第64話

至近距離から黒蜘蛛の脚が俺に迫る。


「くおおっ」

ギャリリリッ

盾代わりの胸当てでどうにか攻撃を弾いたが、間髪入れずに背後の黒蜘蛛が口のような気色悪い器官でかぶり付いてきた。

咄嗟に目に肘を叩き込んで回避する。

全力疾走しながらの攻防だ。奴らも充分な体勢でないので助かった。が、今の攻防で足が止まっちまった。しかも、川のある方向には今の隙にさらにもう一体が回り込んで立ち塞がっている。


コイツら虫の分際で連携を取ってきやがる。

走りすぎて息が苦しい。身体が熱い。

糞 どうす、うおおっ。


奴らは俺が考える間もなく飛び掛かってきた。

思い切り地面を蹴って横っ跳びで回避しつつ、高速で回り込んで奴らの背後を狙うが、駄目だ。三匹の視界からは逃れられねえ。一匹の死角を他の二匹が庇うように動いてやがる。


俺も死角を削る為、木や岩を背にすべきかと一瞬考えたが、即取り下げた。此処には背にするような大岩がねえし、木を背にしたところで背後の代わりに上から狙われる。しかも、背にするのが余程の大木でない限り、木を挟んで後ろからあの脚が飛んでくる可能性もある。


だが、三匹のどいつかに死角に入られたらマズイ。俺はどうにか三匹が視界の中に入るように動き回りながら、突き込まれてくる黒蜘蛛の脚に胸当てと槍を叩きつける。が、10本腕を持つ相手の手数が多すぎる。


あっという間に汗と鮮血が飛び散り、俺の全身は奴らに切り刻まれていった。


何度も、何度も刺され、斬られ、全身を刻まれながら、俺は思う。

俺は此のまま死ぬんだろうか。

やっと正式な狩人になって。初めての仕事で。此れが俺の命運なのだろうか。


・・・否。


断じて否だ。


4年前の俺なら。

死んだことすら気付かずに、一瞬で奴らに殺されただろう。


1年前の俺なら。

奴らの致命の攻撃に、反応すら出来なかっただろう。


だが。

見える。見えるぞ。そして感じるぞ。

今の俺には奴らの攻撃がハッキリと見える。

そして、虐め抜き叩き上げた肉体は、俺の意思の通りに動いてくれている。


此の一年、俺は何のために地獄を見てきた。何のために耐え抜いてきたんだ。

今、此の為だろ。この瞬間を生き延びる為だろ。



此処で生き残るのは手前らじゃねえ。この俺だ!



盾と槍で手数が足りねえなら身体を使え。表面の肉や皮なんぞいくらでもくれてやる。身体で受けろ。捌け。奴らの隙を捻り出せ。


全身を赤く染めながら、俺は槍と胸当て、そして身体で奴らの攻撃を捌き続ける。

と、何度攻撃しても致命打を与えられない事に焦れたのか、1体の黒蜘蛛が脚の先端の不気味な手を伸ばして俺の肩を掴んだ。瞬間、力か籠るのを感じる。俺の体勢を崩す気か。


此処だっ!


俺は咄嗟に腰を落として重心を下げる。糞重い錆鎧を着て毎日森を走り続けた俺の足腰の粘りは、この程度の圧力では微動だにしねえ。

俺はタイミングを合わせて、逆に込められた力を肩を回して流してやる。ゾルゲとの鍔迫りで散々体を崩されて地面に叩きつけられた記憶がフラッシュバックする。力を流されて逆に態勢を崩された黒蜘蛛の身体が、吸い込まれるように俺に向かって倒れ込んできた。


見せつけるように槍を握り直した俺を見て、奴は10本の腕を交差させてガードしやがった。アホが。この間合いで槍なんぞ使うかよ。


俺は槍と胸当てを放り出すと、万歳の体勢から円を描くように思い切り腕を振り下ろし、倒れ込んできた黒蜘蛛の腕を巻き込んで胴体をガッチリとクラッチした。


「うおおおおおぉりゃあああああ!」


俺はそのまま変形フロントスープレックスの体勢で黒蜘蛛の身体を地面からぶっこ抜いた。そして、超高速で身体を反らした俺は、後ろから襲ってきたもう一匹の黒蜘蛛をハネ飛ばして、殆ど速度を落とさずに目を付けておいた岩に奴の脳天を叩きつけた。


ゴシャアァ


不気味な音がして奴の頭が砕け、体液が飛び散った。


俺はそのままバク転の要領で素早く身体を起こす。頭を叩き潰された黒蜘蛛から魔力が俺の中に流れ込む。

そして今の攻防で、横にハネ飛ばした黒蜘蛛ともう一匹と俺との間に間合いが出来た。奴らの包囲に出来た穴。丁度俺の背後には川のある崖。この絶好の機会、逃さねえ。


俺は素早く槍と胸当てを拾うと、反転して再び全力で川に向かって走り出した。直後、背後から恐ろしい気配が迫る。

程なく崖まで辿り着くと、俺は躊躇なく空中に身を躍らせた。そのまま崖を滑り下りる。更に身体中に色々なものが突き刺さるが構いやしねえ。今はそれを気にするどころじゃない。


そして遂に

森の斜面から転がり出た俺は、そのままの勢いで渓流のトロ場の中に飛び込んだ。


もし漫画や映画であれば。このまま泳いで敵から逃げ切って俺は助かるのだろう。


だが本当にそうか?

