相棒以上、友達未満。
白ねこ
第1話 休日前は飯作りたくなかったのに……
――辺り一面の闇、闇、闇、闇。
10月の午後6時ともなれば人通りは少なく、すっかり暗くなって住宅に明かりが灯る。家族の団欒が響き渡り、晩飯のかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。
いい夜だ。心底いい夜だ。時折すれ違う人も心無しか幸せそうな表情で早足で出歩いていく。
――理由はただ1つ。金曜日だからである。
「はぁ~。金曜日の定時退社は最っ高だな~」
普通の会社員、
とにかく夜は自炊する気がなかった。コンビニで弁当と調子に乗って肉まんを買い、スキップで歩く。アパートが見えて来た。家に帰ったら何をしよう。漫画を読もうか。テレビでバラエティーを見るのも良し。あとは、いつもより長く風呂に入ろう。ゆっくり温かいお湯に浸かって疲れを癒そう。想像するだけで頬が緩む。
「金曜日の定時退社、明日は休み♪」
幸せな言葉の羅列だ。一生言っていたい。鼻歌交じりで歩く。今にも踊り出しそうだが、それはさすがに不審だと自重する。目の前にアパートが迫る。自然と歩くスピードが上がる。
アパートの横には小さな路地があった。醜悪な臭い、延々と続く深い闇。異様な雰囲気。あるのは野良犬、野良猫の姿くらいだ。
――しかし今日は何かが違う。
背中に悪寒が走る。それまでの気持ちの高揚は何処かへ吹き飛び、ショウゴは辺りを見回す。
見つけた。
――闇に混ざる、紅と白だ。
白いスーツの少年が、頭から血を流して蹲っていた。ショウゴはひっ、と声を上げ、すぐにバッグの中をまさぐる。ハンカチを取り出し、少年に駆け寄った。目を逸らしたい状況のはずなのに、頭は恐ろしく冷静だった。少年を見つめる。ショウゴの手と足は震え、冷や汗は滝のように流れていた。少年の口が微かに動いている。さらに顔を近づけて耳を澄ます。
「腹、減った……」
「は?」
わけがわからなかった。頭から血を流しているのに、そんなことは気にしていないようだった。少年の腹から大きな音が聞こえる。どうやら本当らしい。だが、怪我を放置しておくわけにはいかない。
「だだ、大丈夫か?病院は?」
声も震えていた。少年が身動ぎする。言ってから、少年の頭の血の出ている部分にハンカチを当てた。ネクタイできつく縛る。
「痛いだろ?俺が助けてやるから……」
縛り終えると慌ただしくスマホを取りだした。出血量はそこまで多くないが、少年は意識がない。救急車を呼ぶのが最善だろう。
「1、1……」
9を押そうとした時だった。
「ちょっと待てぇ!!病院はやめてくれ!」
少年が飛び起きた。懇願するような瞳でこちらを見つめている。
「俺が悪かった!寝てただけなんだって!兄ちゃん、心配かけて悪かったよ!」
手を合わせて声を張り上げ、全力の謝罪をアピールしている。
「……っ、てて……」
叫びすぎたのか、頭を押さえて先程までの体勢に戻る少年。
「おいおい、無茶するなって」
ショウゴは少年を窘めることしかできない。少年は深呼吸してからかなり時間をかけて立ち上がった。立ち上がる所作は少年の態度と裏腹に美しく、揺れるイヤリングが目を引く。全身の汚れを払う素振りをする少年。改めて見つめてみると、鼻筋の通ったなかなかの美形だった。しかし、服の着方は少々雑だった。正直悔しい。見目よい容姿なのに、年頃の少年らしさは残している。
「じゃあな兄ちゃん。世話んなったな。ネクタイとか汚しちまって、悪かった」
手をひらひら揺らして、歩き始める少年。
「待ってくれ!」
思わず呼び止めていた。それとなく放っておけなかった。
「ああ、家この辺りか?後で詫びに何か持っていくからよ」
