第58話 マイ・フェア・レディ!

 

 皆さんとのご挨拶の後、わたしたちは早速ペントの街に出ることになりました。


 わたしとボルマンさまは馬車で。

 他の方々は護衛を兼ねて、馬で同行して下さることになりました。

 カエデも本人の希望で、馬での同行です。




 馬車は街の中心にある広場に向かいます。


 広場には数は少ないながら露店が出ているそうで、それを見てから街を散策しよう、とボルマンさまが提案して下さいました。


「市場(マルシェ)というには小さいけどね。地元の農家や猟師が新鮮な野菜や肉、果物なんかを売りに出してるんだ。特定の野菜は一定量、街が徴収して市民に配給してるけど、それ以外の野菜や余った分がああして露店で売られるんだよ」


 馬車は小さな広場に入っていきます。


 窓越しにボルマンさまが示した方を見ると、家々の前にいくつもの露店が品物を広げていました。

 どのお店も、荷車に山のように野菜や果物を積み上げ売り買いしています。


 結構な賑わいです。


「どんな食材が売られているのか、楽しみです!」


「そうだね。ゆっくり見てまわろう」


 わたしたちは広場の奥の停車場で馬車を降りると、散策を始めたのでした。





「すごい! 粒が大きいです」


 荷車の上に並んだブドウにわたしが思わず歓声をあげると、お店を出している中年女性がいくつか千切って差し出して下さいました。


「よ、よかったらめしあがって下さいっ」


 なぜでしょうか。

 引きつった笑みで、差し出された手が震えておられます。


「あの、本当に頂いてよろしいのですか?」


「そ、そりゃあもう! ボルマン様とお連れ様でしたら、いくらでも!!」


 どうやら怯えておられるようです。


 わたしは本当に頂いてよいものか、ボルマンさまを振り返りました。


「あー、気を遣わせてすまないな」


 ボルマンさまはばつが悪そうに差し出された青いブドウの粒を受け取られると、わたしに一粒渡して下さいました。


「うん。確かに粒が大きいな。味は…………甘い! ほら、エステルも食べてみ?」


 ボルマンさまに勧められ、わたしも頂きます。


 口に入れ、歯を立てると、じわっと芳醇な香りと果汁が広がりました。

 実(み)は大きく、この土地の豊かさを感じられます。


「おいしいです! こんなに美味しいブドウは初めてかもしれません」


「確かに。うちの領地でこれだけ上等なブドウを栽培してるなんて知らなかったな。……おばちゃん、五房(ごふさ)貰える?」


「は、はいぃ!」


 女性は慌ててブドウを見繕い、差し出されました。


「スタニエフ、会計を。ジャイルズ、品物を買い物かごに入れておいてくれ。二房(ふたふさ)はお前たちで分けるといい」


「よっしゃ!!」


 ジャイルズさんがガッツポーズをされます。




「坊ちゃん、いつもありがとうございます」


 会計を終えたスタニエフさんがお礼を言われると、ボルマンさまは苦笑して首を振られました。


「礼はいらん。一緒に行動してる時くらい同じものを食おう」


「あんたって、そういうとこは妙に貴族らしくないよね。……って、甘っっ!!」


 カレーナさんが、早速ブドウを一粒千切って口に入れ、その甘さに驚かれていました。


 皆さんの仰り様から、ボルマンさまが日常的に仲間の方々と寝食をともにされていることが分かります。

 一緒に食事をしたり個人的なことを共にすることが、人と信頼関係を築く上で大切なことなのだと、教えられた気がしました。


 以前からもう少しカエデとの距離を縮められたら、と思ってましたし、わたしも今度試してみることにしましょうか。




 代金を受け取ったままポカンとした顔で固まっている女性に見送られ、わたしたちは店をあとにします。


 隣のボルマンさまが、申し訳なさそうに口を開かれました。


「まあ、あんな感じだよ。領民の僕に対する反応は。敵意を向けられないだけマシになったかな。不快な思いをさせたなら、ごめん」


「……大丈夫です。ちょっと距離感が測りづらいですけど、嫌な気持ちはしませんでしたよ?」


 わたしが微笑むと、こちらを見たボルマンさまは小さく頷かれました。


「そうか。そう言ってくれるとありがたいな。何かあっても、それは僕の今までの振る舞いの結果だから、領民を嫌わないでやってくれ」


「はい。分かってます」


 それでも、以前に比べれば領民感情は良くなっている、ということなのでしょう。


 それはきっと、ボルマンさまの努力の証(あかし)。


 自らが蒔いた種ではありますが、行いを改める努力をこの方が続けておられる限り、時間はかかってもきっと領民の皆さまとの絆を取り戻せる。

 そんな気がするのでした。





 皆で露店を巡り、お店を覗いていると、時が経つのはあっという間です。


 わたしの耳に、遠くから鐘の音が聞こえて来ました。

 教会の鐘とは違う、カーン、という音です。


 ボルマンさまがわたしを振り返りました。


「お昼になったね。昼食(ランチ)は、僕らがよく行く食堂にしようと思うんだけど、どうかな?」


 それは、これまでほとんどの時間を屋敷の中で過ごしてきたわたしにとって、とても魅力的な提案でした。


「はいっ。わたし、外のお店で食事をした経験がないんです。ぜひご一緒させて下さい!」


 思わず叫んでしまったわたしの勢いに、ボルマンさまが目を見開かれました。


「ああ、そうか。子爵家令嬢ともなれば、市井の店で食事することなんて、ないもんな。……どうだろうか、カエデさん。彼女が外で食事をすることに何か問題はあるかな?」


 問われたカエデは、ちらりとボルマンさまを一瞥します。


「すでに露店で購入したものを口に入れられてますし、今さらですね。よろしいのではないでしょうか。尤も、公言されるようなことでもないとは思いますが」


 そういえばうちの領地の視察の時も、お店で買った梨をその場で食べてしまっていました。


 ボルマンさまはカエデのそっけない返事に苦笑いされます。


「そうだな。では、今日のことはここだけの話、ということで。……いいかな、エステル?」


「はいっ。もちろんです!」


 わたしはまたしても勢いよく叫んでしまったのでした。





 それから少しだけ歩いて、わたしたちは一軒の宿屋の前に着きました。


「この店は、我が領唯一の宿屋なんだ。一階部分は食堂をやっていて、結構流行ってる。むしろ宿がついでな感じだね」


 ボルマンさまが仰る通り、お店の中からは賑やかな声が聞こえてきます。


「こういうお店は初めてなので、少し緊張します」


 わたしの言葉に、未来の旦那さまはいたずらっぽい笑みを浮かべられました。


「じゃあ、やめておく?」


「やめません」


 わたしが口を尖らせると、ボルマンさまはわたしの手をとり、こう囁かれました。


「ではお嬢様。『ペントの宿屋で昼食を!』」

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