第90話

「キイイイイィッ!」


甲高い咆哮を上げながら、俺の目の前を魔物が疾駆する。

ソイツは背中の皮膚が硬質化していて、まるで亀の甲羅を背負った手長猿のような見た目の魔物だ。但し、そのサイズは尻尾を除いて体長1.2m程もあり、顔も鬼のように醜悪で地球の手長猿のような可愛げは皆無だ。その武器は鋭い犬歯と、手には目測で長さ30cmにも及ぶ凶悪な一本爪を備えている。更に奴等は其の身軽な体躯と恐るべき身体能力を生かして、迷宮の壁を使った立体的な攻撃を仕掛けてきた。


ギャギャギャリッ

凄まじい速度で床と壁を蹴り、猿と言うよりは弾丸のような動きで俺に迫る。


パゴォッ

俺は魔物の爪を躱しざま、其の顔面に上段からカウンターで鉄棒を叩き込んだ。

軽快な音と共に、頭蓋を粉砕されたであろう亀猿(今命名)が後方に吹っ飛んでいく。どれだけ速かろうが、そんな直線的な動きじゃ俺の先読みと動体視力から逃れることは出来ん。今持ってる武器とも相まってお誂え向きだ。


だが、鉄棒を振り抜いた俺の体勢を絶好の好機と捉えたのか、残ったもう一匹が俺の背後から襲い掛かってきた。俺は鉄棒を振り抜いた体勢からそのまま腰を切って横に回転、背後から迫る亀猿に鉄棒をぶち込む。多少振り遅れて差し込まれたが、パワーで強引に鉄棒を振り抜いた。


ズゴォッ

三遊間の、弾丸ライナーだっ。

どてっ腹に金属棒を叩き込まれた亀猿は、声も出せずに凄まじいスピードで吹き飛んでいき、其のまま壁に叩き付けられて鮮血の華を咲かせた。消える魔物でもなぜか出血はする。此れも古代人の拘りなのだろうか。


その時、俺は足首の辺りにチクリと痛みを感じた。

その直後、凄まじい速度で身体を倦怠感が支配する。全身が総毛立った。うおおおっヤバイ、毒か!?俺は咄嗟に敢えて身体を弛緩させて壁に背を預け、迷宮の床に座り込んだ。そして足首に刺さった針を手早く引き抜くと同時に、丹田で魔力を練り始める。半分死に体になっちまうが、仕方ねえっ。


すると今迄何処に隠れていたのか、横合いからいきなり姿を現した体長1.5mはあろうかという巨大な蛞蝓のような魔物が、蛞蝓にあるまじき速度で俺に伸し掛かってきた。蛞蝓嫌いな人にはトラウマ確実な最悪の絵面だ。俺は魔力が霧散しないように精神力を総動員して身体の緊張を解き、精神の均衡を保つ。今、激しく動けばあっという間に全身に麻痺毒が回ってしまう。


ジュルルルっ

左胸に激痛が走る。此の化け物は唾液のような液体で俺の肉を溶かして啜っているのだ。だが、痛みと同時に俺の回復魔法の準備が整う。激痛を堪えつつ、間髪入れずに回復魔法を体内で発動。全身の痺れと倦怠感が急速に薄れてゆく。


「オラァ!!」

俺は嫌悪感を振り切るように麻痺蛞蝓(以前命名)に蹴りをぶち込むと、仰向けに倒れ込んだ麻痺蛞蝓の頭部に、畳みかける様に一呼吸で鉄棒を叩き込んだ。グチャリと耳障りな音を響かせた麻痺蛞蝓は、其のままクタリと迷宮の床に沈んで動かなくなった。そして俺の身体に魔素が流れ込み、程なく蛞蝓の身体は崩壊を始めた。


「ふ~、今のはヤバかった。」

周囲に他の魔物の気配が無いことを確認した俺は、迷宮の床に座り込んで傷ついた左胸を回復魔法で癒しながら、内心冷や汗をかいた。あの麻痺蛞蝓は要注意だ。死角から気配を消して身体が速攻で麻痺する毒針を飛ばしてくる。まるで暗殺者だよ。奴のせいで貴重な血液と肉を少々食われてしまった。


此処は迷宮≪古代人の魔窟≫の地下14層。迷宮の探索者達の間では俗に中層と呼ばれている場所だ。迷宮の15層目にて現地語でハグレなどと呼ばれている異常で悍ましい魔物に襲われた俺は、俺以外の仲間を殺害される或いは逸れるなどして全て失った。その結果、俺は止むを得ず地上へと逃げ帰る途上と言う訳だ。


其の道筋は今の所、順調とはとても言い難い。此処に来て魔物共との遭遇率が矢鱈と上がってきている気がする。一体もう何匹魔物をぶっ殺したか、数えるのもアホらしいくらいだ。地上目指して歩き始めた頃に余り魔物と遭遇しなかったのは、その前に仲間のリザードマンズ達と一緒に15層付近の魔物どもを殺しまくったことも影響していただろうが、今の遭遇率は少々オカシイかも知れん。


複数の魔物との戦闘自体は、始めこそ戦々恐々としていたものの、蓋を開けてみればソロでもどうにかこなせている。尤も、最初は何度かマジで死に掛けた。だが此処まで来て、1対多数の戦闘にもかなり慣れてきた。


睡眠については臭い玉で魔物を追い払って仮眠を取っている。臭い玉の残量にはまだ余裕はあるが、効果があるかどうか不明なハグレとの遭遇が怖くて十分な睡眠が取れていない。尤も、疲労については回復魔法である程度吹き飛ばせるので今の所問題では無い。


