第86話 聖夜祭

「あの、ご、ごめんなさい! 僕、気持ちはすごく嬉しいです。けど、ごめんなさい」

 ファーストダンスに誘った女子生徒に対し、陽斗がまっすぐに、深く頭を下げる。

 そのことに驚いたのは当の女子生徒よりもむしろ出歯亀よろしく温室脇でコソコソと身を隠している3人である。

「断った、な」

「うん、きっぱりと断ったね」

 言葉には出さないまでも穂乃香も驚いたような、ホッとしたような顔をしている。

 断った事自体はそれほどの驚きはない。

 陽斗の真面目さはよく知っているので、それほど親しくない相手の誘いに簡単に乗るなどとは思っていなかった。

 ただ、断るにしても普段気弱なところのある陽斗があれほどきっぱりと意思表示をしたことが意外だったのだ。

 

 そんなことを知る由もない女子生徒は、陽斗の返答に少し残念そうに肩を落とすと、それでも穏やかな笑みを浮かべて口を開く。

「そんなにはっきり断られたら諦めるしかないわね。でも一応理由は教えてほしいわ。他にファーストダンスを踊りたい方がいるの? もしかして四条院さんかしら」

 どこか悪戯っぽく言った女子生徒の言葉に、陽斗は顔を真っ赤にしてブンブンと首を振る。

「あの、は、穂乃香さんはすごく素敵な人で、優しくて、大好きですけど、えっと、そんなんじゃなくて、今の僕じゃ釣り合わなくて、もっと頑張らないとって思ってて、その……」

 しどろもどろに言葉を返す陽斗の様子に、彼女はクスクスと声を漏らして笑う。

 

「意地悪を言ってしまったわね。でも私が西蓮寺さんに好意を持ったのは本当よ。だって、見ず知らずの生徒のためにあんなに一生懸命になってくれる人なんてそうそう見つからないもの。でも、未練がましいのは私の趣味じゃないから今日のことは忘れてくれると嬉しいわ」

「ご、ごめんなさい」

「謝っちゃだめよ。あなたが悪いわけじゃないし、あまり謝られると私が惨めになるから」

「あ、その……」

 陽斗はなんと返して良いのかわからず言葉に詰まる。

 そんな陽斗に少し寂しそうな笑みを見せ、女子生徒は踵を返す。

 

「時間を取ってくれてありがとう。次に会うことがあっても普通に接してくれると嬉しいわ。それと、向こうで覗いている人たちにもよろしく言っておいてね」

「え?!」

 その言葉に驚いて温室の方に目を向けると、陽斗達を見ている3つの視線とバッチリ合ってしまった。

「ほ、穂乃香さん?! それに天宮くんにセラさんも?! あっ!」

 3人の姿を見て驚くが、すぐに気を取り直して陽斗は振り向く。

 しかし女子生徒は校舎の中に入っていく後ろ姿しか見えなくなっていた。

 

「あの、陽斗さん、ごめんなさい。セラさんに連れてこられたとはいえ覗いてしまったりして」

「僕も謝る。都津葉の強引さに負けたんだが、結果的にプライバシーを侵害してしまったからな」

「ちょ、ちょっとふたりとも酷くない?!」

 セラが抗議するが事実なので仕方がない。

「えっとぉ、相手が先輩だったし、もし陽斗くんが無理に押し切られたりしたらフォローに入ろうと思ってたのよ。本当よ?」

「どうだか。少しはそれもあるかもしれないが、痛ってぇ!」

 壮史朗が足を抑えてセラを睨むが、本人は素知らぬ顔だ。

 

「心配かけてごめんなさい。僕は大丈夫だから」

 覗きはともかく、心配してくれていたのは感じたのだろう、陽斗は素直に穂乃香達に礼を言う。

 ただその表情にいつもの明るさはなく、どことなく辛そうにも見えた。

 軽い気持ちではなく真剣な想いだったからこそ断ったことが心苦しいのだろう。

「西蓮寺が気に病む必要はないぞ。想いを寄せられたからといって全てに応えることなんてできないんだからな」

「うん、そうだよね。でも、ああいう断り方で本当に良かったのかなって。理由もちゃんと言えなかったし」

 

