(閑話5 後)

僕の前に現れたその少年は、真っ直ぐに僕の事を見詰めていた。


僕はそれとなく彼の姿を見返して、そして目が離せなくなった。その姿は一見、平凡で何処にでも居るように見えたのに、僕の記憶に深く刻み込まれたんだ。


その外見でまず目に付いたのは、黒い髪と茶色い瞳だ。其々の色はそれ程珍しくは無いけれど、黒髪で茶色の瞳を持つ人は滅多に見たことは無かったように思う。そして良く観察してみると、彼の顔の造形は非常に特徴的だったんだ。その鼻は低くて、全体的にのっぺりと凹凸の無い平たい顔をしていた。目は少し細くて長く、顎には不精髭を生やそうとしているようだが、体毛が薄いのか疎らにしか生えていない。顔立ちはとても若そうに見えた。僕と同じか、或いは少し年下なのかも知れない。


素直に評価してしまうと、その全体の起伏の無さのせいもあり、彼の顔は結構な不細工に見えた。更に言うならば、その身に纏うのはボロボロにくたびれた平服で、特に下半身は今にも破れ落ちそうだった。正直なところ、その辺に居る物乞いでももう少しマシな身なりをしているんじゃないかな。


だけど、僕が彼から目が離せなくなったのはそんな理由じゃない。其の一番の理由は彼の瞳だ。その瞳はその強靭な意志の力を具現するかのようにギラギラと輝き、僕の眼を真っ直ぐに射抜いていたんだ。


そして、次に驚いたのはその体格だ。僕よりも頭一つ分くらいは小さいだろうか。サリサスや闘争に関わる職業を生業とするには、あまりに小柄に思えたんだ。だけど、その傲慢な考えは直ぐに改めさせられた。彼はのっぺりと平たい癖にやたらと精悍さを感じるその容貌で、椅子に座る僕の全身をギロリと値踏みするように睨め付けたんだ。その時、僕の身体は無意識のうちに一瞬硬直した。僕は内心で衝撃を受けた。

いや、まさか。こんな小柄な少年に、僕は恐れを感じたとでも言うのか!?


「君が 次に俺と組むサリサスか。俺はカトゥーだ。宜しく頼む。」


だが次の瞬間には、彼はニッコリと破願して僕に手を差し出して来た。

その笑顔はお世辞にも整った顔とは言えなかったけど、僕には愛嬌たっぷりに見えたんだ。立ち上がった僕は我知らず微笑んで、差し出された彼の手を握り返した。


「カトゥーさんですね。僕はポルコです。よろしくお願いします。」


握った彼の手は顔に似合わず僕以上にゴツゴツしていたけれども、とても暖かかった。僕は彼の手を握りながら、彼の姿を改めてじっくりと観察した。体格こそ人並か或いはそれ以下だけれど、其れ意外は物凄く特徴のある人だった。でも、悪い人じゃ無さそうなので安心した。尤も、其の直ぐ後にはカトゥーさんの事なんて完全に何処かへ吹っ飛んでしまう程に驚愕することになったんだけどね。


僕達はそのまま二人で依頼主がやって来るのを待つことにした。そして、迷宮で見掛けた最近話題の美女の話や、ベニスの中央通りで一番美味いのはどの露店かなどの話題で白熱した口論を交わしながら盛り上がっていると、僕は目の先の通路に誰かが立っているのが一瞬見えた。僕は思わずカトゥーさんの顔から目線を上げると、「ソレ」が視界に入ってきたんだ。カトゥーさんに睨まれた時よりも数段上回る衝撃を受けた僕の身体はカチコチに硬直し、次に発する言葉を失ってしまった。


その姿を目にした瞬間、僕は魔物が姿を現したと思ってしまった。ソイツの身体は深い緑色でヌメリとした光沢があった。そして良く見ると、その体表は隙間なく鱗で覆われていた。巨大な頭の左右には細長い瞳孔が刻まれた金色の眼が備わり、氷のような視線で僕達を見据えていた。更に僅かに開いた其の口からは、獰猛な牙が見え隠れしていた。そして、その姿に似つかわしく無い皮鎧を着込んだその体躯は、今じゃ巨漢の部類に入るはずの僕を遥かに上回っていたんだ。


