(閑話4-14)
謎の物体から奇襲を受けた形となる右翼の部隊は混乱に陥っていたが、俺達にはまだその様子を観察する余裕がある。森から溢れ出た黒い染み。良く見ると、あの化け物と同じ形をした蜘蛛のような生物が大量に蠢いているのが見えた。アレが大量に集まった群れが黒い染みに見えたのだ。
個別に観察すると、虫のようにカサカサ動いて薄気味悪い。
虫?蜘蛛? いや、外見の特徴。何処かで・・。
「お、おい光騎。あれってもしかして、魔物じゃないのか。」
背後から山下の焦った声が掛けられた。
「ああ。みたいだな。」
そうだ、思い出した。魔物だ。
あの蜘蛛みたいな形状、間違いない。確か、アルゲアとかいう名前だった筈だ。
王都に戻ってくるまで俺達が赴任していた国境近くの砦は、魔物達の領域に近い。
その為、付近には度々魔物が出没して、兵士たちが駆除を担当していた。尤も、俺達は連日隣国との戦いに追われて、魔物と戦闘する機会は殆ど無かったのだが。
その為、付近に出没する魔物の知識に関しては、古参兵や指揮官達によって頭に叩き込まれていた。
俺は戦闘の疲労と予期せぬ事態による緊張で、思考が鈍り口の中がカラカラになってきた。自分に言い聞かせる。落ち着け。落ち着け。
それにしてもなんて数だ。未だに森からは魔物たちが溢れ続けている。確かアルゲアって群れることはあっても数体程度と聞いてたぞ。話と全然違うじゃないか。
しかも
「うおお・・アレは・・ヤバ過ぎる。なんて化け物だ。」
思わず声が出てしまった。
巨大な化け物は、始めはのそのそと移動しているだけに見えたが、突然何本もある足を高速で動かし始めた。
良く見ると、あの脚の先には人間か猿のような不気味な手が付いており、敵兵をその手で掴んでは口と思われる身体の裂け目に次々と放り込んでいる。うわああ。まだ距離がある此処から見ても怖気が走る光景だ。あんなのがもし目の前に現れたら・・・恐らく恐怖で一歩も動けなくなるだろう。
正直、既に敵兵との戦闘どころでは無くなりつつある為、守りを固めつつそんな悪夢のような光景を眺めていると
「おーい 来るぞおっ!」
近くの兵士から鋭い警告の声が飛んできた。
次の瞬間、俺達の前に黒い影が飛び込んできた。
嘘だろ。早すぎる。右翼の部隊を越えてもうここまで浸食してきたのか。
「うおおっ」
俺は飛び掛かってきた黒い影に反射的にラキールを叩き込んだ。重い衝撃で手が痺れる。俺の一撃で切り裂かれた影は、体液をまき散らしながら後ろに弾かれた。と、同時に山下と岡田が斬りかかって追撃の一撃を叩き込む。だが、その影は素早く後方にジャンプして二人の攻撃を躱した。
俺は改めて襲ってきた魔物をまじまじと観察する。見た目は足の長い真っ黒な女郎蜘蛛の胴体に剛毛が生えた感じだ。あと、足が蜘蛛より多い気がする。正直滅茶苦茶気持ち悪い。それに何より。
「で、でかい。」
岡田の声が震えている。そう。改めて目の前で見ると滅茶苦茶でかい。
かなり個体差があるようだが、俺の目の前に居るこいつは全長2m近くあるんじゃないか。超巨大な蜘蛛がジャンプして襲い掛かってくる光景は完全にホラーだ。周りの兵達は気後れしてしまっている。
俺達と魔物は睨み合いながら互いに隙を伺う。周りの兵士達は固唾を飲んで見ている。一瞬の膠着状態。だが、その均衡は直ぐに崩れた。新手の魔物どもが次々と兵士達に襲い掛かって来たのだ。悲鳴と怒号。戦闘音がそこら中で鳴り響き始める。
魔物の物量と殺意に圧倒され、俺達はもう人間同士の戦争どころじゃなくなりつつあ
った。
「うおおおおっ」
俺は正面から渾身の一撃を叩き込み、魔物の脚を数本斬り飛ばす。
そして、
「・・・・」
「うりゃああ!」
バギョッ
そして、俺に注意を引き付けた隙に、背後から岡田と山下が一撃を叩き込んだ。
魔物は体液を垂れ流しながら沈み込んだ。流石に背後は死角だったのだろう。先程のように躱されることは無かった。
「うわっ」
「うひいい」
すると、山本と岡田が変な声を上げた。話には聞いていたが、魔素って奴が身体に流れ込んでいるのか。
どうにか目の前の魔物は倒せた。だが俺の焦燥が深まっていく。これは不味い。不味いな。
敵の軍勢はあの化け物に蹂躙されて恐らく崩壊寸前だ。
そして俺達も。周りに視線を向ければ、次から次へと兵士達に襲い掛かってくる魔物。あまりにも数が多すぎる。すでに前線の指揮系統は機能不全に陥りつつあり、統制の取れた反撃ではなく、小規模の集団で各個に魔物を迎撃しているような状態だ。
そして、ついに恐れていたことが起こった
間違いない。あの化け物が敵の居る方から此方に近付いてきている。
やばいやばいやばい。あの化け物に来られるのだけはマズい。脱兎のごとく後方に逃げたいが、後ろは兵士たちが密集していて無理だ。
「ん?」
ゆっくり此方に向かっていた化け物の動きが止まった。もしかしたら腹一杯になったのか・・な?
