第7話 昼休みのつむじ風

──何の苦行⋯⋯。


 居心地の悪い馬車で送られてから一週間。

 目に見えてレトニスからの接触が増えていた。


 朝は寮まで迎えに来られ、昼は教室の前で待たれ、夕方は寮まで送られる。

 いつ自分の時間を取っているのか、まさに朝から晩まで付きっきり状態だ。

 

 そして今日の昼休みも同じテーブルに着き、周りの生徒の注目を浴びる羽目になり食べたいものは食べられず、話したい事も切り出せずキャラスティは憂鬱な気分でもそもそとパンを口に運ぶ。

 おまけにレトニスだけでも目立つのにテラードまでもが同席しているこの状態は目立つどころの話では無くなっていた。


「あの、レトニス様?」

「今後「様」を付けたら返事しないよ」

「⋯⋯何か用事があるのならまだしも、朝も昼も⋯⋯夕方にもわざわざ来てくれなくてもいいのだけれど」

「様子を見る用事はあるよ。最初からこうしておけば良かったって、思っているくらいだよ」


 さも当然の事をしているのだと語るレトニスをキャラスティは恨みがましく見返す。

 このレトニスの行動のせいでおかげでたった一週間の間に恐れていた「噂」が立ってしまったのだ。


 「東の侯爵に付き纏っている令嬢がいる」と。


 誰が言い出したかは問題ではなく、第三者からは「レトニスが」では無く「キャラスティが」付き纏っていると取られている。

 レトニスの接触が始まった頃はリリックが居たが、体良く逃げられてしまい、どうしてこうなったと溜息を吐いた。


「それに、テラード様まで、何か御用でしょうか⋯⋯」

「ん? 俺? キャラ嬢に興味があるから──っイッテ、何するんだよレトニス」

「気安く呼ぶな」

「お前の承諾は要らないだろ。俺の事もテッドと呼んでね」

「呼ばなくていい」


 不機嫌を隠さないレトニスと揶揄う素振りを見せるテラード。この二人には「噂」など気に留める必要がないのだろうが「噂」に「西の侯爵」が追加されるのは勘弁して欲しい。


──⋯⋯西⋯⋯の。


 「覚えている」記憶がある。

 「昔から付き纏わられて迷惑だったよ」と憎悪に歪んだ表情のレトニスと「人を貶めていたなんて最低だな」と嫌悪の目でベヨネッタを罵るテラード。


──ベネにテラード様を特別知っている様子は無かったよね。


 記憶の中の二人と目の前の二人とは結び付かないがこれから起こる事なのだとキャラスティは紅茶のカップに視線を落とした。

 これからの事なら「噂」が立ってしまった以上、尚更早くこの二人と距離を置かなければ。


「またそんな顔する。思った事は⋯⋯話してよ」

「こうも毎日だと近すぎると思う。朝も昼も夕方も⋯⋯レ、トだって大変でしょう?」

「トレイル邸に入ってくれれば俺は楽になるよ?」


 しれっと言い放つレトニスに悪気が無い分、尚更タチが悪い。

 キャラスティは聞き耳を立てていた生徒の手が止まるのを目の端で捉えて溜息が出た。


「そう言う事、人前で言わないで。誤解されるでしょう」

「誤解じゃないよ。本心だから」

「それでも⋯⋯場所を考えて欲しいの」


 飄々と答えるレトニスにキャラスティの心労が溜まる。

 この一週間、息抜きのいつもの中庭に行く事が出来ていない。図書室でビールについて調べることさえも出来ていないのだ。そろそろ限界を迎えそうだ。

 

 キャラスティの心情を知ってか知らずかレトニスがこんなあからさまな行動に出始めたのは送られた「あの日」から。

 あの日の出来事は本来「ヒロイン」が受ける「イベント」。それが何故かキャラスティで発生し、レトニスの「好感度」が上がったのだろう。

 いくら色恋に疎いキャラスティでも現状のレトニスが「好意」を持って接して来ているのはさすがに分かる。分かっていてもどうしたら良いか分からない。これが一番本音に近かった。


「あっ、キャラスティ見つけた」

「ブラント、どうかしたの?」

「午後の選択科目が休講になったから連絡しないとって、探していたんだよ。同じ科目だったろ?」

「手間かけさせちゃってごめんね、ありがとう。休講なら、帰るには早い⋯⋯よね」

「俺、図書室行くんだけど一緒に行く?」

「ええ、調べたい事があるし行きたい」


 周りの生徒が注目しつつも近寄らない席に気後れする事もなく近づいてきたのはクラスメイトのブラント・レジェーロ。

 思いがけず行きたかった図書室への誘いが嬉しくて返事をしたのと同時に咳払いされたキャラスティは「しまった」と肩を竦めた。

 

