第124話

宣戦布告と共に投げ込まれた石礫は寸分違わず奴の人面の中心に吸い込まれ、派手な音と共に砕け散った。無論この程度では何の痛痒も与えられてはいないだろう。だが、奴は食事中に顔の周囲を飛び回る小蠅でも見るかのように、心底ウザそうにその不気味な貌を歪めて俺の姿を睨め回した。単純にデカいせいもあってか、その巨体から放たれる威圧感は半端なモノじゃない。


俺はブ厚く鍛えられた面の皮でその威圧をハネ返すと、腰の道具入れから球状の物体を手早く取り出し、ソイツを奴に向かって投擲した。高速でカッ飛んだその球は奴にぶち当たると、グシャリと音を立てて易々と潰れた。同時に赤黒いゼリーのような物体が周囲に飛び散り、奴の外殻にペンキをぶちまけた様な染みを作った。周囲にムワリと再び濃厚な血の匂いが漂う。こいつはオブ・・じゃなくて猪の腸に血液を詰めて半凝固した代物だ。勿論俺の手作りである。


緊迫した俺の主観とは違い、恐らくは殆ど時間は経過していないであろう。そのまま奴と睨み合っていた俺は無言でクルリとターンをして180度回頭をすると、真っ直ぐな体軸と充分な腕の振りを意識しながら全力スプリントを開始した。あれ程格好付けた直後にアレだが、早速闘争ならぬ逃走の開始だぜ。こんのウスノロ野郎。俺の自慢の逃げ足に、追い付けるモンなら追い付いてみろやっ。


「ギオオオオッ!」


ザザザザザッ


そんな俺の背後から、食事の邪魔をされた奴が怒りの咆哮を上げながら動き出す気配を感じた。


うおおおっ怖え。なんか走る音が今迄と違うし。


シュタタタタタタタッ


だが、何時かのようにウ〇イン・ボルト超えを意識して疾走する俺は、事前に頭に叩き込んだ道順に沿って走る走る走るひたすら走るっ。そして直ぐ後ろからはハグレの奴が滅茶苦茶追い駆けてきている気配が迫って来ている。正直に言おう。滅茶苦茶怖えええよ!


暫くの間そのまま走り続けた俺は、憶えのあるとある直角に近い曲がり角でスパイク付草履を床で派手に滑らせながら両足人間ドリフトをかますと、床から垂直に伸びる影をすり抜けて再びスプリントを再開した。すると幾らかの間を置いて。


ガゴオオッ


「ギァオオオッ!」


俺の背後から派手な衝突音と金属音に続いて、奴の怒りの咆哮が響いて来た。クケケケッ我が目論見通りっ。あのアホまんまと床に埋め込んだ鉄柱の罠に引っ掛かりやがった。


更に俺は目的地に向かって突っ走りながら、一定間隔で先程と同じ血液玉を迷宮の床や壁に叩き付けてゆく。奴が俺を見失なってしまわないように、だ。既に結構な距離を引き離してしまったからな。我が事ながら、自分の逃げ足の速さには惚れ惚れしてしまうぜ。などと考えつつ、俺は走りながら道具入れから取り出した煙玉に着火。いよいよ決戦の場が近付いて来たぜ。因みに道中にたむろしている雑魚どもは完全無視で一気に駆け抜けるぜ。


そして更に走り続ける事体感数分。ようやく目的の部屋の入口を視認した俺は、その付近に向けて発煙し始めた煙玉を放り投げた。俺の背後には既に奴の姿は全く見えない。いいぞ。この段階で俺の逃げ足が奴の追い足を確実に上回ることを確認できた意味はデカい。その事実は此れから始まる奴との戦闘において、俺の精神に伸し掛かる重圧を確実に軽減させてくれるハズだ。



「おらぁ!」

息を殺した俺は毒煙を突っ切って目的の部屋に飛び込むと、部屋の中心付近でボケっとしていた階層守護者と呼ばれる魔物に矢継ぎ早に残りの血液玉を全て叩き込んだ。


続いて間髪入れず大部屋の壁に張り付くと、俺は階層守護者を放置したまま、ヤモリの如く巧みに大部屋の壁を登り始めた。


実は此の大部屋の壁や天井には、返しを付けた金属製の杭を何本も打ち込んである。正確に言うと錐をハンマーで打ち込んで穴を開けた壁や天井に杭を挿し込んだのだ。因みに各種工具はトワーフ親方の工房からのレンタルだ。無くしたり破損した場合のデポジットもきっちり取られた。


