第97話

排泄物やドブ川のような饐えた臭いの漂うスラム街にやってきた俺は、早速以前にスエン達と落ち合った人気のない空地へと足を運んだ。が、当然其処には誰も居なかった。その後、暫くスラム街を歩き回るが、以前此処で知り合った少年スエンを始め、彼の弟ルエン、連れのルミー、ザガルといった心当たりのあるスラム街のガキ共の姿は見当たらない。宿無しのガキ共は探すのも一苦労だな。


因みに財政的にかなり潤っていそうなこの都市には孤児院なんてもんがあるらしい。其処では戦や病気、或いはやんごとなき理由で肉親を失った(あるいは捨てられた)貴族や商人、稀に平民の子供たちが保護されているそうだ。ふ~んて感じだな。二食住居付きとは、この世界じゃまだしも恵まれた子供達で結構なこった。勿論、何処の誰が親とも知れないスエン達ストリートのガキ共には入院資格は適用されない。尤も、全てのガキ共を受け入れてたら孤児院なんぞあっという間にパンクしそうだし、選別は必要なことではあるんだろう。


ふむ、あいつが手頃か。

俺はスラム街でたむろしている連中のうち、出来るだけ貧相な体格で表情に険が無いジジイに目を付けると、懐から取り出した金をチラつかせてスエンの居場所を尋ねてみた。その効果は覿面で、物欲しそうな顔をしたジジイは速攻でスエンの居所をゲロった。っぱ世の中ゼニよな。因みにチラ付かせたゼニは銀貨だが、実際にジジイに渡したのは銅貨だ。ジジイは不満そうな顔をしていたが、その程度の情報で銀貨なんて大金やるわけねえだろ。甘ったれんな。


しかし情報の信ぴょう性に難ありとはいえ、その辺のたむろしているジジイが何故かスエンの居場所を把握している事実には少々驚いた。スマホどころか公衆電話すら無いこの世界である。その分人間同士の繋がり、ネットワークが局所的にではあるが発達していると見て良いのだろうか。故郷の日本でも田舎だと未だに良く見受けられた、ご近所様に家庭内の情報が筒抜けってヤツだ。アレを更に強固に、規模がデカくなった奴を思い浮かべてみると良いだろう。


ジジイから得た情報の場所に辿り着くと、其処に在ったのはみすぼらしいボロボロのあばら屋であった。本当に此処なのか?と頭の片隅にほんの一瞬だけ疑問が浮かんだが、其の姿を目の当たりにした俺の心に電流が奔った。100Aくらいの大電流だ。どうでも良いが、誤ってピンセットを突っ込むとビリリッとくる日本のコンセントの電流は最大15Aだ。良い子はマネすんなよ。いやいや、そんなどうでも良いことを考えるくらい動揺してしまった。スエンの奴、ガキの癖にこの俺を差し置いて家持ちだとぉ。俺のハートに嫉妬の炎が燃え上がった。


「スエン おるかー!!」

俺は大音声と共に、遠慮の欠片も無く入口と思しきボロい簾のような仕切りをドバーンとハネ上げた。嫉妬の炎が遠慮という美徳を肥溜めに投げ捨てさせたのだ。すると同時に簾?に繋がる紐のようなモノが引っ張られ、ビンッと鳴った音と共に奥の暗がりから俺の顔面に向かって何かがすっ飛んできた。


「あぴぃっ!?」

仰天して変な声が出た俺は、飛んできたブツを反射的にかつて漫画で見た白羽取りのように両手で挟み取った。顔面からの距離僅か数センチ。改めて見ると、どうやら矢のようだ。あっぶねええ。あの野郎、なんつーガキだ。お客さんを殺す気かよ。


その直後、またしても暗がりから俺に向かって小さな影が飛び出して来た。ん?良く見るとこいつはルミーか。なんでこいつが此処に居る。ま、ま、まさかこいつ等、ガキの癖に同衾してるんじゃあるまいな。俺ですら未だ童貞なのに。その歳で不純異性交遊、お兄さんは絶対に許しませんよっ。