 気まずさに様子を窺えばレトニスは不機嫌を通り越して不貞腐れている。

 「解り易い奴だな」とテラードは笑うが不貞腐れたまま口を尖らせるレトニスにキャラスティは苦笑するしかなかった。


「テッド兄? あれ? どうしてキャラスティと居るの? 知り合いだっけ?」

「お前は相変わらずだな。ロータリーで会ったって先日話をしただろ」

「あーっそっか、そうだったね」


 そう言えば、ブラントとテラードは従兄弟だったと改めて見ると赤茶色の髪は同じで、どことなく顔つきが似ている。


「ブラント君は⋯⋯キャラと同じクラスだったね」

「はいっ仲良くさせてもらってます」


 屈託無く答えるブラントに対し、「ああ、そう、仲良いんだ」とレトニスの張り付いた笑顔が正直怖い。

 ブラントはこれ以上余計な事を言わないで欲しい。


「ああっそうだ! 他の人にも伝えないと! じゃあ、教室で待ってるね」

「わかったわ。ねえ、ブラント、教室に戻るなら探して回るより帰ってきた人に伝えれば良かったのじゃ⋯⋯」

「あああっ! 確かに⋯⋯またやっちゃった⋯⋯急いで戻らないと。テッド兄、レトニス様、失礼します」


 「教室で待ってるね」とつむじ風のように去るブラントにキャラスティはほっと胸を撫で下ろした。


「ブラントは悪い奴じゃないんだけどあの調子だからモテないだろうなあ」

「そんな事はありませんよ。優しくて穏やかなのでクラス人気は一番です。従兄弟と言われれば少しテラード様に似てますね」

「⋯⋯それで、そのクラスで一番のブラントと教室で待ち合わせ? 図書室に二人で行くの? 仲良が良いってどの程度? キャラもブラントには素直じゃない? お互い呼び捨てだし? 親し過ぎない?」

「お前、嫉妬のポイント細か過ぎっ⋯⋯」

「同じクラスだもの変じゃないでしょ。ブラントはいい人よ」


 「あいつはいつも「いい人」止まりだなあ」とテラードが苦笑する隣で顔は笑っていてもレトニスの気が収まっていないのは手に取るように解る。

 今迄も過保護だったが嫉妬を表に出す事はなかった。レトニスは幼馴染をただ心配しているだけなのだろうから。だからこそ、レトニスの「好意」は「ただの幼馴染への心配から来る勘違い」だと言いたい。「勘違い」でなくてはならない。

 トレイル家にとって大切な跡取りで権力と立場を維持する為にレトニスは重要な存在。なんの取り柄も重要性も価値もないキャラスティより「特別」な人が相応しい。


──近い内にレトは「付き纏う」私を拒絶するのだろうけど。


 せっかく「未来」らしきものを知ることが出来たのだから拒絶される前に離れたい。


「待たせると悪いから、そろそろ行くわね」

「放課後、図書室に行くからブラントと何処か行ったりしないでよ」

「いや、もう、ブラントは忘れてやってくれ」

「⋯⋯テラード様、レト、お先に失礼します」


 呆れ半分、諦め半分の微妙な表情で挨拶をしてキャラスティは席を立った。

 周りの生徒も興味が無くなり其々の会話に集中し始める。残された二人はそのまま居座り噂好きな生徒達を眺めた。

 彼らは相手を見て「噂」の標的を決めている。貴族は足の引っ張り合いが当たり前と言われればそうなのだろうが。


「なあ、レトニスお前さ、少し冷静にならないと嫌われるぞ?」

「既に嫌がられてるよ。そんなの分かってる」


 「噂」が立てられているのは知っている。離れたがっているのも分かっている。

 それでも、昔からずっと見てきた幼馴染が手を離れていくのを「はい、そうですか」と眺めて居られない。キャラスティの望み通りにしてあげるつもりはレトニスには一切ない。

 急に冷静さを欠いた行動をしている様に受け取られているが、これまでも多少なりとも「好意」は表して来ていた。「これでも表してた。伝わっていないけど」と、レトニスは笑う。


「尚の事、話をした方がいいと思うけどな」

「⋯⋯切り出せないんだよ」

「ああ⋯⋯確かにお前、口説くのヘタだもんな。いやー、若いねえ」

「何言ってるんだ、同じ年だろ」

「そうなんだけど、経験値が違う⋯⋯あれ?」


 テラードが紅茶のカップを手にしようとテーブルに目をやると、キャラスティの座っていた椅子に小さな手帳が置かれていた。

 スカートのポケットにでも入れていたものが落ちたらしい。

 拾い上げた手帳は深緑に藤の花が描かれた手の平サイズの小さなものだ。


「これ、キャラ嬢のか?」

「多分。見た事ない持ち物だけど。放課後、渡しておくよ。あっ!お前、勝手に見るな」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ビール?」


 テラードは捲る手を止めて目を疑った。

 その手帳はカレンダー付きの手帳なのに殆ど真っ新。書いてあるのはテスト日程や休みだけで「何もない」。

 何月か捲った十一月。そこには「ビール」と書かれていたのだ。


 しかもその文字はテラードしか知らないはずの「日本語」だった。

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