僕達人族とは懸け離れたその姿。だけど直ぐに魔物では無いと分かった。僕は、此の姿をしている種族の事を知っていたから。そう、彼等はレイザルと呼ばれている、僕達人族に似た知性と文明を持ち、人族が亜人種と呼んでいる種族の一つだったんだ。


ずっと昔、レイザルは人族とは敵対関係にあった。というより、人族は彼等の事を魔物の一種だと考ていたんだ。それはお互いに、姿を見れば殺し合う関係。其れがずっとずっと続いてきた人族と彼等との関係だ。その関係が唐突に変化したのは、あの東方からの大侵攻の時だ。八英雄の一人に説得に応じた彼らは、人族と手を組んで大侵攻に対して勇敢に戦い抜いた。そして難敵を撃退した後、八英雄の一人がレイザルや獣人の国を同盟国として戦いに参加した全ての城塞都市に認めさせてしまったんだそうだ。一体どうやったのか、難しい話は僕も良く知らないんだけどね。


そしてその後は、レイザルの国(何処にあるのかは良く知らない)はプラ・エ・テラニスが建国されてからもずっと人族との同盟関係を続けてきたんだ。だけど実際の所、彼らは自分のテリトリーから出てくることは滅多に無いらしく、人族と深く関わることは滅多に無かったかったんだって。僕がベニスに住んでいた時でも、レイザルの姿は偶にしか見なかったからね。でも、勿論例外も居たんだ。例えば腕に覚えのある者、好奇心旺盛な者、或いは国を追われた者など。其れ等一握りのレイザル達は、その住処から外に飛び出すか或いは弾き出されて、僕等人族の領域に入り込んで来たんだ。


そんな連中は昔だったら直ぐに討伐された存在だったんだけど、まさか同盟国の人達を問答無用で殺害する訳にもいかないので、今ではレイザル達は渋々ながらも人族の町を闊歩する事を認められているんだ。あ、勿論犯罪者は別としてね。正直、其れが良いことなのかどうかは僕には良く分からない。何故なら僕は、彼等の事を全然知らないから。僕にはサリサスの友達なんて居るわけないしね。でも大人達の中には、同盟を認めさせた英雄を八英雄の面汚しと罵る人も沢山居るんだ。


何で僕が彼等の種族に関してこんなに詳しいのか。その理由は、偶にベニスの町中を歩いて居る彼らの種族は目立ちまくっていたので、興味芯々だった僕は一時期サリサス仲間や雇い主の迷宮探索者達にレイザルの事を尋ねまくっていたからなんだ。


今迄は遠目にしかその姿を見たことが無かった恐ろしい見た目のレイザルがいきなり目の前に現れたので、僕は少々怯えてしまった。だけど、2年間のサリサスの経験がどうにか僕に心を均衡を取り戻させてくれたんだ。


この人?が現れたタイミングから考えて、恐らくは僕達の雇い主の一人なんだろう。好奇心もあったが正直、其れよりも不安が募った。僕の周りではレイザルに関してはあまり良い噂を聞かなかったからね。その噂はやれ凶暴で手が付けられないだの、怒ると仲間に斬りかかるだの、人族を攫って食うだの、色々だ。まあ眉唾な話だとは思うけど、果たしてPTのメンバーにレイザルが居て上手く迷宮探索をやっていけるんだろうか。


そして、其のまま暫く無言で目を合わせていた僕等だったんだけど、妙な圧迫感を感じた僕は、思わず周囲に視線を巡らせたんだ。そしてその直後、僕は驚愕のあまり思考が完全に停止してしまった。


「ゲギャ」


「ギャ キィー グッグッ」


「キィー キィー ゲッグゲッ」


僕達はいつの間にか、恐ろしい姿をしたレイザル達の巨体に取り囲まれていたんだ。


「ヒィッ。」

心臓が縮み上がった僕の口からは縊り殺される水鳥のような声が漏れ、一種意識が遠くなった。情けないとは言わないで欲しい。だって、彼等近すぎるんだもの。手を伸ばせば抱き締められそうなくらい近い。しかも、間近で見ると滅茶苦茶顔が怖い。


暫くの間固まっていた僕達だったけど、カトゥーさんは意を決したのか何事か彼らに話しかけていた。す、すごいよカトゥーさん。僕は怖くて動く事すら出来無いのに。彼の勇気のお陰で、カチンコチンになった僕の心身もほんの少しだけ解れてきた。