その直後、俺はありえない光景を見た。
フワリ、と化け物が飛んだのだ。飛んだ。嘘でしょ。
思考が一時停止した。
そして。
ズゴーン
大音響とともに、化け物が着地した。俺達の背後に。
飛行したんじゃなく、あの巨体でジャンプしたのだ。ああ、もう確実に悪夢に出る。
生きて居られたらの話だけど。
あの化け物が着地したのは味方の右翼寄りの中央部隊のド真ん中だ。やばい。結構近い。正直ビビッて震えが止まらない。近くで見るととんでもないド迫力だ。あの様子では、今の着地で仲間の魔物もかなりの数潰されてそうだが、化け物は全く気にした様子も無い。
いくらビビッていても勿論相手は容赦してくれない。俺は次々襲ってくる魔物を斬ったり殴り飛ばしたり手と身体は動かし続ける。そして、その間にもあの化け物をチラチラと注視し続けた。頼むからこっちに来ないでくれよ。
そしてチラ見した一瞬。俺は化け物の口の中が見えた。見えてしまった。
挽肉になった大量の兵士たちが。俺は自分の目の良さを呪った。
あまりの光景に思わず胃の内容物が込み上げる。だが、俺は意志の力を総動員してソレを飲み込んだ。今は身体に残った一滴のエネルギーが生死を分けるかもしれない鉄火場なのだ。悠長に吐いて貴重なエネルギー源を無駄に捨てている場合では無い。
化け物の周りでは蜘蛛の巣を散らすかのように兵士が逃げ惑っていた為、俺達の位置からでも視界が開けてその様子が良く見えた。そしてその中に・・
兵を叱咤しながら化け物から離れようとする様子のラーファさんの姿が見えた。そして、彼女の背後から化け物の腕が迫っていた。
「危ないっ!」
此処からでは聞こえないと分かってはいたが、俺は思わず叫んだ。
彼女は身を躱した。俺には確かにそのように見えた。だが、巨大な化け物の腕はその軌道を変え、あっさりと彼女の胴体をその手に掴んだ。
そして、ジタバタと暴れる彼女をあっさりと口に放り込んだ。
俺はその光景を呆然と見ていた。
え 嘘だろ?
あれで終わり?
あの化け物みたいに強かったラーファさんが。ええと、嘘だよね。ホラ、あの化け物の身体がパカッと割れて、そこから颯爽と出てくるんだよね?
俺は祈るように化け物を見ていた。
・・・・だが、その願いが叶うことは無かった。
ラテール王国軍の統制と秩序はその時、遂に崩壊した。
逃げ惑う兵士たちを掻き分け、襲ってくる魔物を叩き斬りながら、俺達3人はあの化け物の進路から離れるように移動していた。魔物を斬った俺にも何度か魔素が流れ込んできたが、その感覚には直ぐに慣れた。
そして、俺達はかろうじて統制を保ちながら魔物と戦う小集団の側に身を寄せた。装備から見ると騎士団のようだ。俺達への魔物の襲撃が散発になり、漸く会話する余裕が出来た。
「なあ、俺達も早く後ろへ逃げよう。もう無理だよ。」
岡田が震える声で俺に提案してきた。恐怖と疲労で顔色が悪い。
「駄目だ。」
俺はその提案を切って捨てた。
「なんでだよっ!此のままじゃもう駄目なんだよ。死にてえのか馬鹿っ!」
山下が激高して怒鳴る。
「あの魔物の数を見たろ。それに、落ち着いて周りを見てみろ。闇雲に逃げても逃げ切れる可能性は殆ど無い。」
ラーファさんがあっさりと食われたことで、俺は却って冷静になった。心の耐久値が限界を超えて、一時的に感情が希薄になってしまったのかもしれない。
味方の軍勢は既に壊走状態に入りつつある。魔物どもは、恐らくそれを追い込むように俺達を包囲しようとしている。勿論全体像までは見られないが、すでに前方に俺達を囲うように魔物どもの壁が形成されつつあるのがチラチラ見える。
「もし俺達が生き延びるチャンスがあるとしたら、もう打って出るしかない。」
俺は二人に宣告した。
「あ?光騎よ。お前、アタマどうかしちまったのか?」
山下が鼻に皺をよせて言い捨てた。
「俺達は追い立てられ、囲まれつつある。だが、まだ奴らの包囲は完成していない。皆と一緒に後ろに逃げるのではなく、敢えて前に出て奴らの包囲を食い破るんだ。」
「冗談だろ?あの数だぞ。」
山下は噛みつくように俺に言ってきた。まだ納得していないようだ。
「やるしかないんだよ。もしこれが野生動物なら、群れから逸れた俺達は真っ先に奴らに狙われるだろうな。だが、魔物の習性はお前たちも砦で教えてもらっただろ。奴らは血と、より多くの餌に引き付けられる。つまり」
