


 行き交う人々の容姿は、明らかに王国人のそれとは異なっている。

 黒髪と黒目。

 カエデとよく似た容姿の人々がほとんどだった。


 ……そうだ。

 本来の『彼』がいた世界。


 彼の言葉を信じるなら、きっと彼がいたのはこんな世界だったはずだ。


 そびえ立つ背の高い建物。

 馬もなく走る馬車。

 どこまでも広がる町。

 そして…………


 コォオオオオ


 はるか頭上を、チカチカと光を放ちながら飛び去ってゆく、巨大な鉄の鳥。


 間違いない。

 ここは本来の『彼』がいた世界。

 彼はたしか、こう呼んでいた。


「チキュウ……」


 知らない町で、たった一人立ちすくみ、私はその名を呟いた。








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