第140話 それぞれの顛末③


 やはりエリスは聞き逃していなかった。


 遺跡の最深部で、祭壇の間で、ひだりちゃんが俺のことを『だいすけ』と呼んだことを。


 そしてそれは彼女だけじゃない。

 あの場にいた全員が聞いていたはず。少なくとも、すぐ隣にいたエステルには聞こえていたはずだ。


 聞いた上で、エステルも他の皆も黙ってくれていた。時がくれば、俺が自分から話すだろうことを信じて。


 ––––ならば、話すしかないだろう。


 俺のことを。

 川流大介(かわながれだいすけ)と、ボルマン・エチゴール・ダルクバルトのことを。




「さて。どこから話そうか」


 俺は緊張しながら、皆の顔を見まわした。


 エリス、カレーナ、ジャイルズ、スタニエフ。

 彼らには『未来の記憶がある』と言ってある。


 カエデ。

 彼女には、俺についての基本的なことは一応話してある。信じているかは不明だが。


 最後に、右隣に座るエステルを見た。


「?」


 少しだけ首を傾げ、微笑むエステル。

 可愛い。


「エステル」


「はい」


「今から突飛な話をする」


「……はい」


 どこか戸惑うような、不安げな表情になる彼女。


「俄かには信じられないような話だが、誓って本当のことだ。だから…………だからどうか、最後まで、話を聞いて欲しいっ」


 声が、震えた。


 ひざの上で握ったこぶしが震える。

 動悸が早くなる。


 ––––怖かった。

 彼女に引かれるのではないかと。

 妄想狂だと思われるのではないかと。


 そんな俺の手に、ひんやりとした手が重ねられた。

 目の前には、透き通ったブルーの瞳。

 彼女の可愛らしい口が動いた。


「信じます」


 ひと言。

 そして彼女は俺の目を見つめ、もう一度言った。


「信じます。わたしは何があっても、それがどんな話であっても、あなたのことを信じます」


 微笑とともにかけられたその言葉で、驚くほどあっさり、俺の震えはおさまった。


 –––––彼女が受けとめてくれる。

 その確信が、一歩を踏み出させる。




「実は僕には……ボルマンには、二人の人間の記憶と意識がある」


 息を、吸う。

 そして、吐き出した。


「一人は『子豚鬼(リトルオーク)』と呼ばれた少年、ボルマン・エチゴール・ダルクバルトのもの。そしてもう一人は……」


 エステルの瞳を、まっすぐ見つめる。


「こことは異なる世界『地球』の、日本という国で孤独に死んだ、川流大介という三十過ぎの男のものだ」




 俺の告白を聴いたエステルは大きく目を見開き、そして、


「やはり、そうでしたか」


 そう言って俺を見た。


「え?」


 思わず彼女に聞き返す。

 エステルは今『やはり』と言った。ひょっとして、俺が憑依転生者であることに気づいて––––


「わたしと同い年ですのに、ボルマンさまはずいぶんと大人っぽくて…………頼りがいがあるものですから」


 そう言って、恥ずかしそうにモジモジするエステル。


 ––––なんだろう。天使だろうか?


「つまり今のボルマンさまは、『ボルマンさまであり、だいすけさまでもある』。そういうことですか?」


「そう、だね。半年前、異世界で死んだ川流大介の意識がボルマンの体に流れ込んでしばらくは、大介が優位だったと思う」


 この半年の、自分の中での変化を振り返る。


「だけどまあ、色々あって、今は記憶と意識をほぼ完全に共有してる。だからボルマンと大介、どちらもが僕であり、ボルマン・エチゴール・ダルクバルトなんだ」


 そうして俺は、この世界に来て長いこと腹に溜めていたものを、吐き出したのだった。




 その後、川流大介とボルマンが一つの体に同居している状態について、どういうことかを皆に簡単に説明した。


 実はこの半年、川流大介と本来のボルマンは、何度か言葉を交わしている。


 もちろん現実の世界での話じゃない。

 夢の中での話だ。


 最初の接触は、ミエハル領に婚約の挨拶に行く直前のことだった。




 ☆




 夕陽が指す自室のデスクチェアに、少年は座っていた。


 疲れたように床に視線を落とし、時折、対面に立つ大介に荒んだ目を向ける少年。


 それがボルマンだった。


「……色々と勝手にやってくれるじゃないか」


 それが、第一声。

 だがすぐにこう続けた。


「まあ、好きにすればいいけどさ。どうせ何も変わらない」


 投げやりな言葉。

 最初のコンタクトは、それだけで終わった。




 ☆




 その夢を見た当初、大介はそれをただの夢だと思っていた。

 が、ボルマンとの同様のコンタクトはその後も度々発生し、しだいに夢が二つの人格を統合するためのプロセスではないかと考えるようになる。


 何度かのやりとりを経て大介は、ボルマンの暴君のような振る舞いは、彼に無関心な両親に起因しているものだと気づいた。


 ボルマンが何をしようと、褒めず、咎めず、関わらず。自分たちは女と芸術とお菓子にご執心。

 そりゃあ子供もグレるだろう。

 母親を早くに亡くし、父親から放置されて育った大介には、彼の気持ちがよく分かった。


 だからと言って、ボルマンがやったことは赦されることではないけれど。




 最後に二人が話したのは、ラムズにやられて三途の川を渡りかけている時だった。


 もし命が繋がれば、何をしたいか。

 そんな話をしたのを覚えている。


 二人の考えと気持ちは、驚くほど一致していた。


 夢から覚めた時。

 自分の中で、二人が一人になったのを感じた。


 体が一つ。

 意識も一つ。

 記憶と気持ちは二人分。


 だからだろうか。

 目覚めて一番最初にしたことが、エステルとのキスだったのは。

 気持ちが大きくなり過ぎて、止まらなかった。


 …………。

 これは流石に皆には言えないな。




「以上が、さっきエリスが言った『本当の話』だ」


 俺の独白が終わったとき、その場のほとんどの者が固まっていた。


 だから言っただろう。『突飛な話だ』って。


 なんともいたたまれない空気に逃げ出したくなっていると、ずっと重ねられていた柔らかな手が、きゅっ、と俺の手を包み込んだ。


 彼女の顔を見る。

 エステルはじっと俺の目を見つめ、


「信じます」


 そう言って微笑んだ。


「ユグナリアのお導きに、感謝しなければなりませんね」


「え?」


 ぽかんとする俺を前に、彼女は続けた。


「わたしが大好きなボルマンさまは、今のボルマンさまですから。それはきっと、本来のボルマンさまと、だいすけさまのお二人がおられてこそなのだと思います」


 穢れのない笑顔。


「あ、ありがとう」


 思わぬ不意打ちに、顔が熱くなる。


「あの、その……」


 みんなの前で大胆なことを口にしたことに気づいたエステルは、今になって真っ赤になっていた。




 そのとき、ぱん、ぱん、と誰かが二度手を打った。


「はいはい。そういうのは二人きりのときにやりなさいね?」


 ぎょっとして声の方を向く。


 その先では「ごちそうさま」とでも言いそうな顔のエリスが、俺たちに生温かい視線を送っていた。


「あなたの中に、二人の人間の記憶と意識があることは分かったわ。だけどそれじゃあ、遺跡の中であなたが語った『未来の記憶』はなんなのよ?」


 ……だよね。

 やっぱりそこは、きちんと説明すべきだろうな。

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