 陽斗の言葉に、穂乃香が首を振る。

「とても誠実な返事だったと思いますわ。それに、あの方も本当に理由を知りたかったわけではなさそうでしたから」

 そう言われてようやくはにかんだような笑みを浮かべる陽斗。

「でも陽斗くん、あの先輩と知り合いだったの? 一緒に居るところ見たことなかったけど」

「あ、うん、2ヶ月くらい前に庭園で探しものを手伝ったことがあって。それからすれ違ったりしたときに挨拶をするようになったんだけど」

 

 陽斗の説明によると、生徒会の仕事を終えて帰ろうとしたときに庭園で困り果てた感じでウロウロしていたのに気づいて声を掛けたそうだ。

 すると、寮の鍵を何処かに落としたことに気付いて戻ってきたもののどこでなくしたのかわからなくなったとのこと。

 陽斗はそれを聞いて一緒になって探し、あたりがすっかり暗くなった頃ようやくベンチ近くの植込みの下に落ちているのを見つけた。

 もの凄く感謝されたものの、その時はそれだけで終わり、その後も特に挨拶以外ではそれほど言葉を交わしたわけではないらしい。

「だから、あの先輩が僕のことをそんな風に見ているなんて思ってなくて」

 今でこそマスコット的な扱いとはいえ同級生たちから好意を持たれることが多くなった陽斗だが、中学まではむしろ忌避されていたためにこういった経験はまったくない。

 だから戸惑いが強く、しっかりと考えられたかどうかすらよくわからなかった。

 

「天宮くんが言う通り、気にしないほうが良いわよ。誰も傷つけないなんて誰にもできない。自分の気持に正直に、精一杯の答えを出していけば良いと思う」

「ふん、向こうだって自分の気持を押し付けているだけだ。嫌なら嫌、そうでないならそれを言えばいいだけだ」

「陽斗さんはそんな風に割り切れないのでしょう? でも自分に嘘をつかない、自分の気持を殺さない、それだけは守ってくださいね。困ったり迷ったりした時はいつでもわたくし達が力になりますわ。だから陽斗さんは陽斗さんにとって一番の幸せを考えてください」

 それぞれがそれぞれの言葉で陽斗を励ます。

 そんな思いやりを嬉しく思いながら、陽斗はあの女子生徒が去っていった校舎の方に頭を下げるのだった。

 

 

 

 2学期の期末テストを経て年内最終登校日。

 試験結果も悪くなかったことにホッとしたのもつかの間、今度は聖夜祭の準備に追われ、前日まで慌ただしく動き回っていた。

 そうしてようやくすべての準備と終業式を終えた生徒たちは学園で一番大きい体育館に集まっていた。

 普通の学校のものとは比較にならないほど大きな体育館は、なめらかで光沢のある人工大理石が敷き詰められ、様々な装飾を施されることで学校施設というよりも宮殿のダンスホールのような雰囲気の場所へと変貌している。

 事前に聞いていた通り、生徒会の仕事も前日までであり、当日は学校職員と外部業者によって執り行われるのだ。

 

「ふわぁ~、す、スゴイ」

「話には聞いていたけど、することが普通じゃないわよね」

 陽斗とセラが感嘆の声を上げる。

 なにしろ内装だけでなく、音楽は楽団が生演奏するというのだから普通じゃない。

 この会場に関しては2年生の生徒会役員が設営などを担当していたために見るのは初めてだったのだ。どうやら1年生に驚いてもらおうということらしい。

「中等部でも聖夜祭は行なっておりましたけれど、それよりも本格的ですわね」

「高等部の生徒だと実際に社交界に出ている者もいるだろうからな。稚拙な会場にはできなかったんだろうよ」

 すでに中等部で経験している穂乃香と壮史朗も、こころなしか意外そうにしている。全く表情を変えないのは賢弥くらいのものだ。

 

 見るもの全てに興味をひかれているらしい陽斗がキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回しているのを見かねて賢弥が声をかける。

