第89話 南国パラダイス

 ポーン!

 飛行機が着陸し、機体が完全に停止するとシートベルトのランプが消える。

 機内にどことなくホッとした空気が流れ、ため息を吐いたり身体を伸ばしたりする声が小さなさざめきとなって広がった。

「えっと、着いた、んだよね?」

「そうですわね。(少し残念ですけれど)そろそろ降りる準備をしましょう」

「うん。あ、その、ご、ごめんなさい!」

 穂乃香に促されて陽斗は立ち上がろうとし、そこで手を繋いだままだったことを思い出す。

 慌てて離そうとしたところを穂乃香がそっと手を重ねてゆっくりと指を解く・・・・

「慌てなくても大丈夫ですわ。ね?」

「あぅ、はい」

 

 離陸のときと同じく、いや、着陸はそれ以上に怖かったらしい陽斗は穂乃香の手を握り、穂乃香は少しでも接触面を増やそうとしたのか指を絡めたらしい。

 いわゆる恋人繋ぎというやつである。ついでにいうと両者ともに無意識にしたことだったりする。

 なので着陸を終えて気持ちが落ち着いた途端に硬く握られた手の感触を認識して陽斗は顔を真っ赤にしていた。

 穂乃香の方は表面上は穏やかに微笑みながらも内心は陽斗の柔らかくて小さめの手の感触に悶まくっていたりするのだが。

 

「陽斗、体調はどうだ? 気候が日本とは随分違うから具合が悪くなったらすぐに言うんだぞ」

 そう声を掛けてきた重斗の服装は軽めのスラックスにアロハシャツのようなものを着た常に無いラフな格好だ。それは重斗だけでなく、他の四条院家の人達や陽斗達もそうである。

 そして、フライトの間あれこれと世話を焼いてくれていたCA姿の皇家メイド達もいつの間にか半袖ミニスカートの制服に変わっており、彰彦や晃が目のやり場に困って挙動不審になっていたりした。

 

 降機する準備が整い、湊が機体の扉を開くと暖かな空気が風と共に機内に入ってきた。

 出発した時の日本は真冬の冷たい風だったが、こちらは真夏の空気だ。

 とはいえ、ムッとするような暑さではなく、風そのものは涼しい。

 プライベートジェットで移動すること8時間。

 到着したのは赤道に近い南半球に位置するリゾート地だ。

 日本人観光客はあまり多くないが欧米の富裕層を中心に落ち着いたビーチリゾートとして人気があるらしい。

 日本との時差は1時間なのでそれほど違和感も無い。

 

 タラップを降りて外に出る。

 すでにすっかり日は沈んでおり、太陽の熱気の残滓がわずかに感じられる程度だが、時間はそれほど遅くはない。

 富裕層がプライベートジェットを使うことが多いのか、それほど歩くことなく入国審査場に入ることができた。

 いくつかの審査場に分散して並ぶ、までもなくすぐに穏やかそうな小太りの男性が笑みを浮かべながら対応してくれる。

「Hallo! May I see your passport?」

「え、あ、はい、パスポート、です」

 陽斗が言われた通り自分のパスポートを審査官に手渡す。もちろんピカピカの新品だ。

 ニコニコしていた審査官がそのパスポートを開き、驚いたように目をむく。

 

「Are you really 15?」

「えっと、Yes、そのIt's true」

「Oh my god!」

 どうやら陽斗の年齢が15歳であることが信じられなかったらしくわざわざ確認した挙げ句大げさに天を仰いでいる。

(日本人ってやっぱり若く、っていうか子供に見えるんだ)

 自分に言い聞かせるように内心で陽斗が呟く。

 誰にだって認めたくないことのひとつやふたつはあるものなのだ。


「Is the purpose of your visit to this country tourism?(この国には観光で来たのかい?)」

「い、Yes!」

「Don't follow people you don't know.(知らない人についていっちゃダメだぞ)」

 完全に子ども扱いである。

 それでも終始優しく丁寧に手続きをしてくれた審査官にお礼を言ってから、先に終わっていた重斗の元へ小走りで近寄っていく。

 その姿はどこからどう見ても小さな子供のようだったのだが、わざわざ傷口に塩を塗る者は居ない。

 