「・・・・ヨ ヨロシ ク タノム。」

すると、彼らの話も漸く僕の耳に入ってきた。どうやら頭目と思われる物凄い威圧感のレイザル剣士さんは、僕等にも通じる言葉が話せるようだ。すると、もう一人のレイザルさんが、紙片に何かを書いて僕達に見せつけてきた。恐る恐る覗き込んでみると、東の大国の公用語で「俺達がお前達に仕事を依頼した傭兵PTの≪裂鱗の牙≫だ。宜しく頼む。」と書かれていた。言葉は話せなくても文字は読み書きできるんだ。僕は見た目より随分頭がいいんだなと随分驚いた。


そして、その時僕は思い出した。僕は彼等の噂を小耳に挟んだことがあったのだ。ここ半年くらいで急激に名を上げているレイザルの傭兵PTてこの人達だったのか。よくよく思い返してみると、遠くからとは言え、僕は何度か彼等の姿を見た覚えもあった。こんな姿じゃ何処に居ても滅茶苦茶目立つからね。得心が言った僕は、怯えながらも漸く彼らに挨拶が出来たんだ。


だけど、カトゥーさんは無言だった。彼の口を付いて出た恥ずかしそうな小さな声を聴くに、どうやらカトゥーさんは読み書きが出来ないみたいだ。別に珍しくも無いことだから恥ずかしがらなくてもいいのにね。


その後、正式にサリサスの契約を交わした僕等は、迷宮探索の打ち合わせも兼ねて≪裂鱗の牙≫の方々に半ば引き摺られるように酒場へと連れていかれた。僕らが連れていかれたのは≪迷宮の癒し亭≫だ。此処は少々値は張るけど、客層は良いと聞いた。僕なんかの稼ぎじゃあまり縁の無い店なんだけどね。店主は恰幅の良い獣人夫婦らしいので、あまり評判の良くないレイザル達でも門前払いを食らう事が無いんだろう。


そして、レイザルの皆さんが想像以上に知的で迷宮慣れしていたこともあり、僕達は皆で食事をしながら遅滞無く自己紹介や打ち合わせを進めていったんだ。・・・初めはね。だけれども、カトゥーさんが果実酒を乳で割ったライミルをガブガブ飲むに連れて目が座ってゆくと、和やかだった場の雰囲気はどんどん雲行きが怪しくなっていったんだ。そして、終いには


「ネチャン ハイボル モウテコーイ!」

頭がおかしくなったカトゥーさんは、意味不明な雄叫びを上げながら給仕のお姉さんに抱き着いて顔面を拳で殴られたり、ゲラゲラと笑って≪裂鱗の牙≫の斥候さんの首に手を回してグイグイと締め上げながらその腹をガスガスと殴りまくっていた。幾ら酔っているとはいえ、なんて恐ろしい事をするんだ。饒舌な斥候さんは口では笑っていたが、目が全然笑っていなくて怖かった。結局カトゥーさんは≪裂鱗の牙≫の頭目さんにかなりの勢いで殴られていたんだけど、彼は宿へ帰ってゆくまで終始笑顔だったので、殴られたことはあまり覚えていないのかも知れない。


___そして色々あったけど今朝に至る。漸く装備を整え、荷物を纏め終えた僕は、眠そうな雑居宿のおじさんに挨拶をして何時ものように宿舎を出た。今回の仕事は≪古代人の魔窟≫なので東門で待ち合わせる事になっている。


東門に辿り着いて暫く待っていると、左程時を待たずして≪裂鱗の牙≫の4人とカトゥーさんがやって来た。≪裂鱗の牙≫は言うまでも無いが、カトゥーさんも結構目立っている。・・・あまりにもみすぼらしい姿なので。その姿、昨晩飲み食いしてた時と全然変わらないんだけど。幾ら直接戦闘に参加しないサリサスとは言え、本当にその恰好で迷宮の中へ突っ込んで行く気なんだろうか。とても正気とは思えない。


そしてゲートを潜って荷物を纏めた僕達は、長い順番待ちを経て、いよいよ迷宮の入口に立った。僕にとっては何度も通り慣れた入口だ。だけれども、こんな異常に濃い面子と一緒に迷宮探索するのは初めての経験だ。かつて無い素敵な冒険の予感に、僕の胸はドキドキと高鳴る。



僕は高ぶる気持ちのままに、躊躇う事無く迷宮の階段へと足を踏み入れた。




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