第100話 再びの強行軍

 

「おかえりなさいませ、ボルマン様」


 屋敷に戻った俺たちを、執事のクロウニーが出迎える。


「朝早く悪いな、クロウニー。だけど火急の用件だ。一働きしてもらうぞ」


「望むところでございます」


 老執事(じい)はそう言って微笑み、一礼してみせた。




 それからは目が回るような忙しさだった。


 手紙をフリード伯爵に届ける手配。

 セントルナ山方面の監視と、万が一があった場合の領民の避難誘導、迎撃指示。

 そして、旅の準備。


 矢継ぎ早の指示に対し、クロウニーは言葉通り、全ての手配をやってのけた。


 俺自身も、領兵隊副隊長やスタニエフの父親に留守中の指示を伝えたりと、慌ただしく準備を進める。


 そうしてなんとかやることをやっつけ、エステルの屋敷を訪れた時には、二時間ほどが経っていた。




「遅いわよ」


 旅装のまま客間でエステルとお茶を飲んでいたエリスが、ちらりとこちらに視線を投げてくる。


「……早いね。女性の準備には時間がかかるものだと思ってたんだけどな」


「うちの実家では、いざ事が起これば10分以内に乗船、乗馬して出られるよう躾けられるわ。男女問わずね」


「さすがだな」


 海賊伯の家は、本当に海賊なんじゃなかろうか?


「通商路を護る、というのはそういうことよ」


 エリスはドヤ顔で笑うと、カップをテーブルに置き、立ち上がった。


「それじゃあ、行きましょうか」




 屋敷の車寄せに、エステルと子分ズが並ぶ。


「エステ……」


 声をかけようと彼女に近づくと、目の前で何かが素早く動き、俺を遮った。


「エステルぅ! すぐ帰って来るからね!!」


 なんと、一瞬早くエリスがエステルに抱きついてしまった。

 くそっ。先を越された?!


 エステルが、ぽん、ぽん、とエリスの肩を叩く。


「わたしはここでお待ちしてますから。気をつけて行ってきて下さいね? エリス姉さま」


「うぅっ。エステルぅ〜〜」


 本当に仲いいな、この二人。

 主にエリスのべったり度がすごい。


 こっそりため息を吐いた俺に、エステルがエリスの肩越しに困ったように微笑んだ。可愛い。


 頷く俺。


 うん、まあ、エリスの気持ちも分かるわ。

 エステル可愛いし。

 マジ天使!!


