第23話 星空の約束・後編

 

 わたしの言葉にボルマンさまは足を止め、こちらを振り返りました。


「なんでしょう? 私にできることであれば、なんなりと仰って下さい」


 今にも泣きそうな笑顔です。


 わたしは、目の前の婚約者(フィアンセ)に向かって小さく一歩踏み出し、言いました。



「エステル、と呼んで下さい」



「……え?」


 ボルマンさまは、呆けた顔でわたしを見つめます。


「わたしのことを『エステル殿』ではなく『エステル』と呼んで下さい。わたしはあなたの婚約者(フィアンセ)なんですよ? 丁寧な言葉はかえって距離感を生むこともある、と覚えておいて下さいね」


「ええと、それって……」


 戸惑いの微笑を浮かべるボルマンさまに、わたしは告げました。



「わたしは、あなたの婚約者です。今も、これからも、その先も、あなたと結婚するまでずっと。夫となる人が民から石を投げられるならば、共に石に打たれましょう。民の盾となるのがダルクバルトの名を持つ者の務めならば、その背中はわたしがお護り致しましょう。ですからボルマンさま……」


 わたしは婚約者に微笑みました。


「わたしのことを『エステル』と呼んでは下さいませんか?」




 この二日間、わたしはずっとボルマンさまを見てきました。


 最初に思ったのは、とても紳士だということ。

 礼儀正しく、礼には礼を返される方でした。


 次に気づいたのは、意外と茶目っ気があるということです。

 一緒にいると、いつもとても楽しくすごせました。


 そして、今しがた分かったことがあります。

 それはこの人が、隠し事ができず、嘘がつけない人だということです。


 相手を害しない嘘は、軽口のようにポンポン出てくるのでしょう。

 ですが、本質的にはお人好しで、相手をひどく害する嘘や隠し事はきっとできない。

 そう感じました。


 そうでなければ、わざわざわたしに、自分の醜いところや、結婚するリスクを説いたりはしないでしょう。


 ボルマンさまがなぜ悪鬼のごとく振る舞われていたのか、また、なぜ改心されたのかは分かりません。

 ただ少なくとも今のボルマンさまは、少し不器用で嘘のつけない、お人好しの男の子であることは間違いないのです。


 それが分かった時、わたしの心は決まりました。


 『一生、この人を信じ抜く。』


 そう決めたのです。




 ボルマンさまはわたしの言葉を呆気にとられたような表情で聴いていました。

 そしてわたしが話し終わった時、再び片ひざをつき、わたしの手をとられたのです。


「エステル」


 男の子はわたしの名を呼びました。


「君にそこまで言わせてしまった、情けない男を赦してくれ。……すまない」


 そしてわたしを見上げると、優しく微笑んで言いました。


「エステル、僕と結婚して欲しい。必ず君を幸せにする。僕と共に生き、共に歩んでくれないか?」


 わたしも素敵な婚約者(フィアンセ)に微笑みを返します。


「必ず、幸せにして下さいね」


 こうしてわたしたちは、星の瞬きの下、結婚の約束をしたのでした。





 翌朝、早めの朝食をとったわたしたちは、くつろぐ間も無く領都クルスに向けて出発しました。



 朝食の席でも、馬車の中でも、わたしたちは前日と打って変わって言葉少なでした。


「…………」


 目の前には、顔を赤らめて窓の外を見つめる未来の旦那さま。


「…………」


 俯くわたしの頭の中をぐるぐる回っているのは、婚約者(ボルマンさま)のプロポーズの言葉。


 互いに気恥ずかしく、目を合わせることもできません。



 けれども、わたしたちの心は確かに繋がっています。


 別荘を出立するとき、また、馬車に乗るときに「エステル」と呼び、手を差し出されたボルマンさま。

 わたしがその手をとり、笑顔で小さく頷くと、顔を赤らめて優しく手を引いて下さいました。


 ただそれだけのことが、何より雄弁に互いの気持ちを伝えあうのだと、わたしは初めて知りました。





 数時間後。

 クルスの本宅に戻り、昼食をとってすぐ、ボルマンさまとお義父さまは馬車で出立されました。



 屋敷の車寄せで、わたしたちは別れの言葉を交わします。

 ボルマンさまはわたしに近づくと顔を寄せ、小声で囁かれました。


「エステル。ダルクバルトで待ってる」


 わたしも小声で返します。


「近く、必ず参ります。ボルマンさま」


 わたしたちは離れると、見つめ合い、頷きあいました。

 それだけで十分でした。




 ボルマンさまが乗った馬車が、走り始めます。


 わたしは、馬車が門を出て見えなくなるまで、ずっとその場で見送っていました。




「お嬢様、二日間お疲れさまでした」


 しばらくして、後ろから声をかけてきたのは、カエデでした。


 振り返ったわたしは、彼女にこう伝えます。


「カエデも、今回の件では手間をかけさせました。本当にありがとう。……それで、疲れているところ申し訳ないのだけど、二つほど頼みたいことがあるのです」



 わたしはもう迷いません。

 あの人の妻になるため、やらなければならないことは、たくさんあるのですから。

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