「奴らは俺達よりも後方に逃げていく本体に食い付いて行くってことか。」
岡田が俺の話の後を引き継いだ。
そういう事だ。只追われて後方へ逃げた先に活路は無い。あの世への一本道だけだ。
死中に活あり。生き残る為には、あえて奴らを斬り破って、包囲をぶち抜いた上で逃げるしかない。よもや俺の人生でこんな場面を迎えることがあろうとは。
「そうだ。だから包囲さえ突破すれば、逃げ延びる可能性は低くはないはずだ。それに確か、あの魔物は水を極端に嫌うと聞いた。確かあの森の方向には川があったはずだ」
「マジか?何でお前そんな事知ってるんだよ」
「戦場になりそうなこの辺りの地形は事前に調べた。根津と張飛さんに頼んでな。俺からしたら逆に大きな戦の前に何も調べないお前らに驚きだよ。」
「ちっ悪かったな。だが、となれば。」
「ああ。」
「奴らの包囲の薄そうな所を探すんだ。タイミングを合わせて突っ込むぞ。」
俺達は腹を括って。奴らの様子を探り始めた。
「済まない。ちょっと良いだろうか。」
すると、俺達の話を盗み聞きしていたのか、小集団の騎士の一人が声を掛けてきた。
「不躾だとは思ったが、今の話を聞かせてもらった。そこで、もしキミさえ良ければ俺達も一緒に戦わせてはもらえないだろうか。」
「そちらこそ良いのですか?命令も無しに勝手に動いてしまうのは。」
「それはお互い様だろう。それに、既にわが軍の命令系統は崩壊している。ならば俺は、独自の判断でどうにかして部下達や自分の命を繋ぎたい。どうだろうか?」
騎士の男は俺に同意を求めてきた。俺は後ろをちらりと見た。二人の友は頷いた。
「分かりました。でも、もし魔物に捕まって落伍しても俺達は皆さんを助けに戻ることは出来ません。其れでも良いのでしたら一緒に戦いましょう。」
正直に言えば彼らの助力は大変助かる。だが、これ以上の人数はNGだ。あまり人が増えると、少人数で脱出する意味が無くなってしまう。
「ありがとう。助かる。」
騎士の男は笑顔で手を差し出して来た。俺はその手を握った。この世界でもそんな風習があるんだな。
俺達は素早く周りの様子を伺う。残された時間は少ない。決断が急がれる。
俺達の後方では逃げようとする兵士達のど真ん中で化け物が暴れ回っている。あそこには絶対に近付いてはいけない。前方は魔物どもが折り重なるようにして俺達を追い立てている。あそこを抜けるのは不可能だろう。
そして、右手側の森の方からは既に魔物が溢れる様子はない。出尽くした後は俺達を追い立てる側に回り、森の周辺には奴らの姿が若干疎らになっているように見える。今なら突っ切ることが出来るかもしれない。勿論、森の中にも後詰めが居ないとは言い切れないが、奴らが此処で出し惜しみしているとは考えにくい。
俺は決断した。
「見てみろ。丁度森から出てくる魔物が種切れみたいだ。あそこに向かって突っ込むぞ。目標はその奥にある川だ。オカ 達夫 二人とも重い金属鎧は全部外せ。携帯食以外の荷物も全部捨てろ。魔物と正面から斬り合うのは全部俺が引き受ける。お前たちは俺のフォローに徹してくれ。」
これ迄の戦闘で二人は相当に体力を失っている。技量を考えても此のままでは最後までとても持たないだろう。
・・・そして俺も、本音を言えば身体のあちこちが痛む。積み重なった疲労で身体は重く、さらには熱を持ち、呼吸が苦しい。
だが、まだ身体は動く。戦える。ならば何とかしてみせるさ。
総勢13名。俺達は一塊になって陣形を整えた。俺が正面。左右後方に岡田と山下。そんな俺達を囲むように騎士たちが武器を構える。
そして、いよいよ魔物の包囲に突撃しようとする寸前
皆に合図を送ろうと振り向いた俺は息を呑んだ。
遠目に、張飛さんが化け物に向かって走っていくのが垣間見えたのだ。
一瞬思考が止まる。思わず其方へ駆け出しそうになった。
だが、それは叶わない。
どうか、どうか死なないでください。張飛さん。
「皆。此処が正念場だ。絶対に足を止めるんじゃないぞ。」
俺は断腸の思いで気持ちを切り替えると、背後の仲間たちを叱咤した。
「いくぞぉ!」
そして俺達は、秩序を失い壊走する味方の集団から離れ、魔物の群れに向かって突っ込んだ。
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