第62話 皇の血族

「あ、あの、も、もしや、皇のご当主様、ですの?」

 顔を強張らせながら恐る恐るといった様子で重斗に訊ねる穂乃香。

 とはいえ重斗とはこれまでに何度か顔を合わせたことがあり見間違えるわけもない。

 というか、皇家と四条院家の関係は良好であり、その関係性を考えれば訊ねること自体が失礼である。

 だがそれも無理はないだろう。

 家格そのものだけで言えば四条院家は古くからの名家であり、古くは朝廷からの官位を、明治に入ってからは爵位を賜っていたほどの歴史がある。

 古くから造船や外国との交易で財を成し、戦後の財閥解体によって大きな損害は被ったものの財界における影響力は保持し続けている。

 

 対して皇家は一説には滋賀県の浄土宗の僧侶が明治の創氏令によって名乗った新姓とされ、重斗の祖父が大正期に物流によって財を成したらしい。

 なので家柄は四条院の方が遥かに格上といえるのだが、財力と現在の国内外での影響力は比較にならないほどの開きがある。決して侮っていい相手ではないのだ。

 しかも今回重斗の孫である陽斗が怪我をした原因は穂乃香を助けるためであり、最近になって孫を溺愛していると噂されるようになった重斗の怒りの矛先が向けば四条院家の存亡にも関わる事態となる。

 緊張のあまり固まってしまうのも穂乃香の立場としては当然と言える。

 

「うむ。そういえば穂乃香嬢と顔を合わせるのは、確か四条院家が出資していた会社が上場した時のパーティー以来だから、2年ほど前になるのか。顔を覚えていてくれたようで嬉しく思う」

 重斗は穂乃香の態度に気を悪くした様子は無く、むしろ気遣うように笑みを浮かべる。

「あ、あの、陽斗さんが助けてくださったおかげでわたくしは誘拐されずに済みました。感謝のしようもございません。ですが、わたくしがもっと気をつけていればこのようなことになっていなかったかもしれません。大切なお孫さんが怪我をすることになってしまい、申し訳ありませんでした」

 重斗の笑みを見た穂乃香は弾かれるように深々と頭を下げた。

 

「感謝の言葉は陽斗の行動への評価としてありがたく受けよう。しかし謝罪には及ばんよ。君は被害者であり、加害者は君を拉致しようとし、陽斗にも暴行した者達とそれを命じた者だ」

 今にも土下座しそうな穂乃香に、重斗は穏やかに声を掛けつつ頭を上げさせる。

「儂の方からも四条院のご当主に連絡させてもらっている。穂乃香嬢を助けたのは陽斗の意思であり、陽斗が怪我をしたのは送迎時のリスク管理を怠った学園と保護者である我々の責任だろう。穂乃香嬢が気に病むことはないぞ。

 それに、すでに実行犯の素性と依頼者の目処はついているからな。二度と君にも陽斗にも手出しすることはできんよ。安心すると良い」

 言葉の途中で変わった重斗の気配に、穂乃香の背に冷たいものが流れる。

 そしてその対象が自分でなかったことに心底安堵した。

 

「お祖父ちゃん、ありがとう!」

 重斗の言葉に、陽斗が弾んだ声で礼を言う。

 重斗の気配の変化も穂乃香の緊張もまったく気付くことなく、純粋にこれ以上穂乃香に危険が及ぶことがないという重斗の言葉を喜んでいる。

 陽斗は人の感情の変化に敏感なはずなのだが、対象が自分以外だと途端に鈍くなるようだ。おそらくは自分の生活に影響することがないからだろう。

「なに、陽斗の友人のために少々の力添えをするくらいは当然のことだ。それに四条院家とはそれなりに付き合いもあるからな」

「あ、ありがとうございます」

 穂乃香が頭を下げる。

 もちろん形だけではなく心からの感謝を込めてだ。

 警察の捜査だけでなく四条院家でも犯人の目的や指示した者の調査は行うだろうが、調べられないことがないとまで噂される皇家の協力があればそれほど時間も掛からず背後関係まで調べられるに違いない。

 

 そんな一連のやり取りが終わると不意に病室に沈黙が降りる。

 重斗も穂乃香も陽斗の具合が気になって仕方がないし、陽斗も上手く会話を引き出すような社交性を持っていないためだ。

「あ、あの、えっと」

 気まずさからなにか話題をと陽斗が口を開いた直後、再び病室の扉が、今度は前触れもなく開かれた。

「陽斗、目が覚めたって?」

「あ、桜子叔母さん!」

 入ってきたのは桜子と警備班長の大山、それから陽斗の見知らぬ壮年の男性だった。

 