ならば今の行程で目下一番の問題となっているモノは何か。其れは食料と飲料水だ。俺が地上に向けて出発してから体感でかなりの時間が経過したように思われるが、未だに1階層分しか上に登れていない。迷宮があまりにも広すぎる上、死んだ仲間から回収した地図がまるで使い物にならないからだ。そのせいで滅多に無い迷宮の生き残りの罠に掛かって死に掛けるハメにもなった。


飲料水はまだ十分残っている。だが、俺は此の段階で既に自分の尿を飲んで渇きを癒している。その方法は海などで遭難した時のセオリーと言っても良いだろう。汚いだのまだ早いだの言うなかれ。アレだけ歩いて魔物と戦いまくったにも拘らず、俺はまだ1階層分しか進めていないのだ。俺は既に危機感充分である。飲料水が尽きてから慌ててももう手遅れなのだ。今の段階から限界ギリギリまで身体の水分の漏出は抑えねばならん。勿論尿なんて糞不味いし、身体の老廃物なので飲んだら身体に良かろうハズも無い。そこで、飲尿の後には胃腸に回復魔法を当てることで紛らわせている。気休めかもしれんが、出来ることは全てやっておく。


食料は飲料水よりはまだ余裕がある。いくらかポルコが担いでいたとはいえ、6人分の食料が俺の荷物に入っていたからな。だが、携帯食ばかりなので栄養が偏ってしまう上、こちらも切り詰めてはいるがいずれは尽きる。油断は禁物だ。


崩れ去った魔物から魔石を回収した俺は、荷物を拾い上げて再び歩き出した。



____此処は迷宮の地下12層目だ。


倒れ伏す魔物を前に、俺は思わず座り込んだ。身体は泥のように疲れ切っている。睡眠が足りない。俺は一体何十匹、いや何百匹魔物をぶっ殺したんだろう。幾ら何でも数が多すぎないか。そういえば俺は未だに他の迷宮探索者の姿を見ていない。もしかすると、迷宮探索者どもによる魔物の間引きが出来ていない為にどんどん魔物が増えて来てるんじゃああるまいな。体内で回復魔法をブッ放ちながら身体を休める俺に、不穏な考えが芽生えてくる。


此の迷宮の魔物は、幾ら増えたとしても昔地球で読んだ小説に登場した迷宮のようにスタンピードとか云って地上に飛び出てくるようなことは無いそうだ。勝手な想像でしか無いが、恐らくは迷宮のシステムによって消える魔物達は地上に出ない様に造られているんだろう。だが、迷宮内部に居る俺にはそんな事は関係ない。もし間引きが出来ずに魔物が増えるというのならば、其の煽りをモロに受けることになる。冗談じゃあねえぞ。そういえば、此の迷宮は大昔に手付かずで放置されていた時は魔窟と呼ばれて恐れられてたんだっけ。頼もしいリザードマンズ達と居る時は何も感じなかったが、何となく其の謂れの意味が実感できるようになってきた気がする。


因みにあの悍ましいハグレは15層で戦って以降、一度もその姿を見てはいない。尤も、代わりに僕たちが歓迎するよっとばかりに大量の魔物どもが容赦なく襲い掛かってくるのだが。幸い魔物どもに対しては俺から奇襲はする事はあっても、今の所されたことは殆ど無い。お陰様でまだ何とか生き延びている。もし山中で培った隠形の技術が無ければ、俺はとっくにくたばっていた事だろう。


ん?

沈み込んでいた思考の海から戻った俺は、目の前の光景に目を見張った。目の前に倒れるデカい亀のような魔物は崩れ去っていく様子が無い。うおおおおラ、ラッキー!

実はこの迷宮、何処から迷い込んだのかは定かでないが、極稀に消える魔物じゃないホンモノの魔物が混ざって迷宮内部を徘徊していることがあるのだ。飲料水と食料が心許なくなって来た今の俺には、此のお肉と血液は正に大いなる大地の恵みである。余すところ無く有難く頂くとしよう。


俺は残り少なくなってきた臭い玉を通路に配置し、早速獲物の解体に取り掛かった。



____顔面に迫る熊猿の爪を上体を揺らして躱す。勿論下半身は大地に根を下ろし体幹は微動もせぬ。俺の腕は熊猿の腕の体表を滑るように差し込まれ、人差し指と中指が其の眼球に抵抗なくヌルリと沈んでいった。絶叫を上げる熊猿の膝関節に足を掛け、体毛を引っ張り体を崩すと、其のまま仲間の方へ軽く押してやる。すると、顔面を抑えて悲鳴を上げる熊猿の身体は、横合いから別の熊猿が俺に向かって放った一撃へと吸い込まれる様に倒れて込んでいった。


手に馴染んだ鉄棒を掴んだ俺は、仲間の身体に鋭い爪が刺さったまま身動きの取れなくなった熊猿の眉間に向かって、その自重を生かして脱力したまま得物を振り下ろした。そして、インパクトの瞬間に全身の筋肉を無駄なく収斂させて、鉄棒と共に全身の力を集束して捩じり込む。


パカーン

瓢箪を引っ叩いたような少々間抜けな音が響き、熊猿の頭蓋が綺麗に割れた感触が腕を伝わってくる。そして、間を置かずに目を抑えて藻掻き苦しむ熊猿の頭頂部に、慈悲の一撃をくれてやった。


此れで終いか。俺の足元には十を超える熊猿が、頭蓋を割られて転がっていた。


此処は迷宮の地下11層。そして、俺の前方の通路の先には10層への階段が微かに見える。


俺は遂に、遂に此処まで辿り着いた。



命を繋ぐ水と食料は、とうに尽き果てていた。


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