 そんなこんなで全員がすべての手続を終え空港を出ると、すでにそこには迎えの車が待機していた。

 さすがにいつものと同じようなリムジンではなく大型のワゴン車タイプで重斗と陽斗、四条院家の4人が乗っても十分な広さがある。

 同乗するのは運転手と大山だけで他の人達はプライベートジェットの清掃などが終わり次第別の車で来ることになっているらしい。

 そうして車に乗り込んで移動すること20分ほどで到着した重斗の別荘なのだが、陽斗は車を降りた途端に呆然としてしまうほどとにかく広く大きかった。

 見たところ建物は2階建てのようだが玄関もホールもホテルかと思うほど大きいし、建物自体も何部屋あるかわからないほどだ。

 

「ふむ、驚いたか? 儂ひとりの時はもう少し建物が小さかったのだがな。敷地だけは無駄に広かったから少々改装させたのだ。陽斗が友人達と利用することもあるかと思ってな」

 爺馬鹿ここに極まれリである。

「やりすぎですよ。私もここに来て驚いたのですから」

 呆れたようにそう声を掛けたのは皇家のメイドを統括する久代比佐子だ。

 陽斗たちを迎えるために数日前にこちらに来て準備をしていたらしい。

 比佐子は陽斗に微笑みかけてから、彰彦たちに一礼する。

「ようこそいらっしゃいました。皆様の滞在中お世話をさせていただきます、皇家のメイド、久代と申します」

「これはご丁寧に、四条院彰彦といいます。よろしくお願いします」

 遥香と晃も挨拶をし、全員が中に案内されていった。

 

 

 

 翌日の早朝。

 いつも通りの早起きをして散歩をするために部屋を出た陽斗は、ロビーで穂乃香と晃の四条院兄妹と顔を合わせた。

「あ、おはようございます」

「陽斗さん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 陽斗がピョコンと頭を下げると穂乃香と晃も笑みを浮かべながら挨拶の言葉を発する。

 穂乃香は朝一から陽斗に会えたことが嬉しいのか満面の笑顔だし、晃の方も昨日の陽斗と穂乃香の様子を見て、少なくとも穂乃香に対して良くない事をしたりしないと感じたのか対応は穏やかなものだ。

 

 昨夜は滞在する部屋に手荷物を置くとすぐに食事に呼ばれた。

 とはいえ機内でも食事やデザートを食べていたし、座ってばかりで身体を動かしていなかったので食事は軽いもので済ませる。

 そしてその後に滞在中の予定を少し確認してすぐに部屋に戻って休むことになった。

 ほとんど座っていただけとはいえ飛行機での移動というのは意外に疲労がたまるものらしく、ベッドに身体を横たえた後の記憶は殆どない。

 そうして早めに休んだおかげで朝の日差しにスッキリと目が覚めたというわけだ。

 

「陽斗さん、こんな時間からなにをされるの?」

 トレーニングウェア姿の陽斗に穂乃香が訊ねる。

「うん、いつも朝は大山さん達に習って格闘技の練習をしてるんだけど、こっちに居る間はお休みって言われてるから少しだけ散歩をしようかと思って」

 基本イレギュラーに強くない陽斗はできるだけ生活習慣が狂わないようにしているので、休みであっても朝のルーティンは変わらない。

「わたくしもご一緒してよろしいかしら? 昨夜はいつもより早く休んだせいで目が覚めてしまって」

「俺もだよ。けど来た翌日から勝手に出歩くわけにもいかないからな。穂乃香とどうしようか話していたところだ」

 陽斗がこの提案を断るわけもなく、この別荘の広い敷地内だけでも朝のうちに見て回ろうということになったわけである。

 