「よし! 頑張ってくるわ!!」


 しばらくして満足したのか、やっとエステルから離れ、颯爽と馬に跨るエリス。

 なんなんだお前は。


 俺は婚約者を振り返った。


「それじゃあ、行ってくるよ」


「はい。お気をつけて行ってらしてください」


 微笑むエステル。

 空色の綺麗な瞳が、俺を見つめる。


 俺は彼女に顔を寄せ、耳元で囁いた。


「すぐに帰るから」


「ーーーーお帰りを、お待ちしております」


 顔を赤らめ囁き返すエステル。


 思わずそのまま抱きしめそうになり、ギリギリのところで思いとどまった自分を褒めてやりたい。

 そのくらいの破壊力(かわいさ)だった。




 そうして俺とエリス、付添いの領兵の三人は出発した。


 留守中に狂化ゴブリンどもが動かないとも限らない。

 ーー超特急で用事を済ませて帰らねば。

 そう決心して、俺は馬に鞭を入れたのだった。




 隣領のミモック男爵領モックルの街で昼食を摂り、少しだけ休憩した後、すぐにまた出発する。


 馬車で二日かかるところを一日で走破する強行軍。

 以前、アトリエ・トゥールーズの事件で同じことをやったが、あれ以来だ。


 仏頂面をしながら、それでも弱音を吐かずについて来たエリスは大したものだと思う。

 さすが海賊伯の娘。


 そうして豚父(ゴウツーク)が滞在するコーサ子爵領テンコーサの街に到着したのは、もう日が沈みかけの頃だった。




「ーーさすがに疲れたわ。腰も痛いし」


 ゴウツークが滞在しているそこそこ高級な宿にチェックインすると、エリスが泰然としながらもわずかに顔をしかめ、そんなことを言って来た。


 まあ俺たちと違って毎日訓練している訳じゃないしな。

 俺や領兵だって、今日の強行軍は体力的にそこそこキツかったのだ。

 そんな中、この天才封術士の少女はかなり頑張ったと思う。


「親父は俺が一人で相手しておくよ。今日はもうゆっくり休んでくれ」


「いいの?」


 少し驚いたように目をぱちくりさせるエリス。


「ああ。エリスはよく頑張ってくれた。本来うちの領内の問題なのに、付き合ってくれて感謝してるよ」


 そう言うと、彼女はホッとしたように息を吐いた。


「それじゃ、その言葉に甘えておくわ。ーーダルクバルト男爵との食事は、色々とダメージが大きいもの」


「あの食べ方は、俺も未だに慣れないからな。他人なら余計にだろう。……この息子にしてあんな親で、申し訳ないな」


「あら。自覚があったのね」


「色々巻き込んで申し訳ないと思ってるさ」


 エリスは片頬を上げ、ドヤ顔とニヤニヤの合いの子みたいな顔をした。


「巻き込んでるのはこっちも同じだから、気にしなくていいわ。ーーああ、もしお詫びをくれるなら、研究費か、研究所をお願いね」


「自分で稼げ。この天災少女め」


 そんな馬鹿なやりとりをすると、エリスは自分が割り当てられた部屋を探しに旅立って行った。




「なに、オークだと?!」


 豚父(ゴウツーク)が、口に入っている豚の生姜焼き的なものの破片をテーブルに飛ばし、ナイフとフォークを握りしめた。


 ーー豚づくしである。


「はい。私とクリストフで確認しました。セントルナ北東の森に、オークと思しき魔物たちが大規模な集落を作っています」


「なっ?! しゅ、集落???」


 いや、本当は狂化ゴブリンだけどね。

 どうせ正直に『ゴブリンの狂化個体』なんて言ってもピンとこないだろうし。

 それなら、分かりやすくオークのままでいい。


 ゴウツークは、ナイフとフォークを持ったままぷるぷる震え始めた。


「そんな……。オ、オークの群れなどに襲われたら、街も村もひとたまりもないではないか!?」


「……仰る通りです」


 さすがのゴウツークでも、状況のヤバさは理解できるらしい。


 もし狂化したあのゴブリンどもが街や村を組織的に襲撃してきたら、まともな城壁を持たない村々は即蹂躙されるだろう。


 ペントだって、人の背丈くらいの市壁があるだけだ。あれでどれだけ時間かせぎになるか……。


 一般的にゴブリンは繁殖力が強い。

 やつらの総数は不明だが、もし短期間に数が増えていけば、すぐに手に負えなくなるだろう。


 下手したらダルクバルトが狂化ゴブリンのせいで滅びる。

 三年後の魔獣襲来など待たずに、即、終了(ジ・エンド)だ。


 可及的速やかに、やつらを討伐しなければならなかった。




「父上。クリストフとも話し合いましたが、我が領単独で連中を討伐するのは不可能だと思われます。援軍が必要です。フリード伯爵への援軍依頼の交渉を、私に任せては頂けないでしょうか?」


「え、援軍!? そんなものを頼めるような金は、我が領には……」


 俺は、ダンッ! と両手でテーブルを叩いた。

 ゴウツークはビクッと震え、俺の顔を凝視する。


「カネのあるなしの話じゃありません。なけりゃ借りるか、分割払いにしてもらうしかないでしょう。このままじゃ領地ごと滅びますよ!?」


「ーーーーし、しかし、伯爵がそう簡単に兵を出してくれるかどうか……」


「受けてもらえるかは分かりませんが、頼まなきゃそもそも兵を出してもらえる可能性はゼロですし、王国内で依頼するならば、まだ伯爵が一番可能性があります。なんせ私は、エリス殿の婚約者候補なんですよ!?」


「っっ!!」


 ーーまあ、婚約することはないけどね。


 豚父(ゴウツーク)への剣幕とは裏腹に、頭は冷静にそんなツッコミを入れていた。


 ぐぅぅーーと唸るゴウツーク。

 やがて豚父は、苦い顔で俺を見た。


「…………援軍派遣の依頼について、お前に全権を委ねる。できるだけ有利な条件で話をまとめて来い」


「ーーお引き受け致します」

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