「お父様?!」

 一瞬穂乃香が驚いたような声を上げるが、すぐに重斗の前であることを思い出す。

「話は皇さんと学園から聞いている。無事で良かった」

 男性、穂乃香の父親である四条院彰彦あきひこは穂乃香の顔を見てホッと息を吐くと、陽斗に向き直り頭を下げる。

「娘が誘拐されるところを身を挺して救っていただき、ありがとうございます」

 娘と同い年に対するには丁寧すぎるほどの態度で礼を言う彰彦に、陽斗は慌ててベッドから身体を起こしてブンブンと首を振る。

「ほ、穂乃香さんは僕にとっても大切なお友達なので無我夢中でしただけで、あの、僕が弱かったから穂乃香さんにも怪我をさせてしまって、えっと……」

 しどろもどろで、自分でもなにを言っているのかわからなくなりながら一生懸命言葉を返す陽斗。

 陽斗としては自分がもっと強ければ穂乃香の顔に傷ができることはなかったし、最終的に誘拐犯を捕まえたのは桜子や大山達だという思いだったので穂乃香や彰彦の態度には戸惑いしかない。

 それに、上品で父親ほどの年齢の男性に頭を下げられて、半ばパニック状態になっていた。

 

「はい、落ち着きなさい。四条院さん、陽斗も困ってるから頭を上げてくれないかしら」

 桜子が割って入り、彰彦がようやく頭を上げて一歩下がった。

「陽斗、貴方が頑張って穂乃香ちゃんを守ったから私達が間に合ったの。貴方が居なければ間違いなく穂乃香ちゃんは掠われて、酷い目に遭っていたわ。だから自分のしたことを卑下しちゃ駄目よ。むしろ誇りなさい」

「は、はい」

 まるで叱りつけるように厳しい口調で言う桜子に、陽斗はあまりピンときていない様子で頷く。

 すると、桜子はフッと表情を和らげ、陽斗を抱きしめる。

「よく頑張ったわね。でも、貴方に万が一の事があったら私も兄さんも、自分が死ぬよりもずっと苦しんでしまうわ。それだけは忘れないで」

「……うん」

 陽斗はその言葉に今度は素直に頷いた。

 

「んにゃ~!」

 しばらく桜子が抱擁を続けていると、それを非難するかのように下の方から鳴き声が響く。

「え?!」

「あ、そうそう、忘れたら駄目よね」

 桜子がそう言って足元に置いたキャリーケースを持ち上げて陽斗の脇に置く。

「レミー?」

「今回の一番の功労者はこの子かもね。陽斗をナイフで刺そうとした誘拐犯を止めたのはこの子だから。凄かったのよぉ、男の顔に飛び込んで噛んだり引っ掻いたりして犯人血まみれにしてたわ。あれは両目が逝っちゃってたわね。

 で、この子も陽斗が心配で仕方なかったみたいだし、特別に連れてくるのを許可してもらったの。この部屋の外には出さない条件だけど」

 そう言ってキャリーケースの扉を開けると、スルリと出てきたレミエは陽斗の顔をザリザリと舐めはじめた。どことなく無茶をした陽斗を叱っているようにも見える。

 

「またお前は勝手な事を」

「良いじゃない。特別室は出入口も一般患者とは別だし、看護師と医者は出るときに粘着シートでも使えば大丈夫でしょ。この子は毎日ブラッシングしているおかげで毛もほとんど抜けないし。

 それとも兄さんは陽斗の命の恩人、恩猫? に、ご褒美もあげないわけ?」

「むぅ……」

 本来病室に動物を持ち込むことなど許可されるはずがないのだが、この病院に重斗が出資していて無理が利くのをいいことに認めさせたのだろう。

 まぁ、桜子の言うとおり政治家や特殊な事情のある患者を入院させるための特別室はマスコミ対策などの事情もあって他の病棟とは完全に別れており関係者以外が出入りすることは無いし、病室は陽斗が退院してから綺麗にすれば済むことではあるが。

 

「皇さん、改めてお礼申し上げます」

「お嬢さんにも言ったが、君達は被害者だ。あまり気にすることはない。もし恩に感じるなら陽斗がこの先なにか力を借りたいことができたときに力添えしてくれればそれで良い」

「約束させていただきます。陽斗くん、本当にありがとう」

「あ、は、はい。えっと、穂乃香さんが無事で良かったです」

 桜子の言葉で少しは意識も変わったのか、陽斗ははにかみながらも彰彦に笑顔で応じた。

 

 次に陽斗の前に立ったのは大山だ。

 大山は部屋に入ってきたときから眉間に皺を寄せ、どこか泣きそうにも見える深刻な表情をしている。

「陽斗さま、本当に申し訳ありません! 我々がもっと早く到着していれば、いえ、陽斗さまを見つけた時点ですぐに私が駆け寄っていれば陽斗さまが怪我をする前に誘拐犯を取り押さえることができたはず。今回の事は私の判断ミスです。

 どのような処分も私が受けますので、他の者達には責任を問わないでいただきたい」

 いきなり土下座を始めた大山に陽斗は驚いてしまう。

「あ、あの、僕が勝手にしたことだから大山さん達は悪くないです!