「開始時間までまだ少しある。少し回りながら飲み物でも貰いに行くか?」

「うん!」

 弾んだ声で頷く陽斗に苦笑しながら、賢弥が付き添うことにして、穂乃香達はここで待つ。

「ところで、四条院は結局、西蓮寺にダンスを申し込まなかったのか?」

 手を振りながら歩いて行く陽斗に、手を振り返していた穂乃香は、壮史朗の言葉にバツが悪そうな顔を見せる。

 

「申し込んでいませんわ。聖夜祭が始まって、何曲かしてから誘ってみるつもりですけれど。あんなことがあったばかりですもの、わたくしまで申し込めば陽斗さんを困らせてしまいますし」

 言いながらフィッと顔をそむける。

 穂乃香達が覗いてしまったあの女子生徒の他に、陽斗にファーストダンスを申し込んだ生徒は居なかったが、ダンス自体は色々な生徒から誘われたらしい。

 陽斗はその全てに「機会があれば」と濁して誰とも約束はしていない。

「悠長なことだ」

「そう言う割には天宮くん、陽斗くんが誰と踊るのか気にしてたみたいだけどぉ? 毎日のように訊いてたじゃない。実は自分が陽斗くんと踊りたいとか?」

 セラが混ぜっ返すと、壮史朗は嫌そうな顔でジロリと睨みつける。

「都津葉が変なことばかり言うからクラスで妙な噂が流れているじゃないか。どう責任取ってくれるんだ」

「あ~、あはは、ゴメンなさい」

「仲が良いんですのね、あなた方」

 穂乃香がポツリと呟くと、壮史朗はますますへそを曲げたらしく憮然と黙り込んだ。

 

 10分ほどして陽斗と賢弥が穂乃香達の分も飲み物を持って戻ると、会場内はかなり人が多くなってくる。

 1年生はほとんど全員が制服姿だったのだが、2、3年生の女子生徒の中にはドレス姿もチラホラ見られ、会場内は一層華やかな雰囲気に包まれていく。

 そしてさらにいくばくかの時間が経ち、マイクを通して生徒会長である雅刀が聖夜祭の開催を告げると、会場の奥からオーケストラの奏でるワルツの音が流れ始めた。

 音量はそれほど大きくなく会場内の喧騒をかき消すほどではないが、それでもしっとりとしたその音色は広い会場内を満たすに十分なものだ。

 曲が始まると同時に会場の中心を生徒たちが場所を開け、30人ほどの男女が歩み出てワルツのステップを踏み出す。

 聖夜祭のファーストダンス。

 彼等は伝統そのままにパートナーに申し込んだのだろう。

 誰もが恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに笑みを浮かべながら踊っていた。

 

「陽斗さん? どうかされました?」

 その様子を眺めていた穂乃香がふと隣を見ると、陽斗がもの凄く緊張した表情で顔を赤くしていた。

 そのただならない様子に、穂乃香が重ねて問おうと口を開きかける。と、それよりも先に陽斗が「あ、あの!」と声を上げる。

「は、はい」

 いつになく強い口調に、穂乃香が驚き、陽斗の次の言葉を待つ。

「え、えっと、あの、次の曲、ぼ、僕と踊ってくれませんか?」

 唐突な申し出ではあるが、聖夜祭でダンスを申し込むことはごく普通のことだ。

 穂乃香もファーストダンスは諦めたものの、せめて陽斗と一曲は踊りたいと思っていたので陽斗からの誘いに頷き、了承の言葉を言いかけたところで、再び陽斗の声がそれを遮る。

 

「ま、まだ、最初の曲は無理だけど、その、僕の、聖夜祭での最初のダンスは穂乃香さんと踊ってほしくて、だから……」

 言いながらますます赤くなる陽斗に釣られるように穂乃香の顔も朱に染まる。

 ファーストダンス、ではない。

 けれど、陽斗は穂乃香と最初に踊りたいと言った。

「僕、まだダンスは下手だし、もしかしたら穂乃香さんに恥ずかしい思いをさせてしまうかもしれないけど」

「よろしくお願いいたしますわ。とても、光栄です」

 穂乃香がそう言って右手を差し出すと、陽斗は恥ずかしげに俯いていた顔を上げた。

 そしておずおずと穂乃香の手を取って、広い場所に歩みだした。

 

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