当たり前だが其れだけでは杭は簡単にすっぽ抜けてしまう。だがしかし。この迷宮の壁や床には素晴らしい自己修復作用があるのだ。そのお陰で穴に差し込んだ杭は、放っておけば勝手に壁や天井にガッチリ固定されるって寸法だ。故郷のロッククライミング等で岩壁にボルトを固定する時と違って、接着剤要らずなので実に便利だ。尤も、長く放置するとその修復作用で杭は抜けるか埋まるかしてしまうため、打ち込むタイミングを考える必要がある。更に、迷宮の天井に使われている建材は床や壁と違う為上手くいくか少々不安であったが、修復作用は壁や床と同様問題なく働いた。


強風と落石に身を晒される雄大な茸岩のハングで鍛え抜いた俺の登攀能力を以てすれば、ホールドがこれだけある迷宮の壁や天井を移動する事などのんびり床を歩く行為に等しい。俺は部屋の中心に近い、天井が一番高いポイントまで天井に埋め込んだホールドを辿って一気に移動した。そして、その場所には・・・。


其処には黒光りする金属製の巨大な化け物槍が据えられ、圧倒的存在感を放っていた。その全長は目測4メートル超。径は下手すりゃ俺の腕並にある。


その推定重量は100kgを優に超えるだろう。間違っても人間に振り回せるような代物では無い。


いや、コイツは槍というよりは超巨大な銛と表現した方が良いかも知れん。飾り気など絶無なその偉容は、その先端は返しの付いた鋭い切っ先となっており、根元部分は円環状となっている。そして、その環からは何本もの金属製の鎖が伸びており、それぞれ天井に打ち込まれたアンカーで固定されている。また、その環部分は鎖の他に天井に埋め込まれたL字型の太っとい杭に引っ掛けられ、天井に吊るされていた。


俺が 仰々 高名な鍛冶職人のトワーフ親方を訪ねて作らせたのがこの化け物槍だ。ついでに天井に吊り下げる為のフック付きの杭も作ってもらった。その主な材質は鋼と黒鉄だ。黒鉄は地球には存在しない非常に強度が高く尚且つ比較的安価な金属だが、ネックなのはその重さだ。だが、今回に限っては強度とその重さこそが俺の要望に合致した。更に、トワーフ親方はその先端部分を含有比何と黒鉄8割以上(親方自称)の超硬質ブレードに仕上げてくれた。通常、金属は変に成分比を変えてしまうとその境界は強度が落ちて破断しやすくなってしまうものだが、其処は職人の技術でどうにかしてしまったらしい。


そして、槍から天井へと伸びる鎖は奴の動きを拘束する為のモノだ。この世界には故郷のような電熱による溶接技術など有る筈も無いので、鎖の強度には不安はある。だが、その不安は数でカバーする。鎖の数は5本。それ以上は予算が持たなかった。


この化け物槍をこの階層迄担ぎ、尚且つ天井まで引っ張り上げた時の事を思い出すと今でも全身から嫌な汗が吹き出て来る。其れは涙涙の超重労働だった。しかも作業中に俺はこの世界に飛ばされてから2度目のギックリ腰を患い、回復魔法が無ければこの若さでロクに動けない身体に成る処だったのだ・・。


更には此奴一本の製作費で今迄稼いだ金の半分以上が吹っ飛んだ。だが、今回ばかりは値引き交渉は一切無しだ。金なんぞよりも何より優先するのは質だ。だが、工房の小坊主の話ではそれでも破格の値付けだったらしい。何の気紛れだったか知らんが、有難いこったぜ。


奴をぶっ殺す為の此の戦術は故郷の捕鯨で使う捕鯨砲やスピアガンを思い出して考え付いた。やはり固くて糞デカい得物をぶち抜くには此の位しねえとな。そしてそのぶち抜く為の動力は火薬や発条などではなく、槍そのものの重量、この惑星の重力加速度、そしてこの俺自身の脚力との合力だ。


俺は手を休める事無く手早くセッティングを進めながら、此の槍の事をトワーフ親方に相談した時の事を思い出した。





「グフッ」


「グフッ」

何を鍛えて欲しいのか訊ねられた俺は、構想中の化け物槍とその使い方について親方に包み隠さず話した。だが、話を聞いたトワーフ親方は突然俯いたかと思うと、変な声を出しながらヒクヒクと震え出した。正直、かなりキモい。俺は親方から少し距離を取った。


「ゲハハハハッ!小僧ぉ~。ええのう。ええのう。お前、トチ狂っておるのう!」

すると、親方はズイっと近付いて来て俺の腕をガシッと掴むと、鼻息荒くとんでもなく失礼な台詞を叫んだ。うおぉぉぉぉい狂ってねえよ!この禿親父。俺のアタマは至って正常だ!