 それに、せっかく大山さんや角木さんに訓練してもらってたのに、僕、ちゃんとできなくて、僕の方こそごめんなさい!」

「いえ、そもそも陽斗さまが戦わなきゃならない状況になったこと自体が私の落ち度です。申し訳ありませんでした!」


 一歩も退かない大山の態度に、困り顔の陽斗。

 それを桜子が一喝する。

「いいかげんにしなさい! あんたが責任取ったって陽斗は困るだけよ。それどころか逆に責任感じるじゃない。

 さっきから言ってるけど、落ち度だって言うなら二度と同じことがないように対策を立てなさい!」

「うむ。今回の事は誰か一人の責任ではないからな。それに大山が辞めればしばらくは警備に穴が開くかもしれん。警備責任者としては訓告処分、それで良い。それより、黎星学園と今後の警備に関して交渉を行って再発防止に努めてくれ」

 桜子と重斗に窘められ、大山はようやく立ち上がった。これ以上ないくらい肩は落ちていたが。

「大山さん達が穂乃香さんを掠おうとした人達を捕まえてくれたんでしょ? ありがとうございました」

「は、はるどざまぁ~!」

 筋骨隆々の大男のガチ泣きにこの場の全員がドン引きである。

 

 それから桜子が大山を引きずっていき、重斗と彰彦は今後の対応について話し合うと言って病室を出て行った。

 残ったのは陽斗とレミエ、穂乃香だけだ。

 レミエはひとしきり陽斗の頬を舐めたら満足したのか、今は陽斗の枕元で香箱を作っている。

 大山の大騒ぎのせいで苦笑気味だった穂乃香が、改めて陽斗に向き直る。

「陽斗さんは、皇のご当主の孫、だったのですね」

「え? あ、うん。その、黙っててごめんなさい」

 気まずそうに俯く陽斗に、穂乃香は慌てて首を振った。

「いえ、責めているわけではありませんわ。資産家の子女が多い黎星学園でも皇家は別格ですもの。陽斗さんの育ちを考えれば隠すのも当然のことです」

「うん、僕が普通の高校生活を送りたいって言ったら、それならお祖父ちゃんのことは隠したほうが良いって言われて」

 穂乃香自身、最初から陽斗が皇の孫であることを知っていたとしたら、今と同じ関係を築けたかどうか分からない。

 それに資産家の令息としての常識に欠けたところのある陽斗では、様々な思惑を持って近づいてくるだろう生徒達と上手く距離を取ることは難しいだろう。

 

「正しい判断だと思いますわ。でも、これからはわたくしには色々と話してくださると嬉しいですわね。その、皇のご当主と四条院家は関係も悪くないですし、相談に乗れることもあるかと思いますので」

「良いんですか?! ありがとうございます!」

 心底嬉しそうな顔で身を乗り出す陽斗に、頭を撫でようとして伸ばした穂乃香の手が、いつの間にか立ち上がっていたレミエの猫パンチによって撃墜される。

「んにゃ!」

「キャッ、あ、ごめんなさい」

 完全に無意識の行動だったらしく陽斗に謝る穂乃香。

 確かに同級生の男の子にする行動ではないと反省しつつ、それでも手だけは名残惜しそうにしているが。

 

「レミー、穂乃香さんの手を叩いちゃ駄目だよ。穂乃香さん、ごめんなさい」

 陽斗が慌ててレミエを抱きかかえる。が、その様子を見て穂乃香がクスクスと小さく笑い声を上げた。

「うふふ、まるでその猫は陽斗さんの保護者みたいですわね。ほら、今もわたくしを嗜めるように見ていますわ」

 なんとも返答に困る陽斗。

 と、陽斗のお腹からキュ~っと小さな音が鳴った。

「あうぅ」

「そういえば、生徒会が終わってからなにも食べておりませんものね。食事を用意してもらいましょう」

 赤くなって身体を縮める陽斗を笑うことなく、穂乃香はコールボタンを押す。

 するとほんの数分で裕美が食事をトレーに載せて持ってきた。そして素早くベッドにテーブルを設置し、陽斗の目の前に置いた。

 

 食事の内容は消化に良さそうなシンプルなものだ。

 それに利き手をギブスで固定されている陽斗でも食べられるようにスプーンとフォークも添えられている。

 穂乃香に見られながら一人だけ食事をするのは恥ずかしい気がしながらも、とにかく空腹を満たすべく、ぎこちなく左手でスプーンに手を伸ばす。

 しかしスプーンを持ち上げようとした瞬間、穂乃香がそれをヒョイッと取りあげてしまった。

「え? あの」

「左手では上手く食べられませんわよ。さ、口を開けてください」

 いわゆる“あ~ん”の始まりであった。

 



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