第74話 断らない、受け入れない

 

 フリード伯爵は抗議する娘を目だけで静かにさせると、今度はじろりと豚父を見る。


「ダルクバルト卿。長男ボルマン殿と我が娘エリスの婚約、異議はないな?」


「は、そ、それはもう……」


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


 俺は慌てて叫んだ。

 海賊伯がこちらを睨む。


「……なんだ?」


 うわ、こええええ!!!!

 でも、ここで引く訳にはいかない。エステルを泣かせる訳にはいかない!!


「先程ご紹介した通り、私は先日、こちらのエステル殿と婚約しています。この上、さらに婚約というのは……」


「妻が二人いても問題はあるまい。それこそ、そちらのお嬢さんのお父上は、何人もの伴侶がおられるではないか」


 俺の言葉を遮り、冷めた目で淡々と喋るフリード伯爵。

 ううっ、正論だけに反論し辛い。


 さらに伯爵は追い打ちをかける。


「……もちろん『優先順位』はつけてもらうがな」


 くそ、分かってるよ! だから反論してるんだ。

 伯爵令嬢であるエリスを第一夫人、子爵令嬢であるエステルは第二夫人にしろ、ってことだろ。

 そんなことしたら、メンツを潰されたミエハル子爵にエステルとの婚約を破棄されるわ!!


「し、しかしですね……」


「それとも何か。貴様はエリスとの婚約を断るというのか?」


 一層目を細めるフリード伯爵。


 くそ、ここが正念場だ。

 エリスとの婚約を断れば、フリード伯爵を敵に回す。かと言って婚約すれば、エステルとの婚約は破棄され、ミエハル子爵と敵対しかねない。


 ちら、とエステルを見る。

 俯いて膝の上でこぶしを握り、今にも泣きそうになっている彼女。


「……っ」


 考えろ、俺。

 どうすればいい?


 エリスとの婚約を断らず、受けない方法。

 延期……いや、保留か。

 どうすれば保留できる?

 前提を、フリード伯爵の目的を考えるんだ。




「……エリス殿との婚約は、保留させて頂きたいと思います」


 しばし考えた後、俺は前を向き伯爵を見据えてそう言った。


 俺の言葉に、伯爵の顔がみるみる怒りに染まっていく。

 そして、激しい怒鳴り声が部屋に響き渡った。


「保留? 保留だと!? 貴様、我が家を舐めているのか!!!!」


 色をなし、激しくテーブルを殴るフリード卿。

 その迫力に、思わず仰け反る。


 だが、ここで引く訳にはいかない。


「今の娘さんの様子じゃ、この場でお受けできませんよ! だって本人、めちゃくちゃ嫌がってるじゃないですか!!」


 怒鳴り返し、激しくテーブルを叩く。


 ううっ……手が痛い。


「本人が嫌がってる? だから何だと言うのだ。結婚は家と家の問題だ。本人たちが好こうが嫌おうが関係なかろう?」


 ややトーンを落としたフリード伯。さっきの激昂は、怒ったふりか。

 こちらも少しトーンを落とす。


「関係ありますよ。今のまま話を進めて、婚約発表後にエリス嬢が家出でもしたら、互いの家の名に傷がつくでしょう。これが箱入りのお嬢様ならともかく、エリス嬢は有名な封術士で研究者です。引く手あまたですし、国を出ても十分やっていけるでしょう。このままだと結婚前にお嬢さんが家出する可能性は高いと思いますよ?」


「ぐぬぅ…………」


 娘を睨む海賊伯。

 ジトっとした視線を父親に送るエリス。

 畳み掛けるなら、今だ。


「もちろんこの婚約のお話は、我が家にとってはとても有り難いものです。ですから、私とエリス殿が成人した時点でお嬢さんに婚姻の意思を確認させて頂き、ご了解頂けるのであれば……ということでいかがでしょうか?」


「むぅ…………」


 しばし考えこむ伯爵。


 どうしよう。この場でさらに押すべきか。それとも返事を待つべきか。




 伯爵は俺を評価した。

 自陣営に取り込みたい、自分の影響下に俺を置きたい、というのがこの婚約の目的だ。

 ついでにミエハルとの縁を切らせたい、という思惑もあるのだろう。だからエステルの前でこんな話を切り出した。


 だが主目的はあくまで、俺を取り込むこと。婚約はその手段に過ぎない。であれば、より効果がある方法を提示できればどうだろうか。


 現時点で、婚約よりも確実に俺を取り込む方法……いや、俺の首に鎖をつける、と言った方がいいか。そんな何かがあれば、もうひと押しの材料になる。


 何かで縛る。

 依存させる。


 領地を持つ貴族同士の関係。

 それはきっと、国同士の関係に似ている。


 政治的依存。

 経済的依存。

 軍事的依存。


 その中で一番効果がある鎖は、今の情勢下では、経済的依存関係だろう。


 我が家と領地は、政治的にも物理的にも王国の中枢から距離があるため、今さら政治的に依存する意味がほとんどない。


 また貴族同士の戦争がある環境なら話が別だが、王権がそれなりに機能しているこの国では貴族同士の軍事的衝突はありえず、軍事的に依存する意味もない。


 だけど経済的観点からすると、売り先として、仕入先として、また物流の基点として、フリード伯爵領に依存するメリットは十分にある。


 ……よし。

 どうせ経済協力を求めようと思ってはいたのだ。

 その方向で押してみよう。


「フリード卿」


「なんだ?」


「一つお願いがあるのですが」


 俺の言葉に怪訝な顔をする伯爵。


「娘との婚約を保留などと言って先延ばしされた儂が、貴様に協力する理由が見当たらないが?」


「今から私が口にする提案は、双方にとって、婚約よりも強固で長期に渡る関係性を築き得るものです」


「婚姻よりも強く、長い関係だと?」


「はい。婚姻における関係は離婚などによって壊れる可能性がありますし、せいぜい二、三世代の関係ですが、私の提案が実を結べば、両家が存続する限りほぼ永続的な関係となります」


 俺の言葉に口を歪めて笑う伯爵。


「ずいぶんとでかい口を叩く小僧だな。一体どんな提案をする気やら」


 よし。なんとか話を聞いてくれそうだ。

 ここが正念場だ。




「テルナ川の水運を利用して、貴領と我が領との直接交易をお願いしたい」


 俺の言葉に、その場にいた全員が凍りついた。


「「…………」」


 沈黙がその場を支配する。

 やがてその沈黙を破ったのは、フリード伯爵だった。


「…………ちょっと待て」


「はい」


 平然と微笑んでみせる。


「テルナ川というのは、あれか? 魔獣の森とこちら側を隔てている、あのテルナ川か??!!」


 今日初めて見る、フリード伯爵の驚いた顔。


「『あのテルナ川』かどうかわかりませんが、たしかに魔獣の森の手前を流れてはいますね。我が領を流れ、貴領の河口に流れ出る、そのテルナ川です」


「バカな! 魔獣の森のハイレベルモンスターに襲われたら、一巻の終わりだぞ!?」


 伯爵は、おそらく今度は腹芸なしで、吼えた。

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