申し訳なさそうな顔で振り返る少年。しかし言いたいのはネクタイのことなどではない。
「違うよ、あのな……」
たっぷり間を置いて、少年を見据える。少年はショウゴからただならぬ雰囲気を感じ取ったようで、神妙な面持ちで見返してきた。
「腹減ったって、言ってなかったか?」
うわ言のように呟いていた言葉だ。それほど空腹で、尚且つ怪我人である彼をそのまま帰らせるわけにはいかなかった。それだけだ。少年はと言うと、道端でお札を拾った時のような顔をしていた。
「言ったけど……まさか、奢ってくれんのか!!!!」
やはり相当腹が減っていたらしい。瞳を輝かせてショウゴの元に戻ってきた。
「家、そのアパートの2階だからさ、休んでいってくれ。案内するよ」
予想外に食いつかれたので若干引いていたが、アパートの方を指し示して歩き出す。後を着いてくる少年はしきりにガッツポーズをしていた。
不思議だった。生まれて初めて、胸を張って善行と呼べることをした。今日の自分は、何故か好きになれる気がした。
***
――もし世の中にある面倒なこと、辛いことを全て「影武者」が代行してくれるなら?
天塚扇我《あまづかおうが》という男がいた。
男はまさに天才と呼ばれるべき実力を持っていた。ある日、唐突に現れた天才は世界の化学に革命を起こし、1つの技術を大いに発展させる。
――アンドロイド技術である。主人に逆らわず、完璧に命令をこなす、鉄の塊。天才はアンドロイドをそう称した。
大金を払った富裕層はアンドロイドを代わりに働かせ、身の回りの世話をさせた。有能なアンドロイドを働かせば勝手に金が泉のように湧き、自分は家でテレビを見ているだけでいいのだ。日本製のアンドロイドは世界中で売買され、富裕層に爆発的な人気となった。
「学校に行きたくない」「仕事を休みたい」は人間なら誰しもが1度は渇望することだ。しかし、富裕層はプライドが高く、一般層の人間がアンドロイドを使用することを悪く思う者が多くいた。そのため、一般層への販売を検討する会議の結果は何度繰り返しても否決だった。
アンドロイドは便利な反面、人間同士の確執を生むこととなる。
天才は苦悩した。アンドロイドを巡って人間同士の間で諍いが起きた。善意のつもりで開発したアンドロイドが、争いの火種を生む結果となったのだ。
――もしかしたら、天才はこの頃から狂っていたのかもしれない。
技術に改良を加え、性能だけでなく容姿にも完璧を追い求め、天才はアンドロイドを進化させ続けた。
ある日、いくつかの一般家庭にアンドロイドが届いた。家族たちはアンドロイドを一目見て眉間に皺を寄せたのだという。
――アンドロイドはそれぞれの家庭の主人によく似ていたからだ。
否、似ているどころの話では無い。顔だけではなく、体格、仕草、話し方、癖に至るまで精密に再現されていたのだ。天才は実験を開始した。
各家庭の主人たちは、職場にアンドロイドを出勤させ、1日中正体を隠させて仕事をさせる。正体が明るみにならなければ、実験は成功。アンドロイドを使用していても上司から睨まれることはなく、仕事を休むことができる。コストは、富裕層向けのアンドロイドに比べて削減された。加えて週に1回のメンテナンスや、持ち主以上の実力は発揮できないなどの欠点ができたが、皆は目を見張り、天才を賞賛した。
持ち主によく似たアンドロイドには区別するため、別に呼称が与えられた。
――影武者。
その昔、戦乱の世に権力者が敵を欺くため、自分と似た容姿の者を身代わりとした。その身代わりの者のことを影武者という。
影武者を使う今の世の者も、敵――もとい上司、部下、親、子供、先生などを騙すため、日々奮闘している。「影武者」というネーミングは最適であった。
