第113話

「え、あ? あ、僕は・・・。ここは・・どこ?」

目を開いたルエンは、か細い声で戸惑いの声を上げた。未だ意識が明瞭になっていないのだろうか。


「おおい、ルエン。気分はどうだ。俺の事は 分かるか?」


「ええと・・カ、カトゥー、なの?それに、暗いよ。ここは どこなの?」


「此処は迷宮の中だ。今迄の事は 覚えてるか?お前は魔物に捕まって、迷宮の中に 引き摺り込まれたんだ。俺はお前の兄ちゃんに頼まれて、お前を助けに来たんだ。」


「ああ、うん。覚えてるよ。僕、みんなと一緒に化け物に捕まって、酷い場所に連れて行かれて・・あううっ。」

辛い思い出が蘇ったのか、ルエンは呻き声を上げて顔を覆った。俺はルエンの頭をポンポンと優しく撫でてやる。今は仰向けに寝ている幼子を、胡坐を組んだ俺の脚の上に乗せてやっている体勢だ。だが正直、異様に発達した脚や腿の筋肉のせいで、この態勢で膝枕とかしても全然気持ち良くないと思う。スマンが其処は勘弁して欲しい。


ルエンはその体勢のまま震えていたが、暫くすると漸く落ち着いてきたようだ。顔を覆った手を外して俺を見上げるその目には、揺れながらもどうにか理性の光が戻って来ていた。


「カトゥー。助けに来てくれて、ありがとう。」

ルエンは血の気の失せた顔に、微かな笑顔を浮かべた。


「ああ。お前の兄ちゃんが 必死で俺に頼みに来たからな。もし断ったら 殺されるかと思ったよ。だから感謝は俺なんかより アイツにするんだな。」


「うん、分かった。・・・ねえ、カトゥー。」


「何だ。」


「僕、兄ちゃんの所に・・帰れるの?」

ルエンは俺の眼を真っ直ぐに見つめながら、自らの容態の核心を訊いてきた。


「それは、出来ない。」

俺は胸の内の感情を押し殺し、努めて冷静にきっぱりと答えた。


「ルエン。お前の命はもう、長くは持たない。遠からず、死ぬ事になるだろう。」

今更嘘を言ったところで大した意味は無い。優しい嘘?知るか。そもそも俺は優しくなんか無い。それにもし俺がこいつなら、下らん嘘で誤魔化されるよりも本当の事を教えて欲しい。だから、俺はルエンに隠す事無くハッキリと真実を告げた。


結局、俺の全身全霊を込めた回復魔法は、ルエンの致命的な傷に対して殆ど効果を発揮することは無かった。だが、ほんの僅か。僅かだけ回復効果が認められたのだ。

そして今、ルエンは最早絶望と思われていた意識をどうにか取り戻した。此れも或いは一つの奇跡と言って良いのだろうか。とはいえ、この奇跡も長くは続かないだろう。何れにせよ、ルエンが間もなく死ぬのは間違いないのだ。先程まで回復魔法をかけ続けていた俺には、その事が嫌でも分かってしまった。こんな奇跡を与えてくれたこの世界の神に感謝して良いのか、或いは半端な奇跡で済ませた事にキレるべきなのか、もう俺には判断が付かねえよ。


「そう、なんだ。」

残酷な俺の答えを聞いても、ルエンが泣いたり騒いだりすることは無かった。自身の命脈が最早尽きつつある事は、己自身が一番良く分かっているのかもしれない。


そして暫くの間お互い、無言のまま時が過ぎて。

ルエンが一つ、溜息をついた。其れは幼い少年らしからぬ、長い長い溜息だった。


「カトゥー。僕、まだ死にたくないよ。」


「何故だ。」


「だって怖いんだもん。それに、兄ちゃんと別れるのは寂しい。」


「そうか。でもな、ルエンよ。本当は怖がらなくても、寂しがらなくても良いんだ。何故ならいずれ死ぬのは 皆一緒だからだ。スエンも、ルミーやザガル達も、皆お前と同じだ。ただ、ソレがちょっと早いか遅いかだけなんだ。それに、お前の父ちゃんや母ちゃん、それにスラムの長老は お前より先に行って 待っているだろう。ならば、寂しがることもあるまい。」


「そうか。そうなのかな。」


「ああ。」


「そっか。なら、いつかカトゥーも一緒だよね。」

気持ちが落ち着いたのか、ルエンは俺にニッコリと笑顔を見せた。


「・・・・そうだな。」

俺の場合、例えこの世界に冥府が存在したとしても、歓迎されるとは限らんがな。まあ、今は敢えて言葉にすることもあるまい。


「ねえ、カトゥー。」


「何だ。」


「僕ね、夢があったんだ。」


「ほう。どんな夢だ。」


「僕、兄ちゃんと一緒に、カトゥーみたいな狩人や、商人になりたかったんだ。そしてずっとずっと遠くまで旅をして、いつか僕達が知らない場所を、たくさん見てみたかったんだ。」


「そうか。それは、悪くない夢だ。」


「ねえ、カトゥー。カトゥーはとても遠くから 来たんだよね。カトゥーの故郷の事、たくさん教えて欲しい な。」

ルエンの顔色は蒼白で、呼吸も浅い。触れた手足から感じる体温は相当に低下してきている。勿論、傷は癒えてはいない。だが意識は明瞭だし、先程までのような今直ぐにでも死にそうな様子ではない。恐らくは俺の回復魔法の効果で身体機能が一時的に活性化しているのだろう。意識を取り戻したのも、もしかすると奇跡でも何でも無く、回復魔法の副産物なのかも知れない。


「良いだろう。そうだな、何から話したもんか・・。」

断る理由などある筈も無い。

俺は故郷である地球の事をルエンに次々と語ってあげた。無数の人族が住む巨大な都市。天高く屹立する人口の建造物。煌々と輝く夜を知らぬ街。数知れぬ手の込んだ料理や甘味の数々。空を飛んだり海中を疾走する巨大な鉄の塊。そして大気圏を超えて、遥か天空の果てまで到達する人族の科学の叡智。


ルエンは御伽話のようなそんな話を、目を輝かせながら聞き入っていた。

そして。




「・・ルエン。おい、ルエン。」

語りながらふと気が付くと、幼子のその瞳からは、既に輝きは失われていた。


ああ、そうか。もう逝っちまったのか。


俺は光を失った瞳を、そっと瞼で覆ってやった。

小さな恩人に対して、故郷の話をすることくらいしか出来なかった不出来な俺だが、せめて少しでも安らかに逝くことは出来たのだろうか。


そして静かに眠るルエンの顔を見詰めながら俺は初めて、この世界の神に祈った。

どうかこの優しい小さな魂が、何時までも安らかならんことを。




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