逃げている間、俺はずっと赤ロン毛の言葉が気にかかっていた。黒蜘蛛の奴らは水を極端に嫌う。だが、考えてみれば唯それだけだ。水に触れると死ぬわけでも何でもねえ。此処まで執念で追跡してきた奴らが


「そう簡単に諦めるワケねえわな。」

俺の前にはそのまま崖から水面にダイヴしてきた黒蜘蛛の姿があった。


奴らはゆっくりと俺に近付いてきた。脛まで水に浸かった状態では、素早い回避を続けるのは無理だ。勝利を確信しているのだろうか。

だが、残念だったな。俺は逃げるために此処へ来たワケじゃねえぞ。


近付いて来る黒蜘蛛を見ながら、俺は間合いを計る。そして奴らが互いの攻撃の間合いギリギリまで近付いた瞬間。俺は胸当てをバケツ代わりに思い切り水を黒蜘蛛にぶっかけた。水を嫌う黒蜘蛛は嫌悪感からか、身体が一瞬硬直する。

俺が欲しかったのは逃げ道じゃねえ。此の絶好の隙だ。


「きえええええええいっ!」


水の膜の奥で一瞬硬直する黒蜘蛛に向かって、俺は槍の穂先を全力で叩き込んだ。槍はあっさりと黒蜘蛛の頭部を貫通して後ろへ抜けた。目の前の黒蜘蛛が力無く沈み、魔力が俺に流れ込む。


残り一匹。

槍を引き抜いて飛び下がった俺は素早く周囲に目を走らせた。

其処で目に飛び込んできたものは、回れ右をして今にも逃走しようとしている黒蜘蛛の姿であった。形勢の不利を悟って逃げを選んだか。


だが、此処で逃がしたら、俺はこの先常にこいつの襲撃を警戒しなきゃならん。

絶対に逃がさんぞ。


俺は川底の石を引っ掴むと、残った黒蜘蛛の背後から全力で叩き込んだ。何年もの間鍛え上げた俺の印字打ち。的がデカいから外しようが無い。


そして、何発か石を叩き込んで、奴の動きが鈍くなった所に背後から槍をぶち込んでトドメを刺した。最後はあっけないもんだな。


そして、黒蜘蛛達を仕留めた俺は水から上がると、そのままぶっ倒れた。


「ゼヒ~ ゼヒ~ ゼヒ~ ぐううう。」

息が苦しい。身体が熱い。どこもかしこも糞痛い。全身が燃えるようだ。だが、俺にとってもう痛みと苦しみはもう悪友みたいなもんだぜ。いや、馴れ合う気は無いし、今すぐどっかに行って欲しいんだけどな。


ぜ~~~~ひ~~~~落ち着いて深呼吸、そして体内回復魔法を発動させた。


「うがああああああああ。」

全身の激痛に思わず悲鳴を上げる。身体をビクンビクンさせながら耐えていると、ス~~ッと痛みと疲労が溶けていくのが分かった。


俺は身体の状態を確かめながら、ゆっくり上体を起こす。周囲を目視で確認して、どうやら他の黒蜘蛛の追撃が無さそうなのを確認した。


「ふ~~~。やった。どうにか生き残った。」

俺の口から、思わず日本語で安堵の言葉が漏れた。

支援部隊や狩人部隊の連中はどうなったんだろう。あの状況じゃタダじゃ済まないだろうが、どの道俺一人じゃどうにもならん。逃げるだけで超ギリギリだった。

どうにか上手く逃げ延びてくれりゃいいんだけどな。


俺は自分の体に目を落とした。全身傷だらけで見た目が悲惨な事になっとる。1発の回復魔法だけではまだ疲労と傷は全然治り切っていない。かなりの量の血を流しちまったが、まだ貧血などの症状は出ていない。とりあえず水分を補給しないとな。

あと、今の所身体に痺れや他の異常は見受けられない。出来るだけ考えないようにしていたが、奴らが毒持ちじゃなくて本当に良かった。もう暫くは経過観察が必要かもしれんが。


再び回復魔法を発動させ、立ち上がった俺は重大な事実に気づいた。


「・・・え~と。此処はどこだ?」


此れが漫画や映画なら、直ぐに場面が切り替わって病院の中にでも居るんだろうが、現実は非情だ。全力で走り回ったから方角が分からんし、食料も持っていない。川は直ぐ傍にあるが、ろ過装置も煮沸するための容器も無い。火を起こす道具も無い。

これからどうしよう。


俺は川の水が汚染されないように、糞重い黒蜘蛛の死体を川の中から運び出した。そして、わずかな間に傷だらけで穂先が鈍らになってしまった槍で、黒蜘蛛の腹のような部位の表面を切り取ってみた。う~~ん食えるんだろうかコレ。取り合えず石を乗せて渓流の中に放り込んでおく。

胸当ては加工すれば鍋代わりにはなるかな。水には困らんが、とにかく何か食えそうな物を探そう。





こうして見知らぬ土地で、再び俺のサバイバル生活が始まった。





 














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