現在は、影武者の登場で持ち主と影武者の違いはおおよそ判別できない。職場のどの役職の人間も影武者を使用し、誰にも咎められない。ここに、平等な世界が実現する。
***
「お、そろそろできたか?」
少年の怪我は幸い、大したことはなかった。本人の主張は、「仕事帰りに寝ていただけ」だったか。怪我をするような仕事をしているということだろうか。なんとも物騒な話である。
――そもそも、ショウゴよりも年下に見えるのだが。
ショウゴは今年で24歳だ。部下もできて、仕事も軌道に乗ってきたところなのだ。対して、少年は高校生くらいに見える。
少年はテーブルの前でショウゴの作る夕飯を待っている。今日は自炊をしたくないとあんなに思ったのに、少年の分の弁当があるはずもない。米を炊き、家にあったもので素早く野菜炒めとハンバーグを作り終えた。
「はい、手間かけられなくてごめんな」
言いながら少年の目の前に食事を広げた。割り箸と、お茶を差し出す。
「サンキュ。美味そうだな!」
目を輝かせて見つめる少年。正面にショウゴは座った。
「……君、名前は?」
「忘れてたな。俺は……」
少年は天塚舞也《あまづかまいや》と名乗った。歳は16歳で、学生兼ある機関の職員らしい。白いスーツは機関の制服だろうか。随分血と泥で汚れていたので、一旦脱いでもらった。今はショウゴの服を貸している。
「服のサイズが同じで良かったよ」
マイヤは容姿端麗なので、ショウゴの私服を着せても様になる。体格は変わらないのにショウゴより足の割合が多いのは悔しいが。
「兄ちゃん、本当に悪いな。飯も出してもらってよ」
謝罪と感謝の言葉を繰り返す割にはそれほどの感情はこもっていないように感じる。マイヤは野菜炒めに箸をつけ、一口食べてから皿を持ち上げてかっこみ始めた。
「うん!美味い!!疲れた体によくしみるぜ~!」
幸せそうに食べているのを見ていると、ショウゴは胸がいっぱいになった。
(俺は今、人に幸せを与えているんだ)
その実感が、ショウゴに満足感と優越感をもたらした。勢いづけて食べすぎたのか、マイヤが頭を押さえて呻く。
「ああ、あんまり気にすんなよ。いつもこんな感じだからさ」
「なあ、君はどこで働いているんだ?」
興味本位で聞いてみた。いつも血を流しているというのは、なぜなのか。
「あんた、影武者って知ってるか?」
今一番流行っているであろう言葉が飛び出した。ショウゴには縁のない言葉だ。
「知っているけど……もしかして」
その言葉が会話に出てきて、誰でも始めに思い浮かぶであろう機関の名前。
「――逆光、か?」
***
影武者には最大の欠点がある。
コスト削減のため、アンドロイドに施されていた感情の抑制がされていないことである。
そのため、影武者は時に感情を暴走させ、持ち主の存在を乗っ取る。
存在を乗っ取られた持ち主がどうなるのかは、誰も知らない。金も家族も地位も名誉も根こそぎ奪われて、無に帰る。野垂れ死んだだの、別の誰かに成っただの様々な話はあれど、ろくな事にならないのは確かだ。
つまり、影武者を使用することは己の全てを賭けることと同義なのだ。
それを知っても使用する者が減らないのは得られるものが大きすぎるからなのだが。
影武者が急激に普及されたことを受け、政府は「影武者制度」を導入した。公布された制度は多岐にわたり、非常に難解なものとなった。しかし、簡単にすれば「影武者を自由に使用して良いが、悪用は処罰の対象となる。また、感情の暴発による個人の乗っ取りに政府は介入せず、専門機関を通して処理すること」というものであった。
制度の導入により、新たに「影武者と関連している案件」を解決、処理する専門機関が設けられた。名を「逆光」。逆光は武器を持つことを政府から許可されている他、様々な権限を有する。命を落とすこともあるため、給料は高く、逆光の一員である者は豊かな暮らしを約束される。ただし、死ななければの話であることは暗黙の了解だが。
