第22話 明かされる真実 その2


 玄関を開けた柚希は、その意外な来訪者に驚いた。


「やあ、柚希くん。具合はどうだね」


 白衣をまとった長身の男性、それは紅音の父、明雄だった。


「先生……」


「晴美くんから話は聞いているよ。来るのが遅れて申し訳なかったが、ここ数日紅音の側から離れられなくてね」


「紅音さんは、その……大丈夫なんですか」


「ああ、おかげさまでね……今は薬で眠らせているが、状態は安定しているよ」


「そうですか、よかった……」


 柚希が安堵の溜息を漏らした。


 その飾らない素直な反応に、明雄は満足そうに笑った。


「で、なんだが……よければ少しあがらせてもらっても構わないかな。傷の具合も気になるのでね」


「あ、すいません気がつかなくて。どうぞこちらへ」


「失礼するよ」


 柚希は一瞬、一階の居間に通したほうがいいか悩んだが、診察するのではベッドのある方がいいかも知れない、そう思って二階の自分の部屋に明雄を招いた。




「ここが柚希くんの部屋か」


「すいません、ずっと寝ていたので散らかってますが」


「いやいや、想像してた通りの部屋だね。正に君の城って感じがするよ」


「城、ですか……」


「あ、いや。まずは診察するとしよう。上着、脱げるかな?」


 柚希は明雄の指示に従い、上着を脱いでベッドに横たわった。


 包帯を取り、傷口を調べながら明雄は、怪我をした時の状況、殴られた時のことなどを柚希に質問した。




「そうか、大変だったね……しかし話を聞いていると、よくこんな傷で済んだと思うよ。骨に異常もなさそうだし、傷も順調に回復してる。それに……誰が処置をしたのか知らないが、見事なものだ」


「隣に住んでいる同級生がしてくれました」


「晴美くんがしても、そう変わりはないぐらいに的確な処置だ。その子にはしっかりお礼をしておくんだね」


 そう言って鞄から錠剤を三種類ほど取り出すと、柚希に差し出した。


「しばらくこれを飲んでおきなさい。化膿止めに痛み止めと胃薬、毎食後一錠ずつだ」


「すいません、いただきます」


「しかし……いい部屋だね。落ち着くよ」


「そう……ですか?」


「ここが君にとっての『城』であり『隠れ家』なわけだ」




 その言葉に柚希は、自分の胸の奥を見透かされたような気になった。


 これまで柚希にとって、一番安心できて穏やかな気持ちになれるのは自分の部屋だった。


 人が外に出て一番に行う作業は、自分の居場所を作ることだと柚希は思っていた。

 たとえば新しいクラスになった時、まずは自分の席を確保する。

 広い教室の中で、そこにいても誰からも咎められない、皆に平等に与えられる場所である。

 そしてそこから皆、他者とコミュニケーションを取りながらその場所を広げていく。

 それが広ければ広いほど、その人にとってその場所は居心地のよい物になっていく。


 しかし柚希は外の世界で、そう言った場所を作ることがいつも出来なかった。

 いつも広い教室の中で、たった一つの与えられた「席」という領土を守ることに必死になっていた。


 そんな彼にとって、自分の部屋こそが、自分にとって最高に居心地のいい場所だった。

 誰からも攻撃されることのない、侵される心配のない領土。


 その本質を突かれた柚希は動揺した。




「いやいや柚希くん、そんなに深刻な顔をしなくてもいいよ。君は本当に真面目だな。いつも人の言葉をしっかりと受け止め、そしてその言葉の本質を探ろうとする」


「いえ、そんなことは……」


「ここは君にとって唯一の場所だろ。君が君らしくいられる場所」


「……」


「心配しなくてもいい。みんなそうだからね」


「え?」


「恐らく今、君の中には『どうして自分の考えが分かったんだろうか』といった疑問が生まれているんだろう。でもね、柚希くん。君だけじゃないから安心したまえ。世のほとんどの人間はそうなのだから」


「僕だけじゃ……ない……」


「ああ、私にしてもそうだ。人は成長するにつれて、活動する世界をどんどんと広げていく。そしてその場所が、自分にとって居心地のいい場所になる様、悪戦苦闘する。

 その為に人は新しい仮面を作っていく。他者とうまくやっていくための仮面をね。生きていく中でその仮面はどんどんと増えていく。そうだね……学生の頃は私も、そんな仮面を作ることが嫌だった。そしてこう思った。『仮面が増えすぎて、どれが本当の自分か分からない』ってね」


「……それはよく分かります」


「でもね、年を取っていけば分かる。それが全部本当の自分なんだって。それが成長と言う物なんだと」


「……」


「だが、自分の部屋だけは別なんだ。この場所だけは、昔から何も変わらないんだ。ある意味人が言う『本来の自分』をさらけだせる場所なんだ。さっき私が言った『隠れ家』と言うのは、そう言う意味だ」


「みんな……そう思っているんですか」


「意識すらしてはいないがね。だが概ね間違ってはいないと思う。人間、そんな場所が一つぐらいないとね」




 雨は小降りになっていた。

 柚希が窓を少し開けると、ひんやりとした風が部屋に流れて心地よかった。




「それで、柚希くん……」


 明雄が軽く咳払いをして、柚希に向かって言った。


「君には紅音のことで、色々と世話になっている。君と出会ってからの紅音は本当に楽しそうで、私も君には感謝している……しかし君も、薄々感じていると思う。紅音が少し、変わった娘だと言うことを。そして色々と、変に思っていることがあるはずだ」


「はい……でもそのことを口にしてしまっては……いけないような気がしてました」


「そうか……紅音が君のことを特別に思う理由、分かる気がするよ」


 嬉しさと哀しさが入り混じった瞳だった。


 柚希は無意識の内に姿勢を正し、明雄の次の言葉を待っていた。




「柚希くん。私は今から、紅音自身も知らない紅音の話をしようと思っている。しかしそれは君にとって、大きな重荷になるような話だ。だから君が聞きたくないというのであれば、それもまたいいと思ってる」


 明雄の言葉が柚希を圧倒する。


 これまで紅音に感じていた疑問の答えが今、目の前にある。

 しかしそれは、とてつもなく大きな十字架を背負う覚悟がいるのだ、そう感じた。


 しかし柚希の中で、その覚悟は出来ていた。

 柚希にとって紅音は、間違いなくかけがえのない存在だった。

 彼女が笑顔の時、隣で一緒に笑いたい。

 彼女が泣いている時は、隣で一緒に泣きたかった。


「お願いします、先生」


 柚希の言葉に、明雄が静かにうなずいた。


「……ありがとう」

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