瞬きの間に高速で様々な思考を散らしつつ、俺は斬り掛かってきたルミーの短剣を慌てず騒がず余裕を持って躱すと、お返しでその額にデコピンを叩き込んだ。それにしても、訪問客に問答無用でいきなり斬り掛かるとは。何とも物騒な幼女である。此奴も中々素敵でバイオレンスな都会暮らしを満喫しているらしい。


「うごごごごっ。」

充分手加減はしたのだが、それでも思いの外ダメージを食らったのか、撃墜されたルミーは額を抑えて床を転げ回った。その姿はリング上で転げ回るプロレスラーみたいで、不謹慎だがちょっと面白い。


「よう、ルミー 俺だ。加藤だ。突然訪ねて来て 悪かったな。」

いきなり俺を殺そうとしたルミーは当然ギルティだが、突然訪ねて来て許可無く中に入ろうとした俺も非常識なのは重々承知である。不覚にも嫉妬で我を忘れてしまった。その後、ルミーがどうにか回復したので二人で協議した結果、お互いの為にも今の出来事はノーカンとすることになった。


赤くなった額を抑えてぶーたれまくるルミーを何とか宥めた俺は、改めてスエンの居場所を尋ねてみた。ルミーの説明によれば、どうやらスエン、ルエン、ルミー、ザガルの4人は此の小さなあばら家で身を寄せ合って一緒に暮らしているらしい。冷静になって改めて眺めて見ると、此奴は家というよりは掘っ建て小屋といったほうが良い風情だな。そして、ルミーの話では今はルエンとザガルは物乞いと残飯拾い。スエンは都市の中でちょっとした手紙やメモ書きを人から人へ手渡すメッセンジャーのような仕事をしているらしい。勿論その発案はスエン自身である。中々面白そうな事やっとんな。そして、今日のルミーは持ち回りの留守番だそうだ。こんな何も無さそうなボロボロの小屋でも、ちゃんと守っていないと不埒な奴に中を荒らされるらしい。


その後、短剣を使った上手な人の刺し方講座などという、故郷のPTAや児童育成団体やらが目の当りにしたら発狂して釘バット片手に乗り込んできそうな話でルミーと盛り上がっていると、都合の良いことにスエンが最初に此のあばら家に帰って来た。


「あっ カトゥーさん。ど、どうしてココに・・。」

スエンは大きな目を真ん丸にして驚いていた。


「よう、スエン。お前に会いに 来たんだ。こないだは弟のルエンに とても世話になった。今日は その礼と、お前に一つ仕事を 頼みたくてな。」


「スエン、お前 読み書きはできるか?」


「え? うん、出来るけど。」

スエンは俺からの突然の話に困惑した表情をしつつも、ハッキリ答えた。


できるんだ。流石は俺が見込んだ少年。感心すると同時に心の中で落胆する。落胆は俺自身にだ。スエンは既に読み書き出来ない俺なんぞより遥かにインテリなのかもしれんな。スエンに詳しく話を聞くと、此のスラムには1年前まで生き字引的な長老みたいなジジイが居たそうだ。どうやらスエンはそのジジイに読み書きその他諸々を教わったらしい。だが、ジジイは冬を越せずに病で死んでしまったんだと。何だか故郷のホームレスの最後みたいで切ないわ。ちなみにルミーやザガルも一緒に教えてもらっていたはずなのだが、気付くと何時も居なくなっていたらしい。


俺は懐からリザードマンズの遺品とも言うべき迷宮の地図を取り出した。迷宮を徘徊している時、食べるかどうかかなり迷ったのだが、残して置いて良かった。


「す、すごい。コレ迷宮の地図だよね。ああっ『古代人の魔窟』の地図だ。これ物凄く高いんだよ。」地図を広げると、中身を見たスエンが興奮して食いついてきた。思っていた通り、迷宮の地図はかなり高価な代物らしい。


「この地図あちこちに 手書きで色々書いてあるだろ。俺は文字が読めないから、何が書いてあるか 教えて欲しいんだ。」


「え? で、でも。僕この字は読めないよ。」

スエンが書き込まれているグネグネした変形アラビア文字のような文字を指差した。当たり前だ。幾らスエンが利発な子供といっても、あの蜥蜴4号が書き込んだトカ言語が読める訳があるか。俺がスエンに翻訳してほしいのは、初めから地図に記述されているっぽい文字だけだ。