逆光が処理したことで存在を取り戻した人間はいくらでもいる。故に、逆光は賭けに負けた者の最後の手段として重宝されている。
***
「……その通りだよ」
自分から話を振っておきながらマイヤは口元を歪めていた。瞳に宿るのは、憎悪。ショウゴは皮肉ながら、目を離すことが出来なかった。理由を聞くことは躊躇われた。
「おっ、そうだ!言わなきゃいけねえことがあんだよ!」
急にマイヤが大きな声を出す。それはまるで陰鬱な雰囲気を壊したがっているように見える。立ち上がって、ショウゴを見下ろす。ただならぬ雰囲気に、ごくりと唾を飲む。
「知られちまったからにはタダで帰すことは出来ねぇなぁ」
マイヤは先ほどとは違う意味で、口元をゆがめていた。悪戯な笑みだ。
(というか……)
「帰すも何も、俺の家なんだけど」
言われたことの意味が呑み込めず、咄嗟に的外れなツッコミを入れてしまった。
――そして青ざめる。
「タダでは、帰さない?」
とりあえず復唱。何か代償があるということか。機密事項を話し始めたのはマイヤの方だが。とにかく弁明するしかない。
「お、おおお前が話し始めたんだろ!?」
これでは図星を突かれた犯人のようだ。ショウゴに非は無い。断じて非は無い。
「くっ」
突然、マイヤが吹き出した。腹を抱えて笑っている。折角立ち上がったのに力が抜けたらしい。座り込んだ。
「ど、どうかしたのか?」
今相手が感じているのは、ショウゴをどうにでもできるという愉悦か。そうなのだとしたら、理不尽すぎるのではないか。
「いやいや、今すぐに殺したりしねえって。そんなに慌てられたら可笑しくもなるだろ。転職だよ、転職。ウチに、逆光に来てくれ」
「ん??」
確かに、ショウゴは口封じに拘束か、殺されでもすると思っていた。しかし、斜め上からの解答。悪い趣味である。あんな顔をしておきながら、転職で済む――
転職。つまり、怪我をする可能性がある、最悪の場合死ぬ。そんな職に就くことになる。そうすれば、上司にどやされ、部下に気を遣う日々ともおさらばで、それでも死ぬかもしれなくて、だけど給料は良い。
「拒否権はねえぞ?義務だからな」
影武者制度の義務の欄に記載がある。
――逆光の詳細を知った者は、逆光に勤務すること。拒否権は認めない。
混乱の果てに残った感情は、諦念だった。流石に逆らう気にはなれなかった。たっぷり10秒深呼吸をする。心が平静を取り戻す。
「わかった。後で上司に……」
「いらねえってそんなの。明日、逆光に行くぞ!!」
「ちょっと待て、段階を踏んでだな……」
明日は休みなのに。一粒の親切がショウゴの人生を狂わそうとしている。2時間ほど前の自分が憎い。誇らしい、などと思っていたことも含めて。
「国の義務だからな!ほら、うだうだ言ってねえで!!握手!!よろしくな!!」
展開がとにかく早い。マイヤは眉間に皺を寄せた。顔に早くしろと書いてある。とても友好的には見えない。何か別の意図があるのか。
「本当に、大丈夫なのか……?」
握手をした瞬間、マイヤのイヤリングが淡く光って揺れた。悔しいがやはり美しい。
吹っ切れてみたら、不思議と胸が高鳴っていることに気づく。思い返せば今までの生活に満足していたとはとても言えなかった。
(どうせ変わるのなら、楽しくやりたいよな)
過度な期待はしないでおくが。
ショウゴは自分のことに夢中で気づかない。
――マイヤが、苦虫を噛み潰したような顔をしていることに。
「マジなのかよ……。信じたくねえよ、兄ちゃん。『 』 なのか?」
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