 爺暴走によって建物は大幅に改装、というか立て直しされたわけであるが、もともとこの別荘は島の中心街からは少し離れた場所にあって敷地が広く取られているらしい。

 敷地内にはゴルフのハーフコース(9ホールだけのコース)やテニスコート、プールなどがあり、まるで中規模なリゾートホテル並の施設が揃っている。

 そして当然ビーチリゾートなのでプライベートビーチも整備されているらしい。

 しかも人間に危害を加える可能性のあるサメや大型海棲哺乳類がビーチに近づいてこないように目の大きな網によって周囲を囲むという徹底ぶりだ。

 

 建物を出た陽斗達はまず建物に近い庭園を散策する。

 ここに到着した時はもう暗くなっていたので見たのは敷地に入る門と建物の入口だけだったが、明るくなってから改めて見てみると細部まで手が入れられ整えられているのがわかる。

 門から建物までの道の両側にはヤシの木が植えられ、鮮やかな芝とハイビスカスの植込み、ところどころに四阿が設置されている。

「……ものすごい数の監視カメラや防犯装置が設置されてるんだけど、さすが皇家の別荘、ってことで良いのか?」

「陽斗さんが滞在するということで増やしたのかもしれませんわね。目立たないようにしていますけれど警備の人の数も多いようですし。まるで政府要人にでもなったような気分ですわ」


 苦笑気味に小声でそんな言葉を交わす兄妹だが、陽斗の生い立ちを考えれば重斗の気持ちは理解できる。

 それに穂乃香達も小さな頃から周囲に使用人や警備の者が居るという状況に慣れているのでそれほど気にならない。

 一方、陽斗の方はそんなことには全く気づくことなく初めて見る南国の風景に目を輝かせている。

 無邪気に笑みを浮かべながら仔犬のように落ち着きなく周囲を見回している陽斗の様子を穂乃香は微笑ましげに見つめ、晃は複雑そうな視線を向けていた。

 

「兄様はまだ陽斗さんがわたくしに邪な考えを持っているとお疑いですの?」

 なにか言いたげな兄を不満そうに横目で睨む穂乃香に、晃は苦笑いを浮かべて首を振る。

「いや、そういうわけじゃない。昨日一日見ていたけど素直で良い子なのは十分わかったさ。けど、どうにも小さすぎて頼りない感じがする。それに、世間知らずの箱入りっぽいのがなぁ。まぁ、皇家の後ろ盾があればこの先も苦労することは無いんだろうけど」

「?! 兄様、それは……」

 晃の言葉に穂乃香の顔が険しくなる。

 そしてその感情のまま口を開こうとした時、少し先から陽斗が穂乃香に呼びかけたことでそれは言葉になることはなかった。

 

「穂乃香さん、海がすぐ近くだよ! すごく綺麗」

「陽斗さん……そうですわね。行ってみましょう」

「お、おい、穂乃香?」

 もの言いたげに晃を一瞥して、穂乃香は表情を元に戻して陽斗のところに足早に近づいていった。

「うわぁぁ~~!」

 晃が追いついた時、陽斗は砂浜で眼前の美しい海に目を奪われて感嘆の声を上げていた。

 

「こんなに綺麗な海、僕初めて見た」

「さすがにここまで美しい海は日本だと少ないですわね」

「うん、写真とかなら見たことあるけど」

 海を見つめたまま答える陽斗に穂乃香は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「今日はお祖父様はゆっくりとなさるのでしょう? それでは朝食を終えたら海でわたくしと海で泳ぎましょう」

「え? あの、ぼ、僕、水着持ってなくて」

「綾音さんが陽斗さん用の水着は用意したとおっしゃっていましたわ。そ、それともわたくしとではお嫌ですか? その、わたくしも水着を持ってきたのですが」

 穂乃香が恥ずかしげにそう言うと、想像してしまったのか陽斗は真っ赤になってアウアウとアシカのように小さく声を上げるだけになってしまう。

 だが、そこはそれ、陽斗も男の子である。

 穂乃香が重ねて誘うと、結局小さく頷いたのだった。

 

 


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