そんな訳で。

一通り条件を話し合った俺達は、早速翻訳作業に着手することにした。本業の合間にするにせよ、数日くらいで此の作業は完了できるだろう。俺はスエンが翻訳した地図の記述内容を、その傍に尖った木炭のような筆記具を使って日本語で丁寧に注釈してゆく。書きながらついでに下層に向かう最短の道筋を頭に叩き込む。この世界で俺が書いた日本語の注釈を解読出来る奴はまず居ないだろう。日本語を解読するには、サンプルが圧倒的に足りないからだ。もしそんなことが出来るとしたら、ソイツは天才というよりは異能の類であろう。


作業の間、後ろからルミーが纏わりついてきて実にウザい。此れがもし美少女なら大歓迎なのだが、ボッサボサ髪ですきっ歯でしかも身体が臭いルミーが相手では全く嬉しくない。季節が夏なら速攻でエルボーをかましている処だ。どうやら此奴は俺が持ってきたブツが目当てのようだ。俺は命の恩人であるルエンとついでにスエンにも、菓子折り代わりにパオシュとかいう肉まんじゅうのような食い物を大量に担いで持参してきた。露店でも売っているが、今回購入したのはそれより少しだけ高価な物だ。販売店に出向くと、俺の汚い姿を見るなり販売を拒否されそうになったが、半ば脅すようにして購入してきた。パオシュは大福と肉まんの中間のようなもっちもちな生地に野菜や挽肉のようなものを濃い目の味付けをして煮詰めた具がたっぷり入っており、何より冷めても実にうまい。


「おい、ルミー。俺の故郷にはな 働かねえ奴は 食うな。という、先人の有難い言葉がある。お前にあのパオシュはやらんぞ。」


「え・・・。」

当たり前だろうが。此れはお前の為のモンじゃねえ。俺は図々しいガキは嫌いなんだよ。すると、ルミーは目を滅茶苦茶ウルウルさせてガチ泣きしそうになっている。実に面倒くさい上、俺がガキを虐めてるみたいじゃねえか。だが泣こうが喚こうが絶対にお前にはやらん。其処の線引きはハッキリさせる。ただ、余りにうっとおしいので助け舟を出してやることにした。


「俺はパオシュを お前にくれてやる気は一切無いが、お前がスエン達から貰う分には何も言わん。もし欲しけりゃ 俺じゃなく、スエンかルエンに頼むんだな。」


と言う訳で。その後直ぐに帰ってきたザガルと一緒にスエンに平伏したルミーは、どうやらパオシュを無事下賜して貰えたようで。最後に戻ってきたルエンも混ざってその後、小さなあばら家ではささやかなパオシュパーティーとなったようだ。


ルエンに改めてあの時の礼を言った俺は、勧められたパオシュには手を付けずに、さっさと4人のガキ共が大騒ぎをしているスエン達のあばら家を離れた。お前らの為に持ってきた礼だ。お前らだけで思う存分に食うが良いさ。


スラム街を後にすると、既に日は暮れかけていた。俺は宿屋に戻ることにした。スエンとの仕事の続きは明後日の午後一の刻に約束した。明日は仕立て屋で新しい服を注文して、いい加減このズタボロの服を何とかせねばならん。あと、今の俺の武器らしいものは丸太剣と、ビタの集落でゼネスさん達から貰った弓矢しか無い。いや、あの丸太剣は本来武器じゃないので、正確に言えば今の俺はほぼ丸腰だ。幾ら街中といえど、この世界では安全とは限らないので、丸腰である今の状況は実に心細い。蜥蜴3号の金棒は迷宮に置いてきてしまったし、何か手持ちの武器が欲しい。そんな訳で、明日は武器屋に行ってみよう。良さげな武具があればその場で購入もやぶさかではない。


何しろ今の俺は、魔石を換金すれば金ならある。

・・・金ならある。くぅ~なんという甘美な響き。堪らんね。明日はウキウキショッピングじゃ~い!


金ならあるぞぉ~!

宿屋への帰路、俺は心の中で叫びながら、両手の拳を高々と突き上げた。


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