「ここ最近は詰まらん依頼ばかりでのぉ~。俺はもう退屈で退屈で。だがのう。ゲハハハッ。ええのう、此れだからこの仕事は辞められんわいっ。」

トワーフ親方は危ない薬がガンギマった人の様に瞳を不気味にギラギラと輝かせてウッキウキだ。対して弟子の小坊主共は目を剥いている。此方は正常にドン引きだ。


「其れで、相手は何処のどいつだ。ドラフニールか?最近騒がれとる魔窟のハグレか?それとも魔物領域の化け物共か?・・・グフッ、まあ何でもええわい。グフフフ鍛えてやるぞ、小僧。俺の腕がボルグスの種火のように猛っておるわい。」


「小僧ぉど派手に死んで来い!ゲハハハハ!」

ハイになった親方は上機嫌なままドン引きな俺の背中をバンバン叩きまくって何時迄も馬鹿笑いをしていた。


ムカー。俺は死ぬ気なんて全くねえっての。狂ってるのはお前だろこのオヤジ。顔近えし、息臭えし。俺はイカれオヤジのわずかに残った髪を引っこ抜きたい衝動にかられたが、折角やる気出してるんだから今は好きにさせるべきだろう。怒れる心を押し殺してぐぐぐっと思い止まった。




___嫌な出来事を思い出して一瞬ゲンナリした俺だったが、気を取り直して天井に埋め込まれたU字型の杭に両足を通して固定。両手をフリーにしたまま身体を天井に保持する。次いで天井に吊るしておいた布袋を肩に襷掛けに結び付ける。この中には干し草がタップリ詰まっており、もし床に激突した場合のクッション代わりとなる。そして、逃走用の煙玉に着火して空の水筒に放り込んでおく。


俺は巨大な槍とその柄に取り付けられたハンドルに静かに手を掛けた。こいつは故郷の銃に付いているコッキングハンドルをデカくしたような形状で、一定以上の衝撃を受けると折れて俺が身体に受ける衝撃を緩和してくれる。こんなブツで特攻してまともに衝撃を受けたら、折れるどころか腕が捥げるぞとトワーフ親方がサービスで取り付けてくれたのだ。


俺の真下では階層守護者がキーキーと吠えている。だが、奴の攻撃は此の高さまでは到底届かない。


目を閉じ、そのままの体勢で静かに待ち受けていた俺の聴覚と触覚に、重く響く感覚が捉えられた。巨大な生物の気配が、物凄い勢いでこの部屋に近付いてくるのを感知したのだ。勿論、そんな相手は奴しか居ない。そして、その直後。


「オオオオオッ!」

ハグレの悍ましい巨体が、部屋の入口を塞ぐ毒煙を吹き飛ばしながら豪快に飛び込んで来た。俺におちょくられた上に、まんまと逃げられてブチ切れまくってやがる。そして、その勢いのまま階層守護者に向かって一直線に襲い掛かって来た。


激突した二体の魔物はくんずほぐれつの格闘・・・に成る筈も無く。哀れ階層守護者君は一方的に組み敷かれ、あっという間にボッコボコにされ始めた。俺の眼下、ほぼ真下で。


俺が階層守護者を生かしておいたのにも勿論理由がある。俺の脚力により化け物槍はある程度の射程を確保できるが、出来るだけターゲットは俺の真下に居ることが望ましい。階層守護者はその為の生き餌だ。


俺は天井から奴を見降ろし、その瞬間をひたすら待つ。呼吸が乱れ、心臓がバクバクと脈打つ。正直、もう隠形どころじゃねえ。怖いかだと?超怖いに決まってんだろ。こんな状況で冷静にして居られる奴は、もう人間じゃねえ。こればっかりは何度も練習するって訳にはいかねえしな。一度きりの、一発勝負。此の一発で上手く奴をぶっ殺せたら最高なんだが。他に手札を用意していない訳では無いが、何れにせよ此の一撃がまともに入ることが前提だ。もし弾かれたり躱されたした場合は、何がどう転ぼうが即撤退と決めている。


俺は身体のあらゆる動きを止めた。瞬きすらも。その機会を一瞬たりとも逃すわけにはいかない。既に覚悟は決まっている。


それから程無く、ズタズタにされた階層守護者の身体が崩れ始め、絡み合った魔物二体の動きがほんの一時、静止した。


今、だっ!!!


俺は心臓が一つ撥ねると同時に歯を食い縛り、呼吸を止めた。頭の中で脳内物質がスパークし、周囲の景色がスローになる。


俺は無言のまま化け物槍に横から蹴りを叩き込んでフックから宙に浮かすと、間髪入れずに全身のバネと筋力を総動員して、天井を思い切り蹴り離した。






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